加藤周一のレビュー一覧

  • 文学とは何か

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    買ってから気付いたのだが、先日角川ソフィア文庫から刊行された岡潔『春宵十話』『春風夏雨』に続くシリーズで、装丁が可愛い。

    最初は、随筆のような体裁から、ずどーんと文学論が来たので、なかなか重かった。
    しかし、文学とは何か、というあやふやな境界線を明確にしようと試みる、その姿勢にも方法にも脱帽である。これが31歳の時だなんて、絶対、追い付けない。

    一回性の生を語りながら、それが普遍的であること。

    分かっているけれど表現できないものを、分かりやすく説明されたときの感動ってこういうことを言うんだな、としみじみ頷いた。

    京都の庭の美しさのくだり(ちなみにブルーノ•タウトが引用されていたのは個人的に嬉しかった)、それから定家の人生における歌人としての推移のくだり。
    これは、何度も読み直して味わいたいくらいで、すっきりと言葉が収まってゆく。

    解説では、文学という主観的な方法を、客観的な方法を使って論じている、と書かれているが、「何か」を述べる上でこんなに整理された流れはないのではないか。

    比較する対象は時間や場所と忙しないながら、それが煩雑には思えなかった。
    「先人に学ぶ」シリーズ。自身の勉強になった。

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    2014年08月14日
  • 続 羊の歌 わが回想

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     久しぶりの加藤周一氏の著作です。
     だいぶ以前に「羊の歌」は読んでいるのですが、本書は、いつかは読もうと思っていた「続編」です。
     本書での加藤氏の回想は、「終戦直後の東京の風景」から始まります。この終戦直後の東京の風景は、その後の加藤氏の思想の原点を規定するものだったようです。
     本書では、加藤氏がヨーロッパで暮らしていた頃のプライベートな交流の様子も詳しく語られています。また、医者の道を捨て、文筆に生きることにした瞬間も明らかにされています。そこにはやはり“戦争”がありました。
     時々思い出したように読みたくなるのが加藤氏の著作です。

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    2013年03月17日
  • 羊の歌 わが回想

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    昭和の偉大な頭脳が自らの人生を振り返り、その中から時代を考察する内容。今まで読んだ本の中で、一番美しい日本語のエッセイだと思います。何度も読み返したい一冊。

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    2011年12月16日
  • 日本文学史序説 (上)

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    著者があげている日本文学の主な特徴で、印象的だったものは、3つある。

    1つは、体系だった思想を持たず、部分から入る。

    2つめは、新を取り入れる場合、旧を新に変えるのではなく、新をアレンジして旧に加える。

    3つめは、求心的で、都会で起きたことを都会にいる作者が書いて、その読者も都会で享受する。

    ああ、やはり日本人は昔から、理屈ではなく、周りの雰囲気や空気で行動するのだと思った。
    さらに、私が全体を見通すのが苦手なのも、都会と田舎なら都会に惹かれるのも、日本文学・読者の何よりの証拠なのかもしれないと感じた。

    本書は歴史の教科書のように、丁寧にその時代の状況を述べ、その時に表された文学作品、宗教的哲学的著作等を、読み解いていく。

    一番面白かったのは、平安時代と鎌倉時代。
    古今集や紀貫之に対して、「自然など愛していない」と言っているのには、驚いた。
    私も平安時代の人たちのように、季節に敏感になろうとしていたが、それでどれだけ自然を見ていたのか考えさせられた。

    整然とした体系に組立られた「十住心論」を表した空海の真言宗より、妥協的・総合的だった天台宗の方がより発展したというのが、とても日本らしいと思った。

    世の中を批判した漢詩が載っているとして「本朝文粋」が紹介されている。
    当時の世の中は藤原氏が実権を握り、面白くない人には相当不愉快な日々だったろうが、和歌などでそれが歌われることはなかった。
    批判などは主流の和歌ではなく、漢文のマイナーな場でしか発表できなかったようだ。
    唐の逃避文学の陶淵明の流れに近いらしい。

    大好きな平家物語は、平安末期の貴族知識人にとってありふれた価値感の寄せ集めでできていながらも、時代を反映するとともに、時代を超えたと書かれてあったのは、嬉しかった。

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    2011年08月12日
  • 続 羊の歌 わが回想

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    ネタバレ

    [ 内容 ]
    すべての自由を圧殺していた軍国主義は、一九四五年八月十五日突然崩壊。
    著者は本郷の医学部にもどり再び研究生活に入る。
    やがて戦後文学の出発となった「一九四六年文学的考察」の発刊、フランス留学、アジア・アフリカ作家会議への参加と著者の足跡は広がり、折から起った日米安保条約反対の大運動はすべての日本人を巻きこんでゆく。

    [ 目次 ]


    [ POP ]


    [ おすすめ度 ]

    ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
    ☆☆☆☆☆☆☆ 文章
    ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
    ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
    共感度(空振り三振・一部・参った!)
    読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)

    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

    0
    2011年05月10日
  • 羊の歌 わが回想

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    ネタバレ

    [ 内容 ]
    「現代日本人の平均に近い一人の人間がどういう条件の下にでき上ったか、例を自分にとって語ろう」と著者はいう。
    しかし、ここには羊の歳に生れ、戦争とファシズムの荒れ狂う風土の中で、自立した精神を持ち、時世に埋没することなく生き続けた、決して平均でない力強い一個性の形成を見出すことができる。

    [ 目次 ]


    [ POP ]


    [ おすすめ度 ]

    ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
    ☆☆☆☆☆☆☆ 文章
    ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
    ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
    共感度(空振り三振・一部・参った!)
    読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)

    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

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    2011年04月28日
  • 日本文学史序説 (下)

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    日本文学を通史で把握している数少ない人物。作品を当時の歴史や思想と深く関連づける。「上」から読み始めても挫折しそうなので、馴染みの深い近代文学を扱う「下」から読み始める。

    また、農民による一揆やおかげ参りを彼等の表現方法として捉える柔軟さは、アニメや漫画がもはやマイナーではない今日において重要かもしれない。

    0
    2011年03月26日
  • 日本文学史序説 (上)

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    難しそうだと思い読み始めたのだが、案外読みやすく、そしておもしろい。歴史的な背景や人物、主要な作品に関する基礎知識はやや必要だと思うが、それとても高校で学んだ程度、「そんなのあったな〜」「そんな人いたな〜」、つまりは聞いたことがあるくらいのレベルで十分ついていけると思う。
    さすがは20世紀を代表する知の巨人で、扱う内容が高度で複雑でも、なぜかすんなりと読めてしまうから不思議だ。きっとその理由は主題の明快さにある。「日本固有の土着世界観」という観点が最後までぶれない。この明確な主題に導かれて、読者は安心して知恵の大海に漂うことができる。

    分厚いし、一見難しい文字ばかり並んでいるけど、敬遠せずにチャレンジしてよかったと思った。

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    2010年02月13日
  • 日本文化における時間と空間

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    【日本の庭】
    庭園の美についての評論です。
    庭園を単なる「景色の美しさ」としてではなく、
    「人が自然に対してどういう態度を取っているか」の精神性の現れとしてお話しています。

    クライマックスでは、
     ◉龍安寺の石庭 ◉修学院離宮 ◉桂離宮
     の対比が興味深かったです。

    ① 龍安寺の石庭は、
     自然の「徹底的な拒否」の抽象。
     緑の草木や池の水を一切使わず、15個の石と白砂
     だけで構成された引き算の空間。
     自然をそのまま受け入れるのではなく
     自然を徹底的に拒否し、
     人間の知性で抽象化した芸術であると。

     極限まで無駄を削ぎ落とした、
     静寂と高い緊張感のある庭だと。

    ② 修学院離宮は、
     自然への完全な降伏と抱擁。
     広大な比叡山の山裾や、周囲の自然の山並みを
     背景として取り込んだ(借景)ダイナミックな庭。
     龍安寺とは真逆で、人間が自然に逆らうのをやめ

     圧倒的な大自然の広がりのなかに身を委ね、
     一体化する心地よさ
     自然への降伏の空間であると。
     境界線がなく、世界のすべてを庭にしてしまう
     美だと。

    ③桂離宮は、
     人間と自然の「完璧な調和」、最高到達点で
     あると。
     一見すると、ただの美しい自然に見えます。
     でも、そこにある池の形、橋の架け方、石の配置
     飛び石の歩幅にいたるまで、すべてが
     人がこれ以上ないほど緻密に計算して配置した
     人工のものです。
     「人工」でありながら「自然」に見せる。

     人間が自然を支配する(西洋の庭園の思想)
     のでもなく、自然に屈服するのでもない、
     人間と自然が最も対等で、最も幸福に調和した姿
     が、桂離宮にはあると
     言っています。

    龍安寺の様に自然を拒否するでもなく、また、
     修学院離宮の様に、ただ圧倒されるでもなく、
      人が自然を完全にコントロールしつつも、
       人間と自然が最も対等で、最も幸福に調和し
        た姿が、桂離宮にはあると。


    著者は、
    桂離宮こそが、日本人が到達した、
     もっとも高度なトータルデザイン(総合芸術)
     として大絶賛しています。

    なぜ古い庭が、これほどまでに新しくモダンに
     見えるのか?
    感傷的な言葉を使わずに、ロジカルに
     鮮やかに解き明かしていく文体が
      私には合っていました。とても共感出来ました。

    やはり私は
     小林秀雄さんではなくて、
     加藤周一さんのほうが、なんとなくわかります。

    小林さんのは、私にはよく理解出来ませんです。

     小林さんは、
     美に対して沈黙する直感の人。美は言葉で野暮に
     説明するものではなく、その真を見つめて感じる
     もの!貴様にはそれがわかるのか?感じることが
     出来るのか? 俺はわかるぞ!

    って、言われてる様な気がしますが、
     私にはわかりません。
     そんな素質が無いからです。


    本書には、
     小林秀雄さんの文字は出てきませんが、
     加藤周一さんを読むとき、思い出すのは小林さん
     です。
    で、
     小林さんが出てくると、思い出すのは、
     三島由紀夫の「金閣寺」です。

    と云うことで、
     今度は「金閣寺」を、再読してみようかしら?

    ちなみに、
     金閣寺のラストのくだりで、主人公を最後まで
     三島さんが生かしたことに賛成派です。私は。
      永遠の賛否点ですが、私は
    あれで良かったのだと、今でも思っています。
    否! むしろああでなければ、「金閣寺」は、
    凡庸な作品になっていたと思います。


      ここでも、小林さんとは、異なりマスが。


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    2026年08月12日
  • 加藤周一著作集 4

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    著者の代表作である『日本文学史序説』の前半部分にあたる、古代から近世初頭までを収録しています。

    本作は、批評家である著者によって書かれた、日本文学史の全体像の概説です。専門分化のいちじるしい現代では、特定の専門領域をもつ文学研究者がこうした試みをおこなうことはほとんど不可能となっています。日本文学の研究者である小西甚一には、『日本文学史』(1993年、講談社学術文庫)という、ひろく読まれている名著がありますが、これは「文芸」という観点に限定して、日本文学史をたどる内容となっています。また、批評家で詩人でもある大岡信にも『あなたに語る日本文学史』(2023年、角川ソフィア文庫)という作品がありますが、こちらは大岡の専門というべき和歌・俳句・詩などを中心とするものです。

    これに対して、本作でとりあげられている「文学」のうちには、親鸞や道元といった思想家までもがふくまれているばかりか、世阿弥や雪舟、本阿弥光悦といった芸術家に分類される人びとにまで説きおよんで、文学を中心とする日本文化のたどってきた歴史の全体を概観する、ひとつの観点を提示しています。たとえば、本作の最初にとりあげられているのは、『古事記』でも『万葉集』でもなく、聖徳太子によって制定されたとつたえられる『十七条の憲法』です。

    その観点とは、仏教や儒教に代表される外来の思想と、日本列島に暮らす人びとが伝統的に引き継いできた土着的世界観の混じりあいを解きほぐす見かたといってよいでしょう。たとえば『今昔物語集』には、仏教説話と呼ぶことのできるエピソードが多くふくまれていますが、それは仏教的世界観を理論的に解明することを目的としたものではありません。むしろそこには、因果応報の概念が庶民のうちに定着するために被ることになった変容のありようが示されています。このような変容をもたらす要因として、著者は日本の土着的世界観を浮き彫りにすることをめざしています。

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    2026年01月23日
  • 加藤周一著作集 1

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    文学にかんする著者の論考を収録しています。サブタイトルの「文学の擁護」というタイトルの論考では、ラブレーやモンテーニュをもふくむ「文学」の概念をめぐる考察です。著者は、プルーストの『失われた時を求めて』のなかの「ジルベルトは、政府があまりにしばしば変るので誰も敢えて同盟を結ぼうとしない国々のようであった」という一文を手がかりに、具体的なものを掘り下げることで現実全体を批判的に超えようとする文学の意義について考察しています。

    また本巻には、著者の比較的若いころに書かれた、フランス文学にかんする批評も収録されています。とくに著者が関心を向けているのは、ルソーに代表されるロマン主義と、その伝統に対抗することで象徴主義の潮流を形成したボードレール、ヴァレリー、マラルメの文学です。古典主義とロマン主義の対立は、「完成と無限」ということばで簡潔にいいあらわすことが可能です。ルソーはその社会思想において、自然のなかに暮らす人間に理想を見ようとしましたが、彼がその理想を把握するための手がかりとしたのは、感性という開かれた能力でした。ここに、ルソーの大きな影響を受けつつも、実践理性の自律を原理とする倫理学を構築したカントとのちがいがあるといえるでしょう。著者は、経験論の立場にたちつつもロックのような反省の働きを認めず、あくまで感性のみに依拠して思索を展開したコンディヤックに注目し、その思想史的な意義について論じています。

    他方象徴主義は、建築家が石を素材として建物をつくるように、ことばを素材として詩をつくることで、現実世界とは異なる詩と芸術の領域を切り開きました。このような意味で、ヴァレリーにとって詩は「創造の技術」にほかならなかったと著者は論じて、最後に「我国には知られざる、―全く知られざる海悲願の一私人に就いて、私は余りに長く言葉を費した。我々は我々の現実にもどらなければならない。そこには焼跡がひろがっている」と語ります。その後著者は、日本の文化と文学について考察を開始しますが、当時の著者の時代状況に対する態度がこの文章に示されているように感じます。

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    2026年01月21日
  • 海の沈黙・星への歩み

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    かなり前に古本屋でこのタイトルかっけーみたいなノリで買ったんだけど(ちゃんと当時の岩波の帯もついてる!)寝かせに寝かせて今読みました。たぶん抵抗文学は初めて読むかもしれない。

    海の沈黙を読んだ時に、切ない最後だが最後に姪がご機嫌ようと返事をしたところで少しは彼の光になったのではないかと思った。
    星への歩みはわたしにとっては少し難解で、一度読んでえ??と思い再度読んだらやっぱりそうでとてもとても悲しかった。星への歩みってそういうことかー。

    悲しいにしても、対照的な2作品だと思った。
    わたしは日本人だし西洋人の感性を持ち合わせていないのできっと読み取れていない情報や意味が沢山あるのだろうとは思うが、それにしても静かな重みがあり悲しみに溢れていることは十分伝わった。

    愛は汚れた結末のなかに消えることが多い。悲しい!!!今思い出しても悲しい。でも読んで良かった。

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    2025年07月23日
  • 最終講義 挑戦の果て

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    戦前から戦後、現代に至るまで各分野の知の巨人らが述べた良書である。
    多様な著者の文学研究以外の物理学や法学、社会学など様々な研究で得られた知見と知のバトンを次世代に受け継ぐ本である。
    興味があれば、中学生からでも読み始めている人は多いだろう。研究者とは「研究しない自由はない」と本著で述べている通り、全ての学問に対する研究に責任があると説く。第一線で活躍していた研究者の言葉を聞き、現代の価値観や様式、世界規模での情勢をその時の生きた時代の研究者へバトンは渡され、人類は発見と修正を繰り返しながら前に進んでいく。世界は広い、本著でも紹介されきれない研究者は山ほどいるだろう。そして、今生きる現代の次世代の優れた研究者も生まれ始めているだろう。この連鎖は昔も今も未来も変わらない。
    研究ということを人類が放棄しない限り、未来永劫続くだろう。
    本著は主に今研究している人とこれから研究者になろうとしている次世代への期待を込めた良書であり、知的発見と好奇心をくすぐられる内容となっている。研究という中だけでは留まらず社会貢献をしてその研究が生活に浸透したとき、誰かの心に知的好奇心に響いたとき、研究という知の結晶のバトンは繋がれていくのだ。

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    2025年07月19日
  • 都鄙問答

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    ネタバレ

    儒教に神道や仏教も取り込んで商人に求められる心構えを説き、後に心学といわれるようになった。

    商人に求められる心構えというが、個人的には商人だけでなく、多くの方々に当てはまることでなないかと思う。

    読書は読んだ量ではなく、内容を理解していることが必要である(自分の中で組み替えられる。石田梅岩は自分の中に取り込むことができ、あらゆる例え話で先人の言葉を解説することができている)。

    ・親孝行が大切である(親が望むことを実行する)。
    ※親が悪であっても、誠を尽くせるかどうかという心の在り方が問われる。
    ・倹約、仕事に励むことの必要性

    そして何よりも、人の心を知るのが大切であると説いている。
    人の心は空のようであり、体は大地のようである。
    心は形がないから掴みにくいが、本心、性を知り、世のため、人のために尽くすことが必要である。
    だからこそ、学び続けなければならい。

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    2025年07月15日
  • 羊の歌 わが回想

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    東京帝大卒、というよりはナンバースクール卒、という括りでのモデルケースを担って来た人物の自伝と言っていいのではないか。

    自分が読んだ限りでは、本書を覆う空気は同じ一高卒の中村稔「私の昭和史」に似ているし、同じ東京帝大卒でもナンバースクール卒ではない渡邊恒雄や堤清二の回顧録とは大分異なる。

    ただ、横光利一を吊し上げた激烈さは本書内でも異彩を放つ。相手した横光も己の言動に疑う所がなかったのか、後ろめたさを感じつつもその場に出ざるを得なかったのか。

    高久書店にて購入。

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    2025年06月15日
  • 最終講義 挑戦の果て

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    本書に掲載された最終講義について一言ずつ。

    桑原武夫…仏文学者以上に隲蔵さんの子息、というイメージが強い。垣根を越えた研究という事では共同研究も論語の著作も同じなのかも知れない。

    貝塚茂樹…大学者一族の一角、湯川秀樹は弟。東洋史学者の模範的な最終講義だと思う。

    清水幾太郎…60年安保前後で言論が大きく変わった、という印象の人だが、コントに興味を持つ面白い講義だった。

    遠山啓…存じ上げない方だったが、数学論がほんのちょっと分かった気がした。

    芦原義信…ゲシュタルト心理学から都市空間を観るのは面白い。

    家永三郎…教科書検定裁判の人、として子供の頃から名前は知っていた。大人になってから読んだ戦争責任は興味深かった。

    猪木正道…独裁とは、その独裁を必要としないような状態を作る為の非常手段である、か。

    梅棹忠夫…民博の父。関西のアカデミズムを代表する1人。

    江頭淳…慶応と奥さんが大好きな人だったんだな、と思う。奥さんを亡くして生きる糧を見失ったのか。

    木田元…ハイデガーがほんのちょっと分かった気がした。メルロ=ポンティという響きが何か好き。

    加藤周一…在校生だったのに何故この最終講義の存在を知らなかったんだろう…

    中嶋峰雄…この方も存じ上げなかった。文明の衝突論を批判しているが、ここに来て又衝突論の有用性が唱えられている。難しい。

    日野原重明…おじいちゃんアイドル、というイメージが強すぎたが、後生に残る医学者なんだよな。

    ジュンク堂書店大阪本店にて購入。

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    2024年07月17日
  • 都鄙問答

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    2021年刊、中公文庫。1984年の「日本名著、冨永仲基・石田梅岩」に掲載のもの。以下、カバーの裏書から。

    文字がない時代にも天の道理があった。文字ではなく「心」を知れ。商人出身の梅岩は神道・仏道・孔孟老荘を独自に解釈、倹約と倫理を重んじる商人道を説いた。その思想は階層を超えて武士にも「心学」として受け入れられる。本書は問答形式をとり、生産と流通の社会的役割の評価、利益追求の正当性を説いた画期的な思考を読み解くことができる。

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    2023年09月29日
  • 日本人とは何か

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    本書は小論8編が収録されたもので、まず「日本人とは何か」という短い小論(1958年)からはじまります。断片的な理解になりますが、著者が主張せんとしていることは、(多くの)日本人は超越的・普遍的な価値観ではなく、経験的・実践的な感覚に大きく依存することです。そして仏教、キリスト教、さらに古代ギリシャから西欧近代の思想・哲学など普遍的な思想は外来種として日本に来ますが、これらは日本人に根付いたとは考えられない(もちろん一部の例外はあるものの)、という主張です。しかし、本居宣長のような国学こそが日本だ、という主張も間違っていることになります。外来思想が混じってこその日本文化であるからです。

    本書ではこの視点を様々な切り口から論じますが、特に興味深かったのは日本の「知識人」(特に戦時下の)を通じてこれを分析している点でした。日本の知識人と言いますと、基本的には西欧からの思想を取り込んでそれを日本国内で喧伝している人々ですが、加藤氏に言わせれば、大半の知識人は普遍的な外来思想を血肉として自分に宿してはおらず、それらの「思想」は戦争時には吹き飛んでしまう。そして自分が日々体験している現実が圧倒的に勝ってしまうのです。つまり日本人は自分たちの経験を通じて血肉とした思想がない、それこそが日本人であるということで、ではその先にどんな可能性があるのか、まで議論してもらえるとうれしかったのですが、そこまではあまり踏み込んでいませんでした。本書のどこかに「精神面での開国」が起こるだろうというような記述がありましたが具体的には?というところです。

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    2023年05月04日
  • 都鄙問答

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    商売は立派な営みであり、営利追求は賤しいものではない。商人の儲けは侍の俸禄と同じ。※石田梅岩の思想はカルヴァン派の役割を果たし、日本の近代化を円滑にした(Bellah, 1957)。▼宇宙のありかたにかなった私心のない態度が大切。お金や商品を使って、社会の適切な運営に寄与することが大切。石門心学。石田梅岩ばいがん『とひもんどう』1739

    大乗経典は釈迦の教えにさまざまな学説が加えられて成立。上座部の方が比較的初期仏教の原形をよくとどめている。大乗非仏説論。富永仲基とみなが・なかもと『出定後語しゅつじょう ごご』1745
    ※既存の宗教権威の否定。
    ※懐徳堂。大坂。町人によって建てられた学校。家業の合間に学ぶ。仕官の道はなく、学問のための学問。

    すべての人間が農業をして、衣食住を自給すべき。そうすれば平等になる。貨幣の使用も必要ない。学問や読み書きそろばんも必要ない。武士や職人、商人も必要ない。▼人は自然の全体なり 故に自然知らざる則は吾が身神の生死をしらず、 生死を知らざる則は自然の人に非ず。人に非ずして、生きて何をか為さん。安藤昌益しょうえき『自然真営道しぜんしんえいどう』1753
    ※出羽。秋田。

    道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である。二宮尊徳

    神・仏・化物はなし。世の中に奇妙ふしぎのことは猶なし。無鬼論(無神論)。山片蟠桃『夢の代しろ』1820
    *科学的合理性
    ※懐徳堂。大坂の商人

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    2023年04月01日
  • 羊の歌 わが回想

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    羊の歌 加藤周一

    1945年を今の自分と同い年で迎えた加藤周一の回想録。東大医学部卒の医学博士ながら、文学を中心に評論の世界でも有名な加藤周一が生まれてから終戦までを回想した自伝である。一高→東京帝大の日本における超エリートかつ実家も渋谷の開業医という加藤の並々ならぬ人生の前半の記述である。今回私が本書を手に取ったのは、10代後半から20代にかけて戦争を経験し、自分と同じ学年である26歳で終戦を迎えた若者が、当時の日本の雰囲気をどう感じていたのかということを少しでも追体験できればと思ったからである。本書にもあるが、徹底して精神論を嫌う加藤は戦争に対して極めて否定的かつ悲観的であるという姿勢が貫かれている。当時の加藤のような知識人階級の人間にしてみれば、威勢がよく権力欲にまみれた軍部が日本をいつの間にか乗っ取ってしまい、知らない間に勝ち目のない戦争に向かっていったという感覚であったと書かれている。戦後史において、敗戦の責任の所在やなぜ軍部の膨張を止めることができなかったかなど、丸山眞男を筆頭に歴史考証がなされている。その中では、当時の軍部でさえもずるずるべったりと戦争に引きずりこまれていくような感覚であったとされているが、無論加藤をはじめとする一般の人にとっては、軍部の暴走に巻き込まれ、勝ち目のない戦争に召集されたという感覚が強かったのであろう。だからこそ、日本では敗戦記念日ではなく、終戦記念日と呼んでいるのかということも合点がいく。これは、日本人の中で、大多数が希望せずに巻き込まれた戦争というものが終わったという感覚が正しいからなのであろう。無論、終戦と呼ぶことで敗戦に対して無反省でよいわけではないが、回想録の中では、そのような印象を受けた。裏を返せば、誰もが巻き込まれて少しずつ加担していった先に、戦争というカタストロフがあるのであれば、非常に恐ろしいことであるとも言える。

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    2021年08月15日