柴田裕之のレビュー一覧
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あらゆる物は間違える可能性があるという可謬性の立場を取り、自己修正メカニズムを仕組みに取り入れた科学技術と、全体主義のイデオロギーや宗教の聖書のように、間違いはないという立場、誤りは訂正する事がない不可謬性システムとの違い、メリット、デメリットについて説明がベースとなっている。
基本的には、前者を推進すべきであるが、社会秩序や効率化という観点からは全てを可謬性システムに委ねるのは、そこからでてくる課題の多さ、難易度が上がっているのも、各国の政治からもその一端が見える気がした。日本の政治もそうでしょうか。
欧米の歴史やベース知識が少ない事もあり、本を読み進め、理解するのに時間が掛かりましたが、 -
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12人兄妹のうち6人が統合失調症を発症したギャルヴィン家。要因は遺伝なのか環境なのか。
家族の人生を紐解いていくノンフィクション。
こんな家族が実在した事に戦慄を覚えた。
長男の異変から家族の歯車が狂い始める。
兄弟喧嘩は血まみれ、窓ガラスは破壊され、家具は持ち出される。言動がおかしくなり、被害妄想により暴力沙汰を起こし、精神病院の入院を繰り返す兄達。一人また一人と異常な行動に走っていく。読んでいても誰が誰だかわからなくなるほど、混乱極まりない。
発症した息子達は元より発症していない健常な兄妹達にも不安と恐怖が広がる
家族が一緒に居る事が狂気に繋がっていくようだ。
ギャルヴィン家の症例は精 -
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上巻は本題に入る前の歴史を述べていく。
情報は必ずしも現実を表さない
フェイクはリアルよりわかりやすくできるため、リアルより広まりやすい
などなど、聖書、魔女狩り、スターリンやヒトラーの全体主義などを例に語られる。
印刷術、ラジオ、テレビなどから進んでいく。そして、コンピュータ、AIがいかに今までの技術と異なるかが、下巻に続いていく。
印象的なのは 不可謬であることの 課題、怖さなどを聖書や全体主義に見ていて、冷戦でアメリカや民主主義陣営が良かったことに可謬、つまり訂正可能性、課題を自己訂正しつづけられたからとしていること。
訂正可能性の哲学にもつながる面白い見方だった。 -
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現生人類(ホモ・サピエンス:賢い人)は、もはや疾病や寿命まで技術的な問題として解決策を手に入れようとしている。高度な技術は高価であるため、その技術は富裕層しか入手できず、旧来の寿命を全うする層と寿命を改善する層に分離、対立が生まれるだろうと。
寿命をコントロールする神のような振舞いをする、アップデートした人類をホモ・デウス:神の人と称したのが、本書のタイトルの由来だ。
では、人類とその他動物とは何が違うのか。人類は物語を信じることができる唯一の存在だ。貨幣を基にした経済構造や宗教はその最たるものだろう。いずれの考察も身近な例を取り、流れるような語り口で説明してくれるので、読みやすさの -
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他の方の感想にあるように私も難しいと感じてしまったので読みたい内容のところだけかいつまんで読みました。
私は死というものに関して恐れていると言うよりは死んだ時どうなるのか気になるという好奇心の方が強い気がします。しかしながら人はいつか死ぬため、そこがゴールと捉え、日々の生活をどのように過ごすかを考えるべきだと思いこの本を読みました。その点で言うと私が知りたかった情報や治験も得られたので良かったです。
もう少し年齢が上がり死というものに関してもう一度考えるきっかけをこの本で得れるとまた違った学びがあると思います。今は大事に本棚に入れておきます。いつか再び手に取る日まで。 -
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したがって、私たちが力を濫用するのは、各自の心理のせいではない。なにしろ人間は、傲慢さや強欲や残虐さだけでなく、愛や思いやり、謙虚さ、喜びもまた持ちうるのだから。最悪の部類の人間は、たしかに強欲と残虐性に支配され、力の濫用へと導かれる。だが、人間社会はなぜ、よりによって最悪の者たちに権力を託したりするのか? たとえば、一九三三年のドイツ人のほとんどは、 精神病質者ではなかった。それなのに、なぜ彼らはヒトラーに票を投じたのか?
自分の手に余る力を呼び出す傾向は、個人の心理ではなく、私たちの種に特有の、大勢で協力する方法に由来する。人類は大規模な協力のネットワークを構築することで途方もない力を -
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科学革命、資本主義、幸福論、未来予測。
人類の歴史だけでなく、将来の予測も試みている。
「なぜ私たちは歴史を研究するのか?……歴史を研究するのは、未来を知るためではなく、視野を拡げ、現在の私たちの状況は自然なものでも必然的なものでもなく、したがって私たちの前には、想像しているよりもずっと多くの可能性があることを理解するためなのだ。」(48頁)
「幸福はむしろ、客観的条件と主観的な期待との相関関係によって決まる。」(222頁)
「人間の期待が決定的に重要であることは、幸福の歴史を理解するうえで広範な意味合いを持つ。……私たち現代人は、鎮静剤や鎮痛剤を必要に応じて自由に使えるものの、苦痛の軽減