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目次
作品 1 ドラローシュ『レディ・ジェーン・グレイの処刑』
作品 2 ミレー『晩鐘』
作品 3 カレーニョ・デ・ミランダ『カルロス二世』
作品 4 ベラスケス『ラス・メニーナス』
作品 5 エッシャー『相対性』
作品 6 ジェラール『レカミエ夫人の肖像』
作品 7 ブリューゲル『ベツレヘムの嬰児虐殺』
作品 8 ヴェロッキオ『キリストの洗礼』
作品 9 ビアズリー『サロメ』
作品 10 ボッティチェリ『ホロフェルネスの遺体発見』
作品 11 ブレイク『巨大なレッド・ドラゴンと日をまとう女』
作品 12 フォンテーヌブロー派の逸名画家『ガブリエル...続きを読む ・デストレとその妹』
作品 13 ルーベンス『パリスの審判』
作品 14 ドレイパー『オデュッセウスとセイレーン』
作品 15 カルパッチョ『聖ゲオルギウスと竜』
作品 16 レンブラント『テュルプ博士の解剖学実習』
作品 17 ホガース『精神病院にて』
作品 18 ファン・エイク『アルノルフィニ夫妻の肖像』
作品 19 ハント『シャロットの乙女』
作品 20 ベックリン『死の島』
作品 21 メーヘレン『エマオの晩餐』
作品 22 ピカソ『泣く女』
中野 京子
(なかの きょうこ、生年不詳)は、日本の作家[1]、ドイツ文学者[2]、西洋文化史家、翻訳家[3]。北海道生まれ[4]。1979年、早稲田大学大学院修士課程修了[5][6]。オペラ、美術などについて多くのエッセイを執筆する。2007年に発表された『怖い絵』を端緒とする『怖い絵』シリーズが大ヒットとなる。新聞や雑誌に連載をもつほか、テレビの美術番組にも出演する[7][8]。早稲田大学講師[9][10]。『怖い絵』シリーズの刊行10周年を記念して2017年に開催された「怖い絵」展では、特別監修を務めた[11][12][13]。2021年9月に開催された「怖いクラシックコンサート」(東京文化会館)での解説[14]、2022年3月公演の舞台「怖い絵」の監修[15][16]、同年7月上映の「星と怖い神話 怖い絵×プラネタリウム」の監修・解説を担当した[17][18]。
解説
小池 昌代
(こいけ まさよ、1959年7月17日 - )は、日本の詩人、小説家、翻訳家。雑誌編集をしつつ詩作し、詩集『永遠に来ないバス』(1997年)で現代詩花椿賞受賞。川端康成文学賞受賞の『タタド』(2007年)で、作家としても注目される。ほかに短編集『ことば汁』(2008年)、『たまもの』(2014年)など。1959年、東京都江東区深川に生まれる。実家は祖父の代からの材木店。江東区立明治小学校・江東区立深川第二中学校・東京都立両国高等学校を経て(石田衣良と同級生)、津田塾大学学芸学部国際関係学科を卒業。小学校時代からピアノを習い、高校で初めてヴィオラを学び、のちアマチュアのオーケストラや弦楽四重奏団に参加した。
「ジャン・フランソワ・ミレー(一八一四 ~七五)は、北フランスの中農出身で、本来は家を継ぐべきだったが画家になりたくてパリへ出た。当時の人気画家ドラローシュ(作品 1『レディ・ジェーン・グレイの処刑』)に師事し、ロココ風の作品でサロン入選を果たすかと思えば、師匠を真似て歴史画にチャレンジし、失敗するなど紆余曲折の末、けっきょく都会とは肌が合わないのを見極め、三十代半ばで家族とバルビゾンへ移住した。 後に「農民画家」と呼ばれるようになるのは、ここで暮らすうち自分の描くべき対象をはっきり見つけて以来である。現代でこそミレー作品は「名もなく貧しく美しく」生きる人々への素直な讃歌として愛好されているが、発表当時はパリ二月革命後の社会主義思想への危機感もあって、芸術というよりプロパガンダ絵画と見なす人も多かった。 そうした賛否両論の渦には、片やゴッホが、片やボードレールがいる。ゴッホはミレーを神聖視し、ミレーの複製画を二十作も手に入れてせっせと模写し、自己流『種撒く人』も数点描いている。ゴッホにとって彼は画家としてばかりでなく、生きる上での師とも仰ぐ相手だった。貧しさに喘ぎながらも決して妥協せず、芸術に邁進した偉大な手本こそがミレーだった。 一方、ボードレールの貴族趣味的美意識には、現実をリアルに抽出した農民画は合わなくて当然だ。彼は、ミレーの画中の人物たちが「この世の富を奪われた哀れな我々こそが、この世を富ませているのだ!」と常に主張しているようで嫌だ、と公言している。」
—『怖い絵 泣く女篇 (角川文庫)』中野 京子著
「しかし彼が長年にわたって『晩鐘』に固執し、これをモチーフに山ほど作品を産み出し、それらの作品には見間違えようなく恐怖が織り込まれているという事実を見れば、やはり強い情動反応を惹き起こす何かが──たとえ万人と共有できるものではないにせよ──この絵にはあったに違いない。先端恐怖症の人間が、先の尖った釘や傘の先といったほんとうに危険なものから始まって、しまいには削ってもいない鉛筆や机の角にまで過剰反応するのに譬えられようか。砂漠に佇む骸骨としての『晩鐘』や、天にとどくばかりの巨大な遺跡としての『晩鐘』など、おそらくダリにしか思いつかない突飛なイメージがそれだ。 ダリはまた、『晩鐘』における土に突き刺さった鋤や手押し車も、明らかな性的表象だと主張している。ミレーのような宗教性の高い清貧の画家に対し、何たる侮辱かと呆れるべきであろうか? いや、存外、「ミレーは十九世紀におけるもっとも矛盾した画家のひとり」というダリの言葉は正しいのかもしれない。あまり知られていないが、ミレーは農民画家になる以前、「女性の裸しか描かない画家」と見なされていた。それもエロティックな、時にポルノそのものの絵を描いていた(バルビゾンへ移住した後もまだ描いていたといわれる)。売れないと知りつつ農民の真実の姿だけを描き続けた、というのはゴッホの(いや、多くの人々の)誤解である。自ら農地を耕していたというに至っては、先入観からくる思い込みだ(妻が家庭菜園をしていただけ)。貧窮していたというが、それも九人もいた子どもが小さいころまでの話で、死ぬまで赤貧洗うが如しだったゴッホとは違う。四十代後半からは画商と高額で三年契約をしたり、浮世絵の収集をしたり、レジオン・ドヌール章を受賞したりもしている。」
—『怖い絵 泣く女篇 (角川文庫)』中野 京子著
「ゴッホといいダリといい、どこか異常性を秘めた画家の心をかき乱す何かが、ミレーの静謐な画面に埋もれているのだろうか? その意味からもミレー像の修正が必要であろう。」
—『怖い絵 泣く女篇 (角川文庫)』中野 京子著
「「レオナルド・ダ・ヴィンチの才能に驚いた師ヴェロッキオは、それ以来、絵を描くのをやめてしまった」──この言い伝えは天才伝説というより、多分に真実を含んだものではなかったか。なぜなら現実に、これ以降のヴェロッキオ絵画作品は見つかっていないからだ。『キリストの洗礼』は怖い絵だ。同じ画面に、ありありと力量の違いを見せつける。技法や表現ばかりではない、努力だけでは如何ともしがたい、持って生まれた品格の差まで、ここには自ずからあらわれている。「一流の人間は、超一流の人間につぶされる」といわれる。二流、三流の人間は己の実力を知らず、超一流との差を認識できないため、相手と同等と思い込んだり、努力すれば追いつくと楽観したりして、つぶされるには至らない。しかし一流ともなれば、己の力もその限界もわかり、圧倒的天才を前にすると完膚なきまでに打ちのめされ、萎縮して才能を伸ばせずに終わる懼れがある、そういう意味だ。 ヴェロッキオには、年若い弟子の天才が痛いほどわかったのであろう。レオナルドの方はただ自然に立っているだけなのに、ヴェロッキオにしてみれば、雲つくばかりの巨岩にいきなり立ちはだかられたように感じる。もはや自分が絵画の分野でレオナルドと肩を並べることはあるまいと、見切りをつけた。まだ三十七歳だったのだから、傑作を生み出す可能性もなくはなかったのに、「つぶされた」。 とはいえ、幸いというべきか、ヴェロッキオの本分は彫刻家だった。そしてこの後も、彫刻の分野で一級の仕事を残している(もし彼も絵画一筋であったら、もうひとつの『アマデウス』が生まれたかもしれない)。工房も繁栄させ続けたし、レオナルドとの関係も悪化することはなかった。人物としては大きかった証しであろう。」
—『怖い絵 泣く女篇 (角川文庫)』中野 京子著
「 それはサロメが、未だ男と床を共にしたことのない無垢の乙女、清らかで穢れなき処女だったからだ。男たちは──ヘロデも護衛隊長も根は同じ──何も知らない少女に性的欲求はない、汚濁と無縁、と信じたがる。男と同じ欲望は、結婚して初めて生じるものと安心したがる。己の幻想の中に、少女を囲い込もうとする。 だからワイルドのサロメは、衝撃的なのだ。ぎらぎらした欲望の虜になった処女、一度も経験がないのに官能の歓びを先取りした娘、これは(男にとって)脅威であり、怪物以外の何ものでもない。だからサロメは殺されねばならなかった。 全くの話、男性側の勝手な幻想で殺されたり、死んで当然と思われては敵わないが、これは世紀末の歪な悪女幻想の一環であった。先に触れたように、サロメ図は十七世紀の終わりから世の関心を完全に失っていたが、二世紀を経て再び蘇えったのは、写実主義や印象主義にあきたらず、精神世界や神秘幻想に突き進んだ一連の象徴主義や幻想主義の画家たちが、題材を神話や文学に求めたことからきている。 とりわけ好まれたのが悪女たちで、男の血をすする吸血鬼女、魔術によって男を惑乱させる魔女、漁師を海へ引きずり込む人魚、美女の顔と胸を持ち誘惑し喰い殺す怪物スフィンクス、そして男の首を斬るユーディトとサロメ……。 人を殺めかねない危険な女性は、一面また大いに欲情をそそる存在でもある。男たちは、そんな女性の官能の虜になってみたいと思う。ただ困るのは、そんな女性の寿命である。官能は、いかんせん鮮度が落ちやすい。愛は持続可能だが、官能はほんの短い「瞬間」ときつく捩じり合わさっている。決して長続きしないのが、官能の定めなのだ。 よってサロメのように淫乱で悪徳の処女は、若いまま葬るに限る。」
—『怖い絵 泣く女篇 (角川文庫)』中野 京子著
「ホロフェルネスの物語という枠組みの中にある、美しい青年の新鮮な首なし死体を、ネクロフィリア(死体嗜好症)が密かに愛でていた可能性も……まあ、なくはない。 サンドロ・ボッティチェリ(一四四四 ~一五一〇)は、メディチ家という大パトロンを後ろ盾に、十五世紀後半のフィレンツェ美術を代表する画家として名声を馳せた。時代は血なまぐさく、その一方でまた燦然と美に輝いてもいた。この絵のように。」
—『怖い絵 泣く女篇 (角川文庫)』中野 京子著
「だからせめて想像してみよう。十七世紀フランドルの人々が、今日ただいま日本で持てはやされているヌードを見たらどう思うか、と。おそらく彼らは、瘦せこけた栄養失調気味の、ラインだけがあって幅も厚みもない、およそ豊穣という言葉からかけ離れた貧弱な裸のどこに美があるか、全く理解できないのではないだろうか。 つまりはそういうことなのだ。我々には大柄すぎ、肉が余分すぎ、官能と無縁に思えるこの三女神は、当時の鑑賞者にとっては目も眩む美女であった。胸の大きさより腹部のふっくら感、引き締まった筋肉より垂れるほどの脂肪が好ましいと思われていた。 ルーベンスの巧みな筆によって、そうした彼女たちの豊かな身体は独特の複雑なねじれを見せ、それによって柔肌の温もりや、さらには甘い芳香すら漂わせていたのだ。そして三人それぞれ異なったポーズをとっているため、あたかも彫刻を見るように、正面、横、バックと、三方向から裸体美を堪能することができた。 これが男性にとっていかに目の保養であったか、実は右端にいるパリスが証明している。描き変えられているのでわかりにくいが、二頭の羊のすぐ下に、いちど脚を描いて消した痕跡が残っている。 つまリパリスは興奮のあまり右脚を突き立てていたのだ。さすがにそれでは露骨で下品すぎると、ルーベンスは(あるいは注文主が)変更を加えたらしい。脚がもしそのままだったら、この絵のエロティックな雰囲気はいっそう濃厚の度を増したであろう。」
—『怖い絵 泣く女篇 (角川文庫)』中野 京子著
「いったいこの若者は、どれほどのことをしでかしたというのか? おどろおどろしい響きの「自然の意志に反した悪行」とは、いったい何なのだろう?──現代人にはのけぞるしかないその大罪とは、マスターベーションのことである! 不健全な、即ち子どもを産むためではない不毛のエロスは罪とされ、それに淫しすぎれば頭がおかしくなると信じられていたのだ。クライストも時代の子だったから、「狂気は道徳の低さの結果」という見方に何ら異議を唱えていない。」
—『怖い絵 泣く女篇 (角川文庫)』中野 京子著
「『死の島』は、シュルレアリスムの画家たちにも多大な影響を及ぼした。そして今なお人気は衰えていない。 この絵の核が、小舟でも白装束でもなく、ひたすら島の造型にあると思い知らせてくれるのが、ギーガー(あの戦慄の SF映画『エイリアン』を生んだ美術家)による現代的解釈、いわば「新・死の島」とでも呼ぶべき作品(タイトルは『ベックリンへのオマージュ』)である。 こちらを見ると、ベックリンのオリジナルがいかにロマンティシズムをたたえていたかが、よくわかる。ギーガーの島にそんなものはいっさいない。彼の島は、糸杉を、つまり死そのものを、両腕に抱きかかえ、なおかつ自分は生きて呼吸し、生贄を吞み込もうとする、得体の知れない異生物だ。怖い。直接的に怖い。さすがにこの絵を居間に飾りたいと思う者はいないだろう。」
—『怖い絵 泣く女篇 (角川文庫)』中野 京子著
「ド・フリースをはじめとした著名な研究者たちや、数々の美術雑誌も同調する。「『エマオの晩餐』に見られるカラヴァッジョの影響」なる論文まで出た。本作が、同名タイトルのカラヴァッジョ作品と画面構成が似ているからだ。生涯に謎の多いフェルメールだが、これで若いころイタリアで修行していた可能性が強くなった! 二十世紀になって忽然とあらわれたこのフェルメールは、こうしてオランダ美術界の宝とされた。ヨーロッパ美術品を買い漁るアメリカの富豪に持ち去られぬよう、レンブラント協会(ブレツィウス博士が中心になって設立した)の資金援助を得て、ロッテルダムのボイマンス美術館(現ボイマンス・ヴァン・ベウニンゲン美術館)が、当時としては破格の大金五十二万ギルダーで購入。翌一九三八年、当美術館が開催した「一四〇〇年 ~一八〇〇年/四世紀間の巨匠たち」の目玉作品として、華々しくお披露目され、人々を感動させたのである。 これほど大々的とはいえないものの、他にもその後、陸続と「新発見のフェルメール」が美術市場にあらわれ、七点が画商の手を経てコレクターに渡っていた。あまり話題にならなかったのは、第二次世界大戦勃発のせいだ。誰も絵画鑑賞どころではなくなり、美術館は閉鎖された。 やがてオランダはドイツの軍門に下り、どの戦争においても必ず敗戦国になされる仕打ち、即ち、名画略奪(安く買い叩くのも含む)の憂き目にあう。国宝級の作品だけは、何とか守ろうと必死に隠匿したものの、多くが流出してゆく。中に、新発見のフェルメール作『イエスと姦婦』が、絵画愛好家として知られるナチスのゲーリング元帥の手に落ちた。」
—『怖い絵 泣く女篇 (角川文庫)』中野 京子著
「この『泣く女』が制作されたのは、大作『ゲルニカ』完成直後である。スペインのフランコ将軍と組んだナチ爆撃機が、バスク地方の無防備な古都ゲルニカを壊滅させた非道を糾弾するため、ピカソは反戦画に取り組んだのだが、制作過程をつぶさに写真におさめたのは言うまでもなくドラであった。たまたまそのときアトリエにマリー =テレーズがやって来たからたまらない。ふたりの女は互いに罵り合い、ついには『ゲルニカ』の前で壮絶なつかみ合いの喧嘩となった。噓かほんとか、「俺がほしければここで戦え!」とピカソがけしかけたからといわれている。 これでは誰だって泣かずにいられまい。 とはいえ一九三六年からの六、七年間が「ドラの時代」だったのは確かで、彼女をモデルに夥しい数の肖像画が生み出された。抽象ではなく具象によるスケッチでは、頰骨の高い端正な彼女の横顔や夢みるような眼差しが、いかにも愛情込めて描かれている。」
—『怖い絵 泣く女篇 (角川文庫)』中野 京子著
「ピカソにとってドラは、お高くとまった貴族趣味のオルガとも、若い肉体だけが魅力のマリー =テレーズとも全く違う刺激的なタイプだった。過剰な激しすぎる感情を持て余し、我と我が身を削る危うさを持つドラは「よく泣いた」(ピカソの言)。着飾った美しい女が顔を崩して泣くのだから、まるで顔が突然割れてそこから別の顔が出てきたような驚きを、さすがのピカソも感じたのだろう。『泣く女』シリーズを制作したくなったのもわかる気がする。 シリーズ中の最高峰がこの作品だ。わんわん泣く女への感嘆が伝わってくる。あまりに思いきり泣くので、哀れを誘うというよりその泣きっぷりに惚れ惚れしている。身悶えなどせず、何か顔だけで泣いている感じだ。ドラは捨てられることを予感して泣いているのだろうか。本人にとっては途方もない苦悩かもしれないが、どこか自分の悲しみに淫している気配もある。さんざん泣いた後は存外けろっとしそうでもある。ピカソ自身よく泣く男だったから、泣くことの浄化作用をよく知っていたに違いない。『ゲルニカ』では、殺された我が子をかき抱いて吠えるように全身で泣く母を描いたが、彼はそこに涙は加えなかった。加えないことで、真の悲痛を表現したのである。」
—『怖い絵 泣く女篇 (角川文庫)』中野 京子著
「 わたしは絵が好きだが、観るのが速い(恥ずかしい)。展覧会へ行っても、さささ ーっと、ごきぶりのように一巡し、気に入った絵があれば、改めて戻り、じっくり観る、ということをする。 友人と一緒に行った場合は、必ずはぐれるから、最初に、ばらばらに観ようと提案する。ただ、途中で、逆流してきたわたしと、彼あるいは彼女が、ばったり出会うこともある。そういうときは、ちょっと恥ずかしい。 あ、また会っちゃったね。 そういう気まずさもある。でもそれだけではない。絵を観るということは、極めて個人的な経験なのだ。 お互い、ただ、絵を観ているにすぎないのに、それぞれ、絵に、何か、絵以上のものを読み取っている。それが表情に(きっと)表れているので、素顔を観られたように恥ずかしいのかもしれない。 そう、素顔。絵に対面するそのとき、人の心は真裸になる。絵を前にして、何を飾りたてる必要があろうか。真裸と真裸の心が、展覧会をめぐる。その経験を机上で差し出してくれるのが、中野京子さんの「怖い絵」シリーズである。」
—『怖い絵 泣く女篇 (角川文庫)』中野 京子著
「 これから、この本の魅力について、語ることになるが、あまりに好きな本というのは、語りにくい。わたしはこのシリーズが大好きで、全巻を手元にいつも置いていた。 仕事に行き詰まると(いつもそうだが)、手にとって、ところどころを拾い読みする。絵を眺めているだけで想像力が刺激され、心が解放されていく喜びを感じた。 中野京子さんの文体が、わたしはたぶん好きなのである。これを書いている今、その文章の波長が、この文章に乗り移ってくるようだ。 著者の文章の特徴は、むしろ、言葉で書かれていないところにある(とわたしは思っている)。一見、論理的で無駄のない、理知的な文章だが、そしてその通りだとも思うのだが、意外にも長い波長を持っていて、人の心の奥深く、ひたひたと押し寄せ、しみとおる。 知識を書いても押し付けがましくなく、洗練されていて知的である。内容はけっこう重たいのに、ぐいぐい読み進めていくことができるのは、怖さの解答を容易に出さず、奥へ奥へと、ひたすら読者を誘うからだ。そのリズムは、まさに展覧会場を歩くテンポ。耳をすませば会場をめぐる、他者の靴音までもが聞こえてくるようだ。」
—『怖い絵 泣く女篇 (角川文庫)』中野 京子著
「 わたしたちは、自分自身をよく知らないように、自分が何を、絵から汲み出すのかを知らない。だからこそ何度でも、絵に新しく向き合うことができる。 怖い、というキーワードをシリーズ全体に通したのは、著者の卓抜な直感によるものだろう。 大人になるに従って、一応は経験が増えると、人生から、一つ一つ怖いものがなくなっていくような気がするが、実際は、どうだろう。わたしなどは、人間が怖い。ますます怖いが、それを見てみたいという欲望もある。これほど、人間の芯のところに響いてくる感情はない。生きること、それ自体が、怖いのだから。」
—『怖い絵 泣く女篇 (角川文庫)』中野 京子著