あらすじ
現代とは「社会の底が抜けた時代」である。相対主義の時代が終わり、すべての境界線があやふやで恣意的な時代となっている。そのデタラメさを自覚した上で、なぜ社会と現実へコミットメント(深い関わり)していかなければならないのか。本書は、最先端の人文知の成果を総動員して、生きていくのに必要な「評価の物差し」を指し示すべく、「現状→背景→処方箋」の3段ステップで完全解説した「宮台版・日本の論点」である。
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Posted by ブクログ
社会の底が抜けた時代、相対主義の時代も終わり、境界線があやふやで恣意的な時代になっています。最先端の人文知の成果を総動員した日本という国の論点です。
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若者論や教育、安全保障、政治など様々な分野を横断して論じていて面白かった。他者に承認して欲しいけど自分は承認できない問題や、周りを感染させるようなレベルの高い人はどの人も利己的で公共に関心があるというのは、自分に自信があって周りのために頑張りたいとか思える人なのかなと思った。
そういう人になるには様々な経験値を積んだり、ガリ勉じゃなくて豊かな感情を学ぶことが大切というのも共感できた。
環境問題についても、温暖化懐疑論を、本当に温暖化が起こっているかは問題ではもうなくて、世界の流れが変わらないなら、それにのって先行者利益を取るべきというのは新しい学びだった。
また社会が変わるになる合理性を越えるための感情による感染力と、いいことをしないことが社会で生き残れないようになる仕組みづくりが必要というのも共感できた。
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この人の言葉の選び方が好きだ。
専門的な語彙と平易な語彙のバランスが心地いい。
こんな風に、社会で起っていることをきちんと堀下げて考える事って、やっぱ大事。
Posted by ブクログ
90年代の氏の著作に感銘を受けつつ、その後15年以上放置状態にあったが、本作でひさびさに宮台節を聴く。
難点が故か、結構難しい・・・。これ以上平易に記述不能と氏は言うので、もっとほりこんだ読みが必要かもしれない。が、そうさせようと思うほどのパワーを感じる次第。結局どうなのよという点についても、ある程度明快な結論を提示している点がすっきりしていて良い。しばしばそうでない論客がTVではお目にかかれるもので。
無論色んな視点から書にある各種問題は論じることができる。が自ら言うように、一通りの課題群を一気通貫で論じるという意義は非常に深いと思う。明日への思考の一助となるということで、勝手に気をはいている状態になった。
Posted by ブクログ
人間関係論、教育論、幸福論、米国論、日本論の五章からなる。社会の問題を共有し歴史の推転を早めんとする本。
一個一個の項目が示唆に富んでおり勉強になる。
人間関係でコミットがない。タコ足化してる話とか、イジメ、ゆとり教育、死、ミメーシス(感染的模倣)の話とか、宗教、自殺、格差の問題や社会的包摂の話、オバマの演説や大統領制、日本の制度の話とか。
特に米国論はプロでもないのに秀逸と思った。
Posted by ブクログ
本書は2009年出版で時代と共に一部劣化した情報もあり割愛した。「この社会」をどう読み、どう国民は考えるべきかを問う本書だ。その中で気になる内容は当時から「防衛は重装備+対米中立」を掲げ「農業は農協+農水省+自民党水族を解体し農業の抜本的な改革」と主張している事だ。現実米国は防衛費の増額を毎年要求し、米国武器の購入、日本の駐留部隊への補助を求めているが、2025年には見直すべき項目でありEU諸国が対米国で動き出したように、いつまでも米国頼りではなく、日本独自開発の重装備が必須であり、米国とは中立的な立場(貿易含め)での交渉が必須となった。また農業に関する「2025年の米不足問題」は農協+農水省+自民党農水族の悪巧みが暴露され、更に「自給自足不可能」の現状から農業改革を即刻実行に移さなければならないと実感しているのは私だけだろうか。
Posted by ブクログ
私たちが抱えているものについてを時代ごとの事象と意味づけながら記述している。
表題にもある通り「日本の難点」はそれが課題なのか問題点なのかを明示できない側面がある。複雑に絡み合うものを一つずつ解くことで私たちの社会がより透明になりうるだろう。これからどうあるべきかの思考ができる準備段階に入ることが重要なのかもしれない。その手段としては歴史の理解(把握)が必要だ。
本章は
人間関係、教育、幸福、アメリカのこと、日本のこと、の順で進んでいく。
最終的には私たちの住む国がどうなっていくことで個々の幸福度が高まるのか
にもっていく。
教育のシステムと場所の喪失について私は面白く感じた。
ゆとり教育、さとり教育と世代が区別されてしまうことで過去を生きた人はそれらに属する若者を冷淡な目でみることがある。それは単に人間性の問題ではなく教育指針による結果なのだから大人は考慮すべき、といつも思う。
また団欒できる場所がなくなっている現代では深く語ったり何かを観て共有する時間が圧倒的に少なくなっている。ネット社会の問題点は文字。言葉だけが先行してしまい些細な一言を懐疑的に受けて人間不信になってしまうことは誰にでもありうる悩み
私はこの現代社会を割と問題寄りに解釈するが、逆に今の社会が良いと感じることもある。オンライン化によってこれまでになかった関係性がうまれたり、長々やっていた授業が簡素化されて受け身の時間が減ったり。最近では低学年次から英語やプログラミングの導入を行い、よりグローバルな知見を広げる機会も増えたらしい。
どちらが良い悪いと断定するのではなく時代と傾向を把握することで今後より良い社会を想像してみることが良いのかなー。
知った上で結局は自分自身がどうするべきか。
そう考える人の母数が増えることが未来の明るい日本を創りあげていくのではないでしょうか。
Posted by ブクログ
アングラな部分を含めて様々なフィールドワークを通して積み上げられてきた著者の視点は、社会学のアカデミックなラインとは一線を画した揺るぎなさがある。
現代の社会学は何かと悲観的な論調になりがちだが、著者は「本当にスゴい奴は利他的だ」と述べ、最後のところで希望を持っている。
Posted by ブクログ
久しぶりに宮台節を味わいたくて再読しました。
高校の時に出会って以来、著者からは良くも悪くも影響を受けましたが大学進学し以後自分の専門分野を研鑽していく中であらためて氏の著作に対して感じるのはこれらは宮台思想でありアカデミアの中で一般に受け入れられている訳ではないということと、意外?と適当な根拠で主張を構成している(そして賢い?のはそれを指摘されても言い逃れ出来るような論理を準備している。真の論点はそこではないみたいな)ことです。
氏の主張をあまり真に受けると現実世界で痛い目を見ることがあるので特に若い方には気をつけて頂きたいなと実際に痛い目を見た自分は思いました。
氏から学んだ大事なことの1つは、アカデミシャンがまるで学問的根拠があるかのような口振りで人間の生き方について論じ始めたら眉に唾をつけた方がいいよということです。
Posted by ブクログ
初版から干支が一回りしているのに論旨が全くぶれていないことと難点が相も変わらず難点であり続けている事実を突き付けられて驚き、おののく。
この十二年でこれらイシューへの氏の対処はより過激で直截的な言動に変わった。もどかしかったのだろう。
「クズ」「ケツナメ」「ウヨ豚」「ヒラメ・キョロメ厨」「言葉の自動機械」「法の奴隷」・・・。
これらのキャッチが生まれる前夜、起源が余すところなく記されていて興味深い。
「これがのちのケツナメである・・・」というナレーションが聞こえてきそうだ。
Posted by ブクログ
本著から10年過ぎて日本情勢はどう変わったのだろうか。肌感覚ではあまり進展を感じない事の方が多い。むしろ諸外国との付き合い方、日本の立ち位置では難度が増しているのかもしれない。感染症による世界レベルの危機、オリンピック延期など日本にとっては改めて自国を見つめ直すチャンスなのかもしれない。難しい話も多々あったが、今だからこそ考えさせられる一冊だった。
Posted by ブクログ
かなり乱暴に要約すると、最近よく取沙汰される社会問題の要因は人と人の関係が希薄になっていること、そして、それ故に行き詰まった人を拾う仕組みがないことだと解釈した。以前から宮台氏に一目おいていたこともあり、特に教育論若者論は共感できるところが多かった。
しかし最近人文系の書物を読んでないせいか、引用が多すぎて返ってわかりにくい箇所が多かった。
Posted by ブクログ
宮台真司の本を読むのは初めて。だって、テレビや論壇でお目にかかると、何か人をバカにしたようなひねくれ者って感じでハナにつくじゃない。確かに読んだこの本もそうだった。
でも「社会的包摂」に注目し、それを重視した社会を築くことがいじめや基地問題、そのほか数々の現代日本の難点をすくうことになるという主張には大いにうなずける。もう少し理想家肌的なところから社会的包摂を学んできた自分だけど、ある意味、それ以上に現実的かつ急先鋒として社会的包摂のある社会構築を論じているといえる。
書かれたのはリーマンショック直後の2009年であり、東日本大震災も知らない10年近く前のこと。震災を経験し第二次安倍政権が跋扈する現代なら、どう論じてくれるだろうか。
Posted by ブクログ
如何に自分は正しかったか、そしてブレてないか、2割。
如何に自分の子育ては正しいか、1割5分。
如何に論壇人はバカか、1割。
社会システム理論によると・・・、2割5分。(数値は全部評者による推定)
要らないんですけどね、そういうのは。
だから新書にしては、少し厚めになっちゃうんですよ。
大学の講師が生徒を食事に誘うくらいでセクハラ扱いされるアメリカ流の風潮は、あほらしい。
そういうのは、フランス人に馬鹿にされるんだよ。大学の講師が女子学生とつきあう権利を奪うのか、
と言ってね、というくだりは笑ってしまった。
というのは、学生時代に、後輩の女の子と一緒にいたとき、宮台氏から彼女の携帯に電話がかかってきたことがあって、
そのとき、受話器から漏れるミヤダイ先生の声は、内容までは聞き取れないまでも、ものすごーく、彼女に甘えた声、
一方の彼女は、「今、先輩とかといるから後でね。」と一生懸命彼をなだめる、という何ともトホホな光景。
いや、まあ、いいんですけどね。
とやかく言う筋合いもないし、そもそも他大の講師だし、
偉そうな文章を書いている人が、人間的にも偉くなくちゃいけない、ということでもないですから。
しかし、どんなに彼がかっこよく文章を書いても、
自分の場合、その光景が先に頭に浮かんでしまうので、ちょっと説得力が、ねぇ。
ともあれ、私が、学生であることを辞めたのは、2000年代の初め、911が起きたころ。
だから、それ以降のアカデミズムとか論壇の動きとかは、ほとんどスルーだったわけですが、
まあ、スルーしててよかったのだと、確認できたのは、よかった。
知らぬ間に文化相対主義とか、社会構築主義とかいうのは、終わっていた、らしい。
で、教育論になると、結局説明が曲がりながらも、自分の麻布での経験に落ちてしまうのは、仕方ないところか。
スゴい人に感染させて、スゴい奴に育てるというのが、教育論の骨格のようですが。
ただ、そのスゴい奴というのは、中学受験を含めた早期教育では作りがたいというあたりは納得いくのですが、
結局スゴい奴は、ガリ勉型でない麻布の生徒で、大学受験前の一年で成績をごぼう抜きで、東大も首席で、
利他的なのだ、というあたりで、ちょっとなぁ。
結局私立中・高・東大の枠の中での話ですか、と。
経験の部分では、「自分の年代では」、と微妙にずらしているようですが、ずらしきれてはいない、
というか意図的ですね、これは。
一方では、そうではない世界、として、いきなりヤクザの話に飛んで、
ここもまた、自分はヤクザと付き合いがあるとかいう、なんとも嫌みな感じを出してしまっている。
損だと思うんですけどね。こういう書き方。
まあ、自分は公立中学出身だし、ヤクザの息子にボコボコにされた経験もあるので、
そういう文脈での嫌みな人間には、ならなかったのかもしれず、そこは幸いだったと思います。
でも、子どもに中学受験をさせるような親は、
自分の子をそういう意味でのスゴい人に育てたいわけではないんだろうと思いますよ。
どんなに浅ましいと言われても、せいぜいがキャリア官僚になってくれさえすれば万々歳というところでしょう。
ちなみに、天皇制についての記述は、今回はみたところゼロです。
Posted by ブクログ
ん~…
言いたいことは分かるし、概ね筆者に同意しますが、議論があっちこっちしていて理解しづらく、しかも「その理屈をこの理屈と重ねる!?」みたいなところがあって若干の強引さが気になりました(特に序盤から中盤)。
僕の評価はA-にします。
Posted by ブクログ
現代の日本が直面しているさまざまな問題に対して、著者が解決の道筋をクリアに示した本です。
著者には、一問一答式でさまざまな問題に回答を示した『これが答えだ!』(朝日文庫)という本もありますが、本書はそれよりももうすこし説明がくわしく、とくにパーソンズやルーマン、ギデンスといった社会学者たちの考えを現実の問題にあてはめる著者の「手つき」を見て学ぶことができるという意味で、おもしろく読むことができました。
「生活世界」が自明視され、便利な「システム」を利用すると素朴に信じられていた時代が「モダン」(近代)であるとすれば、「システム」が生活世界の全域を覆ってしまい、社会の「底が抜けた」感覚がひろがるのが「ポストモダン」です。ポストモダンでは、人びとは共同体のくびきから解き放たれて、あらゆることが再帰的な自己決定の対象となります。正統化の危機に直面するポストモダンにおいても、社会がまわりつづけるためには「みんな」への「価値コミットメント」が必要です。そして、ミードとパーソンズに始まる現代社会学は、「如何にして「みんな」への「コミットメント」は可能か」という問いを追求してきたのだと著者は述べます。
そのうえで著者は、ロマン主義的な「生活世界」への回帰を唱える「馬鹿保守」を批判し、「システム」の全域化というポストモダンの現状を認めたうえで、「生活世界」を再構築することに向けての再帰的なコミットメントの必要性を主張し、「社会の自立」と「社会的包摂」が急務だと論じています。
Posted by ブクログ
著者の本は初めて。人間関係や教育、日本の社会や民主主義について章立てして著者の考えを述べています。
関心を惹かれる部分は多かったですが、まずは日本の民主主義について書かれた中での”民主主義の不可避性と不可能性”の部分が印象に残りました。
単語の概念が難しい(ここに限らず…)ですが、”民主的決定であれば正しいということはあり得ないし社会の複雑化に伴って益々あり得なくなる。かといって、一部のエリートに任せてもうまくいくわけでもない。そうなると民主的決定に任せるしかなくなる。” ”この状況を何とかするには、民主的なプロセスで「様子を見る」→そこでの社会学的啓蒙を通じて民主主義を社会的なものにしていく他ない” と。この後半部分は具体的にはイメージしにくいですが、別の個所でこうも述べています。
”社会には移ろいやすい庶民感覚や生活感覚をあてにしてはいけない領域があり、感情的反応から中立的な長い歴史の蓄積を参照できる専門家をあてにすべき領域が確実に存在し(例示で司法制度)、その領域を毀損すると庶民感覚や生活感覚に従う「市民政治」自体が疑念の対象になる。”
この辺りを読んでいて思い出したのは、トクヴィルが150年以上前に主張した民主主義に拙速さを求めるべきではないということ。恐らく日本でしばしば耳にする、”参議院廃止”や”政治にも企業なみの意思決定速度を”などは、個人的にはやはり少々危険な気がします。
他にも、国家(行政)は、”個人の自立”ではなく”社会の自立”を促すべきとの主張や、子育てに関する興味深い主張が展開されています。
Posted by ブクログ
「ポストモダンでは、第一に、社会の「底が抜けた」感覚(再帰性の主観的側面)せいで不安が覆い、第二に、誰が主体でどこに権威の源泉があるのか分からなくなって正統性の危機が生じます。不安も正統性の危機も、「俺たちに決めさせろ」という市民参加や民主主義への過剰要求を生みます。
不安や正統性危機を民主主義で埋め合わせるのは、体制側にも反体制側にも好都合です。体制側は危機に陥った正統性を補完でき(ると信じ)、反体制側は市民参加で権力を牽制でき(ると信じ)るからです。」
社会の底が抜けたポストモダンにおいて、関係性の学である社会学に何ができるのかはよく分からなかったけれど、立脚する大地のない思想は根付かないので、いつも上からか下からか眺めているだけなんじゃないかと思われる。
Posted by ブクログ
全体を5章に分けて、それぞれの分野での社会学的な知見を”躊躇せず”書き下ろした一冊です。
かなりディープな領域まで行ってて、門外漢な自分にはbeyond understandingな点ばかり。。。
日本における「社会的包摂」を高めるためには、地域の近接性を軸にした「みんな」への「価値コミットメント」が必要だというのが、一つの大きな主張であったように考えます。
自分の思う方向性といい具合に一致したのがちょっと感動でした。
同時に、まだまだ全然知らない世界があるんだなと痛感させられた一冊でもあったわけで、自分の学をどのように修めていくのかも大いに悩まされます。
Posted by ブクログ
頭いい人が書いているんだろうな。と思える。論旨はなるほど、と思うところと、そうかな?と思うところと半々。ものを考えるきっかけになるという点ではいい本。新たな視点を与えてくれる部分も多い。
Posted by ブクログ
社会システム論の観点から、重層的な日本の思考的再編を試みている。
「コミュニケーション」「教育」「幸福」「米国」「日本」の5つの章からなる構成。
面白かったのは第2章「教育」。
「ダメなものはダメだ」と言えることと、「本気を感染させられるすごい奴」の論考は興味深かった。
「『いじめたらいじめられる』なんて理屈で説得できると思うのはバカげています。
世の中、弱い者いじめだらけだし、それで得をしている大人がたくさんいるのですから。
そうじゃない。『いじめはしちゃいけないに決まってるだろ』と言う人が
どれだけ『感染』を引き起こせるかです。
スゴイ奴に接触し、『スゴイ奴はいじめなんかしない』と
『感染』できるような機会を、どれだけ体験できるか。
それだけが本質で、理屈は全て後からついてくるものです」(pp51-52)
本書の内容は決して平易ではない。
また語気も荒く、全肯定や全否定が並ぶ文章に些か違和感を覚える読者もいるかも。
ただ、著者はあえて相応の文意と難易度を設定して書いている、気がします。
事柄の理解は目的ではなく過程。その理解を下敷きに変えることが目的だから。かしら。
Posted by ブクログ
社会学者の宮台真司氏が、現在(2010年発行)の日本が抱える様々な問題について語った本。
何やら小難しくて訳が分からない部分も多々あったが、こんな風に色んな角度から日本について語れるその知識に圧倒された。
世界にも日本にも、どうにもならないような問題に満ち満ちている事があらためてわかった。
Posted by ブクログ
1.どの話が印象に残ったか?それはなぜか?
・関係の履歴からシーンの羅列へ(p27)
→人間関係をわかりやすく表現している
・重武装化に賛成してくれるなら謝罪は何回してもかまわない(p37)
→戦略あれば手段は選ばず
・人間はなぜか利他的な人間の「本気」に「感染」する(p52)
→感染させられる人間になりたい
・コミュニケーションの2重かによる疑心暗鬼(p59)
→ネット普及の功罪?
・早期教育に駆られる親は子供から見て「スゴイ奴」からほど遠い(p93)
→ 早期教育気になってましたが、やめます。
・完璧なゾーニングは「多様な者たちの共生」の原則に反する(p143)
→ お受験もゾーニング?
・大統領選挙は「分裂」と「再統合」の模擬再演(p157)
→ だからあの盛り上がりかと納得
・安全保障とは総合パッケージ(p180)
→ 国を俯瞰することが重要。国の危機は軍事的行動だけではない
・議院内閣制は2権分立(p183)
→ はっきり言ってもらえてこれまでの違和感解消
・誰かなんとかいってやれよ問題(p240)
→ 自分で考えることを教えられていない結果
・わかっているけど仕方ない(p274)
→日本人全体の悪い癖。自分も時々出てくる。
2.本から得た事をどう生かすか?
・若者論・教育論
子供の教育に活かしたい。子供から見て「スゴイ奴」と思われる親になるために「利他的」を実践。
たくさんのものを見せて経験させる。
3.突っ込みどころ
・全体的に、わざわざ難しい言葉を使ってないか?
Posted by ブクログ
平易に書かれている雰囲気なんだけど。。。分からない事は、調べることにして、いっそガイドブック的に。
2009年に書かれたもの。2012年が終わろうとしている現在でも、ここに書かれている日本の問題がさっぱり減っていないような気がして、少しさびしい。
現代の日本社会には、何かと問題がある、かどうかはわからないが、少なくとも、多くの人がそう認識している、ということは言える。そういう世の中で、学問の世界の人々は、どういう理論に基づいて、何を考えているのか。そんなことに興味を持ったら読んでみると良いかも知れない。
ただ、ある程度社会学などの素養が無いと、そもそも何を言っているのか分からない箇所があるかと思う。というか、僕はあまり良く分からないところがあった。逆に、分からない所や分からない言葉が出てきたら調べることにする、という方針でさえいれば、それはそれで役に立ちそうな予感がする。難しい言葉さえ気にならなければ、面白く読める、と思う。
という訳で、僕は取り敢えず、社会システム理論なるものや、再帰的近代化論というものがあり、何となく、これからは知っておいた方が良さそうなものだ、という程度の理解をした。本書に書かれた内容の適否については、語れるほどの知識が無い。もう少しキチンと「『この社会』を論じるための『評価の物差し』」を身につけた上で、考えてみられればと思う。
Posted by ブクログ
とにかく内容が難しい。
そして、言葉遣いが難しい。
でも、難しいからこそ、立ち止まって、意味を理解しようとゆっくり読めるのかもしれない。
おかげで、通読に時間がかかった。
Posted by ブクログ
宮台氏は2000年代に入りリアリズムになった。
90年代の自分探しの末、氏にシンクロして自殺してしまった若者の事件を機に変わった。
氏が生きる意味を考える事をやめたことで、自分も前に進む事ができたので感謝している。
Posted by ブクログ
最初の方に、「社会の底が抜けている」ことに気付いてしまうことが、「ポストモダン」という概念の肝であって、その理由が「郊外化」である。というような意味が書いてあった。
1980年生まれの私はもしかすると、「底が抜けた社会」しか知らないのかな?と思った。
また、「ダメなものはダメ」は「理屈」でなくて、「社会の中で人が生きる」ということを支える前提だ。
「本気で話したことは本気で聞かなくちゃいけないんだ」
こういった内容はすごく共感し、大学を卒業するまでは、そういう環境の中に自分はいた気がする。
しかし、社会人になって会社に所属してサラリーマンになったとたんに、そういう考えは通用しなくなった。矛盾を感じながらも「これが社会に出て稼ぐということだ。」と思って、ならばふかく考えずに楽しみながら仕事をしようと心がけてきた。
しかし会社はまさに、作者のいう「金の切れ目が縁の切れ目」だなと思った。
地方で育った人は、仕事を探して故郷を離れる人が多いけども、そのために、地方は過疎化して、コミュニティーが崩れてきている。
これはどう考えても悪循環で、私が関わっている地域づくりでは、地方に仕事をつくってに携わってい、地方に仕事を作ることが、根本的な解決策
私は江戸時代は脱藩禁止だったのが自由になったため、自然と過疎化になって、これは自由の為なら仕方ないことだ。と思っていたが、この本を読んで、そんな単純ではないことを理解した。
まだまだ理解出来ない内容ばかりだったが、とりあえず読み終わった。