宮台真司のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレ本書における著者宮台さんの言論については必ずしも意見が一致するわけではありません。
ただ、2015年発刊で少し時代背景もコロナ前ということを差し引いても、自分にない視点や社会学の見識は参考になりました。
オウムー奪われた「共同体にとっての価値」の代替的回復
オウム真理教の事件が起こったとき、前代未聞の国家転覆計画に驚いた記憶と、一般的にエリートとされる人々が多く加わっていたことに驚きました。
著者は、そこに見られたのは「目標に到達できなかった」という挫折感ではなく、専ら「目標に到達したのに自分は輝いていない」という〈こんなはずじゃなかった感〉だと言います。
社会思想家アクセル・ホネットの「愛による(個体性の)承認」「法による(権利の)承認」「連帯による(共同体にとっての価値)承認」の枠組みを用いて動機の背景を分析しています。
「連帯による(共同体にとっての価値)承認」の認識不足が〈代替的な地位達成〉に向かう動機づけを与える、ということです。
エリーㇳ教育を受けて社会の中で〈共同体にとっての価値〉を承認して貰えると思ったのに全てダメで、世俗の「外」の宗教に〈代替的な承認チャンス〉を探すようになったのです。
心理学と社会学はどこが違うか -
Posted by ブクログ
私たちが抱えているものについてを時代ごとの事象と意味づけながら記述している。
表題にもある通り「日本の難点」はそれが課題なのか問題点なのかを明示できない側面がある。複雑に絡み合うものを一つずつ解くことで私たちの社会がより透明になりうるだろう。これからどうあるべきかの思考ができる準備段階に入ることが重要なのかもしれない。その手段としては歴史の理解(把握)が必要だ。
本章は
人間関係、教育、幸福、アメリカのこと、日本のこと、の順で進んでいく。
最終的には私たちの住む国がどうなっていくことで個々の幸福度が高まるのか
にもっていく。
教育のシステムと場所の喪失について私は面白く感じた。
ゆとり教育、さとり教育と世代が区別されてしまうことで過去を生きた人はそれらに属する若者を冷淡な目でみることがある。それは単に人間性の問題ではなく教育指針による結果なのだから大人は考慮すべき、といつも思う。
また団欒できる場所がなくなっている現代では深く語ったり何かを観て共有する時間が圧倒的に少なくなっている。ネット社会の問題点は文字。言葉だけが先行してしまい些細な一言を懐疑的に受けて人間不信になってしまうことは誰にでもありうる悩み
私はこの現代社会を割と問題寄りに解釈するが、逆に今の社会が良いと感じることもある。オンライン化によってこれまでになかった関係性がうまれたり、長々やっていた授業が簡素化されて受け身の時間が減ったり。最近では低学年次から英語やプログラミングの導入を行い、よりグローバルな知見を広げる機会も増えたらしい。
どちらが良い悪いと断定するのではなく時代と傾向を把握することで今後より良い社会を想像してみることが良いのかなー。
知った上で結局は自分自身がどうするべきか。
そう考える人の母数が増えることが未来の明るい日本を創りあげていくのではないでしょうか。 -
Posted by ブクログ
「経営リーダーのための」という立て付けになっているが、別にそういうことを志す人でなくても、今、この時代を生きている私たち全員に必要なことが議論されている。
社会システム論(ハーバーマスとか、ルーマンなど)は、理論的には、かなりめんどくさいのだが、ここでの議論は難しくない。今、私たちの生きている時代、世界がどんな状況なのかを大きなシステムとして捉え、そして私たちの日常で身近に起こっていることを分析している。
システムという考え方は、個々の要素だけでなく、要素間の関係もみていくということ。つまり、全体は、一つ一つの要素の単なる積み上げではないということ。
ということは、うまくいけば、システムはここの力の総計以上の力を発揮することを可能にする。一方、うまくいかなければ、みんな頑張っているのに全体としては失敗してしまうということが起きる。
現代の社会はかなり厳しい機能不全になっていると思うが、この背景に誰か悪いやつがいて、、、という陰謀論にハマるのではなく、みんな善意で頑張っているにもかかわらず、全体として厳しい状況を再生産・強化する構造になっているという理解にシステム論は到達する。
この本では、今の日本社会や世界が、個人の意志とは関係なく、システムとして進んでいく方向性とそれへの対抗・対応手段についての議論をがなされている。
議論のたどり着くところはある意味当たり前のところかもしれないが、それが唯一の正解なわけではない。答えというより、議論のプロセスがスリリングで、この辺りは実際に他の人と対話してみる価値があると思った。
そして、今、こうした本を「経営リーダー」が読むことが薦められているということにかすかな希望を感じた。
表層的ないわゆるSDGsから、今の世界をしっかりみた活動にフォーカスが移るきっかけになるといいな。 -
Posted by ブクログ
ネタバレもうずいぶん前のことのように思えるけれど、民主党政権ができて鳩山首相が誕生して割と直後に行われた福山×宮台対談。
福山氏は至極まともなことを言っていると思うし、新しい時代の幕開けを想像させる語り口に満ちている。ただそれは当時のことで、今は民主党は下野し、党自体がなくなった。これだけの内容が語られていながら、なぜ民主党はあっという間に下野したのか。それを考えながら読むと面白い気がした。
民主主義がどうのこうのと対談しているというよりは、民主党が政権をとったというのは、日本に何が起こったからなのか、何を期待されて民主党が政権を取れたのかという論点であるように思う。
中身はとても面白い。一方で、繰り返しになるがこれだけの哲学と使命感を持った政権がなぜあっという間に下野したのか。それをセットで考えながら読むべき一冊。
特に民主党が力を入れていた「マニフェスト」についての箇所は面白かった。「与党は実績で、野党はマニフェストで」なんて、言われたら当たり前だけど言われないと「ああそうか」とならない。まだまだ勉強が足りないと痛感した。
「宮台 アンソニー・ギデンズがいうように、『包摂』は福祉国家へのぶら下がりと違って『参加』抜きでは成り立たない。企業のように競争に耐える工夫に『参加』せずに地域主権化は無理です」(位置No.1201) -
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ネタバレ端的に言えば、本書は宮台氏による日本論であると思います。
あとがきに「衒学的」とある通り、確かに時に言葉遣いは思想業界用語のクロスオーバーとなり思想・哲学・社会学に馴染みのない方には到底すんなり理解できるものではないと思います。しかしながら、良くも悪くも短編集の寄せ集めの体を成すことから、筆者の主張したいこと・思いは、繰り返し語られることでおおよその理解ができる形になっていると思います。
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宮台氏の若者論はブルセラや売春などの事象を取り上げることで「いろもの」の感がありました。しかし論の根っこは日本社会論があると思います。
とどのつまりは日本社会が若年層を滋養する<生活世界><中間世界>を失ったということです。なぜこうした中間組織がなくなったかと言えば社会が自由主義的になり、ヒトモノカネが自由に行き来するようになったからだと思います。過剰流動性により「まともに生きること」と「うまく生きること」に乖離が発生し、うまく生きるだけの自己に自ら価値観を見出せなくなる傾向。あるいは「こんなはずじゃなかった」という落胆。
その落胆の先にかつては北朝鮮であったりデモであったり、いわば埋め合わせる思想や理念(中間世界ですかね)が存在した。しかし今はあらゆる相対性の中で何でも選べるので何も選べない。自己の揺らぎ。
かつては地域や学校や或いは会社や、それこそ家族(生活世界ですかね)が受け止めていた包容力を失い、若者は「居所を失った」結果、承認を求めて売春やブルセラ、ネトウヨ、うボランティアに走る、と言うような論調だと思います。ここ以降が良くわかりませんが、きっとこうやって何物かの”他”なるものによって自己を埋め合わせるようなことを「終わりなき日常」と言っているように見えました。いわば、自分探しは否定的な意味で終わりのないゴール、と言っているように思いました。
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では承認されづらい不安定な社会、「うまく生きる」だけの納得のいかない社会でいいのかと言うとそうではありません。<中間社会>に代わる新たな解として、氏は「包摂」というワードで希望を表しているように思います。
ここでバラバラになった人たちをいわば、巻き込む。対立があってもなくても、ともに居る。連帯感や共通性は事後的に得る。なんとなればお見合い婚の夫婦の得る連れ添ったからの愛情のような? そうすることで当事者性を各人が持ち、変革の兆しを生む、という事のようです。そのための手段として「祭り」だったりインターネットだったりがキーとなることが示唆されます。
こんな感じで読みました。
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全般的にはやはり難解だと思います。乱暴にとらえれば、我々は人間資本(ヒトとの繋がり)をより強くし、そうした繋がりの団体として政治に関わるべき、という事を主張しているのでしょうか。総論は賛成です。
国を頼りにするのではなく自らを頼りに隣人をたすけ(たすけられ)、そしてそこから国や自治体を変えていく。あれ?これってひょっとしたら私がやりたい事と似てるかも!?
そうそう、あと少し疑問に思ったのは、「終わりなき日常」を生きた若者のこと。90年代の彼らって、そのままブルセラや売春をし続けて老いていくわけではないと思います。私も今は立派なおっさんになりました。そうした過去の若者たちがどうやって自己を「受容」する、ないしは社会に飲み込まれていくか、その仕組みや過程を知りたいと思いました。その飲み込まれ方がポジティブであれば、それはそれで今を生きる若者へのなにがしかのメッセージになるのかも、とふと思いました。 -
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久しぶりに宮台節を味わいたくて再読しました。
高校の時に出会って以来、著者からは良くも悪くも影響を受けましたが大学進学し以後自分の専門分野を研鑽していく中であらためて氏の著作に対して感じるのはこれらは宮台思想でありアカデミアの中で一般に受け入れられている訳ではないということと、意外?と適当な根拠で主張を構成している(そして賢い?のはそれを指摘されても言い逃れ出来るような論理を準備している。真の論点はそこではないみたいな)ことです。
氏の主張をあまり真に受けると現実世界で痛い目を見ることがあるので特に若い方には気をつけて頂きたいなと実際に痛い目を見た自分は思いました。
氏から学んだ大事なことの1つは、アカデミシャンがまるで学問的根拠があるかのような口振りで人間の生き方について論じ始めたら眉に唾をつけた方がいいよということです。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ再帰性=セルフモニタリング 自分を俯瞰 立ち位置確保
結果としてのコンプライアンス
不祥事の防止・企業価値の向上
事なかれ主義=前例の踏襲
「リキッド モダニティ」液状化社会 ジグムント バウマン
決定しない優柔不断が合理性 ⇒その都度 選ぶ人になる
「キャラ」
「自己責任」
「状況的な人間関係」
関係に応じた人間関係 すべてをさらけ出さない
「多元的な自己」リースマン
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「法」 古い法を排して市民が勝ち取ってきた財産 暫定的で不完全なもの
法は統治の必要から制定
民主制=価値観の多様性 道徳感情は反映してはならない
定住の営み支える所有とともに法が生まれた
社会は法より大きい
人間は法には収まらない存在 その事実を表出するものが芸能やアート
「双剣論」西ローマ帝国
世俗の権力は王、超越の権力は教皇
東ローマ帝国は教皇が両方持つ
「人権内在説」
誰もが享受できる公共財などない 資源維持の制約や施設維持の負担が必要
各人の人権要求を誰もが共有するプラットフォーム
自己決定権があっても決定能力が不足する日本
「尊厳」 社会的自己価値への信念 自由と尊厳の循環
「法外を守る」→「不安を埋める」仲間集団≒生活世界縮小
法の奴隷・言葉で騒ぐ・個人の損得
体験の直接伝達から意味の関節伝達へ
「没落中間層」不安をより強いものとの平行移動で劣等感を埋め合わせる
好きなものを語るとき マウンティング 勝敗をつけたがる
「アート」 人の心に傷をつけるのが目的
「娯楽」 リクリエーション(回復)
パブリック アート 受け入れられる形で傷を残す営みの模索
解決手段:アート教育、なりすましアート -
Posted by ブクログ
ネタバレ<目次>
はじめに
第1章 音楽が聴けなくなった日
第2章 歴史と証言から振り返る「自粛」
第3章 アートこそが社会の基本だ
おわりに
<内容>
「電気グルーヴ」のピエール瀧が麻薬で捕まって、その楽曲の販売、配信が一切停まった。発売元のソニーミュージックエンターテインメントの「自粛」によるものだった。本によると、日本独特の風習(商習慣?)らしい。そして、90年代以降それが始まり、どんどん悪化?の方向らしい。帯にかかれる坂本龍一のコメントではないが、「聞かない自由」「聞く自由」があり、創作、演奏している本人たち(電気グルーヴはほとんど石野卓球が創作、演奏している)以外に、聞き手にも自由があることは当たり前だ。第3章で、宮台真司がえらく難しい議論をしているが、「アート」が万人のもの(作り手以外に見る(聴く)人)のもので、作った後は、作り手の手を離れたものになる。歴史的にそうなるのだ。殊に日本だけの現象なのだとしたら、そういう点で日本は「アート」を理解していない国(にどんどんなっている)、精神的に稚拙な国、劣化している国に落ちて行っているのだ。それがよく読み取れた。
単純に「音楽が聴けなくなる」だけでなく、人間性を奪おうとしている人々が横行している国化、している状況こそ、憂いるしかないないだろう。