佐藤優のレビュー一覧
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アメリカのみならず日本でも新自由主義への流れが加速し、剥き出しの資本の論理が貫徹する現代において、資本主義の内在的な論理を解き明かしているマルクスの『資本論』が持つアクチュアルな意義を論じた本です。
本書が依拠しているのは、宇野弘蔵編『経済学』上下巻(角川全書)です。宇野は、マルクス主義のイデオロギーとマルクス経済学を切り離すことで、共産主義革命を実現しようとするマルクス主義の実践志向から独立した、資本主義経済の内在的な論理を原理的に解明した著作として『資本論』を読み解こうとしました。同時に宇野は、資本主義の歴史的な性格にも留意し、労働力の商品化に基づく資本主義的なシステムの形成過程を解明しようと試みています。著者は、こうした宇野経済学の簡単な見取り図を描きつつ、資本主義が孕んでいる問題を批判的に考察するための視座を示しています。
外交官として国際政治の現実をつぶさに観察し続けてきた著者にとって、宇野や柄谷行人から引き継いだ世界システム論的な枠組みが、世界情勢を分析する際の基軸をなしていると言ってよいと思います。本書で、資本主義の歴史に関する宇野の思想を紹介しているところには、そうした著者の関心のあり方が明瞭に表われているように思います。 -
Posted by ブクログ
オーディオブックで聞き流してしまったため、深く、面白そうな内容をキャッチできずに聞き終わってしまいました。
もう一度紙の本で読み直す必要があるなぁ、と感じています。
帝国主義、ポピュリズム、マルクス、イデオロギー、リベラル・・・用語として知ってはいても、しっかり理解し自分で使いこなせるレベルになっていない言葉や概念が多く出てきて、片手間に聞き流せる内容ではありませんでした。
もっともっと勉強が必要。勉強して、また読み直そう、と思った一冊。
これでも、この著者の著作の中では、わかりやすく書かれた本だということ。頭の良さが、次元が違う感じです。 -
Posted by ブクログ
トマ・ピケティの『21世紀の資本』が世界的なベストセラーとなる中、改めて資本主義のメカニズムを批判的に分析したマルクス=エンゲルスの『資本論』の持つ意義について、池上彰と佐藤優が語り合っています。
日本特殊論と世界システム論を対置し、前者を「講座派的」、後者を「労農派的」と呼ぶ佐藤の視点は新鮮に感じたのですが、これを文化論と文明論という対立に置き換えてみると、やや偏りのある視点からなされた分類のようにも思えてきます。
あるいは、佐藤の知的バックグラウンドにはマルクス主義と同時にナショナリズムがあることも考え合わせるならば、こうした分類が現代の国際政治を読み解く上で重要な機軸をなしているという彼の考えも理解できなくはないのですが、やはり講座派と労農派の対立は、近現代日本思想史の中で捉えるのが正しいように思えます。むろんこうした見方は、佐藤の分類で言えば「講座派的」ということになるのでしょう。もっとも私自身は、文明論的な議論はどうしても大風呂敷に見えてしまって仕方がないという人間なので、佐藤や池上のようにアクチュアルな国際政治の動きを俯瞰しようといった関心はほとんど持ち合わせていないせいで、上のような違和感を抱くのかもしれません。 -
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臨済宗相国寺派主催の研究会で著者が4回にわたっておこなった連続抗議の内容をまとめた本です。
現代の国際政治において、宗教間の対立が重要な問題としてクローズ・アップされています。本書は、宗教を単に社会現象として扱うことで国際政治の動きを解説するのではなく、それぞれの宗教における神学ないし教学の内在的な論理から、なぜそのような事件が生じたのかを読み解くという試みをおこなっています。また、ロシアと沖縄の民族問題において宗教がどのような役割を演じているのかということも、外交官だった著者ならではの視点から論じられています。
さらに、グローバリズムが加速する中でファシズムの台頭が懸念されるという危惧を述べた上で、中間団体が民主主義の砦になりうると主張し、現代日本において仏教の果たすべき役割についての提言をおこなっています。
キリスト教神学を基軸に、ナショナリズムとマルクス主義を三一的に統合するというのが著者の政治評論の特有の視座であることはよく知られていますが、本書はどちらかというと民族の観点が中心となって、宗教の果たしている役割を見積もるというスタンスで考察が展開されているように感じました。その意味では、「サバイバル宗教論」というタイトルは本書の内容をうまくいいあてているように思うのですが、個人的にはもう少し宗教の方に基軸を置いた濃密な議論を期待していたので、若干期待はずれに感じてしまったところもあります。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ新潮講座の口述筆記がもとになっていて、話し言葉で書き綴られている。しかし中身は難解だ。キリスト教の入門書というより、宗教とは何か、そして「資本主義の本質」がもたらす、キリスト教文明とイスラム文明との角逐の構造、とでもいうべきか。
著者によると「国家や民族の枠を超えて、グローバルなイスラム主義によって世界を統一しようとする「イスラム国」の運動も、資本主義への対抗策、新自由主義の克服という視点で理解することもできる」(p.13)という。だから、資本主義の問題点を穿ったカール・マルクスを取り上げ、現在われわれが囲まれている危機―「生きていて苦しい」という悩みも含めて―をどう克服するかを考えることに主眼が置かれている。
中心に取り上げられているのは、1844年に発表されたマルクスの『ヘーゲル法哲学批判序説』。有名な「宗教は民衆のアヘンである」の一句を含む、若いマルクスの著した短い論文である。タイトルは法哲学批判だが、実は、宗教(キリスト教)批判になっている。
カトリックとプロテスタントの信仰分裂後、プロテスタントにとって救済は不確かになり、16世紀にジャン・カルヴァンの「予定説(Predestination)」などが生まれる。プロテスタントの信仰は19世紀初頭、啓蒙思想の影響のなかで大きく変質する。シュライエルマッハーは「宗教の本質は直感と感情である」と規定して、神の居場所は天でなく心のなかに(結果、神学は心理学に吸収される)、イエス・キリストは神の子でなく「史的イエス」になった。人間が満たされていない状況や望んでいる状況を投影するのが神となり、神が人間を作ったのではなくて、人間が神を作ったのである(p.104-105)。マルクスの宗教批判も、こうした流れのなかで展開されていく。
従って、マルクスの宗教批判の肝は、我々の周囲にはいろんな宗教性があり、そんな宗教性をどうやって相対化していくかということにある。マルクスは、神は人間が作ったものであり、人間の願望を投影しているものであるなら、神を崇拝する代わりに「本来の人間」、理想的な高さにある人間を崇拝すればよい、という。しかし、キリスト教は「原罪観」があるので、「本来の人間」というものに価値を置かない。一方、イスラム国などは、「原罪観」がない。従って、自らが絶対に正しいと信じるところへ向かって邁進できる。
さらに著者は、原罪観を持たない宗教とでもいうべきものに「ナショナリズムという宗教」を挙げる。これを参考にすると、イスラム教とマルクス主義は、理性主義で、普遍主義で、地上に一元的な理想社会を実現しようとする点でよく似ている。どちらも西欧資本主義に対抗しようとする。しかし、マルクス主義は敗北した。イスラム教は、近代以前の宗教的ロジックを含むので、絶えることはない。
本書でもうひとつ興味ぶかいのは、ハーバーマスの『自然主義と宗教の間』も取り上げている点である。著者によればこれは、西欧キリスト教文明が、イスラムの挑戦を組み止め、手なずけ、生き残ろうとする戦略をのべた、したたかな哲学的対話であるとする。
マルクス主義は、理性主義の流れを汲むが、神の代わりに人間を「最高の存在」とするドグマを人びとに押しつけた。よって宗教を敵視し、資本主義と対峙し、結局自壊した。ハーバーマスは理性主義で、啓蒙思想の現代版で、ドグマによらず自然科学や資本主義と両立し、イスラムと対峙する。自己正当化をはかろうとする、西欧的価値観そのものである。
著者は、妖怪ウォッチを例にあげつつ、異形のモンスターとみえる宗教や異文化との共存の努力が大切だとする。理性によっては理解不能としかみえない知のシステムも、当事者にとっては生きられた現実で、意味ある世界なのだ。
西欧文化の掲げる理性が、普遍的というのであれば、イスラムも東洋文化も変わらなければならない。西欧文化の掲げる理性がローカルな、キリスト教の個性を帯びているなら、イスラムのような他者と遭遇した西欧文化は変わらなければならない。どちらが世界が進むべき道なのだろうか。 -
Posted by ブクログ
民族やナショナリズムの発生過程について、これまでの見方を覆す斬新な視点が提供されていて勉強になった。
民族は自然発生的に生じるものではないが、かと言って人工的に作られるものでもない。そこにはエトニが必要で、エトニの形成には共通語の存在が重要な役割を果たしている。これ以外にも3大宗教や資本主義の理について多くを学ぶことができた。
しかし本書の主題である、アナロジーによる歴史の把握はよく理解できなかった。歴史はsroryであり、『大きな物語』で捉える重要性は解る。ただ著者の主張は、2008年を境に新帝国主義の時代に入ったと言うものだが、米ソ冷戦時代を含めて大航海時代から常に帝国主義が続いているように思える。著者の定義によれば、帝国主義とは独占資本と国家が結託して経済支配力を地理的に広げていくことだが、こんなことはいつの時代もあったのでは?別に2008年になって急に再開したものじゃないと思う。
よく解らん。