土方奈美のレビュー一覧
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- 身元不明として亡くなった行旅死亡人の半生を記者が解き明かそうとする話。人は死に方ではないんだなーと実感。無縁仏的に誰にも気づかれずに孤独死をした人でも、そのかつての人生を紐解いていけば誰かの記憶には残っているという。人は生きている痕跡は絶対この世界に残っているんだという記者の執念を感じながら、そういう意味で人間は社会的に込み毒ではないのかもしれないと思った次第。
- 単純に本の構成としても面白くて、グリコ森永事件・右手の指の欠損・北朝鮮という何かやばい遺体なのではないかという風呂敷の拡げ方をして興味を持たせ、その実はそこまでドラマティックな死体ではないけれど、気づいたときにはその物語の先が気になっているという…。
- いずれにしても共同通信の記者の旅費交通費が自腹なのはブラックだなと思った。 -
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超一流になるには、才能なのか努力なのか。
本書での結論は、努力である。
天才と言われいる、モーツアルト。
生まれてすぐに、天才的な才能で、努力無しに成功をおさめたというのは、誤り。
モーツアルトも、音楽家だった父から、幼少期より厳しい指導を受けた。そのことにより、才能を開花させた。努力こそが、すべて。
チェスの世界においてもしかり。
IQ高い人は、最初は物覚えが早く、上手くなるのも早い。しかし、それで成功できるか、というとそうではない。
あくまで、その後の努力が大切。トッププレーヤーは、決してIQが高い人だけではない。
最後に、何らかの一つの分野で、専門性を磨くことの大切さを説いている。
いわゆる、一つの分野を究めると、他の分野を磨く上でもやり方を応用できる。
本書は、超一流は努力から生まれることを、説いた本。
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今年に入って積読を解消すべく、読書ペースを上げた。でも目的を忘れていたなと、立ち止まらせてくれたのがこの本だった。
もともとは、なぜ?という疑問を感じ、その答えを求めて本を買っていた。でも読むべき本が消化できず、読むことが目的化してしまい、楽しさを忘れてしまっていた。
好奇心があって本を買ったのに、読むのが楽しくなくなってしまっていた。初心を思い出させてくれた貴重な体験になった。しかも、前半には面白い話が盛りだくさんだった。途中、中だるみを感じたけれど、深く理解したいと思える本だった。
何のために学びたいのか?その一番大きな目的は知りたいから。他人の評価なんか気にせず、より良き状態を目指すために、知りたいという興味を大事にしたいと思った。
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トイレについて知っているかと聞かれたら、僕は“知ってる”と答える。
では、トイレが流れる仕組みは?と聞かれたら、答えは一変“知らない”。
他にも、トイレの作られ方は?歴史は?、、、全く知らない
せいぜいトイレなんて見たことがあって、使ったことがあるくらいなもの。
毎日使ってるから勝手に知り尽くした気になってるが、ほとんど何も知らない。
トイレの部分を身の回りの別のものに置き換えて考えると、ほとんどのことについて無知の部分が圧倒的に多いと気付かされる。
それなのに僕らは物事を“知ってる”と過大評価して思い込んでしまう、その理由を本書は解説してくれる。
中でも以下の説明は個人的に面白かった。
”私たちの知識ベースの大部分は、外界とコミュニティに存在している。理解とは、
知識はどこかにあるという認識でしかないことが多い。高度な理解とは、たいてい知
識が具体的にどこにあるかを知っているというのと同義である。実際に自らの記憶に
知識を蓄えているのは、真に博識な人のみである。”
確かに、AIが浸透して何でも質問すれば答えてもらえるようになった今、前よりも賢くなったと感じている自分がいた。
実際は自分に蓄えられている知識は変わってないのに。
知らないことが多いことを前提に、少しでも知識を蓄えようという姿勢で生きたいと思わせてもらえる本であった。
勿論この感想も自分が汲み取れた限られた理解の範囲で記載したものだ。 -
Posted by ブクログ
この本の主題からは少しズレるが、以前から優秀な人とそうでない人って何が違うんだろうと不思議に思っていた。以前勤めていた会社はかつて名門と言われただけあって、同期にも部下にも一流大学を卒業した飛び切り頭の良い(はずの)人が多かった。ところがいざ仕事をさせてみると全く使えない、ということが珍しくなかった。仕事の進め方はデタラメだし 報告も要領を得ない。
この本を読んで、その理由の一端が分かった気がした。入試で測定される能力(分析的知能と記憶力)は知能の一部でしかなく、仕事に要求される知性はそれよりずっと幅が広い。加えて本人の学ぶ意欲(好奇心)によって、その後の成長に差がついてくる。確かに言われてみれば そんな気もする。
とにかくいろんな気付きがある興味深い内容だった。 -
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ネタバレ人間は外部に知識をアウトソーシングして生活している(自分がいる空間を把握しているつもりでも、ライトの形ひとつ見直さないと思い出せない)。知識不足を漫然と自信でカバーしている。専門分野が違うもの同士で協力して初めて人間の能力を超えた推論能力を獲得する。人間は直感と熟慮の二つを行ったり来たりしているが、日常生活の大半は直感で処理するために誤謬が生じることが多い。人間は表層的にしかものを知らないが、それでも十分生きていけるのは知識のさまざまな部分の責任をコミュニティ全体に割り振るような認知的分業が存在するからだ。「知らないと言うことを知らない」を知ることが大切で、そのためには自分が知っていると思っている事柄を「人に正しく説明できるか」が鍵になる。大抵は出来ないので、そので我に帰るタイミングがある。人は集団知識によってパフォーマンスを何倍にも出来、世の中の発見というのは大抵の場合同時多発的に起こる。それは複数の知識と推論によって発見できる条件が発動したからに他ならない。
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Posted by ブクログ
ネタバレとても興味深い内容だった。
人間はみんな無知であること。
ほとんどの人間が知識の錯覚を起こしてること。
知能は、知識のコミュニティという所属するコミュニティに依存、依拠するものであること。
どれも分かっているようで、指摘されることで少し受け入れ難く、読み進めることで納得してしまうものばかりである。
また、本書の素晴らしいところは、知識の錯覚によって人間が繁栄してきたこともちゃんと認めた上で、危険性についてもまとめている点である。
"実力も運のうち"を読んでいたときにも個人の能力は、その人の努力のみで生み出されるものではないことにも通ずる考えのように感じる。
我々人類は、独りでは生きていけず、個人だけで成長していくには人生という時間はあまりにも短い。それを超え、繁栄を今も続けているのはコミュニティという存在であり、他者との協力にある。
そう思うと、人の理解のために誰かの功績にしてしまうという構図は、貧富の格差を産んでしまうことにも繋がるように思う。
本来は分配されるべき成果や、報酬であり、本来は関わったすべての人が享受すべきなのではないだろうか。この議論に行き着くと、きっと共産主義になりそうとも思うため、難しい。
ただ、多くの専門家などがいて、各職業でそれぞれの職務を全うしている人々が、協力することで成り立つ世の中で、頑張っている人たちが正しく貢献度に対して評価され、さらには個人主義、個人能力至上主義のような風潮、意識が変えられていくことを切に願う。