宮台真司のレビュー一覧
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鳩山首相は自信の政治資金問題で参院選まではとても持ちそうにないが、それで衆議院多数を持つ民主党の政権が終わるわけではない。
そういう点で、もう一度民主党のマニフェストについて再検討し、本当に不都合があるのであれば、次の機会にその修正を行動で示すことができる。
そういう点で、民主党のマニフェスト作成の責任者だった福山外務副大臣と宮台教授による対談形式でマニフェストの背景、狙いが掘り下げられており、ニュースショーの短い時間で且つ、頭の悪い人間による上っ面だけの解説だけではわからない点も理解できる点で民主党の支持者にも不支持者にもおすすめしたい。
政権が変わり、ゲームも変わった、あるいは変えようとしている。それにYesでもNoでもいう機会は来年夏にあるのだから、本書にあるように「お灸を据える」のではなく、政治参加としての投票行動として自分を意見を示そうではないですか。その判断リソースとして本書は大事な1冊になったと思う。 -
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社会における計算能力を扱った対談本。
この本での議論は、もはや社会にとって計算機による計算能力やそれによる計算可能性内での意志決定は常態化しているが、その社会的重要性を踏まえられていない情報技術者・研究者(アーキテクト)たちと、そこへリーチできていない社会学という今の日本社会の現実を踏まえて、計算不可能性をキーワードによりよいではないな、もう少しましな社会とそれを支える計算能力への道筋をつけようと努力している。
対談の中で明確な結論と道筋が出ているとは思わないが、その中から拾い出すべきものは多いと考えるし、アーキテクトの末席を汚しているかもしれないぐらいの自分のとっても考えさせられることが多い対談だと思う。
システム設計をする人間には必読。 -
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社会学者、宮台真司氏による、オウム事件を受けての90年代日本社会分析の書。
オウム事件の発生要因を、90年代日本社会に渦巻く「終わりなき日常」と「さまよえる良心」という著者独自の2つの概念を用いて分析している。革命に代表される「大きな物語」の喪失と、良心の指導者たる「父」の死を受けて到来した「終わりなき日常」-劇的な変化はやって来ず、社会の中で繰り返される単調な毎日-は到来した。それに耐えきれないポスト全共闘世代の逃走先が神政国家-「父」たる指導者=麻原彰晃が個人の良心について規定-であるオウム真理教であるとしている。著者は、このツラい「終わりなき日常」を耐え抜く策を「まったり生きること」であるとする。宗教や恋愛といった包括的自己肯定を求めず、生きる目的といった高尚な次元からあえて降りる生き方を推奨している。
安易なオカルトブームからの推論から一線を画す、著者の丹念な取材と緻密な学問による分析に基づく90年代論は面白いと同時に説得力がある。30年以上の著作でありながら、今なお有力な論であると感じる。
私的に興味深い点は、著者の対人コミュニケーションに対する不信感である。著者は「終わりなき日常」の克服の鍵を、安易にコミュニケーションに求めていない。一つには、人々が他者との相互コミュニケーションを必要としないデータベース消費の段階にまで進んでいたという背景もあろう(東浩紀)。それに加えて、包括的自己肯定の一つである恋愛は各個人の先天的なコミュニケーション能力に大きく左右される面があり、誰もにとっての解決策足り得ないというのが著者の考えである。90年代を代表する宮台・東が共にコミュニケーションへの過度な信頼を排している点は注目に値する。
また、著者は社会内における承認の問題にまで踏み込んでいる。これは20年代現在においても社会問題になっておる、「承認欲求」というワードはすっかり人口に膾炙した感がある。社会内で承認を得られないため逸脱するという問題の原型は変わっておらず、有効な解決策も30年経った今も見出されないことには問題の根深さを感じる。
90年代ーゼロ年代の社会潮流の変遷を知りたい方には、宇野常寛「ゼロ年代の想像力」との併読をお勧めしたい。 -
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対談相手の奥野さんが言うように、「宮台思想の核心と射程」を掴みきれていいないのではないかと自問した。元宮台ファンとして。広大な学問領域を参照しながら、かなり圧縮した宮台語で、ざっくりと解説していく。圧巻だ。
本書の内容をざっくりまとめるのは到底無理だけれども、あえて強引にポイントをおさえておくなら
「近代という特殊に抗い、人類史的な普遍を回復する実践」(p455)ということだろう。
宮台語の「新住民化」が指し示すように、近代化が進んでシステム世界(市場と行政)に覆われてしまうと、人間は言葉の自動機械・法の奴隷・損得マシン化してしまう。そこに落ちる前に、「内から沸く力」にこだわるべし。
そして「火遊びバーン」に陥らず、「気分スッキリしない社会の、存続可能な作り変え」に向かえ、と(p457)。その通りだ。
そしてこの主張は、「終わりなき日常~」から続く宮台思想の通奏低音。革命なき時代を生きるわれわれの、最低限のリテラシーだったはずだ。最近では、國分功一郎さんの『暇と退屈の倫理学』と共鳴する。
ただ、道筋は正しくとも、いざそのルートを進むのはとても難しい。いとも簡単にかき消される道なんだろう。
とはいえ、毎日新聞書評で橋爪大三郎さんが「社会学のオータニになりなさい」と絶賛したのも納得の内容だな。 -
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毎度のことだが、宮台さんの本は難解。
いったい彼の頭の中はどうなっているのか。
社会学、人類学の歴史、経緯がずらずら出てくる。
読んでいても頭には届かない。
時々届く。
特に目を引いたのが、つい先日読んだばかりの「新しい階級社会」への言及。
宮台さんはこれを、
仕事にかかわる尊厳を保てる資本家&旧中間階級(自営業者)
仕事にかかわる尊厳を保てない新中間階級&労働者階級(正規・アンダークラス)
に二分される、と喝破した。
橋本によると、、、と宮台さんは言ってるけど、
そんなこと書いてあったかなあ。
そして私はこれに激しく同意。
父は旧中間階級、しかしこれは今の世の中ではほぼ死滅、
私はかろうじて新中間階級に生きているが、サラリーマンになった当初から今に至るまで、
居心地の悪さを感じてきた。
娘たちの独立、定年でやっと抜け出せる、旧中間階級・自営業者を目指そうとしている。
などなど、分かるところは読んでて楽しい。
それ以外でも男女のことなど、多少はわかるところもあったような。
あとは修行。
とりあえず目を通す。
五日分かる日が来るだろうか。494ページの分厚い新書。
Ⅰ 「等根源」であった社会学と人類学
第1講 社会学と人類学のオリジネータたちの時代
第2講 交差する社会学と人類学
第3講 アメリカ社会学が忘却した「前提」への問い
第4講 原的贈与を忘失した近代ヨーロッパ
Ⅱ 生態学的思考へ回帰する人類学的存在論
第5講 宮台思想の前提にある人類学的視座
第6講 前提を探る思考から宮台式存在論へ
第7講 認識論を超えて前提を問う存在論的思考
Ⅲ 人類史の根本まで遡ると見えてくる〈世界〉
第8講 社会の誕生から劣化まで
第9講 法生活の開始と没人格化の進行
第10講 古代ギリシア思想でとらえる社会と自然
第11講 これからの平等と自由を考える -
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現在の社会の問題を構造的に捉えて、その原因が何であるかを考察し、何をしていけば良いのかを対談形式でまとめた本である。
対談形式ということもあり、読み易さがありながらも、問題の深掘りは哲学や実例を交えているため、本質をついてると感じた。
本書を読むことで、主に日本社会で起きている問題を考えるきっかけとなり、自分がどんな社会を良しとするのか?どんな社会に暮らしたいのか?そして、そのために何をしていきたいのかを考える良いきっかけになると思う。
今の政治に一般意志が反映されているのか?という疑問もふと浮かんだ。
さて、私はこの問題に対して何をしていくのか?改めて考えていきたい。 -
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30年前になるのかと思うのと、それを今改めて完全版として再び世に登場させた事が感慨深いというか、やるせないと言うか、複雑な気持ちになる。
しかしお金の為だったり、自分を満たす為に援助交際をしていた女子高生達が、その後不幸な境遇になっている子が多いと言うのも、悲しい話。
プルセラショップがあるからとか、女子高生と大人をつなげるアプリやサービスがあるから、援助交際が広がったという意見は、まあ普通だと思うが、あるからやってしまったという彼女たちはどうなのか、またなかったとしたら彼女たちはどうだったかとかも大きな問題だし、買う大人の側についてももっと深掘りしてほしい。 -
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本書は2009年出版で時代と共に一部劣化した情報もあり割愛した。「この社会」をどう読み、どう国民は考えるべきかを問う本書だ。その中で気になる内容は当時から「防衛は重装備+対米中立」を掲げ「農業は農協+農水省+自民党水族を解体し農業の抜本的な改革」と主張している事だ。現実米国は防衛費の増額を毎年要求し、米国武器の購入、日本の駐留部隊への補助を求めているが、2025年には見直すべき項目でありEU諸国が対米国で動き出したように、いつまでも米国頼りではなく、日本独自開発の重装備が必須であり、米国とは中立的な立場(貿易含め)での交渉が必須となった。また農業に関する「2025年の米不足問題」は農協+農水省+自民党農水族の悪巧みが暴露され、更に「自給自足不可能」の現状から農業改革を即刻実行に移さなければならないと実感しているのは私だけだろうか。
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知らない言葉が多くて理解しきれていない箇所もあるけど、お話はすごく良かったです
身体性を身につけること、アフォーダンスの重要性、などなど、始終頷いたり、そうかと感嘆したりしながらそこに参加してる気分になって読みました。
ギリ昭和で田舎育ちの自身の環境を振り返るとオーガニックな森のようちえんだったなと思いました。自然の中で過ごした経験は今思えばとても豊かだった。そのような環境に身を置くことでしか育たない感覚や身体性があり、それはとても大きな価値で、子供が成長する上で決して蔑ろにしてはいけないものだと改めて思った。
少し話は逸れるけど、以前、スタジオジブリの鈴木敏夫さんが「走ったり飛んだり、身体を使った経験がないと、そういう場面を表現することもできない」と言っていたことを思い出した。さらに、宮崎駿さんが言っていた『テクノロジーが発展して、身体を通した行為や動きが生活から消えると、(例えばスマホのようにダイヤルもボタンもないものになっていくと)アニメの表現としては退屈になる』と語っていたことも改めて腑に落ちた。
それはジブリ作品がなぜあんなに人の心を動かし、ワクワクさせるのかということへの答えだと思うし、人は本来、自然と共にあることにワクワクを感じるんだと思った -
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ネタバレうーん。難しい時代だ。
処方箋は提供されているが、共同体の確立とかできるんだろうか。
食を入口とする、というのはおもしろそう。
P79
人々はもはや地域にも家族にも属さない浮遊した存在となり、それぞれが匿名者として戯れています。そして、グローバル化によって中間層が崩壊した格差社会において、地域と家族の空洞化を埋め合わせているのが、市場や行政といったシステムにほかなりません。システムに依存した社会は「社会の穴を、経済で埋め合わせる」ものです。だから「経済が回らなくなれば、社会の穴に人々が落ち込む」のです。その 事例は、孤独死以外にもさまざまなものがあります。
P88
さらに言えば、日本は災害大国で、気候変動を背景にして今後どんどん災害が起こります。災害時には、市場も行政も止まりがちです。だから、システム世界の外に生活世界を持たない人が現実に死んでいくことになります。だから僕は20年間ずっと「システムの外を大事にしろ」と言い続け てきました。今まで誰も耳を傾けませんでしたが、今後は僕が言わなくても、生き残るために、シ ステムの外にある生活世界を大事にするようになるかもしれません。
P124 ヒラメとキョロメに覆い尽くされた日本
野田 現在の日本は「社会の底が抜けている」状況であり、そのことを僕らは深く危惧しています。 というのも、宮台さんが指摘されるように、人間はゲノム的に孤独に耐えられない存在です。その人間が社会の中で生きていくためには、自分たちを包摂してくれる集団が必要なのですね。
宮台 かつて、われわれの本拠地は、生活世界でした。われわれは、生活世界を「ホームベース」 として暮らし、ときどきシステム世界に出かけては、狩猟採集活動をするかのように「獲物」を持 ち帰り、生活世界を生きるみんなのためにシェアしたわけです。しかし、われわれがシステム世界 に過剰に依存するようになるにつれて、生活世界がやせ細っていきます。
今や社会は、システム世界がメインで、生活世界はその下請けであるかのように変容しています。 その結果、生活世界が持っていた包摂性は失われ、個人はむき出しの状態で「システムに直撃され る」ようになっています。そのことが人間の感情的劣化を引き起こしているのだ、というのが僕の考えです。
日本ではこうした変化が特に著しく、汎システム化と共同体空洞化の先に絶望しかないことを他の国々に先駆けて示している点で「課題先進国」なのです。
宮台 日本が課題先進国になった理由は、第1に、「郷に入っては郷に従え」の類の共同体従属規範はあっても、「共同体の衰退を是が非でも避けなければならない」という共同体存続規範がないこと。
第2に、「人が見ていなくても神がみている」の類の、人のまなざしと神のまなざしを分ける宗教的規範がないことです。代わりに日本は、上の御機嫌をうかがうヒラメと、周囲の空気をうかがうキョロメに覆い尽くされています。
P142
でも女性が生きていこうとすれば、男性を見つけて結婚するしかありませんでした。今は、仕事で成果を出したり資格を取得したりしてステータスアップを図れます。クズ男性とつき合うぐらいなら、ステータスアップに時間を使う方が合理的になります。 これらすべてを踏まえて単純な図式にすると、まず、男性が損得化して、一部が性的に退却し、次に、女性が損得化した男性とつき合って懲りて、一部が性的に退却した、という展開になっています。
そもそも性愛関係は、喜怒哀楽を含めた包括的・全人格的なものです。僕たちは性愛を通じて、自分が根源的に肯定される体験を得ました。しかし、性愛が属性主義に陥るほど、ほかに代替でき ない喜びは、小さくなります。だから、属性主義を背景に、男女がともに性愛をコストとベネフィ ットという損得勘定に帰着させてしまうのは、実は自然な成り行きです。
ところで、男女の性愛の損得化の背景には、より深刻な家族の損得化があります。家族の損得化 が、そこで育った男女の性愛の損得化をもたらし、性愛の損得化が性愛をへてつくられる家族の損 得化をもたらす、という悪循環があるのです。
P149
ネットコミュニティにおける人間関係は、つき合いたい相手とだけつき合う、つき合いたいときにだけつき合う、相手の見たいところだけを見る、というつまみ食いです。すると、部分的な人間関係しか経験できず、包括的な人間関係から疎外されます。その結果、「相手が困っていたら、思わず自分が動いてしまう」ような損得を超えた利他的つながりを経験できなくなります。実際、そうしたつながりを経験したことがないという大学生が大半です。
思わず動いて、困っている相手を助ける。それで相手が喜んでくれ、そのことに自分も喜びを感 自分が困っているときに相手が助けてくれる。それで自分が喜びを感じ、それを相手も喜んでくれる。そういう喜びは、相対的な快楽というより、絶対的な享楽です。至上の悦びで す。でも、ネットコミュニティの人間関係ではその悦びが得られません。だからネットコミュニテイが拡大すれば、人間関係の悦びを知らない人が増えます。
すると、何が起こるでしょう。人は他者との関係を、プライベートを含めてコストパフォーマンスだけで測るようになります。だから、人間関係において生じる面倒くさいことやわずらわしいことを回避するようになり、対人能力の退行や未発達も進みます。その結果、人間関係から生じるノ イズをますます怖がるようになり、ネットコミュニティのつまみ食い的な人間関係にますます依存 する、という悪循環に陥るわけです。
P153
親は、子どもを持つと、いい幼稚園に入れ、いい学校に進学させ、いい会社に就職させるという ふうに子育てし、それに成功して周囲の人たちから「いいね」ボタンを押してもらいたいと考える ようになります。「いいね」ボタンはほかのことでも押してもらえます。そこでは、子どもを育てることのメリットとコストが天秤にかけられるのです。つまり、子どもをつくるかどうかも損得勘定による判断になるということです。社会学的には、それが少子化の最大要因です。
パク マッチングアプリのようなシステムを使って出会いの効率化を追い求めた結果、かえって恋愛が非効率なものになってしまっているのではないかと理解したんですけど、間違っていますか。
宮台 間違っていません。出会いにコストをかけたくないから、マッチングアプリを使う。マッチ ングアプリは、スペックでスクリーニングする。すると、相手が見つかっても、もっと条件に合う 相手を求めて相手をどんどん替える。多くの人は「おかしいな、なんでこんなに頻繁に相手を替え なきゃいけないんだ」と思う。でも、どうしたらいいのかわからず、不全感も埋まらず、ムダなあ がきを続ける。結局は、逆説的なコスト高になります。 -
Posted by ブクログ
時事ネタを社会学で解説するラジオのコーナーが文字起こしされたという。「おわりに」によると、ラジオ番組前に下調べを数時間かけるが基本的には即興とのこと。それでこのクオリティに仕上がるところに宮台さんの教養の広さと深さを感じるが、それでも彼が慣れしたんだ型を繰り返しているのがわかる。
社会学と哲学の先人が切り開いたコンセプトを持ち出すか、日本社会の過去の事象を紹介して課題の共通点を列挙して他の論者の浅はかさをディスりつつ先頭に立って主導権を取る。この宮台さんの立ち回り方を観ながらいつも”もったいないなぁ”と思うのは、その教養と頭の良さを「マウントを取るための武器」にしてばかりいることだ。いったい誰と戦っているのだろう?と思うのだが「朝まで生テレビ!」に出過ぎたことが原因かもしれない。単にあの番組でのキャラが憑依してることもありそうだが、番組に出る度に増えていくアンチ層が彼の言動の揚げ足を取りにくるのでいつしかファイティングポーズを取るところまでが型となってしまったのかもしれない。
本書では宮台さんの意見をザッと見渡すことができる。安倍政権、日本の民主主義、沖縄基地問題、原発、日本の中間層、忖度(空気ばかり読む)社会の問題、性愛、仕事、教育など、時事問題を考える上での補助線となる。