著者は確信を「自分自身に対する確信」と「自分のやり方に対する確信」に分けるべきだと言う。自己信頼に基づく確信は、自分の「やり方」を確信している度合いとは異なる。謙虚さとは確信を抑制することではない。自分自身に対しても自分のやり方に対しても確信がない状態は不安でしかない。身がすくんでしまい、アクションに踏み出せなくなる。逆に、両方に対して強い確信を持つと独りよがりの思い込みに陥る。理性的な判断ができず、過信サイクルが回りだす。自分自身に十分な能力があるという自信を持ちながら、目標を達成するための正しい手段については常に自問する謙虚さを持つ。ここに確信と謙虚さの真のバランスがある。
信念と価値...続きを読む 観を区別する
本書の中で僕にとっていちばんインパクトがあったのは、「自分の意見や考えを自分のアイデンティティから分離する」という主張だ。人は自分の信念や信条に基づいて自分を定義しがちだ。しかし考えてみれば、その時々の信念はその人にとつって永続的な価値観ではない。信念と価値観は似て非なるものだ。
自分は誰なのか、アイデンティティを問う時、あなたの信念ではなく、価値観に基づいて自分を定義すべきだ。 価値観は、人生の中核となる原理である。それは優良さや寛大さかもしれないし、自由や平等、または安心感や誠実さかもしれない。そのような価値観を基盤にしてアイデンティティを築きあげれば、あなたは柔軟な心を保ち、それらの価値観や視野を広げるための最善な方法を喜んで受け入れることができるはずだ。
あなたが必要とするのは、人の健康を守ることに重きを置く医者であり、生徒が学べるように喜んで手助けする教師であり、安全と正義を重んじる警察だ。それらの人たちが、己の信念や考え方でなく、価値観によって自分自身を定義するならば、新しい証拠を踏まえて、それまでのやり方を改める柔軟さを備えることができる。
ここでアップルから声がかかる。これがすべての始まりだった。当時のアップルは崩壊の瀬戸際にあった。主力事業のPC(マッキントッシュ)のシェアはわずか2%と低迷していた。時価総額は40億ドル。王者マイクロソフトの時価総額は2500億だった。はじめはアップルに対するコンサルティングでフューズの従業員の給料稼ぎができればいいという程度の考えだった。ところが、「顧客にとってどうしても必要で、世界を変える力があるプロダクト以外は存在すべきではない」というスティーブ・ジョブズの理念に痺れた著者は、2001年にアップルに入社する。初代iPodが発売されたのはその10ヵ月後だった。
最高のアイデアはビタミン剤ではなく鎮痛剤でなくてはならない。ビタミン剤は不可欠ではない。ひっきりなしに続く日常的な不快な体験を除去する――ここにプロダクトの価値がある。人生はささやかな、それでいてとんでもない不便に満ち溢れている。しかし、世の中の人々はそれに慣れている。だから誰も問題の存在自体に気づいていない。
ジョブズは人が気に留めていないことに意識を向ける天才だった。素人であり続けろ。プロダクトを新たな目で見直せ――「1000曲をポケットに」を標榜するiPodの成功は、それまでウォークマンに親しみ、デジタルミュージックを体験したことがない「普通の人々」の日常的な問題を解決したことにあった。
目標設定、採用、評価、会議、進捗確認、もめごとの解決・・・・・・ようするに「何か困っていることない?」と聞いてまわるのがマネジャーだ。一にも二にも部下とのコミュニケーションが大切になる。このときもWHYを伝えることが肝心だ。WHATやHOWを指示する前に、なぜその仕事に意味があるのかを部下が理解していなければならない。
部下が活躍して自分の存在が霞んでしまうようになる。これこそがマネジャーとしての成功だ。決してプレイヤーの部下と競争してはならない。部下と張り合うマネジャーはマイクロマネジメントに走る。これが組織をダメにする。
よく知られているように、スティーブ・ジョブズはアップルの絶対権力者として君臨し、独裁者として振る舞った。チームが開発しているプロダクトのクオリティにとことんこだわった。ジョブズが宝石商のごとくルーペを取り出し、ディスプレイ上の一つひとつのピクセルにまで目を光らせ、ユーザーインターフェイスのグラフィクスがきちんと描かれているか確認する姿を著者は目撃している。ハードウェアからパッケージに書かれた文言の一字一句に至るまで、同じレベルの注意力で目を光らせた。それでも、プロダクトに直接手は出さなかった。部下が文句なしに最高のプロダクトをつくっているかに意識を集中し、成果を確実なものにする。プロセスではなく結果にコミットする。成果をどうやって生み出すかは部下の仕事だ。任せることができなければマネジャーではない。
競争戦略の勝利条件
まずはっきりさせておくべきは、経営が持つべき目標です。目標が間違っていれば、あらゆる戦略は無用の長物です。結局のところ、経営は何を極大化するべきなのか。答えは長期利益です。長期利益は経営の優劣を示す最上の尺度です。「カネ儲けがすべてだ!」という話ではありません。従業員や顧客、株主、社会、すべてのステークホルダーに対して企業は貢献しなくてはなりません。逆説的に聞こえるかもしれませんが、だからこそ長期利益の追求が何よりも大切なのです。
企業活動に対価を支払ってくれるのは顧客です。結局のところ、すべては顧客のためです。ただし、です。極大化すべき「目標」が長期利益だということは、企業の「目的」――最近の言葉で言えば「パーパス」――が顧客に対する価値提供であることと何ら矛盾しません。真っ当な競争があれば、長期利益は顧客満足の最もシンプルかつ正直な物差しとなります。その企業がなくなったら、どれだけ困り悲しむ人がいるか――この総量がその企業の提供する独自価値であり、それは確実に利益に反映されます。長期利益と顧客価値はコインの両面のようなものです。まったく儲かっていないのに顧客満足を標榜する経営は欺瞞です。
長期利益を稼いでいれば、投資家が評価し株価も上がる。株主に支払う配当も利益処分の一形態です。儲けが出ていなければ分配できません。経営者が儲かる商売をつくれば、雇用を生み出し、守ることができます。いよいよ日本でも賃上げが重視されるようになりました。労働分配を増やすためにはまず稼げる商売をつくることが先決です。
刹那的な儲けであれば話は違ってきます。客を騙して儲ける、従業員を泣かせて儲けることも可能です。しかし、 それでは持ちません。持続的な利益の実現はすべてのステークホルダーをつなぐ経営の基本線となります。
何よりも、長期利益は社会のためになります。企業による社会貢献の王道は法人所得税の支払いです。社会的目的のために使うことができる原資を創出する。そこに企業の社会貢献の本筋があります。あとはすべてオマケです。
「みなさま、私は今こそ、よほどしっかりした考え方で、真の経済再武装を計らなければならない時機だと考えるのであります。経済再武装――それは利益を尊重するということです。・・・・・・今日、企業の儲けの半分は、税金として国家の大きな収入源となり、このお金で道路が造られたり、福祉施設ができたり、また減税も可能になり、直接に間接に全国民がその恩恵を受けているのであります。・・・・・・逆に、企業が赤字となれば、これは単にその商店や会社の損失にとどまらず、社会に対して一つの大きな罪を犯したのだという厳しい自覚をもってしかるべきだと思うのであります」――松下幸之助さんが1965年6月の『電波新聞』に出した意見広告の文章です。タイトルは一言、「儲ける」でした。柳井正さんが2007年に打ち出したファーストリテイリングの方針はやはり一言、「儲ける」でした。まことに正しい方針です。長期利益の追求は不変にして普遍の原理原則です。
ローカル食品スーパー「クックマート」を運営するデライトの経営が優れている理由もまたここにあります。創業以来増収を重ね、売上300億円超の規模にまで成長しています。一店舗の売り場面積は平均300坪と小さいのですが、一店舗当たり27億円の平均年商を上げています。これは一般的な食品スーパーの倍近くの数字です。22 店舗の来店客数は年間1000万人超。生鮮食品にフォーカスして商品のクオリティを高め、リーズナブルな価格で着実にファンを増やし、来店頻度と買い上げ点数を伸ばすことによって、この売上を達成しています。
本書では明示されていませんが、業界平均以上の利益を持続しているはずです。従業員の給与水準も業界の中では高い水準にあるでしょう。顧客に対して独自の価値を提供できているのはもちろん、儲かる商売を通じてあらゆるステークホルダーに価値をもたらす―――デライトは経営の王道を行く会社です。
クックマートの組織能力の構築において経営者である著者が果たしている役割として、少なくとも次の3点が指摘できます。第1にターゲット社員の定義です。能力は人に体化されています。戦略がターゲット顧客の絞り込みを必要とするように、能力構築においてはターゲット社員をはっきりとさせることが不可欠です。
クックマートのターゲット社員は「マイルドヤンキー」――――従来のヤンキーのような攻撃的な不良ではなく、地元志向が強く、同年代の友人や家族との仲間意識をベースとした生活をする層――です。
マイルドヤンキーの何がいいかというと、無理をしていない、自然体なところ。ある意味健全。人間らしい。 生まれた場所で育ち、そこに満足し、そこから出ない。即ち、満たされている。ゆえにルサンチマン(怨念) がない。挨拶が元気。笑顔が素敵。めっちゃいい人が多い。
都会では「マインドフルネス」が流行っているそうですが、マイルドヤンキーの生活は言ってみれば「毎日がマインドフルネス」。瞬間瞬間に生きているわけですから、ある意味、自然体で図らずして「悟りの境地」です。「マインドフルネス? なにそれ? うまいの?」という世界。瞑想する必要もなく元気。都会人が意識的に「マインドフルネス」をしないと元気になれないということは、それだけ都会が人間にとって「過酷な場所」「不自然な場所」ということなのかもしれません。
彼らは地元に住み、地元に根差す人々です。ターゲット顧客であるローカルな生活者の思考と指向と嗜好を自然と理解できる。「地元の普通の人々」たちが楽しく、納得感を持って仕事ができる組織をつくれば、ターゲット顧客に対する価値創造が可能になります。「人材獲得」「人材育成」というと、そもそもモチベーションが強く、上昇志向があり、スキル習得に熱心な層を重視しがちです。『日本経済新聞』やニューズピックスで利いた風な口をたたいている連中がその典型です(僕もその一人なのですが)。しかし、クックマートはそうした人々は相手にしません。
ようするに、競争市場だけではなく、労働市場でもはっきりとしたトレードオフを選択し、独自のポジションをとっているということです。これはあくまでも経営者の戦略的な意思決定です。ボトムアップでやっているうちに気づいてみたらそうなっていた、ではありません。
第2に、マネジメントのためのユニークな仕組みの設計です。著者はこれを「仕事を通じて人生を楽しめるプラットフォーム」と表現しています。5章で詳しく論じられているように、その構成要素には、「シンプルでざっくりした」人事制度、定期的なリアルイベント、「ユルい」部活動、社長による対話型の研修、社内SNSによるカジュアルな情報共有などさまざまなものがあります。どれをとっても、「楽しむ、楽しませる」という戦略コンセプトをブレイクダウンする中で経営者自らが作っていったものです。
考えてみると、マイルドヤンキー(=ローカルで生活する普通の人々)のマネジメントは、クックマートのみならず、 日本全体にとっても重要な示唆を含んでいます。なぜなら、日本全体で見ると、そういう人の方が圧倒的に多いからです。世間で語られている人事制度やキャリア開発は「東京のエリート」視点に偏っています。『日本経済新聞』 やニューズピックスで喧伝されているようなキャリアモデルやキャリアプランに興味がない人もたくさんいる。労働市場で厚い層を形成しているのは、むしろそうした人々です。著者はこう言っています。
仕事がつまらなくなるのは「目的」が喪失し、「全体像」が見渡せず、「自分が何をやっているのかわからない」「やっていることに意味を見いだせない」状態に陥るからではないか? このマインドセットのまま、「お金」や「休み」や「福利厚生」を手厚くしても、みんな幸せになれるのか?
いわゆる「働き方改革」をいくらやったところで、そもそも仕事自体がつまらなく、仕事についての「モノの見方」がネガティブだと、永遠に「仕事、ダリィ」ということになるのではないか? だから、私は「働き方改革」もいいけれど、同時に、職場が「仕事を通じて人生を楽しめるプラットフォーム」であること、加えて、 それ以前の「モノの見方改革」(なぜ、働くのか? 自分にとっての幸福とは何か? 根本的な自己認識=「自分なりの基準」を持つこと)が重要ではないか? と思っているのです。
第3に、これが最も重要なことですが、上述した組織能力は、戦略ポジショニングがなければあり得なかったということです。トレードオフを明確に選択し、「何をやらないか」がはっきりしている。だからこそ、やることについては能力を継続的に深めていけるという成り行きです。人間の注意や努力には限りがあります。「何でもできる」を目指してしまうと、「何もできない」ということになる。
ようするに、戦略がはっきりしているから、能力構築に本腰を入れて取り組めるわけです。戦略が先、能力は後。
この順番が大切です。裏を返せば、デライトの組織能力が優れているからといって、全国チェーンの大手スーパーや一般的な食品スーパーが、上述したような能力構築の仕組みを「ベストプラクティス」として導入したら、戦略とのミスマッチをきたし、指揮命令系統が崩壊し、かえってパフォーマンスは低下するでしょう。組織能力が真似できないのではなく、その前提となっている戦略が真似できないのです。繰り返しますが、現場任せのボトムアップでは能力構築はままなりません。組織能力はあくまでも経営者が自らの責任において設計し、開発するものです。
私見では、フランクリンのリーダーとしての特質は次の3点に集約される。第1に、ジェネラリストであること。リーダーに「担当」はない。定義からしてリーダーは担当者とは異なる。特定の専門分野に閉じこもらず、成すべき目的を実現するためには何でもやる。自分の前の仕事丸ごとを相手にする。今日では「ジェネラリスト」というと専門能力がない凡庸な役職者のように聞こえるが、それは誤解だ。そもそも「ジェネラル」とは総覧者を意味する。ようするに「総大将」。フランクリンは言葉の正確な意味でのジェネラリストだった。
第2に、プラグマティスト(実利主義者)であること。耳障りがいいばかりでその実空疎なかけ声に終始する似非リーダーが少なくない。目的の実現にコミットするのがリーダーの仕事だ。そのためには言うだけでなく実行しなければならない。しかも、一人でできることは限られている。自らの構想に多くの人を巻き込んで、目的の実現に向けて動かしていかなければならない。そのためには合理的でなければならない。あっさり言えば、みんなにとって得になることをやるということだ。合理的でないと、立場や利害を超えて人々が乗ってこない。実行するためには構想や指示や行動が現実的かつ具体的でなければならない。フランクリンはどんな仕事をするときも常に合理的で実利的だった。
第3に、社会共通価値を追求したこと。フランクリンは生涯を通じて実利を求めた人だった。しかし、スケールが大きい。彼が追求した利得は彼だけのものではなかった。自分の周囲にあるコミュニティーの人々、ひいては社会全体にとって得になることを常に考えていた。だからといって、自分の利得を劣後させ、自己犠牲の精神を発揮したわけでは決してない。自分の利得になることが社会全体にとっても利益になればなおよい。さらに重要なこととして、社会にとって大きなスケールで得になることをした方が、自分にとっての利得も大きくなる――表面的には矛盾するかのように見える利他と利己が無理なく統合されている。ここにリーダーとしてのフランクリンの思考と行動の最大の特徴がある。
プラグマティズムの人
何もないところから身を立て、苦労を重ねながら実業家として成功したフランクリン。彼の信念は「信用第一」。 信用を獲得するためには、勤勉で誠実で正直でなければならない。フランクリンは生涯にわたってこの価値観を貫いた。
彼の勤勉で誠実な生き方は観念的な倫理や道徳によるものではなかった。それが結局のところ自分の利益になるからだ。どんな仕事でも勤勉に働く姿を見て、周囲の人々はフランクリンを信用するようになった。「私はなにも、 自分の勤勉さを自慢したいわけではない。これを読んだ自分の子孫に、勤勉さがどれだけの利益をもたらすか知ってもらいたいだけだ」――フランクリンの思考と行動は徹底してプラグマティズム(実利主義)に基づいていた。
自分の利益が社会全体の利益と共通している。フランクリンの目的設定は常にこの意味での共通価値を向いていたフランクリンの思考様式は、後世の日本に現れた渋沢栄一――日本近代資本主義の父――のそれと驚くほど共通している。渋沢の持論であった「論語と算盤」をある種のバランス論と勘違いしている人が少なくない。つまり、 資本主義なり商売の利益追求(算盤)はしばしば暴走してしまう。したがって、人間道徳(論語)でブレーキをかけなければいけない。渋沢は今日のESGやSDGsを先取りしていた――渋沢の主義主張をこのように理解している人は、おそらく「論語と算盤」をまともに読んでいないと思う。
道徳的な商売が長期的にはいちばん儲かる――これが渋沢の結論だった。頭の中が算盤だけの人は実は欲がない。本当に大きな欲を持つ商売人は必然的に「論語と算盤」になる。フランクリンと渋沢はともに大欲の持ち主だつた。世の中全体を相手にしながらも、現実的合理主義で実利を見据え、自ら実行することによって社会共通価値の創造を果たした。
フランクリンや渋沢は現代のESGやSDGsを先取りしていたのか。そうではない。企業が社会的存在であることは今も昔も変わらない。人間の本性やそれによって構成される社会の本質もまたフランクリンの時代から変わらない。変わらないことにこそ本質がある。世の中の不変にして普遍の本質をつかむ人は、国や時代がどうであれ、 同じ結論に到達するというだけの話だ。
リーダーの一義的な資質は人間社会についての洞察力にある。人間と社会の本質を見極め、その本性を善用する。 そこに古今東西のリーダーの本領がある。大きな仕事を成し遂げるリーダーとはどのような人か――――本書『フランクリン自伝」は、この永遠の問いに対するほとんど完璧な回答を与えている。
「リーダーシップが求められるのはチャンスとピンチのとき。それ以外のときはそれほど必要ありません。ここぞというときに、いかに明確なリーダーシップを発揮できるか」――これほどリーダーシップの本質を深く鋭く抉り取る言葉を他に知らない。
宿澤氏は著書として『TEST MATCH」を遺している。日本代表監督時代を振り返った「戦記」だ。リーダーの仕事の核心は戦略の決定にある。それは勝つ確率をできる限り増大させるものでなくてはならない。宿澤監督の戦略の神髄は「絞り込み」にあった。
1991年のワールドカップの地域予選。3戦中2勝しなければ本選に進めない。韓国に勝つのは絶対条件として、残る西サモアとトンガのどちらかに勝たなければいけない。この局面で、西サモアに勝つことは早々に諦め、 トンガ戦に持てるすべてを集中する。これが本選出場への「最短距離」という判断だった。
本書の冒頭に「この本を21世紀のラガーマン達に捧ぐ」という言葉がある。ラグビー宗主国の8ヵ国と互角に渡り合う。その目標に向けて日本ラグビーの基盤づくりに奔走した宿澤氏。没後13年を経て、その遺言は実現した。 天国で「遅えよ」と言いつつも、にっと笑ったに違いない。
基本的に世の中はよい方向に向かっている
楠木 やはり文明の終わりが文化の始まりなのであって、物質的に充足して文明化が終わりに近づいている今は、 単に進歩を目指すのではなくその是非が問われているということですね。「衣食足りて礼節を知る」と言われますが、これは裏返すと「足らないと知れない」ということです。
その意味で、僕はポジティブに考えています。おっしゃるように企業が個人の便益にあまり言及しないのは、物質的な充足よりも社会的な課題解決の方が多くの個人にとっての価値になりつつあることが背景にあると思うんです。
山口 アメリカの哲学者ケイト・ソパーが、エシカル消費やミニマル消費は自己利益の抑制ではなく、社会や環境に対する利益、配慮が積極的に自己利益に内部化されていることであり、それをよしとする世代がマジョリティになりつつあることを見誤らないように、と指摘しているのですが、先生がおっしゃっているのもまさにそういうことですよね。
楠木ええ、そうです。その傾向は消費財だけでなく産業財やB10Bの世界にも広がり始めていると思います。 ヨーゼフ・シュンペーターはイノベーション理論で知られた経済学者ですが、僕がすごいと思うのは、彼は今から 100年以上前に資本主義が成熟すると限界を迎え、社会主義になると言っていることです。資本主義に内在されているロジックから必然的に社会主義になるんだと。実際、今の資本主義にはどんどん社会主義的な修正がかかっていますよね。ただし、シュンペーターは問題が一つあると言っている。やることがなくて退屈な世の中になってしまうんだと、ある種の人にとっては。