あらすじ
中学教師の葉奈子は中二の夏、ネットの掲示板で声をかけてきた男のもとに身を寄せた。そこは、母親から構われずに育った葉奈子が救いを求めて逃げ込んだ場所だった。15年前の夏の記憶と、担任する女子生徒の無断外泊の背景が重なったとき、葉奈子の中でひとつの真実が立ち上がる。その真実を共有したのは、心に傷を負ったまま生きる同僚の中年男性教師だった――。SNSを用いた未成年者誘拐の、真の罪をあぶり出した長編小説。 解説・寺地はるな
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Posted by ブクログ
親に対する子供の目線は、例えどんな悲惨な家庭であってもそう変わらないのではないかと思う。なぜなら、子供にとって他に世界はなく、自分の命は全て親に委ねなくてはならないから。それはとても残酷なことに見える。
この物語のタイトルにある“夏鳥”とは、巣立ちを迎えた子鳥のことだろうか。
親から離れることを決意し、初めて見る世界で子鳥が一番に探すものは“とまり木”だろう。
それは鳥を愛する人の庭の梅や桃の木かもしれないし、危険な車道の電線かもしれない。
人の子も大人になる折に、親を疑い、家を飛び出す時が来る。その際に頼れるとまり木が無ければ、手頃なとまり木を求めるだろう。
話を戻すが、子が親を見る目は大人になるにつれ人それぞれ変わっていくものだと思う。
人によれば親族の死の悲しみに共感しきれないこともあるだろう。これが葉奈子と雅人のすれ違いとなった。
親の愛を全身に浴びることが出来なかった人には家族の愛情を理解することが難しい。
葉奈子も溝渕の妻の死に、共感を持って接したが、これは“選択を間違えなかった”と語っている。このことは私にもわかる。私自身も、今でも自分が正しい愛情を持てているのかわからない。
葉奈子は星来に、中学生であったハナを重ね、ハナと対話し、抱擁し、愛を教えた。
これによって葉奈子自身が救いを得て成長したのだと思う。
拾ったドバトは幸せだったのだろうか。
少なくとも、そこには束の間の安心はあったはずだ。
今の私には、心から安心して何度でも羽を休めることができる、とまり木がある。
そのことは、心から嬉しいことだ。
Posted by ブクログ
単行本が出たときに読もうと思いながらタイミングを逃してしまい、文庫化されたのを機に読むことができました。
解説の寺地はるなさんも書かれていたけれども、読む方の期待する筋書きの小説を書くのではなく、物語や登場人物にたいする誠実さ、まなざしの真摯さが好きで自分も奥田亜希子さんの小説を読んでいるのだと再認識させられました。
そして、「大人」として「子どもを守る者」でありたいと心から思いました。
オススメの小説です。
Posted by ブクログ
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中二の夏、私はアパートの一室に逃げ込んだ。
男は「大丈夫だよ」と言って
受け止めてくれた。
SNSを通じた未成年者誘拐
真の罪を胸に突きつける長編小説
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正直、手に取るの悩みました。
仕事が辛くてメンタルも落ち気味だったので、
本作をちゃんと読めるかなと。
誰だって病んでるし、
辛いことがあるし、
苦しいことだってある。
主人公が葛藤を抱えるなか、
中二の頃を思い出し、
記憶を辿る。
あの時どうしようもなかった自分を救ってくれたのは、見知らぬ男性だった。
なんか…すごかった。
どん、と叩かれた気持ちです。
それでも、
「これはやっぱりダメなことだ」
と思える自分で良かった。
Posted by ブクログ
2025/05/16予約 1
中学教師の葉奈子は、中二の夏にネットで知った男のもとに身を寄せた事がある。その時『大丈夫』と言われたことが自分を救い、鼓舞したのも事実だけど、大丈夫じゃないと声を上げることもできなくなった。
葉奈子は母親に放置され危ない橋を渡った。受け持ち生徒の家出にかつての自分の姿を投影してしまい、寄り添いつつ、彼女が彼をいい思い出にしないよう心を砕く。それができたのは葉奈子が同僚男性教師に心を開いたから。親や教師でなくてもどこかに相談できる場所があることを切に願う。子どもに限らず大人にも。
Posted by ブクログ
ネグレクトといえる環境で育ち、一人で自立して生きていくため中学校教師という職業を選んだ主人公葉奈子。ゆえに、子供たちにはそれほど関心はなく、あまり熱心な教師ではない。彼女は、受け持ちのクラスの女子が、夏休みに三日間、家出をしたことによって、過去の傷を思い出す。教え子はSNSで知り合った成人男性の家に泊まっていたのだが、葉奈子にも中学時代、見知らぬ男性の家に泊まっていた経験があった。危険なことはなかった、男はいい人だったと思い込もうとしていた記憶と、改めて対峙することで、それが間違っていたことだとわかる。彼女とコンビを組んでいる副担任とともに、教え子の相手を探り、実際に会いにいって、罪を認めさせる。
副担任というのが、一度教師を辞めてから、再就職してきた五十代の溝渕という男で、葉奈子はその率直な物言いに反感を覚える。その書きようが、ずいぶんひどい。
「葉奈子は表向きの顔を持たない奴が嫌いだ。そのままの自分を受け入れてもらおうという態度は傲慢で、かつ怠惰だと思う。特に溝渕の配慮に欠けた言動には、畑から引っこ抜いた泥つきの人参をそのまま相手の口につっ込んでいるような暴力性を感じた。」
が、休職する前は熱心ないい教師だったこと、そして休職した理由を知ることで、印象が変わる。溝渕は言う。
「世間から見れば間違いだらけのことに救われる人間もいるってことですよ」
葉奈子はかつて、自分の機嫌で娘を放置する母親から逃れるため、見知らぬ男を頼った。教え子も、優秀で、教育熱心な両親の圧から逃れようとしていた。そして溝渕も、休職期間、他に縋るところがなくて縋っていた場所があった。
幼い中学生は、自分に向けられた欲望に気づかず、時に危険なことをしでかす。溝渕は、そして葉奈子は、彼女を責めるのではなく、そんなときに、頼れる場所になれなかった自分を責める。