あらすじ
日本で一番、不適切な社会学者、あの”宮台真司”が帰ってきた!
当時の文章に、当事者座談会、若手社会学者による批判、作家の鈴木涼美さん・社会学者の上野千鶴子さんとの鼎談、さらに宮台真司が大幅に加筆 修正し、書下ろしを多数加えた『制服少女たちの選択』復刻・増補新版。
彼が誰に向けて、何を語り、何を語らなかったか。あの時、私たちは何を選び、何を選ばなかったか。いま、私たちは何を選ぼうとし、何を選び損ねているのか、あらためて、世に問いかけます。
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
結局、どんだけ研究したところで、体を売ることができる感覚はわからないなーーー
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P179
それが何度塗り替えされ、一部訂正されたり補足されたり、時には否定されたとしても、超ベリーバッドという以外に言葉を持たなかった私たちには、自分らの気分、「傷つけられた」とか「自分で傷つけている」とかいう言葉では言い表された気にちゃんちゃらならない当時の「問題のない気分」を言語化してくれる大人が必要だった。そして私たちの気分は絶好調でも、どこかにありそうな、私たちの傷とは限らない問題を言い当てるヒントが必要だった。時代にも、私たちにも、男にも大人にも問題はあった。それを女子高生の性的逸脱の問題! と
して語ろうとするオジサン・オバサンたちに、あのアユのユーロミックスCDとおニャン子の狭間にいた私たちの、絶望的にこのままでいいやと思える気分は一生わからないだろう。
P287
うーん、まず最初からセックスが好きじゃなかったんです。というかなげやりだったというか。彼氏とつきあうイコールセックスをすることで、そういう雰囲気になると私がちょっと引いちゃってたんですよね。そんな状況で、セックスがお金になるというのを認識しちゃったから、どうせやるならお金がほしいな、と。
なるほど。セックスがつまらないから、どうせするならって、よく聞く話だよね。
ダメージはありましたね。でも男の人は全然気づいてなかったんじゃないかな。逆に金やって物やって気持ちよくしてやって喜ばせてると勘違いしてたかも(笑)。
大人の男の人と話していると、どんどん大人に対する幻想や憧れが崩れていって、それに伴って自分の未来も明確でなくなっていきました。奥さんも子どももいて、愛しているって話している人が、最終的には私とやるんですよ。大人に裏切られたという思いはすごくあった。でも逆にそういう大人を試しているという気持ちもあったんだけど、どこかで信じていたかったんでしょうね。
そうなんだね。でもさ、ダメージを受けてまで続けた理由って何なの?
お金で自信のない自分に価値を見つけていたのかな。だから実は、売る方の心理も、買う方の援交オヤジの心理と変わらないですよね。モテないけどお金のある男が女の子を買って喜ぶように、私にはその金額をもらう価値があるんだと思えることに喜びがあった。
私が思う、一番の援交の弊害というのは、身分不相応のお金を得ることができた、ということなんです。何が好きか、ということを考える前に、いろんなものが手に入ってしまい、好きなものを見つける前に大人になってしまった。例えばこの本を中学生や高校生が欲しいと思ったときに、さんざん悩んでお小遣いの中から痛みを伴いながら買ったのなら、隅から隅まで、何度も何度も読むと思うんですが、余裕のあるお金で買った本だったら、ろくに読みもしないで、もしかしたら一度も開かないで、そのへんにほったらかしちゃうかもしれない。それこそ、ブルーハーツのCDを毎晩聞いたように、さんざ悩んで買ったラルフ・ローレンの靴下を大切に履いたように、ピーコートとダッフルコートどっちが似合うか悩んだように、若い頃に、何が好きかを考えずに日々が過ぎていってしまうことは大人になったときにつらくなると思います。大人になってから好きなものがない、何が好きなのかわからない、というのはつらいことですよね。
P271
ここで強調しておきたいのは、彼女たちが「真実」にめざめてしまったがゆえに迷いはじめたのだと考えてはいけないということだ。彼女たちの世界把握の形式がまちがっていて、わたそうたいしの世界形式が正しいというふうには、すこしも思えない。そうではなくて、世界把握の形式がたかだか相対的なものにすぎないことを突きつけられて、とたんに自分がどこにいるのかが問題になって不安になる――だいたいそんなことが起こっているのだと思う。抽象的にいえば、自分が「ある選択をしていた」ことがはじめて意識され、偶発性の領野に導きだされてしまう、といったようなことだ。言いたいのは、こうだ。ここ一年で一〇〇人をこえる女の子たちをインタビューしてきた経験から断言できるが、不特定の男を相手にパンツを売ったりエッチなモデルになったり性交渉をもったりするといったふるまいが、「いいこと」なのか「悪いこと」なのかについてどのように言ったところで、「価値判断」はけっして伝達されず、せいぜい親の真剣さが彼女たちの同情を呼び起こすだけだ。しかし、伝達できるのが、安全と危険についての「事実判断」だけなのかというと、そうは思わない。それよりももっと重要な「選択可能性」こそが伝達可能なのではないか。
不特定の男を相手に、パンツを売ったりエッチなモデルになったりテレクラで出会って肉体を売ったりするふるまいによって、確実にもたらされるもの――それは「感覚の変容」である。もちろん金銭感覚も変化するが、言いたいのはそれではない。具体的にいえば、「男なんてみんな同じじゃん」とか「どうせ男はエッチしか考えてないじゃん」とか「結局バカじゃん」といった具合に、相手を入れ替え可能な存在としてナメきる作法が自然なものであるような感覚へとうながされていくことだ。男が一般に「ナメきるに値する存在」なのかどうかはどうでもいいことだ。それはそうだとも言えるし、そうでないとも言えるような問題にすぎない。それよりも、こうして身についた感覚のなかでは、男にたいしてロマンチックな幻想をもつことが困難になっていくという「事実」だけが問題である。
Posted by ブクログ
30年前になるのかと思うのと、それを今改めて完全版として再び世に登場させた事が感慨深いというか、やるせないと言うか、複雑な気持ちになる。
しかしお金の為だったり、自分を満たす為に援助交際をしていた女子高生達が、その後不幸な境遇になっている子が多いと言うのも、悲しい話。
プルセラショップがあるからとか、女子高生と大人をつなげるアプリやサービスがあるから、援助交際が広がったという意見は、まあ普通だと思うが、あるからやってしまったという彼女たちはどうなのか、またなかったとしたら彼女たちはどうだったかとかも大きな問題だし、買う大人の側についてももっと深掘りしてほしい。