無料マンガ・ラノベなど、豊富なラインナップで201万冊以上配信中!
※アプリの閲覧環境は最新バージョンのものです。
Posted by ブクログ
本当は自分で「信長公記」を読めば一番いいんだろうが。そこまでの知力・体力はないので、この作品の登場である。「信長公記」の記載をベースに信長のパーソナリティを分析、空白の天正八年の後半4か月の記述の少なさと前後関係から、双極性障害の気がある信長の躁鬱の鬱期間だったのではと類推を進める。本書で特筆して面白かったのは、佐久間信盛との関係性とそれが信長の極端な信賞必罰に与えた影響を論じた箇所、それと信長のストーカーと言えるぐらいの記述を残した太田牛一にも論考を進めているところも見逃せない。(ファッションには興味はあっても食にはそれほどでもなかったというような)。信長の人生をある程度わかった上で読むととても興味深い一冊。
Posted by ブクログ
『信長公記』を読み解き、天正八年八月から十二月では空白の意味を推測する。織田信長のパーソナリティに迫る作家の炯眼。
気鋭の歴史小説家の珍しい新書。織田信長に関する一級資料『信長公記』を基に知られざる信長のパーソナリティを考察する。
強すぎる完璧主義とアンガーマネジメントの欠如、信長公記の記載から信長の人物像をジグゾーパズルのようにあてはめて全貌を明かしていく。この部分、小説と同様であろう構成が見事である。
筆者は空白の時期を境にした信長の変化について見逃さない。そこに織田家古参の家臣佐久間信盛の存在を軸に信長と佐久間信盛の衝突と行き違い、信賞必罰の基準の変化を発見する。
本能寺の変についても明智と惟任の記載から変の動機を推察する。
信長公記を深く読み込んだらこその織田信長論。目の付け所も素晴らしければ構成もさすが。一冊の新書としての面白さもあるが、作家の創作の秘密に迫れた感がある。
筆者には従前の人物のステレオタイプを覆した作品が多いように思う。執筆の動機、ネタ元には資料を読み解く力が大いに貢献しているようだ。
今後の作品または本書のような歴史解釈、双方で筆者の今後のさらなる活躍が楽しみです。
Posted by ブクログ
著者木下昌輝氏は『宇喜多の捨て嫁』以来、最も注目している歴史小説家ですが、新書『信長 空白の百三十日』は小説家としては当然かもしれませんが分かりやすく、また『信長公記』を丁寧に分析し、フロイス『日本史』、『本城惣右衛門覚書』他適切な引用、『倭国伝』からの発見など『惟日』フリークの私も大満足です。
小説家としての活躍とは別に、今後は発見の無い歴史専門家の著書とは別のアプローチで新書を発刊してほしいと思える一冊でした。
但し、一向一揆が「群集心理」で信長に恐怖を覚えて行動したとありますが、どうでしょうか?一向宗は信長の時代では上意下達の武装組織で、法主の命令が絶対だったようです。
※以下は本書の感想とは離れ蛇足となりますので、スルーして頂ければ。
一向宗でも中興の祖と言われる蓮如は
『王法為本』あるいは
『外には王法をもはらにし、内心には仏法を本とすべきあいだの事』とし、
明確に現世権力(守護・地頭)に対する一揆を禁止していました。
次の法主実如は王法と本願寺のかかわりを一転し、河内・和泉の門徒に畠山義豊と河内で戦っていた細川政元に味方するように指令を出しますが、門徒が
『開山上人(親鸞)以来左様の事、当宗になき御事に候。 』と拒否します。その後門徒への統制が進み、
次の法主証如は本書にもあるように細川晴元に味方して摂河泉三万の門徒を率い晴元方の河内飯盛山城を包囲していた畠山義宣を破り、堺の三好元長を法華宗の顕本寺で自害させます。
その翌月、一揆は大和の興福寺を焼き討ち、この勢いを恐れた細川晴元は逆に洛中に勢力を誇った法華一揆と組んで同年八月に山科本願寺を焼き討ちします。そのため、証如は大坂に本拠を移します。
また詳細は不明ですが、証如は天文七年(1538)二月、北近江で家来(内衆)の下間頼秀を『前代未聞の緩怠』があったとして暗殺しています。
次の法主顕如は門徒が従わない場合は破門(勘気)、さらに法主の意志に背いた一揆は生害(死刑)とします。顕如は宗門を護るため、宗教組織を上意下達で血の犠牲を伴う武装組織に変貌させたと言えます。
本書にある群集心理が本願寺を動かしたのか?それより法主の意志が大きいように思いますが、不明の点が多く、『石山合戦』から450年、また調べて見ようと思います。
先程、『石山合戦』450年を機縁とした北御堂での講談『石山合戦』2回目(全8回)を拝聴しました。石山は蓮如が見いだした聖地の意味を含めた方が良さそうです。そこに難攻不落の城郭寺院、富を生む寺内町、雑賀の千丁を超えた鉄砲隊。複合的要因で勝ち目ありと信長包囲網に加わり、十年に及ぶ戦となったかと。法主顕如についてはまだ良く分かりません。
Posted by ブクログ
小説家の木下昌輝が、信長に関する一級資料である太田牛一著『信長公記』を読み込み、信長の真実に迫った労作。
年代順に綴られた『信長公記』には、「空白」の期間が何箇所かあり、その謎を推理する。
さらに、粘着質な信長の気質を読み取り、その行動からは感情コントロールが出来ない信長というパーソナリティーを導き出す。
後半生の記述からは鷹狩りばかりに執着する信長が浮かび上がる。
著者は、ユイス・フロイスの日本史の信長評にもふれる。
「自邸においてきわめて清潔」「自己のあらゆることを丹念に仕上げる」という評から、単なる奇麗好きを通り越した、病的な潔癖症を信長に見、双極性障害の躁状態の行動を指摘する。
そんな信長のパーソナリティーを論じた後、「最期の一年の章」に入る。
ここでは、本能寺の変○○月前、○○月前と、ひと月ごとに綴られ、ドラマチックに緊張が高まる。
本能寺の変にあたり、様々な小説やドラマなどで、光秀が「敵は本能寺にあり」と、中国と京都との分かれ道で檄を飛ばす描写があるが、著者は否定する。
本能寺の変に参加し生き残った某の文献から、光秀の配下たちは信長を討つとは、本能寺に着いてからさえ知らされていなかったとの結論を出す。
読み手にとっても意外な発見だった。
なお、最終章で「本能寺の変の首謀者は明智光秀ではない」との刺激的なタイトルがある。
この変のだいぶ前から、光秀は惟任光秀と名乗っており、当時の文献もみな惟任で記されているとのこと。
変の首謀者を明智光秀としてしまうと、彼を討ったのも羽柴秀吉ではなく木下藤吉郎だということと同じになるという。
昔は、成長に伴いあるいは出世に従い、苗字名前の変更は頻繁にあった故。
Posted by ブクログ
信長という人物を多方面から観る。
興味深く、楽しかったですね。
彼がメンタルの病ではなかったか、という推理小説を読んだ事がありますので、そういう意味でも興味深く、楽しめました。
戦国時代を生き延びるというのは、簡単な事ではなかったでしょうし、細川忠興やガラシャ夫婦のような血塗れな関係もありますからね。(忠興はガラシャに色目を使ったと家臣を36人斬殺。あと植木職人と目があったと職人を斬り殺し、その血をガラシャの着物で拭い、彼女は忠興が懇願するまで、その着物を着続けた(^◇^;)という)
どこかに壊れてしまう所かあったのだと思うと、平和が、一番です。
そんな生き方をしなくてはならなかった信長も可哀想かも知れないですね。
※アプリの閲覧環境は最新バージョンのものです。