宮台真司のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
僕が今生きる地平はどのようになっているのか。
とりわけ戦後からの日本。現代日本とは何なのか?
失われた30年
日本が停滞していたことしか経験として知らない僕にとって過去の世代の断念がどのようなものなのか
オウムに魅せられた当時の若者
全共闘の終わり、シラケ世代、60年代生まれ
終末思想
アニメや漫画で描かれる終末後の共同体
あるいは現代の終わりなき日常
80年以降の生まれは世代としての断念を知ることなく、ゆっくりと衰退していく日本で終わりなき日常を生きている。
積極的な未来の希望があるわけではない。
むしろ未来をしっかり直視するのであれば、日本の将来は不安だらけだ。しかし、なまじ今の緩くて悪くない生活を感受していると、わざわざ大それたことを考えなくもいいと思えてしまう。
断念という経験すらないのだから、それは悲劇には成り得ない。共同体も最初から存在しない。あるのは学校や職場で作られる人間関係とSNSだけだ。
かつての若者がオウムに共振したのは、共同体の破壊と、未来への断念、終末思想、そうした背景があったからだろう。オウムの教えにあったような、破滅からの救済。
リセット願望。
追記
オウム以後。酒鬼薔薇聖斗事件についても触れられている
再びオウムのように宗教団体が力を持つかは分からないが、今の日本を見渡せば、失われた共同体、将来への不信、それらは何一つと解決されていない。
私たちが問題に慣れすぎて、むしろ問題を問題として十分に捉えることはなくなった。
終わりなき日常の適応化を果たしたといっても、将来は暗いばかりだ。いずれテロは起きるだろう。湯は冷めるのだから、ぬるま湯にいつまでも使ってはいられない。
社会の変化は水面化で起こり、私たちがそれを実感する時は急激な変化として見える。
それがテロによって引き起こされる可能性は無視できない
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Posted by ブクログ
作者の講演会に行きました。勉強の哲学を読んだ時と同じような爽快感がありました。ゼミの学生にはクオリアが大事だとといているそう。体験質。表現は全て体験のデザイン。ナンパの話だとか援助交際の話だとか性愛の話だとか、いちいち社会背景があり理由がある。私たちが社会に組み込まれた存在であるということをはじめて意識することのきっかけになったといえる内容でした。規定時刻で退出しましたが2部もあり宮台さんのゼミの学生を羨ましく思いました。
本の中で第3の承認、こんなはずじゃなかった感。ホネットの第3の承認の場というのが長年の疑問を少し紐解いてくれたような。して、絶望の時代の希望の恋愛学も読もうっと。 -
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おなじみ宮台真司さんの本。
出版されたのは2011年だからかなり前。
「就活原論」とタイトルにあるけど、就活を通して社会を見るための本と言える。著者は社会学者なので当然の視座だとは思うけど。
個人的にはすごく面白かった。
けど、今まさに就活してる学生に役立つかというと、たぶんあまり役に立たないかな?とは思う(笑)宮台さんが提示する処方箋は、すぐに実践できるものではなく、どうしても時間がかかるので。
とはいえ、この社会で就活という変なイベント(ゲーム)に参加する必要があるならば、読んでおいた方が良い。どちらかというと、小学生前後の子供がいる親が読むべき本だと思う。今まさに就活してる子がいる親が読んでもしょうがない。
あるいは、就職面接を実行する側の社会人も読んでタメにはなるだろう。 -
Posted by ブクログ
宮台真司の本を読むのは初めて。だって、テレビや論壇でお目にかかると、何か人をバカにしたようなひねくれ者って感じでハナにつくじゃない。確かに読んだこの本もそうだった。
でも「社会的包摂」に注目し、それを重視した社会を築くことがいじめや基地問題、そのほか数々の現代日本の難点をすくうことになるという主張には大いにうなずける。もう少し理想家肌的なところから社会的包摂を学んできた自分だけど、ある意味、それ以上に現実的かつ急先鋒として社会的包摂のある社会構築を論じているといえる。
書かれたのはリーマンショック直後の2009年であり、東日本大震災も知らない10年近く前のこと。震災を経験し第二次安倍政権が跋扈する現代なら、どう論じてくれるだろうか。 -
Posted by ブクログ
ネタバレトランプ大統領の誕生は、米国における白人のマイノリティ転落に対する恐怖(白人によるアイデンティティ・ポリティクスの行使)、急速なグローバル化やインターネットの登場による中間層の没落(豊かだったものが貧しくなったという感覚、インタネットの登場による生活様式の共有への不信)といったより大きな問題を表象しているに過ぎない。こうした社会の流れや急速な変動への揺り戻し、(移民に対して非同化政策を採ったことに起因する)共有できる敵を常に必要とする従来のアメリカン・ウェイという観点から、トランプ政権が徹底して自国第一主義に走ることは当然の予想である。政治的正当性への不信も含めた民主主義の劣化、享楽化(ポスト・トゥルース/非知性主義的態度)に対抗するためには人々の意識のありよう(行為と体験に対する観察と抽象化/高次化)の変革が必要と考えられる。
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如何に自分は正しかったか、そしてブレてないか、2割。
如何に自分の子育ては正しいか、1割5分。
如何に論壇人はバカか、1割。
社会システム理論によると・・・、2割5分。(数値は全部評者による推定)
要らないんですけどね、そういうのは。
だから新書にしては、少し厚めになっちゃうんですよ。
大学の講師が生徒を食事に誘うくらいでセクハラ扱いされるアメリカ流の風潮は、あほらしい。
そういうのは、フランス人に馬鹿にされるんだよ。大学の講師が女子学生とつきあう権利を奪うのか、
と言ってね、というくだりは笑ってしまった。
というのは、学生時代に、後輩の女の子と一緒にいたとき、宮台氏から彼女の携帯に電話がかかってきたことがあって、
そのとき、受話器から漏れるミヤダイ先生の声は、内容までは聞き取れないまでも、ものすごーく、彼女に甘えた声、
一方の彼女は、「今、先輩とかといるから後でね。」と一生懸命彼をなだめる、という何ともトホホな光景。
いや、まあ、いいんですけどね。
とやかく言う筋合いもないし、そもそも他大の講師だし、
偉そうな文章を書いている人が、人間的にも偉くなくちゃいけない、ということでもないですから。
しかし、どんなに彼がかっこよく文章を書いても、
自分の場合、その光景が先に頭に浮かんでしまうので、ちょっと説得力が、ねぇ。
ともあれ、私が、学生であることを辞めたのは、2000年代の初め、911が起きたころ。
だから、それ以降のアカデミズムとか論壇の動きとかは、ほとんどスルーだったわけですが、
まあ、スルーしててよかったのだと、確認できたのは、よかった。
知らぬ間に文化相対主義とか、社会構築主義とかいうのは、終わっていた、らしい。
で、教育論になると、結局説明が曲がりながらも、自分の麻布での経験に落ちてしまうのは、仕方ないところか。
スゴい人に感染させて、スゴい奴に育てるというのが、教育論の骨格のようですが。
ただ、そのスゴい奴というのは、中学受験を含めた早期教育では作りがたいというあたりは納得いくのですが、
結局スゴい奴は、ガリ勉型でない麻布の生徒で、大学受験前の一年で成績をごぼう抜きで、東大も首席で、
利他的なのだ、というあたりで、ちょっとなぁ。
結局私立中・高・東大の枠の中での話ですか、と。
経験の部分では、「自分の年代では」、と微妙にずらしているようですが、ずらしきれてはいない、
というか意図的ですね、これは。
一方では、そうではない世界、として、いきなりヤクザの話に飛んで、
ここもまた、自分はヤクザと付き合いがあるとかいう、なんとも嫌みな感じを出してしまっている。
損だと思うんですけどね。こういう書き方。
まあ、自分は公立中学出身だし、ヤクザの息子にボコボコにされた経験もあるので、
そういう文脈での嫌みな人間には、ならなかったのかもしれず、そこは幸いだったと思います。
でも、子どもに中学受験をさせるような親は、
自分の子をそういう意味でのスゴい人に育てたいわけではないんだろうと思いますよ。
どんなに浅ましいと言われても、せいぜいがキャリア官僚になってくれさえすれば万々歳というところでしょう。
ちなみに、天皇制についての記述は、今回はみたところゼロです。 -
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損得勘定の意識が強くなっていた自分に改めて社会生活をする上でもっと重要な事を気づかせてくれた本。
性愛時にフェチ系という自分の趣向のみを追求する人とダイブ系という相手と一緒にトランス状態(変性意識)になる人がいるが、前者は相手は代替可能なので長続きはせず、後者は相手は代替不可能でいつ迄も幸せな性愛生活を送る事ができる。
日本の若者の性的退化が言われて久しいが、その原因としては体育会的なホモソーシャリティ文化が失われた事が原因と著者は分析する。周りから強制・サポートする人が居なくなったから、若者の性に対する意識は退化してしまったのだ。
社会が良くなれば性愛的に幸せになれるかと言うと全くそのような事はなく、なぜなら人間の感情は不条理であるからだ。性愛は自覚的に損得から隔離する必要があり、社会の法外の営みとする事で日常社会での幸せな生活を維持する事ができると著者は考え、バンパイヤ的な生き方を進めている。 -
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感情と論理は、対になる概念なのだろうか。
「感情的にならず論理的になれ」とか。「お前は理屈っぽい人間だから人の感情が理解できないんだ」とか(これはあまりにも暴論か)。
感情と論理を対概念として、オルタナティブの様に扱う人は多い。
しかし、本書はそれを否定する。感情は論理を規程しうる、ということからもわかるように、感情と論理は「あちらが立てばこちらが立たぬ」式の二者択一ではない。
宮台によれば、いわゆる「ネトウヨ」や「ブサヨ」が台頭している背景にあるのは、「感情の劣化」だ。
知性とは態度であり、したがって論理的思考力などの知的能力によって規程される類のモノではない。問題はむしろ思考を方向づける感情にある、というのは頷ける話だ。
ネトウヨの言っていることに全く理がないわけではない、という(少なくともネトウヨを研究した身としての)肌感覚は、それをよく示している。彼らに理がないわけではない。それが劣化した感情に基づいている=知性的な態度ではないことこそが問題なのだ。