木下昌輝のレビュー一覧
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木下昌輝さんの作品にはじめて触れたのは、
『戦国十二刻 終わりのとき』。
「時代ものを書かれる方で、
今、おススメの作家さんはいませんか?」
と伺った折、
日本橋のタロー書房さんに教えていただきました。
木下作品でよく語られるのが、
その視点の斬新さ。
私も夢中になり、あれよ、あれよという間に
現在刊行されていらっしゃる8割を読破。
なかでも、繰り返し読んでいるのが
「天下一の軽口男」。
江戸中期、庶民のあいだに落語を広めて行った
米沢彦八の一代記がつづられています。
大阪の本屋と問屋が選んだ
ほんまに読んで欲しい本
「大阪ほんま本大賞」(2019年)受賞作。
当時、お座敷 -
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『決戦!関ヶ原』
誰もが知る関ヶ原の戦い。
4時間で決着がつき、そして最後の西軍 島津が退陣するまでが8時間。
●読みどころ
1.関ヶ原
家康と三成。
戦い前に密談あり。
互いの狙いは何か?
2.戦終えての三成
「勝者はいない。
徳川も豊臣もそして毛利も、さらに私三成も全員
敗者なり。」
その意図とは?
3.織田信長弟 長益。兄に囚われた人生
武勲無しの武将。
最初で最後に近い戦いは家康方で。
千利休の弟子であった長益。
戦場で何を思えたか?
4.島津義弘
66歳。西軍の敗北が決まり、1500の兵で家康の
本陣3万人に向かう。
「己の魂と引きかえに敵をうつ -
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本当は自分で「信長公記」を読めば一番いいんだろうが。そこまでの知力・体力はないので、この作品の登場である。「信長公記」の記載をベースに信長のパーソナリティを分析、空白の天正八年の後半4か月の記述の少なさと前後関係から、双極性障害の気がある信長の躁鬱の鬱期間だったのではと類推を進める。本書で特筆して面白かったのは、佐久間信盛との関係性とそれが信長の極端な信賞必罰に与えた影響を論じた箇所、それと信長のストーカーと言えるぐらいの記述を残した太田牛一にも論考を進めているところも見逃せない。(ファッションには興味はあっても食にはそれほどでもなかったというような)。信長の人生をある程度わかった上で読むとと
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ネタバレ信長という人物を多方面から観る。
興味深く、楽しかったですね。
彼がメンタルの病ではなかったか、という推理小説を読んだ事がありますので、そういう意味でも興味深く、楽しめました。
戦国時代を生き延びるというのは、簡単な事ではなかったでしょうし、細川忠興やガラシャ夫婦のような血塗れな関係もありますからね。(忠興はガラシャに色目を使ったと家臣を36人斬殺。あと植木職人と目があったと職人を斬り殺し、その血をガラシャの着物で拭い、彼女は忠興が懇願するまで、その着物を着続けた(^◇^;)という)
どこかに壊れてしまう所かあったのだと思うと、平和が、一番です。
そんな生き方をしなくてはならなかった信長も -
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『信長公記』を読み解き、天正八年八月から十二月では空白の意味を推測する。織田信長のパーソナリティに迫る作家の炯眼。
気鋭の歴史小説家の珍しい新書。織田信長に関する一級資料『信長公記』を基に知られざる信長のパーソナリティを考察する。
強すぎる完璧主義とアンガーマネジメントの欠如、信長公記の記載から信長の人物像をジグゾーパズルのようにあてはめて全貌を明かしていく。この部分、小説と同様であろう構成が見事である。
筆者は空白の時期を境にした信長の変化について見逃さない。そこに織田家古参の家臣佐久間信盛の存在を軸に信長と佐久間信盛の衝突と行き違い、信賞必罰の基準の変化を発見する。
本能寺の変につ -
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著者木下昌輝氏は『宇喜多の捨て嫁』以来、最も注目している歴史小説家ですが、新書『信長 空白の百三十日』は小説家としては当然かもしれませんが分かりやすく、また『信長公記』を丁寧に分析し、フロイス『日本史』、『本城惣右衛門覚書』他適切な引用、『倭国伝』からの発見など『惟日』フリークの私も大満足です。
小説家としての活躍とは別に、今後は発見の無い歴史専門家の著書とは別のアプローチで新書を発刊してほしいと思える一冊でした。
但し、一向一揆が「群集心理」で信長に恐怖を覚えて行動したとありますが、どうでしょうか?一向宗は信長の時代では上意下達の武装組織で、法主の命令が絶対だったようです。
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購入済み
上方落語の祖の米沢彦八を主人公にした物語です。江戸と上方の落語の違いだけではなく、演ずる咄家によっての背景の違いもよく書かれています。話しの持って行き方、文体も読みやすく、引き込まれてしまいます。咄家の立身出世の物語かと思っていましたが、これは人生に負けた男の物語ではないかと、気がつきました。ところがそれなのに、とても精力的な生き方をしたのではないかと、共感を覚えてしまいます。お笑いの世界の裏側をしっかりと見せてもらう物語です。秀吉の時代のお伽衆から始まって、今の漫才師や落語家の多士多彩な芸の幅広さが、元には咄家にあることを知り、古典落語の世界を覗いてみたくなります。失敗談ともいえる人生ながら