奥田亜希子のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
子供が競技かるたに興味を持ったので、かるた教室に通い始めたものの、小学生の息子はすぐにサッカーにのりかえてしまう。しばらく思い悩んだものの、希海は新たにかるた会に通うことにした。
母親が趣味に生きていいのかどうか、あまり協力的ではない家族と折り合いながら、ときには揉めながら、長くかるたを続けていくことを目指す家族の再生の物語。私もかるたは好きで、決まり字とかを見ながら下の句を考えたりして、かなり頭の体操になりました。
私も子供が早く帰ってくる日には趣味で時間を使っていると罪悪感が今でもあり(仕事の時には感じません)これは母親業をやるうえでは永遠のテーマなのかなぁと思ったりもします。
帯の「妻だから、母親だから。自分の〈好き〉を手放しますか?」が刺さります。 -
Posted by ブクログ
もぅ〜!!
最高の1冊!!
文庫本で読ませていただいていいのか!?って心のなかで叫びました
お買い得だと思います、この1冊
恋と食のある10の景色のサブタイトルもすてきですが、わたしとしては恋よりもひととひととのつながりを強く感じました
誰かと出会うこと
誰かと寄り添うこと
誰かと愛し合うこと
それはとても簡単なようで、簡単ではない
いっしょに食事することも相手が違えば、高級であっても味気なく、カップ麺でもおいしく感じるように
最後の山田詠美さんの『恩讐の彼方のトマトサラダ』まで、どの作品も好きですが
しいて!!
強いて、好きな作品は
君嶋彼方『ヴァンパイアの朝食』
奥田亜希子『白と悪党』
原田ひ香『夏のカレー』 -
Posted by ブクログ
親に対する子供の目線は、例えどんな悲惨な家庭であってもそう変わらないのではないかと思う。なぜなら、子供にとって他に世界はなく、自分の命は全て親に委ねなくてはならないから。それはとても残酷なことに見える。
この物語のタイトルにある“夏鳥”とは、巣立ちを迎えた子鳥のことだろうか。
親から離れることを決意し、初めて見る世界で子鳥が一番に探すものは“とまり木”だろう。
それは鳥を愛する人の庭の梅や桃の木かもしれないし、危険な車道の電線かもしれない。
人の子も大人になる折に、親を疑い、家を飛び出す時が来る。その際に頼れるとまり木が無ければ、手頃なとまり木を求めるだろう。
話を戻すが、子が親を見る目は大人になるにつれ人それぞれ変わっていくものだと思う。
人によれば親族の死の悲しみに共感しきれないこともあるだろう。これが葉奈子と雅人のすれ違いとなった。
親の愛を全身に浴びることが出来なかった人には家族の愛情を理解することが難しい。
葉奈子も溝渕の妻の死に、共感を持って接したが、これは“選択を間違えなかった”と語っている。このことは私にもわかる。私自身も、今でも自分が正しい愛情を持てているのかわからない。
葉奈子は星来に、中学生であったハナを重ね、ハナと対話し、抱擁し、愛を教えた。
これによって葉奈子自身が救いを得て成長したのだと思う。
拾ったドバトは幸せだったのだろうか。
少なくとも、そこには束の間の安心はあったはずだ。
今の私には、心から安心して何度でも羽を休めることができる、とまり木がある。
そのことは、心から嬉しいことだ。 -
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愛衣が小中高と大人になる過程を一緒に追える作品。他人が嘘をついているのが匂いで分かってしまうせいで、友人と本物の関係を模索しすぎて空回りしていた。私たちは普段、友達や家族の本音を知りたいと思うが、本音や嘘が全て分かってしまったら、他人と関係なんて築けないのだろう。隠しておいた方が良いこと、嘘をつかなければいけないこと、それがあることを大人になる過程で学んでいく愛衣だった。吉乃の自分を自分だと主張できるところに憧れを抱き、少しでも吉乃に近づきたいと思う。憧れの人だからこそ、タバコを吸う吉乃が見られたことは嬉しいが、そうやって理想の人も何かと裏があり、自己を保っているということを知る。憧れとは程遠く、友達を作ることに精一杯になり、関係を拗らせてしまう。なりたい自己との乖離はなかなか埋められないものであり、ときに自分を苦しめるものになる。大人になっても周りの人との関係は続き、誰もが誰かと関わらなければ生きていけないのだと思った。愛衣の子どもの優里が私の幼少期にそっくりで、私の親もこんなこと思っていたのかなと思った。
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奥田さんの同期との日常と非日常が、かけがえのないものとして、奥田さんにとって大切なものなのだと伝わってくる1冊。橋本、矢田、山口、和田、清野の5人。出身地も性格も全く違う5人が遅れていた青春を味わわせてくれた。6人でバカやったり、全員参加でなくても良い旅行をしたり。男子高校生のような仲間だなと思った。自分の生活を優先しながら、同期と遊ぶことも子供と遊ぶことのように大切。この人数でずっと仲が良いなんて、あまり聞いたことがないので、相当、似た者同士なのだろう。自分のことを理解したくて、日常を忘れるのが怖くて、記録魔になった奥田さん。過去の自分を振り返ると共に、客観視して当時を見ていて、今の奥田さんと、過去の奥田さんが同時進行で生きているような、生きてきた軌跡を感じた。日記ってこんなに自由で適当でいいんだ。かけがえのない日常を文字で起こそうとすると、感情が溢れ出してしまい、上手く言葉にできないものなのかもしれない。この感情をはっきり表せる言葉があれば良いのにと思うと共に、表せる言葉がないほど楽しかったり、嬉しかったりしたのだな。とその時の自分を知る指標にもなると思った。過去の自分は変えられないけれど、今が楽しければそれで良いじゃないと、奥田さんから元気をもらえた。