宮台真司のレビュー一覧
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若者論や教育、安全保障、政治など様々な分野を横断して論じていて面白かった。他者に承認して欲しいけど自分は承認できない問題や、周りを感染させるようなレベルの高い人はどの人も利己的で公共に関心があるというのは、自分に自信があって周りのために頑張りたいとか思える人なのかなと思った。
そういう人になるには様々な経験値を積んだり、ガリ勉じゃなくて豊かな感情を学ぶことが大切というのも共感できた。
環境問題についても、温暖化懐疑論を、本当に温暖化が起こっているかは問題ではもうなくて、世界の流れが変わらないなら、それにのって先行者利益を取るべきというのは新しい学びだった。
また社会が変わるになる合理性を越えるための感情による感染力と、いいことをしないことが社会で生き残れないようになる仕組みづくりが必要というのも共感できた。 -
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システム世界の全域化と共同体の空洞化、その結果として孤独死や人間関係の希薄化といった問題が出てきた
合理的な判断と行動の積み重ねが、人間同士の関係性を根本的に変化させ、僕らの精神的安定性を失わせている
短期的な便益を享受するために意図的にシステムに依存する行為(自律的依存)が気がつけばシステムなしには生きられない他律的依存に頽落(たいらく)する
生活世界は維持にコストがかかる
システム世界の全域化が始まると、社会の変容は基本的に不可逆となる
生活世界の維持をみんなで図ろうとしても、必ず誰かが抜け駆けしてシステム世界の便益を享受しようとしてしまう
その誰かは、他の人々と違って生活世界にタダ乗りするだけで、維持に努力を払おうとしない
孤独に耐えられない弱い個人を包摂する役割を果たしてきた生活世界がシステム世界に置き換えられると、人間関係が流動的になり、われわれは入れ替え可能な不確かな存在となる
その結果、引き起こされるのが 感情の劣化 であり、排外主義の広がりやヘイトスピーチ、高齢者クレーマーの増加といった社会現象も同じ要因によって生じる
何が自分にとって良い社会なのか
人を助けるとリターンが返ってくるから助ける社会と、困った人にただ善意から手を差し伸べる社会
権力をベースにトップダウンで命令を下すのではなく、人々の信頼を得て共同体自治の確立を向けて人々をエンパワーするリーダー
利他的・倫理的で、周囲から こんな人になってみたい と憧れるリーダー -
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社会システムの変化に伴う、非人間性の浸透に対して、なぜそうなるか、何を意図してそうなってきたかを整理して、その上で懐古主義ではなく、これからどうするかについて、良質な問いかけを元に対話形式で進む本書は、学生、ビジネスパーソンだけでなく、すべての成人に読んでほしい書籍。事例は分かりやすく、マッチングアプリやマトリックス、アバター、鬼滅の刃なども事例に取り上げられている。
今通常のピラミッド組織におけるリーダーおよび今後のリーダー候補が、これからの社会のリーダー足り得ないことも描かれており、その立場にいる人も、その立場に関心が薄い、あるいは自分はその候補でないと思っている人も、目を通す価値のある本だと思う。 -
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久しぶりに集中して、本の後半は朝の3時から6時半で、一気に読み終えた。大学生までは、小説や哲学や社会学が好きだったこともあり、宮台さんの本は、当時のサブカル、援交などを全てまるっと大きく、社会学として、批評しているイメージがあったけど、難解な本は難解であった。
いつからか、私も、大学生までは最も嫌悪していたハック、ビジネス、自己啓発といった類の効率性重視かつ、心が貧しくなる本しか読まなくなった自分がいたが、そんな中、ビジネスと社会学が交わった本書は、適度なバランスで記述された本だと思う。
システム化と生活世界の軸をべースに、3段階の郊外化があったという話は納得できるストーリーだし、それぞれのキーワードである団地化、コンビニ化、ネット化は、今までも他の人の意見も踏まえ、論じられてきたデーマであり、腹落ちはする。
続 -
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リベラルアーツに重きを置くなど特徴あるカリキュラムで知られる経営大学院の至善館で、社会学者の宮台真司と経営学者の野田智義が行った講義を元にした論考。もともと開学時から社会学者の橋爪大三郎などが教鞭を取っているのは認識していたのだが、まさか宮台真司まで登壇していたとは知らなかった。そしてここでの議論は今の日本、そしてこれからの日本を考えていく上で超一級の思考の補助線を与えてくれると断言できるほど素晴らしかった。
本書は「既に社会の底が抜けているこの日本社会をどのように良き社会へと変えることができるか?」という問題意識からスタートする。孤独死、無敵の人、ヘイトスピーチなど、日本社会は経済は何とか回っていても社会の底はこのような問題だらけで既に底が抜けかけた状態に至っている。そのような事態が発生しているのは、単一の悪者がいるわけでもなく、各構成員が良かれと思って行動をするうちにその総和からなる社会全体は悪い方向に進んでいく、というシステム的な観点での問題である。本書は社会学におけるニコラス・ルーマンらの社会システム論を理論的支柱とし、具体的な問題の状況を日本と海外の比較を行いながら明らかにし、そして最終的に著者2人による解決の方向性が示されていく。
実際の講義をベースとしたものということもあり、通常の宮台真司の著作からすると遥かに平易であり分かりやすく、普通に語れば極めて複雑なってしまう本書のストーリーをここまで平易に示せた点も含めて、十分な読みごたえがあった。 -
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自分の拙い理解で、資本主義とは何か?と問われたら、全てをお金で換算する社会と答える。故に効率化を追求し、分業に分業を重ね、餅は餅屋とばかりに専門家に任せた。結果、自分の専門以外のことはとんと何もできない人ばかりになった。もちろん自分もその1人。それが本書で言われる「システム化」と理解している。
その世界の仕事はつまらない。自分は人事屋なので、間接部門のシェアド化などを見ていると強く思う。ただレンガを積んでいるか、みんなが幸せに集まる教会を作っているのか、それはその人の見方次第という寓話があるが、大抵の人にはやはりレンガ積みなのだ。しかも、その教会ができても、教会向けレンガ積みの専門家として次の教会が延々と待っているだけだ。終わるのは、ロボットが現れて仕事がなくなるときだけ。
本書の処方箋として、小規模のコミュニティを挙げているのは、資本論のコモンズや、宇沢弘文の社会的共通資本と同じものであるように認識した。 -
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野田智義は、非営利の独特な教育機関であるISL(Institute for Strategic Leadership)の創設者である。ISLは、大企業の経営幹部候補を対象に、リーダーを育てる教育を行う機関である。私はこれまでに、金井壽宏先生との共著である「リーダーシップの旅」という野田智義の著書を読んだことがあり、とても共感を覚えた記憶がある。ISLを母体に、2018年には大学院大学の至善館を開校されている。
宮台真司は有名な社会学者であるが、その至善館の特任教授として講義を受け持たれていて、本書「経営リーダーのための社会システム論 構造的問題と僕らの未来」は、その至善館での講義を著書にしたものである。
とても面白かった。社会学という学問を学んだことはないが、学んでみたくなるような書籍だった。
宮台真司と野田智義は、現代の日本社会を「社会の底が抜けている」状態であると認識している。それは、特定の大きな「悪者」がいるわけではないし、皆が悪い社会にしようと意図的に悪事を働いているわけではない。それは、社会システムの問題であり、構造的な問題である、と本書の中で主張しており、本書の大部分を使って、どんな状態なのか、その構造的な原因などを分析し語っている。
本書はISL・至善館での講義ノートなので、対象はリーダー候補の人たちだ。こういった状態の中で、あなた方は、リーダー候補としてどのように考え、どのようなアクションを起こしますか?というのが、講義の、本書の問いかけだ。
お二人が主張されていることの詳細の内容は本書に譲るが、とても漸進的で真っ当な内容であり、これらのリーダー候補の人たちが、それぞれの持ち場で本気で実践してくれると、世の中が良い方向に変わるきっかけになるかもしれないと感じた。 -
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2020/10/06社会学のレンジの広さ 神保哲生氏・宮台真司氏
社会学者哲学者の視点は大きい
経済学は科学の装いーその代償に矮小化
アダムスミスは道徳哲学者
道徳感情論 同感能力が社会構成人に備る
国富論 神の見えざる手
経済学には市場の外部性の前提がある
社会学では経済学の主流争いは無意味=前提の違いだけ
日本社会の問題 中枢が空 空気・天皇
→「公」の概念がない
既得権益のシフトができない 社会のダイナミズムない
政治力=ゲバルトが機能せず 行政官寮に大ボス不在
コロナ・デフレの「大問題」には対応不能
グローバリズムの中で、市場主義に対抗して
「社会的共通資本」宇沢弘文・岩井克人→今こそ!
特筆すべき章
北野一 賃金増→消費拡大→投資増加→経済拡大 非正規雇用は間違い
浜矩子 経済の担い手は民間 アベノミクスは破綻し、恐慌へ
小幡績 政治は国民国家「国体」→地元利益誘導 経済はグローバル「オリンピック」 -
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コカイン所持でピエール瀧が逮捕されたことは、残念だったし、衝撃だった。
罪は償わねばならないのはわかる。
だけど、所属している音楽ユニットの全音源の発売と配信を停止する必要まであるのか?
作った人が犯罪を犯したからといって、自分が好きな音楽を聴く権利を、なぜ奪われないとならないのか?全く理解できない。
SONYの措置には怒りしか感じない。
一年経った今でも、未だ解除されないことも非常に遺憾に思っている。
石野卓球が最近呟いている。
ー おいSONYよ。
さっさと俺や前科者と作った曲を解放しろよ。
ほんとだよ。
いくら原盤権があるからと言って、電気グルーヴやファンへの嫌がらせを続けるのは誰のためなんだ!
…という、疑問に答えてくれる本。
特に第3章がよい。
いろいろな意味でキレている宮台真司さんの文章は、難解なのでまだ全てを理解できていないけど、スリリングで心を抉られる。圧巻。
芸術論として、とても深いです。
特に「アートは人の心を傷つける目的のを目的とする」という言葉には深く感銘を受けた。
「アートの目的は、それを体験した以上は以前の日常に戻れなくさせることにある」という。
電気グルーヴの「ビタミン」というアルバムは、僕にとってそんなアートな音楽だった。出会った瞬間、心がヒリヒリして、ゾクゾクして、息が苦しくなって幸せになった。
以前の僕には戻れなくなった。
電気グルーヴの楽曲の販売や配信が早期に再開されることを強く希望します。 -
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本書はとても読みやすい。といって、内容が浅薄ということではない。宮台氏の鋭い舌鋒は本書でも健在だし、その裏付けとなる社会分析もいつもの重厚さを保っている。読みやすさは、専ら本書の言葉遣いが宮台氏の他の著書と比べて、平易であることに由来するのだろう。
ここでも宮台氏はあくまで「正論」を端的に、かつ論理的に述べている。
宮台氏は他の著書でも「社会の空洞化」を主張しておられる。本書は身近なトピックを扱っているだけに、社会の空洞化が「なぜ起きたのか」、そしてその結果「社会はどのように変化したのか」がより自分に近い次元で疑似体験できるのではないかと思う。ある時期を境に「ニート」と呼ばれる層が増加し、あるいは高学歴な人間が突飛な問題を起こして社会を賑わせたりしている。その理由(答え)も、本書を読めば理解できるだろう。
日本の政治家の「劣化」が著しい。もともと米国の支配下での政治しかできない政治環境下で、まともな政治家の醸成を期待することが無理なのではないかとさえ思えてくるが、現状を見れば米国の顔色だけを窺い、政治家が本来目を向けるべき国民(市民)を顧みることすらしなくなった。米国さえ文句を言わなければあとはやりたい放題――それが我が国の現状だ。そして、空気を読み、結果として自分たちの利益のためにのみ動く官僚どもがそれに続く。「人事権」という首根っこを押さえられている役人たちは、もはや思考停止に陥っている感さえある。
本書の中で、猿の命名にあたり「シャーロット」と名付けたことに端を発し、「勝手に」英国王室の意向を「忖度」したことについて書かれていた。それに対する英国王室の反応は、実に面白かった。ここでも宮台氏の説明は合理的である。「忖度」されて有頂天になり、恥の上塗りを続ける我が国の政治家たち。にもかかわらず、そうした莫迦をあがめる人たちが増えたこの社会は、本当に「生きづらい」。生きるのが辛くなったとき、改めて本書を読み返してみようと思う。 -
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ネタバレ難しいが、宮台氏の著作は正鵠を射ている。いくつか氏の著作は読んだけれども、読むたびにその意を強くする。
本作においては、モダンからポストモダンへの移ろいの中で、主に日本というドメスティックな社会がどのように変化したかが論ぜられ、またそうした社会への対応策としての処方箋も示される。時には欧米諸国などとの対比も交えながら論を進めるので、難解ではあるが、自身の経験や感覚に照らして首肯できる内容が多い。
宮台氏は本著の中で、「空洞化」というキーワードを繰り返し述べている。特に「システム」を利用して生きていると思っていた「我々(生活世界)」は、いつしかシステムの一部となり、その結果いつしか「我々(生活世界)」は、「システム」の生成物に過ぎない、との主張は鋭い。となると、氏の言に従えば、「スマート化社会」も素直に手放しでは喜べない。「スマート化テクノロジー」がもたらす便益は確かにあろうが、一方で我々はそれによって「選択」権を取り上げられてしまった。つまり、「我々(生活世界)」が「システム」に完全依存する形でしか生きられないことを意味している。よくよく考えると恐ろしい。
ポストモダン状況では、我々は「空洞化」し、全面的にシステムに依拠することとなる。そして、それをもたらしたのは、グローバル化、すなわち「資本の自由移動化」であると指摘する。
これは井沢氏が『日本史真髄』の中でも同様のことを述べていたが、日本人は「みんなで決めたことは正しい」という認識を持っている。本来多くの意見を集めれば、それは相対的に「間違っているはず」である確率は上がるはず(そして、その「間違う」前提を受け入れつつも、社会の多数意見を受け入れるのが民主主義の本義のはず)だが、多くの日本人はそうは考えない。そもそも「誰が優れた人間か」を判別することも難しいが、少なくとも現在日本の中枢にいる者たちの多くが「馬鹿丸出し」ばかりであることは自明であろう。宮台氏は、この日本の全体主義的民主制について、「デタラメな民主制」と称している。民主党政権への交代の期待、歓喜、そして絶望を経て、劣化した55年体制に逆戻りしたような今を見れば、そう言いたくもなる宮台氏の考えは、単なる理解を超えて心に響いてくる。
これまでの東浩紀氏の著作にあった「大きな物語」から「小さな物語」へ、といった主張と合わせて考えてみると、(とりわけ日本では)自立した共同体がなく、さらにはその共同体さえ空洞化し、社会を牽引するのは「我々」ではなく、ましてや「対米自立の道を完全放棄し、もはやその素振りさえ見せない」安倍政権などではあろうはずもなく、「システム」がその役割を担う。しかし、「自立性」を持たない日本人は、それでもなお国家やあるいはそれに準ずる巨大企業(例えば東電)に「依存」するしかない。
宮台氏が本著で語った内容には、いちいち首肯するしかないけれども、その日本で生きている「私」は、そのたびに同時に背筋が寒くなる思いにかられてしまう。宮台氏が示した「処方箋」は、デタラメな日本を正すことのできるベクトルを提示していると思うが、それは社会学的手法であるがゆえに、「私」個人ではどうにもならない諦観をともなってしまう。 -
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自分の感じていたことをきちんと説明してもらえたような気になる。私にとって社会学者や哲学者の本を読む意味は詰まるところそういうところにあるのだろう。
抽象的な思考や概念がどのような私的な体験プラス些細な出来事から生まれてきているのかを語っているので、非常にわかりやすく腑に落ちる。私自身、結婚して家を持とうとして土地を探し始めた時、余りに人工的な空間に息が詰まるような気持ちがして、結局ある程度ごちゃごちゃした一言で言えばいろんな人が住んでいる今の土地を選んだ。
それぞれの年齢や立場に応じて、土地に対する評価も変わってくることをお二人が自分の変化として語っており、人生のライフステージで、均質な空間が心地よい時期もあればそうで無いときもあり、ということ。
あえて、お二人が言葉にしていないことをここで書こうと思うのだが、子育ては何物にも変えがたい経験だということ。そしてそれを語ることの大切さ、。そういう表現は出てこないし、正面切ってそう語っているわけでは無いのだが、言葉の端端から、そしてお二人の思考が複線化していることから、それを伺い知ることができる。
子育ての有意義さについて語ればすぐ子供のいない人生を否定するのかという批判に晒されてしまうのだが、何も言えなくなってしまわずに自分の変化として子育てについてきちんと語っていくことは大切だと思う。それこそが少子化対策への第一歩だと思うのだが... -
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ネタバレ昭和・平成の流れは社会学的にどう捉えてられているのかを知ることのできる良い本だった。
特に自分たちの世代が客観的に指摘されることで、何が他の世代と違うのかという点について理解でき、また他の世代の方の考え方を知る指針ともなった。
また本の内容を踏まえ今のマネジメントのトレンドも社会学的な背景もあるんだろうと感じた。
法の奴隷とならざるを得なく、偽りの自分を演じるようになったときに、偽らなくても良い「1人の時間」が大切となる。
そのため「会社の飲み会にいきたくない」というようなことが起こり得るんだろう。
本当の自分を出せる場が必要であり、その場を構築するための手法として1on1がトレンドになっている。
逆説的にいえば1on1でも「偽りの自分」を演じる必要があるのであれば意味がなく、弱みもさらけ出せるような場にする必要があるのだろう。