立花隆のレビュー一覧
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ネタバレ著者が東大・教養で3年間教えた経験から間違いなく東大の学生のレベルが低下しているというのです。これは単なるアジテーションではなく、著者が日本の将来を思う真摯な危惧から出たものであることを読みながら痛感します。学生に阿って受験科目を減らし、ゆとり教育を推進し、結果として高校で物理を履修せずに機械工学へ進む学生。同じく高校で生物学を学ばずに医学部、農学部へ進む学生。これが日本の最高峰である東大の実情!!大手前のレベルを言う前に、東大がこれでは日本は一体どうなるのでしょう。著者は東大文卒業であるだけに、素直に読めます。東大法がその中でも、実学の代表として書かれていますが、京大法はそれに対するアンチテーゼとして設立されたということは嬉しい限りです。日本の頂点に立つ東大の問題点は日本の文部科学省の教育方針そのものにあるという著者の指摘は本当に鋭いものがあります。
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この本のエピローグには空海の若き日、「謎の空白時代」について書かれており、桐原書店の高校現代文の教科書にこれをベースにした同名の文章が掲載されている。
実のところ、このエピローグを手元に置いておきたかったというだけの理由でこの本を買ったのであったが、本編のエピソードにも考えさせられる点が多く、空海のようにとまで行かないものの、青春時代に苦悩した人のナマの声が収められた非常に面白い本だった。
青春は何歳までか—「青春」などという言葉を使うのは小恥ずかしい心持もしないではないが、20代後半から30歳ごろまでに自分の進むべき道を見定め、一心に努力を重ねた11人のエピソードを読んで、不肖私もまだ青春期にいると言っていいのだと思ったと同時に、背中を押されたような気持ちになった。
ひとつ悔やまれるのは、(期せずしてこうなったと筆者は言うが)「落ちこぼれ」だった過去を持つ人が多く取りあげられたことである。一度落ちこぼれた人がそこから這い上がっていく、ということは多いかもしれないが、なにも落ちこぼれだけが人生の道を切り拓くという訳ではないのだから、もっとさまざまな苦悩のかたちを載せて欲しかったとも思う。 -
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ネタバレ古本市場で購入。
立花隆氏の著書を読むのは2冊目だった。著者自身、2度も東大を卒業している立場であり母校への愛情を込めた叱咤激励のようにも見えた。
日本の大学は専門教育に力を入れ、教養教育(著者のいうリベラル・アーツ)は壊滅状態であるが、大学というところは本来、教養や自己学習の方法(これも教養のうち)を身につける場であると、指摘している。
もっとも大学時代には遊んでばかりで、本書に記載の内容レベルにぜんぜん至っていない生活を送っていた私にとっては、耳の痛い話が多い。社会人になってからは、いろいろなことを知りたいと思い、読書をする機会が学生時代より多くなったので、著者のいってることに同調できることも多かった。知の全体像(ロードマップ的な物)を16世紀ぐらいにイメージしていた人がいたことを知って少し驚いた。 -
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天文学者や物理学者は、宇宙のあまりのスケールに存在を疑う特別な理由を見出さず、一方生物学者は生命の神秘さに魅了されるあまり存在を疑う。
かつては口にだすのも躊躇うようなアヤシイものだったのが、現在では地球外生命を科学的な対象として扱うのにタブーとはされなくなった。
私自身は、実感すら持てない途方も無い宇宙のスケール的に、敢えて否定的になる理由を持てないので、多分いるだろうと思っているが、やはりちゃんとしたデータと推論で議論できるようになってきたのが面白い。まぁプリミティブなカタチでの生命はどこかにはまずいるんじゃなかろうか。
問題は、知的な生命がいたとして、わざわざ膨大な労力(エネルギー)を使ってまで我々に会いに来るかというところか。地球の価値観で考えるのは間違っているのかもしれないが、それにしても経済的じゃないのかなと。
本書では概ね肯定的な考えばかりだったが、それもデータの裏付けが少しづつとれるようになったからかな。内容的にはそれほど目新しいものが無かったのが残念。 -
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ネタバレ臨死体験者へのインタビューと,様々な研究者へのインタビューを基に,臨死体験という現象に迫る。体外離脱,トンネル体験,神々しい光や,死んだ人たちとの出会い。そのような要素体験で構成される臨死体験は,脳内で起きている現象なのか,それとも現実に体験していることなのか。その解釈をめぐって,膨大な資料とインタビューから,吟味を重ねていく。時には現実体験説を擁護し,時には脳内体験説を支持する。最初から結論があったり,自らの信念や思想に沿うよう物語が構成されていたりはしないので,読み進める中で筆者の思索を追体験できるのが面白い。
さて,そのような思索を重ねた末に筆者が出した結論は,現時点では,脳内体験説に軍配が上がる,というもの。現実体験説では,あまりに説明に無理・矛盾が生じる点が多いからである(詳しくは下巻pp.461~463にまとめがある)。とは言え,脳内体験説で全てが説明し尽くされるかというと,そうでもない。22章のサリバンさんの例のように,手術中で見ることのできない事実を詳細に知っていたりする例があるからである。そのような事実を認めつつ,それでもやはり現時点で最も合理的な説明が可能なのは,脳内体験説であろう,というのが立花氏の立場である。
「では,私はどう考えているのかというと,先に書いたように,基本的には,脳内現象説に立っている。つまり,基本的には,物質的一元論で,この世界は説明できるだろうという科学的世界観の側に立っている。しかし一方で,本当にそうだろうかという懐疑心も常に持っている。」(下巻p.471)
しかし,脳内体験説が有力であろうという予想は立つものの,現在の脳科学が臨死体験のメカニズムを完全に解明しているかというと,そうではない。下巻p.421の「サヴァデラ・アギレル」モデルは側頭葉てんかんと臨死体験の類似性を説明する有力なモデルではあるものの,脳内体験説と現実体験説の対立に決着をつけるために必要な,「意識は脳内でどのように生み出されているのか」という点については,現在の科学は全く未解明というのである。
「脳には,視角系が集めた情報を受け取る認識主体がどこかにあるはずである。手足を動かす前に,手足を動かして何をどうするのかという意志的決断をくだす意志の座があるはずである。ところがそういう肝腎かなめのところが全然わからないのである。いくら研究しても,わかってくるのは下位システムの局在的メカニズムでしかないのである。」(下巻p.472)
最終的に,筆者は,この問題にこれ以上頭を悩ませる必要は感じないと言っている。つまり,現時点では解明不能な死の問題に頭を悩ませるよりも,いかに生きている間のQOL(quality of life)を上げるかを考えた方が,合理的だと言うのである。
筆者の結論に対して,私も全く同感である。
もともと死への恐怖などを抱いていたわけではないが,不確実な将来に思い煩って,下を向いて歩き続けるような生き方はしたくない。
筆者が引用している古代ギリシャのエピクロス学派の次の言葉は,なかなか的を射ている。
「あなたが死を恐れているうちは,死はまだ来ていない。本当に死がやってきたときには,あなたはもういない。従って,あなたと死が出会うことはない。死について,悩み恐れるのは意味がない。」(下巻p.469)
本書を読み終えて,死の問題よりも,自分の意識がどのように生まれているのかという問題の方に,強く関心を惹かれるようになった。脳科学は人間の意識の問題にどこまで踏み込めるのか。今後,そのような文献をフォローしていきたいと思う。 -
Posted by ブクログ
大学論や教育論と絡めながら,教養とは何ぞや,と読者に鋭く語りかける良書。
本書を読むと,いかに自分の受けてきた教育が偏ったものであったかを思い知る。教養を高めることをないがしろにする教育システムは,将来の日本国民の知的水準を押し下げ,ひいては国際競争に勝てなくなる,そしてそうした教育方針を現場に押しつける文科省が存在し続けていることに恥すら覚える,というのが立花氏の見解だ。
私自身の大学学部時代を思い起こすと,立花氏が糾弾の対象とする無教養な学生像に当てはまってしまい,後ろめたい気持ちもしたが,何より本書が素晴らしいのは,人類の知的資産の相続人たるべき「教養人」を目指すモチベーションを与えてくれることだ。
本書は,人間として真に取り組むべきことは何か,という広い視点から今の自分を見つめ直すきっかけを与えてくれる。
目の前の研究に行き詰まった時に読むと良い。