川上弘美のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
2014年の締め括りに改めて読む。
かの震災から早3年、喉元過ぎれば熱さ忘れると言うがだがそれは被災地復興の労働力を奪うことも知らずにオリンピックだなんだと浮かれている部外者に限ったことであり原発事故が起こった福島の人たちにとっては未だ烈火の塊が喉に詰まったままなのである。
20世紀の終わりにのほほんと現れてわたしとピクニックをしお土産に干物を残し抱擁をして去って行ったくまが何故また21世紀に現れなければならなかったか?
目先の利益だけを追い求めるご都合主義の政治家や経済人など放っておいて先ずは私たち一人ひとりがこの国の未来を考えなければならないんじゃないか。
そんなことも怠り次にまたくまが現 -
Posted by ブクログ
心の隙間にするりと忍び込んで来て、決して泣かせる場面でも泣ける場面でもない箇所で涙腺が刺激されてしまいました。何故だろう。
「ふつう」を自認する江戸翠16歳の夏。少し変わった母親と祖母との三人暮らし。遺伝子上の父親はたまにふらりと家にやって来る。小学生の頃からの友人は何故か急に思い立って女装するし、恋人は何故か急に冷却期間をおいてみようと言い出す。ふつうなんだけど、ふつうでない。のらりくらりとしているようで、何もかも受け止めて考えている。自由でありながら不自由。そんな青春の日々。
各章ごとに詩の一節が挿入されるのも面白いです。詩の持つ凝縮性と開放性が作品世界に合うのでしょうかね。 -
Posted by ブクログ
一瞬気持ちが落ち着いたので、日曜の夜、眠る前に少しだけ読もうと開いたら、朝の6時までノンストップで読み切ってしまった。それくらい文章が好きで面白かったです。
ユリエとマリエという姉妹の愛の物語なのですが、幼い頃、姉妹で昼寝して長い髪がからみつく…という冒頭が朝吹真理子さんの『きことわ』と同じだったから驚いた。まあ、ある表現と言えばある表現かも。長い髪が絡み付くメタファーは中世ヨーロッパからありますし。(最近自分自身の仕事でのパクリ問題で病んでいるので、似ている表現に気が飛びがち。)
というのは置いといて、姉妹が幼い頃から空想話を楽しんでいるのですが、その様子や物語が楽しいのです。
で、その -
Posted by ブクログ
裏表紙に「恋をしたとき、女の準備は千差万別。」「女たちが足をとられた恋の深みの居心地を描く22の情景。」と書いてあるけれど、これは恋の本なんだろうか?
恋愛の話もある、あるというか読み終わったらほとんどそうだった気もした、前の「ざらざら」から続いているアン子の恋の話もあるし、表題の「パスタマシーンの幽霊」だってそれは恋人の部屋で見つけたパスタマシーンに問い詰めた所から話は始まるし、他にもいっぱい恋も出て来るんだけれど
最初の一編が「海石」と書いて「いくり」と読む圧倒的でどこか神話的な話から始まるのもあって、まるで色々な立場、年齢、環境にいる様々な女たちをどこかから見ている神様か -
Posted by ブクログ
いとけない人、という表現がでてくる。知らないことば。ぐぐってみたら、汚れをしらない、あどけなさ、幼いはただ、歳が少ないに対して、純真さを持っている場合につかいますってでてきた。知らない言葉がまだまだあるものだ。いとけない
とても好きな小説だった。みんながぐるぐるしてて、どうしていいかわからなくなってて、なのに冷静で。きっと現実ってこんなかんじ。いま、信じられないほど大好きな人との関係だっていつかは冷めてしまうかもしれない。とすると、やっぱり結婚てなんなんだろう。人は一人ひとり自由なのに、縛るなんて無意味すぎる。こどものためなのかな?うーん
白骨温泉で読む