宮台真司のレビュー一覧
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後輩たちの「2カ月遅れ就活開始日」記念。
本書は「就活本のバカヤロー!」と、就活マニュアルを批判しつつも、本書自体が一種の就活マニュアルの様相を呈しているのが否めない。
「『最適の仕事』なんてない」
「そもそも仕事は実現の最良の方法ではない」
「『絶対内定』式の自己発見の方法は表層的には役に立たない」等々語られている割に、
「常に人生の最終目標を思い出せ!」なんて書いてあったりする。
大抵の学生は「人生の最終目標」なんてものを持っていないし、それを見つけようと「自己分析(笑)」に走る人が多いのが現状なのでは?
むしろこの発想は「絶対内定」に近いような?
「中小企業を狙え」という本書の主張は他の就活本にも書いてあったりするけれど、日々新聞で「不祥事を起こしたり巨額損失を出しても、巨大企業なら潰れない」という現実を目の当たりにされればそりゃ大企業を目指したくもなるわな。
***
とはいえ共感できた部分もちらほら。
「最近の若者は、『摂氏25度から30度の間では極めて高性能に作動するが、それ以外の温度では使い物にならなくなる』というように、作業限界がとても狭くなっている」
「コミュニケーション能力は文脈をコントロールする力を含む。たとえば『自殺したい』と友人から打ち明けられた場合、真っ向から「生きていれば良いこともある」という類の表層的な発言をすると相手を余計に死に追いやることになる。「お前が死んだら俺は悲しい」というような言葉がリアリティを持つほど信頼関係が築かれていないのなら、「とりあえず腹減ってない?何か食べてから話そう」と文脈をずらす能力が必要になる」
「学問の学問性は、対象によってではなく、方法によって決まる(故・小室直樹氏の言葉)」 -
Posted by ブクログ
これまで日本社会が原発にべったりと依存してきた理由は、行政官僚の暴走を政治家が止められないという<悪い共同体>の<悪い心の習慣>にある。それは、負けると知りながら、 軍部がアジア・太平洋戦争へと突っ走っていったのを誰も止められなかったのと全く同じ構造をしている。原発や六ヶ所村の再処理工場は、「現代の戦艦大和」のごときものだ。
奇妙なことに、日本においては、脱原発や自然エネルギー推進を唱えることが左翼イデオロギーと結びついて捉えられる。けれども、原発をやめられないという病理は、<原子力ムラ>と<電力幕藩体制>、そして<霞が関文学>=「フィクションと現実を繋いでいく言葉のアクロバット」によって紡ぎ出されたものにすぎない。原発は、技術的に不合理である以前に、社会的・経済的に不合理な存在なのだ、というのが本書の主張である。
こういう対談形式の本は、さながらテレビの討論会を聞いているような臨場感があって読み易いのだが、体系的な知識を得て理論武装するためには使えないという欠点がある。飯田哲也氏の本をもっと読んでみようと思った。
ともかく、日本の政策的知性は
いったい、これが世界でもっとも進んだ先進国で民主主義の国だと信じられてきた日本で、チェルノブイリ事故から25年も経た21世紀にもなって、今、起きている現実なのだろうか。これは、フクシマ後に出現した「知の焼け跡」と表現せざるを得ない。(「あとがき」)
というほど情けない状態であることは分かった。しかし、それでもなぜか均衡を保っているのが日本社会の不可解なところだ。 -
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ネタバレインターン採用のための面接をしていてショックを受けたことが本
書を読むきっかけでした。何にショックを受けたかと言えば、自分
を押し殺し、企業社会の価値観に過剰適応しようとしている学生達
の姿にであり、また、そのように仕向けている就活本や就活セミナ
ー、はたまた企業人事部のあり方にでした。
企業が求めているのは自社の業績に貢献してくれるであろう人材で
す。それは昔も今も変わらない。しかし、バブル崩壊後長引く経済
の停滞とグローバル化の進展の中で、企業が求める人材像は変化し
てきています。本書ではそれを「『適応』から『適応力』へ」とい
う言葉で表現していますが、今の組織や業務に適応できることはも
とより、どんな状況になってもやっていけるタフネスさと柔軟性を
併せ持つことが求められるようになっているのです。大企業ですら
安泰でなくなったこの20年間を踏まえれば、それも当然でしょう。
一方で、学生の側には「仕事を通じた自己実現願望」と、自分にふ
さわしい仕事がどこかにあるはずだという「適職幻想」が広がって
います。その背景には、OB・OGとの人間関係をベースにした就職
活動から、大学の就職課と就職支援企業のサポートを前提とした就
職活動へのシフトがあると著者は指摘します。就職支援企業の提供
する膨大な選択肢を前にして、自分にふさわしい職場、自己実現で
きる職場はどこかと学生達は悩み、就活本や就活セミナーで教えら
れる安易な自己発見、適職発見の手法に洗脳され、自意識を肥大化
させるか、自分を見失うかのどちらかに陥っているのです。
企業は「適応力」を求めているのに、就活本や就活セミナーの言う
ことを真に受けて「過剰適応」した「適応力のない」学生ばかりが
増えていくという逆説。ここには深刻なミスマッチがありますし、
企業の側も学生の側も、こんなことをやっていたらどんどんダメに
なっていくのではないかとそら恐ろしくなります。
ではどうすればいいのか。
学生の側に求められるのは、今の企業社会の価値観に振り回される
ことなく、「ひとかどの人物」になるための経験をできるだけ多く
積むことだと著者は言います。そして、企業の側に求められるのは、
企業の都合ではなく、人材育成に必要な大学の都合を最優先に採用
活動をすること。さらに、子どもが「ひとかどの人物」になるため
に、親や教員が自らの生き方を見直すことも必要になります。「あ
さましい人間は必ずあさましい人間を育てる」からです。
結局、著者が説こうとしているのは、日本人はどうすれば幸せに生
きられるのか、ということです。キーワードは〈引き受けて考える〉
〈知識を尊重する〉〈善いことをして儲ける〉〈共同体自治で自立
する〉〈幸福と尊厳を追求する〉。詳しくは本書に譲りますが、そ
れぞれ今の日本社会のあり方に対するアンチテーゼです。これらを
前提とした生き方が、個人にも、企業にも求められていく。そうい
う「構え」で就活に臨むべきである。そう著者は主張します。
就活論の名を借りた日本社会論ですから、就活中の学生さんが読ん
でも途方に暮れるだけかもしれません。むしろ、お子さんをお持ち
の方や企業の採用担当者、CSR担当者、経営者にとって刺激的な一
冊となることでしょう。是非、読んでみてください。
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▽ 心に残った文章達(本書からの引用文)
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「人間関係を台無しにせずに異論を述べる能力」の前提にもなる、
今日最も重大なコミュニケーション能力、それは「相手を理解する
能力」であると断言できます。
これは「相手に同調する能力」でも「相手に迎合する能力」でもあ
りません。むしろ同調や迎合は相手を理解しなくてもできる。とい
うか相手を理解せずにやり過ごすための作法だと言えるほどです。
自己発見シートを埋めて「自分はこういう人間だから、こういう会
社でこういう仕事をして自己実現したい」という就活はナンセンス。
「こういう会社」も「こういう仕事」も随時変わり得ると腹を括る
べきなのです。
「仕事で自己実現する」という考え方自体に問題があります。仕事
で自己実現できる人も稀にいますが、仕事での自己実現は現実には
極めて困難だし、自己実現は必ずしも仕事を通じて果たすべきもの
でもないからです。
70年代には、一方で、「成長の限界=環境の限界+資源の限界」が
露になる動きがあり、他方で、「福祉の限界=財政破綻+共同体空
洞化」が露になる動きがありました。これに対応して、80年代、先
進各国で共同体自立化運動が同時多発します。
これらの運動の共通性は、共同体が、市場に依存しすぎても、国家
(行政官僚制)に依存しすぎても危ないとして、市場や国家からの、
共同体の相対的な自立を目指すところにありました。
言いたいのは「仕事での自己実現」を求めても、まじめにこつこつ
働いても、報われる可能性が低いという事実です。
そんな可能性の低いことに賭けるよりも、勤め先が倒産したり売上
げ減で給料が下ったりして仕事で不本意な目に遭っても、承認から
見放されず尊厳(自己価値)を手放さなくて済むような関係性を―
―つまりは本拠地を――仕事以外の場で構築維持するほうが合理的
です。
難しい言葉で言えば、市場と共同体は両立します。というか、市場
での過酷な戦いでの勝利は、共同体の絆抜きにあり得ない。
高々22年プラスアルファしか生きていない学生に――10年前まで
ランドセルを背負っていた者に――自分のことなど分かるはずもあ
りません。それなのに「自分にはこういう仕事が向いている」なん
て言われても、「自分の何を知ってるっていうんだ」という思いで
す。
この間、東大病院の霊安室で一晩過ごした時、病院の関係者に、こ
の病院で死を迎えた人のうち何割が、葬式を出してもらえずに葬ら
れるのかを尋ねました。何と三割以上です。
村八分という言葉があります。村の誰もが縁を切るとしても、葬式
と火事の時だけは、ちゃんと助けてやるという意味です。つまり、
最低限の尊厳だけは共同体が維持してあげるということです。とこ
ろが、その最後の二分がとうの昔になくなったのです。
「仕事での自己実現」という固定観念は危険です。むしろ仕事がど
うあろうが自分が自分でいられることが大切です。
今の日本は、地域であれ家族であれ、共同体が空洞化しています。
共同体の空洞化を解決するには、何よりも就業時間を短くすること
です。子育てにせよ、介護にせよ、ボランティア活動にせよ、NPO
活動にせよ、就業時間が長すぎれば十分にはできません。
日本社会のデタラメは続くでしょう。
このデタラメに巻き込まれていたら、皆さんに将来はありません。
デタラメに巻き込まれないためには〈引き受けて考える〉〈知識を
尊重する〉〈善いことをして儲ける〉〈共同体自治で自立する〉
〈幸福と尊厳を追求する〉といった価値セットの死守が必要です。
これからの企業人や職業人はこうした共同体空洞化の歴史に無頓着
であるわけには行きません。先に〈善いことをすると儲かる社会〉
が大切だと言いました。善いことをして儲けましょう。善いことの
主軸は、共同体空洞化を食い止め、相互扶助を再生することです。
僕は最近、就職支援委員会の席だけでなく、企業へのアドバイスを
含めたあらゆる機会に「人々のニーズに応じてはいけない。ニーズ
に応じるとマーケットの民度がますます下がる。価値を訴えて新し
いニーズを作り出せ」と訴えています。
企業の都合に大学が適応して悪循環の輪を回すのは愚昧です。優秀
な人材を社会的に輩出するために必要な大学の都合に、企業が適応
すべきです。
就職活動が大変なのは、労働市場の状況が悪いからではなく、たい
ていの大学生が大企業を狙うからです。
内定を取りまくるタイプには共通性があります。まず、自分にコレ
が向いているとかアレがやりたいなどと言わず、自分はなんでもや
れますという構えであること。次に、実際自分はなんでもやってき
ました、と実績を示せるということ。
一口で言えば「実績に裏打ちされたタフネスと柔軟さ」に尽きます。
どうすれば内定を取れる学生になれるのかという問いと、どうすれ
ばモテル人間になれるのかとう問いへの答えは、似ています。「ひ
とかどの人物」になれば良い。
「ひとかどの人物」は、自信があるから過剰適応しません。同じ理
由で「ひとかどの人物」は、変化する環境への適応を「仮の姿」と
してこなす。間違っても、自分を改造してまで適応しようとはしま
せん。
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●[2]編集後記
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我が家に新しい命がやってきて、一週間が過ぎました。出産から
は10日。無事に出生届けも出し、ほっと一息ついたところです。
この10日間、お産に立ち会った時の記憶を反芻してきました。お
産はとても美しい行為でした。陣痛に歪む妻の顔には苦しんでい
るのか恍惚としているのかちょっと判別しがたいような不思議な
美しさがありましたし、生まれた瞬間の赤ちゃんの体も光り輝い
ていました。二人ともに崇高な美しさに満ちていました。
小さな産道を通り抜けるために、自ら頭を変形させたり、身体を
回転させたりする胎児。それに合わせて開いていく母体。人間の
身体というものは、とてもダイナミックなデザインになっている
のだということを実感し、身体観も変わりました。
息子は、臍帯(臍の緒)が首と身体に巻き付いたまま出てきまし
た。途中で進めなくなり、苦しそうだったため、最後は押して出
すようなちょっと無理なことをしました。でも、産後にフォロー
してくれた助産師さんによると、本当は臍帯が巻き付いていても、
赤ちゃんはそれをゆっくりと自分でほどいて出てこれるのだそう
です。これには驚きました。
生命というのはたいがいのことに自ら対応できる力を持っている
のですね。だから、時間はかかるかもしれないけれど、外から介
入して技術的に解決する前に、自分で解決することを信じて待っ
てあげる。そういう生命の力に対する信頼を取り戻すことが、今、
一番大切なことなのかもしれません。 -
Posted by ブクログ
最初の方に、「社会の底が抜けている」ことに気付いてしまうことが、「ポストモダン」という概念の肝であって、その理由が「郊外化」である。というような意味が書いてあった。
1980年生まれの私はもしかすると、「底が抜けた社会」しか知らないのかな?と思った。
また、「ダメなものはダメ」は「理屈」でなくて、「社会の中で人が生きる」ということを支える前提だ。
「本気で話したことは本気で聞かなくちゃいけないんだ」
こういった内容はすごく共感し、大学を卒業するまでは、そういう環境の中に自分はいた気がする。
しかし、社会人になって会社に所属してサラリーマンになったとたんに、そういう考えは通用しなくなった。矛盾を感じながらも「これが社会に出て稼ぐということだ。」と思って、ならばふかく考えずに楽しみながら仕事をしようと心がけてきた。
しかし会社はまさに、作者のいう「金の切れ目が縁の切れ目」だなと思った。
地方で育った人は、仕事を探して故郷を離れる人が多いけども、そのために、地方は過疎化して、コミュニティーが崩れてきている。
これはどう考えても悪循環で、私が関わっている地域づくりでは、地方に仕事をつくってに携わってい、地方に仕事を作ることが、根本的な解決策
私は江戸時代は脱藩禁止だったのが自由になったため、自然と過疎化になって、これは自由の為なら仕方ないことだ。と思っていたが、この本を読んで、そんな単純ではないことを理解した。
まだまだ理解出来ない内容ばかりだったが、とりあえず読み終わった。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ新進気鋭の二人。思想家と学者の「家庭観」について。
まえがきにあったように、東氏は明らかにアウェイ感の否めないダイアログが続いていて、それはそれで読んでいて楽しい。
どこか「絶対感」的言動が多い東氏が、こと家族観になると、一歩引いて話しているところが、彼もやはり人間(笑)と思わせる。氏の他作と会社経営などの多角的活躍を考えると、これはアウェイでも仕方ないのかもしれないけれど。
娘について真剣に考える一人の人間になっていた。
一方、宮代氏は通常通りというか、家庭第一主義。言動は結婚し、子どもを持ってずいぶん変わってきたことを裏付ける結果になっている。
もともと東大大学院でテレクラ研究者と揶揄されるほど通俗的な世界にどっぷりと嵌って研究していた、ある種「偏向的」だった学者が、やはり家庭というものの中で変容を遂げ、人間としての違うフェイズを手に入れたのが伺える貴重な面が見えた。
おたくと学者といえども、家庭観について語りだすとはっきりいって通俗的な一般論にどうしても向かってしまうというところが面白かった。
内容としては子どもを持つ親としてのごく当然の思想についてと、社会の中で「子どもを持つということ」が実際どんな不利益と利益をもたらしているか。社会制度として(主に制度の話としてみるほうがわかり易い)何が足りしていて、何が足りていないか。
親は何を考えて、何を考えるべきでないか。
などを押し付けがましくはなく、淡々と学者たちが語っているというところ。
昔、大江健三郎も教育や子育てと社会のすり合わせについて語っていたが、あれが確か70年代。あれから社会構造というものや、子育てに対しての社会意識というものは大して変わっていないのかもしれない。 -
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ネタバレ[ 内容 ]
本当は誰もが政治家に期待している。
いまこそ国会議員には働いてもらわねばならない。
だが彼らの多くは「国家の名誉と安全を守ってほしい」という国民の最低限の願いすら打ち破く。
それならば「売国奴」「国賊」という激烈な言葉で政治家を襲撃しようではないか―。
学者・言論人へのアンケート集計で、最悪の「売国政治家」10人を選び出し、彼らが誰に国を売ったか、どんな罪を犯したか、なぜ彼らを許してはならないかを徹底検証した凶器の書。
[ 目次 ]
序論 売国政治家とは何か?
第1部 座談会 売国政治家と呼ばれる恥を知れ
第2部 10人の売国政治家を検証する!(河野洋平―単なる談話で日本を「性犯罪国家」に貶めた;村山富市―万死に値する「国民見殺し」「自国冒涜」の罪;小泉純一郎―「改革」で日本の富と生命を米国に差し出した;小沢一郎―「ねじれ現象」を生んだ無節操な国賊;中曽根康弘―靖国問題をこじらせた元凶;野中広務―自虐外交の嚆矢となった「不戦決議」;竹中平蔵―日本国を構造破壊し共和制に導く経済マフィア;福田康夫―無為、無内容、無感情;森喜朗―保守を絶滅に追い込んだ背後霊;加藤紘一―戦後レジームの滑稽なゾンビ)
第3部 私が断罪する売国政治家―アンケート公開
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共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
Posted by ブクログ
[ 内容 ]
娘ができて初めて見えた日本社会の問題点とは?
若者の非婚や少子化をいかに乗り越えるか?
育児体験の比較から、教育問題や男女のパートナーシップのあり方までを論じ、「子ども手当」など保育支援策を検討。
ツイッターなど新メディアを利用した民主主義の新たな可能性まで、今日の知的課題をも浮き上がらせる白熱の討論。
[ 目次 ]
第1章 親子コミュニケーションのゆくえ―家族を考える(時間感覚の変化;宮崎アニメへの反応 ほか)
第2章 子育てを支える環境―社会を考える(ロスジェネ系議論の問題点;専業主婦願望の背景 ほか)
第3章 均質化する学校空間―教育を考える(グループワークができない子どもたち;なぜ班活動は衰退したのか ほか)
第4章 コネ階級社会の登場―民主主義を考える(運命の出会いと必然性信仰;バックドア問題 ほか)
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Posted by ブクログ
オウムを知るというより、オウム真理教の構成員の中でとりわけ人数の多かった、
新人類またはバブル世代が、どうしてこの「神秘主義」主体の宗教に惹かれてしまったのか。彼らの生まれ、育った時代背景の雰囲気がよく描かれている。
流行の宗教の背景には、かならず時代の持つ特有の雰囲気があり、
今でこそ、宗教学の流れでは、新しい「分類」にわけれられるオウムだが、
16年前の著作である本書は、まだ生々しさを残しながらも、適切な分析をしていると感じる。この時代に宗教にハマッってしまった人は多いのではないかと思う。
オウムに限らず、この世代を理解するのにはとても判りやすいと感じる。
☆が3つなのは、もう少し掘り下げた内容でも充分読み応えがあったとおもう、という残念票。 -
Posted by ブクログ
人を幸せにできるひとだけが、幸せになれる。他者と交わるノイズ耐性やグループワーク力のない子供や若者、親が増えている。
昔で言う地元で、ガキ大将がいて、他者と交わって、教えてくれる仲間をリスペクトしたり、という事が必要だ。
それを変えるには、①男性もWMのように仕事と家庭を混ぜて、ノイズに強くなる生活にしてみる。制限された中で対応する力が必要。②コミュニケーション能力=コネを競い合う階級社会にする。親子も複数のコミュニティーに属し、自分がリーダーになれる時もあれば、人に教えてもらう立場も経験することが必要なのだろう。③自分がハブになる。ツイッターでフォロワーの立場だけの人も必要だが、ハブになることを意識が重要なのだろう。 -
Posted by ブクログ
2章までは2人の話がかみ合ってて面白いんだけど、3章からは宮台さんの研究発表に東さんが相槌を打ってるだけみたいになってしまうのが残念。
それと、父親になると地域社会にコミットせざるを得ないと言うけれど、大学の関係でとある市の子育て支援課にインタビューに行って聞いてきた話によると、父親は依然として地域の子育てコミュニティに参画していない・できない現状があるそうだし、実際自分の父親もご近所付き合いなんて一切しない人で、それでやっていけていたのを目にしている。そりゃ、大学教授みたいな職業なら、論文書く気分転換にお散歩に出てご近所さんにご挨拶する機会なんかは多くなるのかもしれないけど・・・なんだか、宮台さんという人は視野が広いようで狭い印象をどこか受ける。