宮台真司のレビュー一覧
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感情と論理は、対になる概念なのだろうか。
「感情的にならず論理的になれ」とか。「お前は理屈っぽい人間だから人の感情が理解できないんだ」とか(これはあまりにも暴論か)。
感情と論理を対概念として、オルタナティブの様に扱う人は多い。
しかし、本書はそれを否定する。感情は論理を規程しうる、ということからもわかるように、感情と論理は「あちらが立てばこちらが立たぬ」式の二者択一ではない。
宮台によれば、いわゆる「ネトウヨ」や「ブサヨ」が台頭している背景にあるのは、「感情の劣化」だ。
知性とは態度であり、したがって論理的思考力などの知的能力によって規程される類のモノではない。問題はむしろ思考を方向づける感情にある、というのは頷ける話だ。
ネトウヨの言っていることに全く理がないわけではない、という(少なくともネトウヨを研究した身としての)肌感覚は、それをよく示している。彼らに理がないわけではない。それが劣化した感情に基づいている=知性的な態度ではないことこそが問題なのだ。 -
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3人の社会学者が、中国とは何か、近代中国と毛沢東、日中歴史問題、中国と日本のこれからの4テーマを語り合う。興味深い切り口をテーマとしているので、中国の入門書としてよい。
古代に鉄が登場すると、農業の生産力が向上し、農民が武装して対抗できるようになったため、貴族が没落して春秋戦国時代になった(マクニール「戦争の世界史」)。春秋戦国時代には、諸子百家が生まれて様々な政策的選択肢を提供した。秦は法家を採って儒家を退けたが短命で終わった。漢は儒家を採って法家を隠し味にした。唐は儒教を相対化するために仏教と道教も採り入れた。宋は儒教に純化した。法家には、税金を払わなければ罰するという論理しかない。儒家は、税金を払うことが道徳的で人間らしいことだという哲学や道徳を備えている。儒家は、ローカルな血縁集団から政府の官僚機構によじ登るパイプを用意しており、能力のある者は政府に加わることができる。儒教のテキストである四書五経(十三経)は、昔の政治家である聖人の記録。中国には統治権を授与する天があるだけで、過去の正統な政権に類似していることを示す必要があるため、過去志向になる。
イスラムにはコーラン、インドにはヴェーダ聖典、中国には経典(四書五経)があり、思想や行動規範が書かれているため、近代化に時間がかかる。日本にはそのようなテキストがないため、西欧の制度を受け入れるのに抵抗が少なかった。
満州事変の際、アメリカの中国に対する政策は門戸開放だった。満州の鉄道事業を共同で行おうという鉄道王ハリマンの提案を、日本の陸軍が反対したことが門戸開放政策に対する拒否回答と受け取られ、日米戦争の遠因になった。日華事変は偶発的に起こったものだったが、日本政府は中国からの満州国への抗日分子の侵入を防ぐための華北分離工作として位置づけた。その直前の国共合作によって構築されていた抗日戦線は、上海に駐屯する日本海軍を攻撃したため、日本は大軍を送って上海を占領した。日本軍は、敗走する中国軍を追って首都南京をはじめとした各都市を制圧し、侵攻は中国全土に及んだため、内外への申し開きのために近衛内閣が持ち出したのが「東亜新秩序の建設」だった。 -
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現代の日本が直面しているさまざまな問題に対して、著者が解決の道筋をクリアに示した本です。
著者には、一問一答式でさまざまな問題に回答を示した『これが答えだ!』(朝日文庫)という本もありますが、本書はそれよりももうすこし説明がくわしく、とくにパーソンズやルーマン、ギデンスといった社会学者たちの考えを現実の問題にあてはめる著者の「手つき」を見て学ぶことができるという意味で、おもしろく読むことができました。
「生活世界」が自明視され、便利な「システム」を利用すると素朴に信じられていた時代が「モダン」(近代)であるとすれば、「システム」が生活世界の全域を覆ってしまい、社会の「底が抜けた」感覚がひろがるのが「ポストモダン」です。ポストモダンでは、人びとは共同体のくびきから解き放たれて、あらゆることが再帰的な自己決定の対象となります。正統化の危機に直面するポストモダンにおいても、社会がまわりつづけるためには「みんな」への「価値コミットメント」が必要です。そして、ミードとパーソンズに始まる現代社会学は、「如何にして「みんな」への「コミットメント」は可能か」という問いを追求してきたのだと著者は述べます。
そのうえで著者は、ロマン主義的な「生活世界」への回帰を唱える「馬鹿保守」を批判し、「システム」の全域化というポストモダンの現状を認めたうえで、「生活世界」を再構築することに向けての再帰的なコミットメントの必要性を主張し、「社会の自立」と「社会的包摂」が急務だと論じています。 -
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腑に落ちたところも、「?」のところもあったけれど、総じて面白かった。
第一部は、中国が何をアイデンティティにして成り立つ国家なのかという話。
儒教や漢字が大きく作用していて、それは軽く民族や王朝といった枠組みを越えてしまうとのことだった。
第二部は毛沢東の「権力」とはどのようなものだったかの話。
フーコーなどの社会理論が当てはまる部分、当てはまらない部分が列挙されていた。
こういうところが「反知性」の立場の人からは、知的遊戯というか、まだるっこしく見えるんだろうなあ、と思う。
ただ、私は理論を使いこなすというのは、こういうことなのかなあ、とむしろ好意的に読んだ。
第三部は歴史問題をどう考えるべきかについて。
責任の所在への認識があいまいなところが原因となって、謝罪の仕方もただ謝るだけになってしまっているとのこと。
それはそうなんだろうけれど、宮台さんがいうように、東京裁判の虚構を踏襲するということが、今の日本人にとって実際にできるのかどうか。
第四部は日中関係のこれから。
日本は米中関係の付属物になる、という認識は私もよく理解できる。
だからこそ、戦略的に立ち回らなくては、ということも。
中国の問題を合わせ鏡に、日本の様々な問題が照射されていた点が面白い。 -
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2009年出版。
社会学者の宮台真司氏と当時民主党議員の福山哲郎氏の対談本。
ちょうど自民党政権から民主党政権になったときの話だから、まだ民主党が隆盛な時期。当時は自民党が負けて民主党になるのは自明のことだったが、今思うと民主党よ・・・という感は否めない。しかしこの本に書いてあったように、民主党は政策はいろいろ考えていたかもしれないが、政治過程についてやはりまだ未熟だったと言わざるをえない。しかしそれは与党にならない限りどうしようもないのだが。
また、野党はマニフェストで勝負をして、与党は実績で勝負するというのは確かにと思った。メディアは各党のマニフェストを比較したりするが、与党はマニフェストがあるなら、じゃあやれよって話になるから(笑)
自民、民主どうこうもあるけど、やっぱ日本の空気感というか、メディア含め民度が低いというか、今まで自民党政権の間に政治家に丸投げしていたのは、大いに反省したほうがよいと思った。
福山氏が言っていたが、当時の民主党議員は何気ない生活の中で接する人たちに称揚されていたというのは少し驚いた。当時の自分がそんなに民主党に期待感を持っていたわけではなかったから。今では民主党議員は、民主党というだけでかなりディスられたりもしているけど、その中でもできる議員さんは苦境を超克してほしいと思っています。
あと、やっぱり小沢一郎は政治過程や選挙に関しては強いし、原発再稼働を唱えている人は超保守的だし、この本読んでると、クリーンエネルギーにはさまざまな可能性があるのではないかと思えてきた。
本の内容としては、要所要所単語がわからなかったりで、もっと色々知識をつけたいなと思った。 -
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いろいろと「おどろき」ました。
中国は3回旅行しましたが、その時に感じた疑問のいくつかが解決しました。
2013年2月に出版されていますが、台湾問題なんかは、橋爪先生の予言通りに推移してますね。
本書で触れられる日中関係等の近代史の解釈は納得できない人もいるでしょうが、
それ以外の中国についての話は誰しも一読の価値ありです。
巷に溢れる中国評は、現在の利害だけを強調し、危機を煽るようなものばかりで辟易します。
中国は反日教育をしてる、と言う。
なら日本の教育はどうか。日本史を選択したら、世界史は選択しない…というのは常識ですしね。
そのような論法に欠けているのは、現在を歴史の流れの中で捉える視点と、相手の立場に立って物事を捉える視点です。
目先の利害に思考が居着いてしまっては、国益などは考え及ばなくなってしまうでしょう。 -
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ネタバレ著者の本は初めて。人間関係や教育、日本の社会や民主主義について章立てして著者の考えを述べています。
関心を惹かれる部分は多かったですが、まずは日本の民主主義について書かれた中での”民主主義の不可避性と不可能性”の部分が印象に残りました。
単語の概念が難しい(ここに限らず…)ですが、”民主的決定であれば正しいということはあり得ないし社会の複雑化に伴って益々あり得なくなる。かといって、一部のエリートに任せてもうまくいくわけでもない。そうなると民主的決定に任せるしかなくなる。” ”この状況を何とかするには、民主的なプロセスで「様子を見る」→そこでの社会学的啓蒙を通じて民主主義を社会的なものにしていく他ない” と。この後半部分は具体的にはイメージしにくいですが、別の個所でこうも述べています。
”社会には移ろいやすい庶民感覚や生活感覚をあてにしてはいけない領域があり、感情的反応から中立的な長い歴史の蓄積を参照できる専門家をあてにすべき領域が確実に存在し(例示で司法制度)、その領域を毀損すると庶民感覚や生活感覚に従う「市民政治」自体が疑念の対象になる。”
この辺りを読んでいて思い出したのは、トクヴィルが150年以上前に主張した民主主義に拙速さを求めるべきではないということ。恐らく日本でしばしば耳にする、”参議院廃止”や”政治にも企業なみの意思決定速度を”などは、個人的にはやはり少々危険な気がします。
他にも、国家(行政)は、”個人の自立”ではなく”社会の自立”を促すべきとの主張や、子育てに関する興味深い主張が展開されています。 -
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「ポストモダンでは、第一に、社会の「底が抜けた」感覚(再帰性の主観的側面)せいで不安が覆い、第二に、誰が主体でどこに権威の源泉があるのか分からなくなって正統性の危機が生じます。不安も正統性の危機も、「俺たちに決めさせろ」という市民参加や民主主義への過剰要求を生みます。
不安や正統性危機を民主主義で埋め合わせるのは、体制側にも反体制側にも好都合です。体制側は危機に陥った正統性を補完でき(ると信じ)、反体制側は市民参加で権力を牽制でき(ると信じ)るからです。」
社会の底が抜けたポストモダンにおいて、関係性の学である社会学に何ができるのかはよく分からなかったけれど、立脚する大地のない思想は根付かないので、いつも上からか下からか眺めているだけなんじゃないかと思われる。 -
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13年前に中国に1年ほど留学したときの感想は、
「なんなんだ、この国は!」
本書でも紹介されている小室直樹先生の『中国原論』でその“特異さ”はある程度予習したつもりだったが、実際見て体験した国はまさに驚きの連続だった。
本書は3人の社会学者の鼎談で、中国なるものの原理、日中の近代化の近代社会学的な考察、日中の歴史問題、そして今後日本が取るべき針路などについて語っている。
国家や国民と行った欧米のフレームにはおさまらない国、カリスマ毛沢東は現代の皇帝、「改革開放こそ文革の最終的な仕上げ」などなど、「おどろき」の理由がだいぶ明らかになった。
歴史問題も含め、「日本は米中関係の付随物にすぎない(p339)」ことを認識し(ちょっと残念だが)、覇権をうかがう中国をしっかり理解することが今の日本人の務めだと思った。 -
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ネタバレ全体を5章に分けて、それぞれの分野での社会学的な知見を”躊躇せず”書き下ろした一冊です。
かなりディープな領域まで行ってて、門外漢な自分にはbeyond understandingな点ばかり。。。
日本における「社会的包摂」を高めるためには、地域の近接性を軸にした「みんな」への「価値コミットメント」が必要だというのが、一つの大きな主張であったように考えます。
自分の思う方向性といい具合に一致したのがちょっと感動でした。
同時に、まだまだ全然知らない世界があるんだなと痛感させられた一冊でもあったわけで、自分の学をどのように修めていくのかも大いに悩まされます。