佐藤優のレビュー一覧
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コロナ禍では弱者が大きな被害を受けています。
非正規労働者や、本来しっかりとした教育を受け
るべき学生たちがその最たるものです。
しかしコロナは単なるきっかけであって、以前
より社会の弱者との格差は問題とされていまし
た。
それでも関係のない人にとっては、その問題は
「見えない」のです。
その見えない問題に鋭くメスを入れる対談が本
書です。
特に「相模原事件」に関する下りは、新聞報道
とは違った切り口で論じられています。
雨宮処凛氏は裁判も傍聴していたので、彼女自
身の持論も交えた真実には引き込まれます。
「相模原事件」も、弱者が犠牲になっているの
です。
社会的弱者に目を向け -
Posted by ブクログ
■2014年2月当時、ウクライナで進行していた事態は「革命」にほかならない。この背景には歴史的、文化的に根深い対立構造がある。半政権側は西ウクライナ(ガリツィア地方)に基盤を置く民族主義勢力だ。帝政ロシア時代、ウクライナは「小ロシア」と呼ばれていた。現在も「自分は広義のロシア人だ」という自己意識を持っているウクライナ人は、ウクライナの東部や南部に少なからず存在する。 また東部には軍産複合体や宇宙関連企業があるので、軍事的にも経済的にもロシアと緊密な関係を維持している。
これに対してガリツィア地方と呼ばれる西部は歴史的にハプスブルク帝国の版図であり、同帝国解体後はポーランドに属していた。ガリツ -
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池上さんと佐藤さんの対談本は何冊も読んでいますが、毎回新しい知識を得られることができ、二人の引き出しの多さには尊敬するばかりです。
今回、とくに印象に残ったのは「社内で何かを提案するときは、社内で何かを提案するときは、結論をズバリと言うのではなく、相手に考える材料だけを提示して自主的に考えてもらうという手法」の有効です。こちらは過去に私自身何回か実践して至りするのですが、士気を上げるうえでも、ボスコントロールの上でも身に付けておかなければならないスキルであると感じています。
また、社内の悪い空気に流されないためにきちんと自分の信念を持ち、自分の頭で考えるようにする、というのはその通りかと思 -
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「読解力」とは「相手を正しく理解し、適切に
対応する力」と定義しています。
要は社会で生きるための人間力なのです。
それは多くの文学作品から学ぶことができます。
優れた作品ほど、クドクドと状況や心情の描写
はされず、読者が行間を読み取る能力が要求さ
れます。
この本では三浦綾子氏の「塩狩峠」を教材に、
佐藤氏が中学生に対して3日間の授業を行った
内容をまとめたものです。
キリスト教系の学校だけあって、生徒たちは、
カトリック信者であった「塩狩峠」の主人公の
心情に、見事にすり寄っていくことが出来てい
ます。
また様々な視点での感想も自由な発想で、素晴
らしいです。
最近は教育に力 -
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読解力の強化ってどうやってやるんだろう?著者が安易なHowTo本を出すような人ではないことは当然承知の上で、何をどう書いているのかを知りたいということもあって読んでみた。
答えを言ってしまうと、最終的には行間を読めと。つまり、見えている氷山の一角から、はるかに大きな水面下がどうなってるのか推測しろと。そして目的はタイタニックの沈没回避。(←敷衍ってこういうことよね)
行間を読むなんて当たり前なんだけど、私自身が忘れかけているような危うい状況だと気づかされる。昨今のネット上の記事やコメントは、行間を読んでいないものが大量に溢れている。行間を読めていない(または悪意からあえて行間を読まない)揚げ足 -
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「想像を絶するような事態を覚悟して備えておけ」
911同時テロや、福島原発事故を予測して対応する組織、それが、公安調査庁である。
公安調査庁は、国際的にも認知された第一級のインテリジェンス機関であること、公安調査庁でつよいのは、ヒューミント(人によるインテリジェンス)、とオシント(公開情報諜報)である。が結論です。
・インテリジェンスとは、国家が生き残るための選り抜かれた情報である。国家の舵取りを委ねられた政治リーダーは、彫琢し抜かれ、分析し抜かれたインテリジェンスを拠り所に、国家の針路を決める。
・米ソ両陣営は国際条約で生物化学兵器の製造使用が禁止されても、細菌・ウィルス兵器で襲われる -
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昔も今もセンスがないという一点において左派は一貫してるなーと思った。
政治的なものの見方で突拍子もないこといったり暴力を肯定して大衆に見放されたり。とにかく大衆意識との乖離を自覚しない点で常に地に足ついてない。
過去の左派では「エライ」の基準は獄中暦とか非転向とかだったそう。本書で描かれた時代にはこの基準が先鋭性に移り変わったと見える。現代では「正しさ」。より正しく誤謬のない理論や価値観を提示できた人がエライ。そうなってしまう理由が理論への過信にあるという佐藤の見方には同意する。
現代において見られるのは、理論に惹きつけられるのはエモーションの働きが弱い人、つまり性欲や金銭欲などの俗っぽい欲望