山本芳久のレビュー一覧
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ネタバレ志村ふくみ・若松英輔『緋の舟』、辰巳芳子『手の味こころの味』『いのちと味覚』をきっかけに、キリスト教(カトリック)の世界の本に少し寄り道している。
その過程で、カトリック教会が、第二バチカン公会議(1962〜1965年)で他宗教との対話を訴え、その実践が今も続けられていることを知り、現代のありようをもう少し知りたくなり、本書を手に取った。
現代の教皇の回勅(司教や信者に向けた公文書)を取り上げながらの解説(対談)なので、上記がわかりやすかった。
「神=至高の正義」の存在を信じ、その正義のために「自分の持っているものを与えるだけはなく、自分自身を与えなければならない(第一章)」とする点には、正直高い敷居を感じた。しかしカトリックは、世界で14億を超える人が入信していると聞く。それが他宗教との対話を継続しているというのは、教義を信じる信じないとは関係なく、大事にしなくてはいけないことだと思った。
「私たちにとって重要なのはイデオロギーではなくコスモロジーなのではないか(註)(第二章)」という意見は、多様性の中での対話のありかたという点で傾聴に値する。
(註)
イデオロギー:政治、社会、道徳、宗教などにおける、人々の行動や考え方の根底にある価値観や思想の体系
コスモロジー(宇宙論・世界観):自分をも含めた世界をどのようにイメージし、生きる意味を見出すかという関係性・秩序の枠組み -
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かなりわかりやすかった。
アリストテレスの倫理学は、アルケーを模索する理論学などと同様に、その根底に可能態から現実態へというアリストテレスの理想が通底しているのが、まず感動的である。
つまり倫理学の方面では、人間の可能性を現実化していくこと、この方向性こそに理想と重きを置いているわけであるが、プラトンのようにイデアという別世界を設定するでもなく、自然の中に潜んでいるはずのロゴスを信じ、倫理学にまでも一貫とした哲学体系を築いたアリストテレスは偉大であり、自分にはかなり魅力的であった。
理論学の方はかなり難解な部分もあって、自分の中ではまだ整理がついていない部分もあるのだが、倫理学の方は本書がかなり明瞭にしてくれたので助かった。
中でも印象的であったのは、「人柄は習慣によって身につけられる」という、徳の獲得についての教えである。アリストテレスは随所において、かなり平凡で常識的なことを確かめるのだが、だからこそ倫理学として身近であり、実践学として有用である。
自分の経験を通じても、日々の自分の行動が自分の徳、人柄を決定するというのは、ぐうの音も出ないほどその通りであり、悪徳に流れずに自分を律し続けるためにも、アリストテレスの教えを思い浮かべながら生活するだけで、ひとつひとつの行為が生き生きとするであろう。私はこの本を読んで、あまりコーラを飲まなくなったし、ラーメンを食べなくなった。
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トマス・アクィナスの主要な思想についての新書。神学の一分野として理解する助けにもなる。
序
第一章 トマス・アクィナスの根本精神
一 トマスの「新しさ」
二 キリスト教とアリストテレスの統合
三 「饒舌」と「沈黙」
四 神秘と理性
第二章 「徳」という「力」――「枢要徳」の構造
一 トマス人間論の中心概念としての「徳」
二 「枢要徳」と「神学的徳」
三 「徳」と「善」
四 「節制」と「抑制」――徳の喜び
五 アリストテレスに洗礼を施す――キリスト教的「純潔」
六 親和性による認識――枢要徳と神学的徳を架橋する
第三章 「神学的徳」としての信仰と希望
一 信仰――知性による神的真理の承認
二 恩寵と自由意志の協働
三 神学的徳による人間神化
四 希望――旅する人間の自己超越
第四章 肯定の原理としての愛徳
一 神と人間との友愛としての愛徳
二 「神からのカリタス」と「神へのカリタス」
三 神の愛の分担者となる
第五章 「理性」と「神秘」
一 受肉の神秘
二 「最高善の自己伝達」としての受肉
三 受肉と至福
四 「ふさわしさ」の論理
五 人間理性の自己超越性――「神秘」との対話
あとがき
参考文献 -
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さすが100分で名著シリーズ。読みやすい。おすすめです。
キリスト教成立以前の古代ギリシャの書物のため、聖書やキリスト教社会を前提とした概念は出てこず、そういう意味でもすらすら読める。
神を前提としていない哲学のため、多くの日本人にとっても相当馴染みやすいのではないだろうか。
幸福を人生における究極的なゴール(すなわち、「最高善」)として、人間のあらゆる活動はそのために行われると考える。具体的にどういう行動を心がけて、どのような「徳」を備えた人間になれば、幸福という「最高善」を達成できるのか、それが段階を踏んで書かれているため、構造的にも分かりやすい。
『ニコマコス倫理学』や他の哲学においても重要なな概念である「中庸」の意味が、「まあまあ」や「ほどほど」といった意味ではなく、「ど真ん中を射抜く」という意味だと知れたことも非常に良かった。
『ニコマコス倫理学』の全編や他のギリシャ哲学の本も読んでみたいみたいと思える1冊です。 -
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本書は神学という営みがどういうものであるかを問いかける書。哲学と神学との関わりはあまり日常的に意識されることはない。しかし哲学の中に神学的な問いかけがあり、神学の内に哲学的な洞察が含まれることを、本書は明示してくれる稀有な本である。著者の二人の対話の中で持ち寄られる本がちょうどその時を掬い取るようにして、言葉が下りてくるような体験を読者もまた経験できるであろう。
教皇フランシスコの「無関心のパンデミック」への応答としての、祈り。一見近寄りがたく思われるグァルディーニ枢機卿の祈りについての洞察が特に印象的であった。代表する神学者と評されながらもあまり触れることのできない方であるが、陰に陽にその影響は言及されているグァルディーニ(ファーガス・カー『二十世紀の神学者』参照)。そのグァルディーニの具体的な言葉に触れ、具体的には何もできない状況に置かれたとしても、祈りを通して具体的な道筋が一人ひとりにもたらされ得ることが明確な言葉で語られていた。ちょうどパウロがこの世を去る前に書き記した手紙のように、私たちが何をすべきかを問いかけてくるのである。
本書の特徴は神学的問題群が如何に私たちが生きることと密接な関わりをもつのかを明示するところにある。神学者トマス・アクィナスの観想についての洞察が、時代を隔てた哲学者アリストテレスとの深い対話に根ざしたものであることを明らかにしてくれる。さらには現代の私たちに痛切な問いかけをもたらしたアーレントの「悪の凡庸さ」(あるいは「凡庸な悪」)が彼女のアウグスティヌスとの神学的対話に基づくものであることを暗示してくれる。影響関係云々ということではなく、一人ひとりの思想家や哲学者と向き合う時に神学的な背景があるかないかでその読みの深さが変わってくることを本書は伝えてくれるのである。
教皇フランシスコの「無関心のパンデミック」という問いかけはただ知的に優れることをではなく、身近な他者にどう向き合うかを問いかけている。あれをしなさいこれをしなさいという具体的な指示ではなく、一人ひとりがどう他者と出会うことができるのか、どう他者と出会うべきなのかを問いかける教皇フランシスコの言葉に触れることで、読者もまた善きサマリア人の物語の中に自分を如何に見出しうるのかが問いかけられるのである。
本書は言及される本の紹介に留まらず、その紹介される本のエッセンスを引き出し、その中に語られる言葉を通して読者もまたそれぞれに古典との対話へと移り行くことを読者に呼びかけているのである。今、この危機と戦争の時代にあってこそ読むべき書であることを感じた。 -
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「親和性による認識」cognitio per connaturalitatemという神学的言葉がある。日常の言葉で言えば「好きこそものの上手なれ」という言葉に表されるような事態を掬い取る言葉である。本書はトマスの徹底的に理性的な思考がいかにして神学的思考と接続されるのかを明らかにする本である。キリスト教はわかりにくいと思われることがあるかもしれないが、本書はキリスト教の基本的な発想を明晰な言葉で表しつつも、西欧の言語で語られるところの神学的問題へと読者を丁寧に導く神学入門となっている。
本書はその章立てから見て取れるように、トマスの神学の方法論と徳論と愛徳論を扱ったものである。まずはトマスの神学における論の進め方や『神学大全』の項の成り立ちを始め、基本的な内容を押さえる。そして私たちの日常に根ざした問題群である徳を扱う。『神学大全』の中核に位置する徳論を詳述する真ん中の二つの章は、その考察の具体性を知らせてくれるものである。徳論において枢要徳と対神徳とを接続する言葉として冒頭の「親和性による認識」という問題が扱われており、それは単に神学的思考にのみ関わるものではなく、人間の本性をめぐるトマスの一貫した人間論に裏打ちされていることが明らかにされる。
本書の特徴は、ともすれば翻訳を読む際につい読み飛ばしてしまうような区別を精確に取り押さえていくことにある。通常「神の愛caritas Dei」と訳される言葉の用法として、所有の属格では「神からの愛」と訳され、対格的属格では「神への愛」と訳され得ることが本論において指摘される。この両者の区別を精確に取り押さえることを通して、トマスが指摘する「神の愛」の思想がいかに革新的な内容を含んでいるのかを明らかにしている。そして神学的議論に興味を持ち始めた読者は教義史や異端論争へと関心を抱くことと思うが、まさにそのような読者を念頭に置いた神学的論争の要点を精確に取り押さえていくための手掛かりが与えられるのもまた本書の特徴と言えよう。
本書を読み解くことを通して学問的にテクストを読み解くことの生き生きとした様子を感じ取ることができ、読者を精確な読解へと招く本書は類まれな神学入門となっているのである。トマス・アクィナスだけでなく、中世哲学、ひいては哲学そのものに興味があるすべてに人に薦めたい一冊である。 -
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本書は多数のトマス・アクィナスについての著書を出されている著者による新たなトマス論である。とはいえ著者の著書はそれぞれの叙述が相補うようにして記されており、本書もその例に漏れず今までの著作を補う一冊と言える。あとがきに記されているように、一般向けに著者が著した『トマス・アクィナス 理性と神秘』(岩波新書)と『トマス・アクィナス 肯定の哲学』(慶應義塾大学出版会)の二冊を難しいと感じる読者に向けて書かれている。
本書の特徴は「哲学者」と「学生」の対話を通して『神学大全』の様々なテクストが具体的に引用されていることにある。主題に応じて選ばれるテクストを読むことを通して読者に『神学大全』の豊かさの実例を提示していくのである。多数の引用が用いられるのは前二著でも見られる特徴ではあるのだが、本書は「哲学者と学生」の対話の中で、より詳細に読解の肝となる部分を掘り下げてくれることが印象的である。本文でも述べられるように、中心的な話題は人間の感情をめぐるものである。『肯定の哲学』において理論的な枠組みが提示されていた内容を具体的な経験の諸相を照らすような仕方で提示してくれるのが本書なのである。
本書は『神学大全』の様々なテクストを読み解くことを通して、その中で引用されるアリストテレス、アウグスティヌス、偽ディオニュシオス・アレオパギテース、そして聖書がどのような仕方でトマス自身の思考に関わっているのかがありありと提示される。そしてその洞察が私たちの経験を豊かに捉え直す可能性を有することを伝えてくれる。中でも印象的なのはアリストテレスのアクラシアとアコラシアを巡って岩田靖夫氏の『アリストテレスの倫理思想』に言及する箇所である。ここには、少し踏み込んでアリストテレスのテクストに触れる読者にとって躓きとなる部分への他書にはなかった配慮を感じるのである。参考文献として挙げられているだけでは通り過ぎてしまう本が本文に具体的に引かれていることを通して研究の世界へとも誘われるのである。
世界は善に満ちている。そのことは私たちの内なる愛を気づかせ、世界をより豊かに受け留めるきっかけをもたらすのである。本書を通して豊かに開かれる世界は、私たちが本を読むことの意味をも問いかける。私たちが生きている世界をより豊かにする様々なヒントが『神学大全』の中に、哲学書を読み解くことの中に隠されていることを本書は明らかにしてくれる。具体的な、時には鋭い「学生」の問いかけへの「哲学者」の答えを通して、読者は哲学することの豊かさを感じられることと思う。哲学は自分にとって縁遠いと思う読者にこそ、手に取ってもらいたい一冊である。 -
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本書はキリスト教に興味を持った人に真っ先に薦めたいキリスト教入門である。「学びのきほん」シリーズの一冊である本書は、帯に二時間で読めると書かれている通り、短い紙幅にエッセンスをギュッと凝縮したキリスト教入門である。とはいえ必要な部分だけを解説するというスタイルではなく、アブラハムの宗教と言われるユダヤ教とキリスト教とイスラム教の関わりから説き起こし、何が共通していて何が違うのか、そして聖書には具体的に何が書かれているのかという全体像を示しつつ、そこからキリスト教のエッセンスを旧約聖書、新約聖書、アウグスティヌス、教皇フランシスコ、ヘンリ・ナウエンのテクストそれぞれから析出していくというスタイルを取っている。
本書ではキリスト教はどうして新約聖書だけではなく旧約聖書をも聖典としているのかといった疑問に答える内容が、旧約聖書と新約聖書の重要な箇所を読み解いていくことで自然と理解できるように論が進むのが印象的である。その過程で、旧約聖書における働きかける神の姿、新約聖書におけるイエスの教えの革新さが浮き彫りになる。そしてキリスト教思想を代表するアウグスティヌスの『告白』が如何に現代を生きる私たちに問いかけるものであるかが明らかにされ、現代においてそのキリスト教思想が如何に読み解かれているのかが教皇フランシスコとヘンリ・ナウエンのテクストを通して確かめられる。
本書を特徴づけるのは、冒頭にも記されているように「旅人の神学」という視座である。旧約聖書に始まる神と人との具体的な関わりを読み解くことを通じて、現代を生きる私たちにとって如何にキリスト教思想が「生きた」ものとなりうるかをありありと示してくれる。浩瀚な神学書を読み解くことではなかなか見出すことのできないテクストの核心に迫る叙述は、初学者だけでなく思想研究に馴染みがある読者にとってもまた新鮮な気づきを与え、読者のその後のキリスト教との出会いを力強く後押ししてくれるものである。
キリスト教は愛の宗教である。本書はその内実をいきいきと描き出し、キリスト教の基本的な考えを明らかにし、学術的な著書を通してはなかなか得られない洞察を惜しみなく与えてくれるキリスト教入門である。信仰の手引きとしてではなく、一人ひとりの読者がキリスト教思想のエッセンスに触れていくことを通して、テクストそのものが人生への問いかけに満ちたものとして立ち現れてくるに違いない。基本を確認するためにも、新鮮な気持ちで原点に立ち返るためにも、繰り返し手に取りたくなる必携のキリスト教入門である。 -
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本書は類書のないキリスト教思想入門である。多くの入門書や概説書はある決まった枠組みを読者に提示することが多いのだが、本書はむしろどうしてそういう発想に至るのかという、その一歩手前の部分から説き起こす。その理由は本書が同名のラジオ番組をもとに書き下ろされたものだからであろう。噛んで含めるような語り口によってその惟一回の好機を掬い取ろうとする本書は、ともすれば難しく感じてしまうテクスト群を、実際に読み解くことを通して生き生きと読者に提示してくれる。
本書は著者の『キリスト教の核心をよむ』がそうであるように、キリスト教に興味を抱くすべての人に勧めたい一冊である。入門書であると基本的な事柄に終始するのかといえばそうではなく、むしろ研究書などにおいては扱われることのない深さでテクストが読まれていくことに特徴があると言えよう。著者長年の読解に基づく引用テクストの選びそのものが本書をたぐいまれなものにしている。
キリスト教は愛の思想であるとはよく言われるが、その内実は自己犠牲的なものであるかのように捉えられることが多いのが現実である。しかし本書はその発想がいかに一面的であり、むしろ自己否定的なものは本来キリスト教的ではないことを明らかにする。本書において詳しくは説明されていないが、このことはむしろ奉献や敬虔に関わるものであり、著者の『トマス・アクィナス 理性と神秘』により詳しい記述を見出すことができる。
本書を特徴づけるのは教皇ベネディクト16世の回勅『神の愛』の読解にあろう。この一書の基本的要素となる愛の言語をそれぞれの思想家のコンテクストにおいて明らかにしつつ、『神の愛』において説かれる根本問題をニーグレンの『アガペーとエロース』との対比を通して明らかにしていく。そこまでの叙述、すなわちプラトンのエロース、アリストテレスのフィリア、そして『神の愛』の読解を起点としたアウグスティヌスとトマス・アクィナスのカリタスの議論が絶妙な仕方でお互いを否定することなく有機的な全体を成している。
ここまでの内容はいくらか著者の別の書と重なる議論と思う人もいるかも知れない。しかし本書では先に言及した『キリスト教の核心をよむ』で取り出される旧約聖書と新約聖書における神理解がより詳しく説明されているのもまた印象的である。聞き手に対して語られた言葉であるからこその平明さは、単に入門であるだけでなく専門的な研究を紐解いて後に見えてくる地平へと読者を立たせてくれるものである。キリスト教の理解を深めたいすべての読者に勧めたい一冊である。 -
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教皇フランシスコが帰天されて、様々な憶測が飛び交う中、新たな教皇レオ14世が選出された。本書でも指摘されているように様々なメディアが「革新か保守か」といった対立軸の中で、その政治的動向がさも重要事項であるかのように報じてきた。しかし一人の信仰者としては、教皇フランシスコの喪失をうまく受け止められないままに、新たな教皇の選出を静かに見守っていたというのが自分にとっての素直な実感であった。2013年に教皇フランシスコが選出された時にある種の必然的な導きを感じさせられたのと同様に、本書は旅する教会が新たな教皇を選んだその必然性を改めて確認させてくれるものである。
本書は数多くのトマス・アクィナスの著書を持つ著者による教皇入門である。著者には『キリスト教の核心をよむ』や『愛の思想史』といった優れたキリスト教入門がすでにあるのだが、それらとは違った仕方で教皇についての理解を深める中でキリスト教の特色が浮き彫りになる、新たなキリスト教入門である。『キリスト教の核心をよむ』では教皇フランシスコの隣人愛が、『愛の思想史』ではベネディクト16世の愛の思想がそれぞれ印象的に語られる。それらの既刊書籍とは違った切り口で、主題を教皇に絞ったがゆえにより本質的な部分への案内がなされている。
本書は時系列でもなく、遡及的にでもなく、主題が私たちに身近なことからキリスト教信仰の本質へと深まっていくように進んでいく。まずは今回の教皇選挙においてどのように時のしるしを読み解くことができるかが枢機卿たちの提示する7つの課題という形で浮き彫りにされる。その中で教皇フランシスコがどのような存在であったのか、そして新たに選出されたレオ14世がどのような課題を背負って教皇職に当たっているのかが明らかにされていく。教皇フランシスコとベネディクト16世の数々の回勅はどれもが聖書の有名な箇所の注解という側面を持っており、それだけでも十分に解説に値するのだが、本書はむしろポイントを絞って端的にいくつかの文章を取り上げて本質的なコメントを付していることが印象的である。教皇フランシスコに関しては『パンデミック後の選択』と『ラウダート・シ』を取り上げて、隣人愛と被造物の配慮に焦点が当てられ、中でも重要な箇所でトマス・アクィナスの『神学大全』の「善の自己伝達性」が言及されているのが印象的であった。教皇レオ14世に関しては、レオという名前を選んだことの真意とアウグスチノ会士としてアウグスティヌスに親しんできた教皇の思想的源泉に光を当てる。そして教皇ベネディクト16世に関しては前著でも解説されていた『神は愛』のみならず、むしろその後の二つの回勅を通して、希望と信仰とに紙幅を割いているのが印象的である。ちょうどレオ14世の種まきの譬えで言及される「奇妙な主人」を通した神の恩寵の絶対的先行性、それに『希望による救い』におけるバキータの話を通して開かれる希望のビジョン、そして現代における信仰の在り方への問いかけが、キリスト教の本質を絶妙な仕方で浮き彫りにしており、自ずと読者は本書のあとがきにも記されているように歴代教皇の文章に手を伸ばすことになるであろう。ここまで述べてきたように三者三様にトマス・アクィナスやアウグスティヌスと響きあいながらも、歴代教皇の歩みの結晶である回勅や第二バチカン公会議文書がベースにあることが随所で指摘されていることもまた印象的である。本書は歴代教皇の特徴を浮き彫りにしながらも、伝統と革新とを引き継ぎながら歩む、旅する教会の頭としての教皇の姿を明らかにしてくれるのである。
コロナ禍のパンデミックのさなかで教皇フランシスコは言葉を通して人々を励まし、福音を届け続けた。平和を求めるレオ14世の打ち出した福音宣教、それが実現するかは一人ひとりに蒔かれた言葉の種をどう育むかにかかっているのではないだろうか。私たち一人ひとりが一歩づつでも平和に近づけることを祈らずにはいられない。 -
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この論文を読むためにだけこの本を買わなければならないというものがある。リーゼンフーバー氏の『中世における知と超越』所収のトマス・アクィナスの存在論をめぐる論文、『命題コレクション哲学』所収の神認識論はそのようなものに数えられるであろう。それらはのちに著者の大著『中世哲学の源流』に収録されることとなり、日本における中世哲学研究の結晶として今なお輝きを放つものである。相次いで刊行された『中世哲学の射程』と本書『存在と思惟』はその主著『中世哲学の源流』のハイライトともいうべきものである。本書『存在と思惟』に先んじて刊行された村井則夫編『中世哲学の射程』は中世文化を闡明し、中世哲学研究の前庭を読者に生き生きと提示する内容であり、中でも「サン=ヴィクトルのフーゴーにおける学問体系」はこの論文を読むためにだけでも手に入れる価値がある。そして引き続いて刊行された本書は、まさに中世哲学の核となる「存在と思惟」をめぐる論文で埋め尽くされている。
本書にはまさに冒頭に言及した二つの論文が採録されているのである。先に刊行された『中世哲学の射程』が中世文化の総体を読者に提示するものであるのに対し、本書『存在と思惟』はその思考の核となる存在理解を提示してくれるものである。分量としては少ないながらも本書の解説において山本芳久氏が熟読を読者に促しているように、本書はさらっと読めるものでは決してない。しかし中世哲学に興味を持つ読者にとっては「トマス・アクィナスの存在理解の展開」は他書において暗示に留まる存在理解をこれ以上にない仕方で掘り下げて探求するものであり、読者をおのずと中世的思考の核へと導いてくれる。そして「トマス・アクィナスにおける神認識の構造」はもともと『命題コレクション哲学』所収であるため、より多くの読者に開かれつつも神学における原理的な思考を提示するものである。本書を読み始めて難しいと感じる読者はぜひ最後から二番目のこの神認識論から読んでみてはいかがだろうか。
本書は小著ながらも中世的思考の核となるべきものを読者に提示する珠玉の論文集である。読みにくさを読者が感じるとすれば、それは著者が四つに組みながらテクストを判読していく思考の現場に立ち会うからなのである。それも『超越に貫かれた人間』や『超越体験』といった著作にはない深さで中世哲学の核心を読者に提示するものであり、まさに熟読に値する本なのである。思考の道行きだけでなく、本書で言及されるトマス・アクィナスを始めとした原典への指示を通して読者は中世研究の精華に触れられる、類まれな哲学書なのである。 -
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山本芳久著『三大一神教のつながりをよむ』の感想です。
キリスト教VSイスラム教という対立で捉えられがちな一神教の解説ですが、論点を絞った非常にわかりやすい本です。
旧約聖書(タナッハ)、新約聖書、クルアーンのそれぞれにおいて(あるいはユダヤ教、キリスト教、イスラム教のそれぞれにとって)、啓示とは何か、アブラハムやイエスはどういう存在かが、やさしく解説されています。
特にイスラム教には馴染みがなかったのですが、イスラム教でもイエス(イーサー)は五大預言者の一人で、優れた預言者だからこそ(十字架の上で)そんな悲惨な死に方をするわけがない、と考えられているというのは初めて知りました。
耳障りがよくてなびいてしまいがちな宗教の多元主義に関する批判も紹介されていて、勉強になりました。 -
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【世界は善に満ちている】 山本 芳久 著
またまたPodcastからの情報で恐縮です。トマス・アクィナスを扱っており、その参考文献として紹介されたものです。彼の思想を哲学者と学生による対話形式で明らかにし、「哲学講義」とありますが、とても読みやすく仕上がっています。
トマス・アクィナスは神学者で『神学大全』を記述したという知識しかなかったのですが、ものすごい「ポジティブ思考」ということがわかります。「神」「愛」「善」などが登場するので、ここでの紹介は憚られるのですが、いわゆる現在の「ポジティブ・シンキング」ではなく、理論を突き詰めてこうしたものが実在することを証明しています。また、直接、本論とは関係はないのですが、ラテン語のpassio(受動)は、passion(感情)の語源となっており、感情が受動的なものであり、これによって人間の心に「刻印」ができるというのは面白い発見でした。
個人的には、久しぶりに眼を開かされた思いでした。Podcastを聴いた上で読むと分かりやすいと思いますが、読後は世界が一気に明るくなった気分になれる一冊です。 -
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ネタバレ悲しみや怒りといった感情の根底には、愛があるのではないかとぼんやり思っていたところに、この本と出会いました。まさに私が今欲していた答えを、この本がくれました。
感情は、自分の外界の事物から影響を受けて受動的に起こる。さらに、善なるもの(道徳的な意味合いだけでなく、便利だったり快楽的だったりするものも含む)に魅力され、それが心に刻印されるような形で、愛が生まれる。そう考えると、世界には現在も私を魅了する善なるものが既にあり、世界はこれから私が魅了されうる可能性のもので溢れている、ということを言語化してくれました。
感情的すぎる自分に疲れ、解消するような本を探してこの本に辿り着きましたが、やはり感情は愛の表れであり、神のように完全ではない受動的な人間にとって、大切な要素なんだと気付かされました。 -
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これは読まねばならぬ...と幾度と決意し、その度に通読失敗を重ねてきた「ニコマコス倫理学」。
ついに100分de名著に助けを求めることに...
アリストテレスが著した史上初の体系的な倫理学の本。あらゆるもの・行為は「善」を目指し、そして最終的に収束する「最高善」は「幸福になること」であるいう前提に立ち、その実現に向けた実践を意識した論展開がなされる。
倫理学が扱う範囲を「たいていの場合にあてはまる事柄」と定義しており、これは自然科学が扱う「常にそうあるところのもの」と対比されているのがいい。ひとが「善い」と感じる事柄はひとつではないけども、ある程度の方向には収束するものだというバランスのいい定義だと感じる。この視点だと現代でよく見る倫理観点での白黒論争は倫理学の俎上から外れていることが分かる。
人間に備わる「徳」は生まれつき備わるものではなく、行為の反復により形成されるものである。しかし、いま現在から「徳」を再形成するには、まず既に身についてしまった「徳」を受けいれ、いま、ここからどのように振舞っていくのかを考えることが大切だと説く。当たり前の話ではあるが、立ち止まって一呼吸省みることでいつでもリスタートすることができると背中を押してくれているようでもある。
終盤では他者との関わりである「友愛」について語る。友愛は「善きもの」「有用なもの」「快いもの」が存在し、若い人は主に「快いもの」を追い求める。そして、「年齢が進むと、彼らの快いものが変わってゆく。それゆえ、若い人たちはすぐに友人になり、すぐに友人であることをやめてしまうのである」。この一節により、20代中盤までの人間関係の変遷を思い返され、ものすごく腑に落ちた。そして、それが落ち着いたいまは、求める友愛の種が変わったのだろうと。
解説書から入ってしまった訳だが、 全体として内容は明快で力強く、現代を生きる上でも視界をサッと明るくしてくれるものになっていると感じた。いつかは家に眠る原著をしっかりと通読したいものだ... -
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中世において、哲学と神学を調和させるスコラ哲学を大成させた大学者として知られるトマス・アクィナスの思索を、トマスのテクストに愛着を覚える著者がそれに従って自らがもつ善を分け与えようと、丁寧な語り口で描いていく
理性と神秘(信仰)は対立するものではなく、信仰によって理性が新たな次元へとステップアップし、理性によって信仰がより深まるといった形で調和するものだとトマスは言う
同じく、トマスはアリストテレス主義者としても知られるが、実際はアリストテレスの哲学を援用して自身の神学を補強したことは間違いないが、哲学を神学の婢のままにすることなく、神学を用いて哲学に新たな概念を付け加えるといった形で調和が見られた
科学合理主義に染まった現代において、理性と対立することの無い神秘(信仰)の在り方や、何かに取り組む際必ず全体的な体系性を意識しつつ取り組むというトマスの思索の仕方など、700年前のテクストながら得られることは沢山あった