宮台真司のレビュー一覧
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かつて厳しく対立しあった過去をもちながら、その後急接近することになった小林よしのりと宮台真司の二人に、司会役の東浩紀を加えた三者が、現代の日本が直面する諸問題について論じあった鼎談です。
小林は、『ゴーマニズム宣言』シリーズで「サヨク」を批判し「保守」の立場を標榜してきました。他方宮台は、右翼を主意主義、左翼を主知主義とみなしています。そのうえで、カール・ポパーのピースミール社会工学のような漸進主義を評価し、たうえで、「ネトウヨ」が「知性の劣化」ではなく「感情の劣化」として位置づけることで、小林の立場に歩み寄りを見せています。こうした漸進主義には同意をおぼえますが、日本のポパリアンである鶴見俊輔や市井三郎のような選択肢も存在しており、かならずしも宮台のいうような意味での「保守」に近づく必然性はないのではないかという疑問を感じます。
こうした、小林と宮台の両者に共通に見られる発想は、決断主義に接近するという意味で、東の立場と対立する面があるように思われます。本書では東は基本的に司会の役割に徹しており、みずからの思想を積極的に提出することは控えているようですが、『宇宙戦艦ヤマト』の例を引きつつ、「社会と実存の混同」という問題を鋭く指摘しています。宮台はさすがに、この問題の背景についての深い洞察を示してはいるものの、彼の議論のうちにこの問いに対する充分な回答を読みとることはできませんでした。ただし、「東くん自身、よしりんの戦略に近づいてきてる気がする」といい、「『弱いつながり』という本でも、客観的な分析に加えて、東浩紀はこういう生活をしているこういう人間だということをベースにしている」と、鋭い指摘をおこなっています。 -
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著者は、社会の地域共同体や中間層の分解により、分断され感情が劣化した個人が、メディアやインターネット上での同質な者とのコミュニティ等に承認を求め、果てはイスラム国のようなものにまでそれが拡大される現代に警鐘を鳴らし、基盤としてのコアな場を持つことの重要性を説き、同時に国民の感情劣化による民主主義の危機と日本の政治の知性の劣化にも警鐘を鳴らし、国民や住民の直接投票を活用した健全な民主主義の確立を唱える。
と、言ってることはわかるし、知識が豊富なこともわかるし、勉強にもなる。
一方で、以下の点が少し気になった。
・そもそも他人からの承認を求めない真の自立した個人という理想像が見えず、承認欲求の奴隷として生きることを前提としているように見える。
・政権の知性劣化批判として、歴史的ルーツへの深い理解もないままに概念や制度を都合よく利用していることを看破してみせるが、本来重要なのは、現在直面する課題に対する解決策として有効かつ適正かの評価であって、何百年も前のルーツとなった出来事との整合性を軸に批判的評価を展開することには違和感が残る。 -
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・昨日かな。
働くことを考える哲学カフェの課題本でした。読むことは必須ではありませんでしたが読みました。
・たくのむ というのを利用しての開催でしたがわたしの家の電波に問題ありなのか声が雑音にまぎれてきこえてこず。あせりした。
・宮台さんの本は他に読んだことあり講演会も2回ほどいってたのでさほどアウェイなかんじはせずよかったです。
・どんな仕事か知りもせず、イメージ優先で就職を希望する学生が多すぎると述べられていました。どんな仕事かは働いてないし身近にいないとしりようもないのでは?とか思いました。仕事の中身より周囲の承認ってのはわかる気がします。
・誰か何とか言ってやれよ問題。
他人の期待による呼びかけに応じられない人はどの会社に就職してもうまくいかないでしょう。
はい。すみません。
他人から本当のことを言ってもらえる人間関係ってないかもなと反省しました。 -
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子どもたちに憲法前文を書かせるなど、「近代」を根づかせるための実践をおこなっている大塚英志と、あえて「天皇」について語り「亜細亜主義」を標榜する宮台真司が、共通の問題意識をもちながら、東日本大震災以降におたがいの立場を入れ替えるようになったことをめぐって対話をおこなっています。
おおむね大塚が宮台にインタヴューをおこなうというかたちで議論が進められています。表面的には両者の立場は対極的にも見えますが、本人たちも認めているように、じつは極めて近い問題関心にもとづいてそれぞれの立場を選択したということがうかがわれます。
ただ、東浩紀シンパのわたくしとしては、両者のある意味で「啓蒙的」なスタンスにはついていけないと感じてしまいます。本書のなかで大塚はくり返し「なぜ天皇なのか、ほかのものでもいいのではないか」と宮台に問いかけ、宮台は「おなじ機能を果たせばなんでもいいけど、なんでもいいといってしまえば機能を果たさなくなる」とこたえています。さらに宮台はみずからの立場を「三枚腰」だとも述べていますが、こうした彼の主張は「メタ」が「ベタ」に取り違えられてしまう状況を踏まえたうえでの戦略的な振る舞いを意味していると理解できます。しかし、そうした取り違えが生じることには理由が存在しており、宮台のように「メタ」と「ベタ」の水位差をコントロールしうる立場はもはや維持しがたいように思われます。 -
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前半3分の1を読んだところでは就活とはあまり関係なく、自論の展開だが、
それはそれで面白かった。
後半は就活に関する内容も出てくる。が、この宮台さんは頭が良すぎて、その他大勢の一般人へのメッセージではなく、それなりに能力のある人を対象に本を書いているようだ。
ちょっと鼻につく自慢話が多い。戦後5人目の東大での社会学博士とか、2回言わなくてもいいような気もするが。小学6年で塾にちょっといっただけで麻布中学に入った話、自分の周りにはロールモデルになる人がたくさんいた話など、本人にその気はないにしても、あまりいい感じはしない。
比較するのもなんだが、就職系の本としては、海老原さんのほうがまだ全体感があって説得力がある。 -
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東と北田暁大が編集を担当している『思想地図』(NHK出版)に収録された対談に、あらたにおこなわれた対談を増補した本です。
最初のほうでは、ともに幼い娘をさずかった両者が、それぞれの子育てにおける体験などを語りあっていますが、しだいに日本社会の現状を批判し、あるべき共同体のかたちについての議論へとシフトしていきます。ただし、基本的には宮台が議論をリードしており、『一般意志2.0―ルソー、フロイト、グーグル』(講談社文庫)で社会思想を展開した東は、最初のほうでショッピング・モールの意義についてすこし独自の見解を語っているほかには、あまり踏み込んだ議論を展開していません。
宮台の議論は、「コミュニケーション・スキルを磨け」といっていたころとおなじ主張を社会のありかたにまで敷衍したもので、首尾一貫していることはよいのかもしれませんが、彼にとって父になったことはけっきょくのところ従来の彼自身の立場を確認するためのものでしかなかったのかという疑問もおぼえます。 -
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1.どの話が印象に残ったか?それはなぜか?
・関係の履歴からシーンの羅列へ(p27)
→人間関係をわかりやすく表現している
・重武装化に賛成してくれるなら謝罪は何回してもかまわない(p37)
→戦略あれば手段は選ばず
・人間はなぜか利他的な人間の「本気」に「感染」する(p52)
→感染させられる人間になりたい
・コミュニケーションの2重かによる疑心暗鬼(p59)
→ネット普及の功罪?
・早期教育に駆られる親は子供から見て「スゴイ奴」からほど遠い(p93)
→ 早期教育気になってましたが、やめます。
・完璧なゾーニングは「多様な者たちの共生」の原則に反する(p143)
→ お受験もゾーニング?
・大統領選挙は「分裂」と「再統合」の模擬再演(p157)
→ だからあの盛り上がりかと納得
・安全保障とは総合パッケージ(p180)
→ 国を俯瞰することが重要。国の危機は軍事的行動だけではない
・議院内閣制は2権分立(p183)
→ はっきり言ってもらえてこれまでの違和感解消
・誰かなんとかいってやれよ問題(p240)
→ 自分で考えることを教えられていない結果
・わかっているけど仕方ない(p274)
→日本人全体の悪い癖。自分も時々出てくる。
2.本から得た事をどう生かすか?
・若者論・教育論
子供の教育に活かしたい。子供から見て「スゴイ奴」と思われる親になるために「利他的」を実践。
たくさんのものを見せて経験させる。
3.突っ込みどころ
・全体的に、わざわざ難しい言葉を使ってないか? -
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書名が「愚民社会」と挑発的ですが、内容は「土人社会」ともっと挑発しています。BREXITやトランプなどのポピュリズムが吹き荒れる世界の流れに刺激を受けて、二人の論者と書名に惹かれて開いた本ですが、3・11きっかけでまとめられた日本論でした。西郷隆盛や福沢諭吉まで遡り、日本の近代化が可能なのかどうか、という、かなり日本ローカルの特殊な事情を語り合っています。なのですが、経済と国土だけじゃないもの、とか論理だけでは溢れ落ちちゃうもの、としての文化への向き合い、という意味では普遍性も感じました。タイミング的には最終章の憲法改正を巡る議論が大迫力。土人憲法の行方は、どうなるのでしょう。脚注満載なので、それだけでも知らなかったことが知れます。でも、正直、ちゃんと理解出来てないと思う土人でありました…大塚英志のあとがきの「教育」に未来を託すスタンスに、宮台真司のトリッキーなロジックよりも共感を覚えたことも、備忘しておきます。
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さすがは社会学者の著書でした。表紙の愛らしいイラストからは想像できないくらいにちょっとヘビー。笑
難しい言葉が沢山並んでいて、とてもすべてを理解するには及びませんでしたが、非常におもしろく読ませていただきました。
小生、普段はこういった本を手に取ることが少ないため、性産業に従事されている方々が、こんなにも真剣に人間の性に向き合い思索していることに率直に感動を覚えました。
自分の無知と無教養を晒す覚悟で申しますと、「セックスは、欲を抑えきれない動物がそれぞれの性欲を処理すべくとる刹那的な手段」だと思っていました。とんでもなかった。もっと奥が深かった。(謝罪)
最後の方の章で書かれていた言葉が特に印象的でした。
「セックスの醍醐味とは、眩暈である。つまり、忘我。
ハイデガーの言葉で言えばエク・スタシス(脱自)。(以下略)(人は)リアルというクソから逃避すべく性交する。」
なるほど。わたしはセックスをしたことがなかったのか…。 -
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<メモ>
女性の中にも結婚して幸せになれるであろう相手と、恋をしてしまう相手(発情できる相手)は違う、という人がいる。多くの男性は侮辱・支配できないような、尊敬できるような女性に対して、女性は自分を尊敬してくれる男性には発情しない(逆もたまにあり)。まったく立場が同等・公平になって友愛的な男女関係になってしまうと、そこには興奮が入り込まなくなる。しかし、それも社会によって信じ込まされている物語では?79
現代の若者の大半は、自分の心の穴を埋めるために相手の存在を使ってそれを恋愛と呼んでいるに過ぎない。相手の感情を自分の心に映して同じ感情に感染する能力が落ちた。109
東洋的な武道や格闘技、ヨガなど体を動かす習慣があり自分のカラダの癖を知っている人の方がいいセックスができる可能性が高い。女性は体が柔らかい方がオーガズムに達しやすい。ストレッチや骨盤矯正などで体のゆがみを開放する。腹筋や腹式呼吸 152
損得よりも正しさと愛を重視する相手を選ぶ
ラカンが提示した「倒錯者」として社会に適応した「ふり」をして生きる道274
結婚しないで妊娠するとヤバいぞ、セックスするな、しかし適齢期になったらさっさと結婚して子を産め、それ以降は貞淑であれというメッセージが、社会や親から女性に対して押し付けられていますよね294
射精の快感よりシンクロの快感の方がずっと大きい。散歩や料理やスーパーでの買い物でもシンクロ率が高まる300 -
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ネタバレ近代化が進み村社会・地方、家庭も学校もシステムに取って代わった現代。システムへの過剰依存が進み、人そのものがシステムの一部に組み込まれてたポストモダンの時代。自己さえもシステムにより生み出された物だと宮台は言う。スマートテクノロジーは人に選択を意識させず、システムの存在を不可視化し、人は気づかないうちにシステムに組み込まれていく。システムの設計意図を自分の意思による決断だと人は思い込むのだ。共同体と顔を失った人々はモンスターペアレントやクレーマー、ネトウヨ、承認厨となってシステムに直接自己の欲望をぶつけるようになっていく。メディアは感情の居場所を失った人たちの最後の拠り所となりもはや民主主義の道具として市民の監視下におかれたものではなくなっている。
こうした中で若者はテレクラやクラブ、ストリートからネットへ居場所を移していった。
サブカルチャーで流行したセカイ系は共同体が失われたため個人の謎=世界の謎という個人と世界が直結した構造をとる。この考えが新興宗教を、テロを引き起こした。ハルマゲドンは社会構造を建設的に変える運動というよりは、理想の自己像と世界像に合わせて不都合な現実を作り変えるための運動だった。
宗教にも失敗した日本の若者は仮想現実へ走った。現実を変えることは不可能なので、ゲームを現実のように生きたり、現実をゲームとして捉えるバトルロイヤル系となって今に至る。
多様な人々の対峙を余儀なくされるグローバル社会は、共通前提が動物的な快・不快まで切り下げられる社会でありシステム化が加速する。アメリカはキリスト教的価値観が土壌にありNGOやボランティア活動があるのでリバタリアニズムであってもセーフティーネットはあり、欧州はスローフード運動など地産地消を進め共同体を保全している。対立は共通の意識、前提がある共同体だからこそ起こる。対立すら失われた日本は安定しているのでなく地方は地域性を失い、宗教的共同体も血縁主義もない不安定な社会だ。このような土台でグローバルな自由競争では人がもたない。日本は外需と内需を切り分けて対応する必要がある。社会の共通前提を取り戻すために、システムが同性婚でありシェアハウスなど擬似共同体を設定していく必要がある。 -
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民主党政権が誕生して1ヶ月を経た頃におこなわれた、社会学者の宮台真司と、外務副大臣(当時)の福山哲郎の対談です。新しい政治がはじまるという期待に満ちた二人の言葉が随所に見られるのですが、安倍政権が高い支持率を維持している現在読むには、ややつらいものがあります。
本書の冒頭で宮台が、市場主義対談合主義、権威主義対参加主義の二つの座標軸で構成される大枠を示して、民主化とは権威主義から参加主義へと移行することを意味するのであり、そのさい、個人を社会的に包摂することがめざされなければならないという見解が示されています。それにつづいて、二大政党制そのものよりも、民主化への移行が重要だと主張しています。ただ、自民党の一人勝ちとなった現在から見ると、政治参加を含む個々人の社会的包摂を実現するフォーマットとして、二大政党制を確立させるというのも、重要だったのではないかという気がします。
もうひとつ気になったのは、民主党政権が打ち出した「東アジア共同体構想」です。宮台もこのころしきりに「亜細亜主義」を語っていましたが、本書ではその境界設定問題が取り上げられ、境界設定は恣意的だが任意ではないという主張が提示されます。ただこれも、現在の安倍政権が中国封じ込めという、まったく政治的に反対の立場に沿った境界を設定して、アジア・太平洋地域における実のある外交を展開しているのは、皮肉な事実だという気がします。 -
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運転手も運転経験が乏しいなら、乗客たちも命令して監視する経験が乏しい。運転手のミスや乗客たちの頓珍漢でバスはあちこちにゴッツンコ。
その都度の目的やルートを適切に指示できない「自分自身」に、嫌気がさした乗客たちが、全てを運転手のせいにして、頬被りをしかねない。4
それどころか「考えないで、俺に任せろ」という馬鹿な運転手に、再び「丸投げ」しかねない。5
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官僚が、大臣、副大臣、政務官の間にお互いのコミュニケーションがないことを前提に、徹底的に情報を分断するんですよね。
ダイレクトに電話しちゃうと、頭越しで誰かの顔潰したという話になっちゃうわけね。109
役人が手練手管に長けているので政治家が手玉に取られているというのではなく、むしろ、自民党の派閥政治的な仕組みに官僚制が適応して、ある種の最適化を行った結果、役人のハンドリング能力が上がっている点にありますね。114
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「慣れ親しみ」の中に埋没しがちなこうした傾向を、丸山眞男は「作為の契機の不在」と呼びます。「慣れ親しみ」を害するものに否定的に反応しがちなものの、環境が変わってしまえば、やがて新しい環境に何事もなかったかのように「慣れ親しんで」しまう。207
でもね、結局のところ、ゲームはいつかは変わるんです。今までもそうだったでしょう。207
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「緑を使った国土再建」こそは、遠い将来にわたって、最後の、そして最大の……。254
ダムにもいろんなダムがある。護岸にもいろんな護岸がある。想像力を豊かにすることで、公共事業を、従来とは比較にならない「良きもの」にもできるのですね。255
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潜在フレームを書き換える程度のことで人格は変わらないからです。人格を含めたリソースの使い方が変わるだけ。分かりやすく言えば、自信がつくことと人格が変わることとの間には、何の関係もないのです。
非常時のパフォーマンスを上げるべく、平時のリソースをどう組み替えるか。だからこそアウェアネス(気づき)の訓練と呼ばれるのです。256
意識的に選択できるものの領域を拡げる訓練です。それが日本では「人格改造」として受け入れられてしまった。
改元観念に象徴されるような「空気の一新」「丸ごとの変化」という祝祭と結びついた原初的観念が支配しやすく、かわりに「リソースを組み換えてパフォーマンスを上げる」という戦略的観念がなじみにくいのです。
日本社会が使えるリソースはこれから大して変わらない。でもリソースを組み換えられる。組み換えればパフォーマンスは一変する。257
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崇高なるものへと統合されることによる尊厳。自由に物が言えて行動ができる中で自分自身の試行錯誤で培った自己信頼としての尊厳。どちらが強力かといえば、圧倒的に後者だというんですよ。259
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90年代に書かれた著者の時評やエッセイを収録している本。
テレクラやブルセラといった女子高生たちの振舞いに対して、倫理的な言説を説くことを、著者は拒否します。現代の女子校生は、もはや親や学校の説教を受け入れて振舞いを改めることもなければ、反発して振舞いを続けることもなく、ただバレないようにうまくやればいいと考えるだけだと著者は言います。こうした状況で道徳を説くことは、ホンネとタテマエの乖離を招き、大人の世界は「ウソ社会」だという実感を強化することになって、かえって逆効果だと考えられることになります。
こうした状況を踏まえて著者は、価値を伝達するのではなく、こうしたシステムの状況を分析した上で、問題が生じないようなメカニズムを整備することこそが必要だと論じています。
価値についての議論を棚上げにすることで、初めてシステムについて議論する舞台が開けてくるということに、非常に興味を覚えました。ただ、著者のような極端な設計主義がどれほど有効なのかという批判が、保守派の側から提出されることになるのではないかという気もします。 -
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著者は、もはやユートピアを思い描くことが不可能になった「終わらない日常」を生きるために自意識を持たない道を選んだ女子高生たちの実態を解明した社会学者です。本書では、「終わらない日常」の閉塞感から逃れるためにオウム真理教にのめり込んでいった信者たちの軌跡をたどることが試みられています。
速水由紀子のコラムや、オウム真理教の村井邦夫と著者の架空の対談などもあって、興味深く読むことができました。ただ、著者が長く考察をおこなってきた女子高生の「終わらない日常」を生きる戦略とオウム信者たちの姿を対比させるという構成に、最初から結論が決まっているのではないかという印象もあります。