加藤周一のレビュー一覧
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2008年12月5日、加藤周一氏死去。
この日、日本の知性は、その頭分だけ低くなった。
20年ほど前、生涯ベスト本を3冊あげたとしたら、と考えたことがあった。この本は、その一冊であって、今も考えは変えていない。
基準は何か。
気づきは数多く、表現が素晴らしいということは前提である。
今年、数多くのリスペクト作家の忌み日レビューをした。その人たちは、間違いなく私の人生に影響を与えた人たちだったけど、
一冊の本が、自分の信条に決定的に影響を与えたということで、この本のインパクトは絶大だった。
そういうことが20歳の夏に起きたのである。
論理は明晰。氏の論理展開が、どれほどわたしの文章の中に息づいているか。或いは、届かないでいるか。
同時に、古今東西の文学的教養が瞬時に氏の脳髄の中で交差し止揚されて出てくる妙義。教養は孔子の『論語』から、邦画『緋牡丹博徒』に及ぶ。
「理」と「情」のみではない。
悲の人、倫理の人として、一貫して日本の平和を願った。友だち2人が戦争に赴き戦死し、或いは人間が変わったという。氏によれば、自分と同等の知性を持っていた学生だったという。氏と友人の未来を別ったものは偶然でしかなかった。氏は戦争を憎んだ。何をして日本人は2つの大戦を許したのか。その文化的背景は何か。西欧に留学した氏はそこから日本を観察して「雑種文化」たる日本を発見する。
元に核のような日本文化があったわけではなく、日本人は外国文化の雑種ではある。けれども、無秩序に他国の文化を取り入れたわけではない。
彼岸と此岸で言えば此岸、永遠と刹那で言えば刹那、理性的と感覚的で言えば感覚的、個人的と集団的で言えば集団的、全体と細部で言えば細部を、日本文化は摂り続けた。
氏の文学の定義は広い。空海の「三教指帰」も兆民の「三酔人経綸問答」も評論する。日本文学史は日本思想史にもなった。
例外は存在する。例えば法然・親鸞の神はキリストの神に近い。此岸ではなく、彼岸を求めた。そういうことも含め、一貫した評論基準をつくり一つ一つの時代と作品を緻密に冷静に大鉈を振るって裁断し、美しい絵巻を作り、日本人がどう変わったのか、にも関わらずどう変わらなかったのかを、たった2冊の本で展開してしまった。
日本人は何処から来たのか、何処へ行くのか?
高校生の時に、そういう「モデル」みたいなものを見れば、わたしの行く道が見えると思っていた。
この本は、正にそのモデルを提示したのと同時に、実際に読んでみれば次から次へとその先の森が見えてくる本でもあった。読めば読むほど、すべてを解ることを、その端から拒否する。結果、遂に「何処に行くのか」わからないままだ。氏自身が、晩年まで自らのモデルをアップデートし続けたのだから、末端のわたしなど何をか言わんや、だ。
今回は1頁も本を開かずにレビューを書き終えた。氏への本格的な評論はまたの機会としたい。 -
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1919年に生まれの評論家、作家、医学博士。前から気になり読んだ。加藤は生まれながらにしてヒューマニズムを身につけていた。
この本は生まれて8月15日のポツダム宣言受諾の日までの自伝です。戦前、軍国主義を嫌悪し太平洋戦争を覚めた眼でみていた。12月8日の開戦の日、新橋演舞場で文楽を観てたと言う。医者の家庭に生まれ、日比谷の一中、一高、東京帝大医学部を出たエリートだけど文学に親しみ多くの本を読んで高校大学で沢山の後に有名になった文学青年と交流している。フランス文学に傾倒した話、祖父が明治の始め軍人になり、後に実業家でひとやまあてたが事業が不振になり身を落としていくが、父が東京帝大出のやはり医者であったが帝大の学者から渋谷で開業したが日本のエリート、セレブを患者にしたがあまりはやらなかったと書いている。戦後9条の会などで平和を訴えてきた文化人の戦前戦中の日本の状況を織りまぜて、一つの青春記です。
これから8月15日以降の戦後から日米安保までの続編を読もうと思います。
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都鄙問答(とひもんどう)
著:石田 梅岩
訳:加藤 周一
中公文庫 968
都鄙とは、都会と田舎ということです
本書は石門心学の祖である、石田梅岩が、問答という形でその教えを広めるために使ったテキストです。
宋学(=朱子学)をベースとしていて、神・儒・仏を日本の古典を読み、まとめ上げた書であるが、その根底には 心を知るという、三教を共に悟る教えが中心になっている
いままで、全集の中ぐらいにしかなく、文庫になってようとはおもってもいませんでした。
2021に中公文庫の古典シリーズの1つとして発行されていました。
丹波の山村で生を受けた梅岩は、隠遁の学者、小栗了雲に出会って、性理の蘊奥を極め、悟りを開いた。そのことが、都鄙問答に書いてある。
1729年に了雲が没し、45歳の梅岩は京都に出て、講席を開いた。いわゆる、心学の初めである。講釈、問答、瞑想工夫、実践の4つの手段で
人々を教化していく。
梅岩の教えは以下です。
士農工商は役割は違えども平等である
学問は実践である、学問則修身
教育が有効であるためには、教師自身の修身が必要である、
心学の徳目とは、倹約と家業である
これまで卑しいとされてきた、商人の蓄える財貨も卑しくはない、金銀は天下の御宝である
倹約とは、経済的な活動から得られる当然のものではあるが、不正の利益はその限りではなく、商人は正直であらねばならない
梅岩は、心を知る ことを最高の目標とした 私心を去り、本来の心を見出すということである 本来の心は 性 である
本心は無私であり、私欲をふくまない 一種の禁欲主義に通じる
社会の職業・身分の区別とは同時に 天地の理 であって、動かすべからざるものである 天地の理に従うことは 分を知ること、すなわち 足るを知る ことである
しかしながら、知ることはただちに価値をその行為を通じて実現することではなく、聖人の学問は行を本とする である。行とは町人の日常生活の今である
つまり日常生活の現場にて、実行されなければならない
神儒仏ともに悟る心はひとつなり 梅岩の心学において三教一致の主張ではなく、悟る心からみれば、神・儒・仏の一致不一致などは二次的な問題にすぎないという意味と思われる
梅岩が江戸にもらした心学は、ウェーバに200年先立つ、西洋プラグマティズムの先駆を行く、先進的な経営哲学として、日本に広がっていく
登場するテキスト
易経、小学、孟子、論語、中庸、大学、礼記、詩経、孟子集註、孝経、素問、設文、荘子、書経、後漢書、法言、論語集註、史記、漢書、墨子
日本書紀、徒然草、和漢朗詠集
法華経、寿量無辺経、随願往生経、大原問答(法然上人)、阿弥陀経、観無量寿経
目次
都鄙問答 巻の一
都鄙問答の段
孝の道を問うの段
武士の道を問うの段
商人の道を問うの段
播州の人、学問の事を問うの段
都鄙問答 巻の二
鬼神を遠ざくということを問うの段
禅僧、俗家の殺生をそしるの段
或人、親に仕えることを問うの段
或学者、商人の学問をそしるの段
都鄙問答 巻の三
性理問答の段
都鄙問答 巻の四
学者の行状心得がたきを問うの段
浄土宗の僧、念仏を勧むるの段
或人、神詣でを問うの段
医の志を問うの段
或人、主人行状の是非を問うの段
或人、天地開闢の説を譏(そし)るの段
解説 加藤周一
年譜
ISBN:9784122070561
出版社:中央公論新社
判型:文庫
ページ数:232ページ
定価:880円(本体)
発売日:2021年04月25日初版発行 -
日本文化における時間と空間
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試し読み
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時間と空間のとらえかたについて、日本の文化(絵画、和歌、俳句、演劇)からその特徴を捉えようとする本です。まず時間について、世界には(1)はじめと終わりのある時間(ユダヤ教)、(2)円周上を無限に循環する時間、(3)無限の直線上を一定の方向に移動する時間、(4)始めなくおわりのある時間、(5)始めがありおわりのない時間、の5類型がある。そして古事記から始まる様々な例をひもとき、例外はあるものの、日本は(2)(3)の無限の時間の概念が主流だと主張しています。そこでは時間の分節化が難しく「いま」の連続で時間が流れゆくとのこと。
ついで空間についてですが、こちらは(1)開かれた空間、(2)閉じられた空間、という類型の中で、日本は想定通り(2)だという主張がなされます。これだけですと真新しさはないのですが、私が最も興味深かったのは、日本の空間の3つの特徴として、「オク(奥)」の概念、水平面の強調、そして建て増し思想が挙げられていたことでしょう。これは実感にあいますし、現実の建築物だけでなく企業の組織にも同様の特徴があると思いました。特に3つ目の建て増し思想については、よく隠喩で「熱海の旅館」という表現がされることがありますが、熱海の旅館に行ったことがある人ならわかるように、無節操に建て増しされた迷路のような構造になっています。著者はここから、日本の空間思想を、部分から全体へ、つまり部分重視、細部重視主義であり、全体ではなく「ここ」を何よりも重視していると指摘します。
そして2つがあわさると「いま=ここ」志向が、日本文化に見られる時間と空間の特徴だと結論づけるわけです。確かに禅宗のお寺で座禅に参加すると「いま=ここ」に集中せよ、そこにこそ真実があると諭すわけですが、これだけ座禅がブームになっていることを裏返すと、現代人は、「いま=ここ」ではなく、過去や未来、そして「ここ」以外の事象に囚われすぎているということが言えるのかもしれません。いろいろと考えさせてくれる良書でした。 -
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20世紀最大の評論家、加藤周一氏の名前が受験国語で頻繁に登場したのは、少し前の時代のこと。『雑種文化』で、文学史の教科書にも名前が載る氏が31歳での執筆のこの書は、1971年に出版された。センター試験では、1991年度の追試験の評論の問題として、この本の最終章である「文学の概念についての仮説」から引用され、出題されている。先日、書店で眺めていた書棚にこの本の背表紙を偶然見つけ、入試問題として授業で何度も扱った一節を含む同書の全体に、あらためてふれてみた。そして、少なからず驚かされた。
それは、氏の文章が、広汎な知識の引用と、鋭い論理展開に特徴づけられながら、実際には、ひどく読み易く平明だということだった。すぐれた評論は、人を寄せ付けないほど難解ではなく、むしろ読み手の脳を心地よく刺激する発見に満ちている。氏の文章がそうであるからこそ、氏は最優先に読むべき評論家とみなされてきたのだろう。
「特殊と普遍」を論じた以下の一節だけでも、そのことを理解してもらえるはずだ。「ジャン・ジャック・ルソオは、彼自身の人生を告白したので、人生一般を論じたのではありません。しかし、彼の『告白』が、人間の感情に関する普遍的な真理を呈出しているという点で、一束の心理学的事実におとるとは考えられないでしょう。統計だけが普遍的な知識を獲得する唯一の方法ではない。特殊なものを、その特殊性に即して追求しながら、普遍的なものにまで高めること ―― それこそ文学の方法であり、文学に固有の方法です」。(K)
「紫雲国語塾通信〈紫のゆかり〉」2015年3月号より。 -
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加藤周一は、昭和・平成をまたがり「日本を代表する知性」と呼ばれていた。その加藤が、50年代から数えると約50年以上「時評」を描き続け、08年に自らの死亡によって終わるまで延々と書いていたのだから、時評に並々ならぬ情熱を持っていたのは間違い無いだろう。自らを「非専門の専門家」といい、文学評論家の枠に収まらない批評活動をしていた全体像が、このまとまった「夕陽妄語」全3巻(84年ー08年)の中にあるだろう。これはそのうちの一巻目。
話題は文学はもちろんのこと、文明遺跡、演劇、音楽、映画、国内と国際政治、歴史一般に及ぶ。古今東西の総てのイシューを関連つけて、一つの説得力ある言葉を提示する。実は、私に最も影響を与えている思想家である。それに、加藤周一論をまとめることは私のライフワークなのだ(別の言葉で言えば、約35年間まとめ切れていない)。
当然「夕陽妄語」は、単行本時点で一度読んでいて、所蔵している。というか、月一度の朝日新聞掲載時点で一読している。今回取り寄せたのは、一覧の便利さということもある(この文庫本 1は朝日新聞社版3冊を合本している)。それ以上に現代に、もう一度読んでおきたかったからである。
加藤周一不在の、12年間。いったい何度「彼ならば、この混迷の日本と世界に、どうコメントしただろうか」と思ったことか。安倍政権の暴走、トランプの登場、パンデミック、等々。
加藤周一の文は、元医者らしく、病状を細かにつぶさに観察した後に、文学者らしく物事の本質を表現する言葉を見つけ出す。現代に「夕陽妄語」を読むことは、十分に意味のあることだった。「どうコメントしたか」その回答は、此処にあったからである。
以下その視点で、マイメモとして感銘受けた部分を載せる。そういう位置付けなので、興味ある部分だけお読みください。
・敦煌を見学すると、時間・空間の解放性が特徴である(釈迦涅槃像の過去仏と未来仏、そして国際性)。一方、日本の法隆寺の時空は「今・此処」に向かって収斂する。(84年9月)
←加藤の日本文化論の中心をなす「いま・ここ」論の、最も早い時期のまとまった考え。
・45年の夏は軍国日本の終わりだった。85年の夏は軍国日本の復活の年として記憶されるかもしれない(GNP1%枠外し、公式参拝、機密保護法案)。(85年9月)
←中曽根時代の話だが、思えば新軍国日本の中興の祖として安倍時代は記憶されるのかもしれない(非核三原則外し、第一次内閣時代の教育基本法改悪、共謀罪・安保法制)。加藤のいうように、何れも共通の特徴がある。(1)提案者が政府・与党(2)説明がよく見ても不分明、わるくみればすり代えであること(3)違憲の疑いが強いか、少なくとも憲法の背景にある価値観と矛盾する行動・政策・法案であること。‥‥政府の行動規範は30年経とうとまるきり変わっていない。加藤周一は戦後40年の85年の夏に明確に危機感を覚えていた。その時から、国民が国会を10万人以上で包囲する(15年安保法制)まで30年を経なければならなかったのである。
・いかん、ちょっと詳しく解説しないと意を尽くせない。上記の解説も説明不足だろうと思う。書き出せばキリがない。以下は項目だけ載せる。
・日本ナショナリズムの可能性(86.3)
・いじめの分析(86.5)
・南京大虐殺に関して「歴史の見方」(86.8)
・白馬は馬にあらず。(87.1)
←そう、白馬は馬ではないんですよ。えっ?わからない。でも政治家は、このように誤魔化すんです!
・野上弥生子日記の1937年盧溝橋事件について書いたことは、「50年前の世界での常識、日本国内での極めて少数意見であった」(87.5)
・日本における「反ユダヤ主義」の生まれる5点の背景(87.6)
←これは、そのまま日本の中国・韓国・北朝鮮観と一致する。
・「化けて出てくれ」(87.8)
←加藤の幽霊論の嚆矢
・井の中の蛙論である。歌麿の春画、元号論、貿易摩擦、対中、対ソ政策に関連して述べる。(87.11)
←特に、江戸時代の規範は、閨房の中にまで及ばない。という指摘に「おゝ今もだ!」と思った。
・宣長について。宣長が晩年写経を繰り返し、墓も神道墓の他に仏式墓を作ったのは何故か?(88.3)
←加藤周一の晩年の入信問題とリンクするのではないか?
←加藤周一は「歴史の複雑な二面性を問題にする条件」とは「勇気ある理性」と答えている。蓋し至言なり。
・「黒い穴」(88.10)
←アメリカからの帰国途中の思考。西洋思考と日本思考との比較。悲しいほどに何も変わっていない。
・1988年の思い出に加藤は高畑勲「火垂るの墓」を選んだ。(88.12)
・天皇の死去を「崩御」とはもちろん書かなかったが、「逝去」とは書いた。ほとんどはタイについて書いて、最後の行でそのことに触れた。(89.1)
・激動の89年の終わりに、加藤周一は政権交代を望んでいる。その可能性があったからだろう。それは、90年代型の政権交代ではなく09年型の政権交代ではあったのだが。(89.12)
・90年初めの総選挙では、自民党が多数を取った。そのことへの違和感を加藤周一は、3点に分けて解説する。思うに、現在でも充分通じる分析。(90.4)
・此処での加藤の「外交の季節」を読めば、この30年間北東アジアでの平和外交(ソ連・中国・朝鮮半島・日本・米国を含む集団的安全保障機関が機能し、地域の非核戦力化と経済的な協力関係が発展すること)が進まなかったのは、日本の責任が非常に大きいとわかる。(90.6)
←「ソ連の脅威」がなくなれば「日本の軍備拡大」の理由がなくなる。←しかし、「北朝鮮の脅威」を唱えて無くならなかった。
←朝鮮半島に何もできない理由を2つあげている(1)国交を持っていない(2)過去の植民地政策について、韓国側から要求されての「謝罪」ではなく、自発的に、南北朝鮮の人民の大多数が納得しうるような責任の取り方をしていない。
←加藤はこれからは「外交の季節」がやってくる。そのための障害の大部分は国際情勢ではなくて、日本側の習性や惰性であり、それを変えることは困難だろう。と喝破する。
←ホントその通りになった。「しかしその困難は、決意さえすれば乗り超えられるはずのものだから、あまり悲観的でもない」←加藤さん、30年間決意できていないんですよ。
・野間宏追悼文、情と理に溢れて名文。(91.1)
・「湾岸戦争」総括。米国の一国超大国化。後半、その下での日本の対米追随について2点の欠点を書く。
(1)「米国追随」を「国際協力」と呼ぶのは、私にはシニカルな冗談のようにしか聞こえない。「国際的孤立」、特にアジアから、を招くだろう。
←加藤周一さん、30年間その言い替えは日本では、通用しているんですよ。悲しいことに。思ったほどには西欧からの国際的孤立は招かなかったけど、アジアへは自ら進んで孤立していきました。
(2)「反動として反米感情のたかまる可能性」
←加藤周一さん、日本人は結局そんなに賢くありませんでした。韓国では2000年代に反米感情が大きく高まったのと対照的です。(91.3)
・「湾岸戦争」を「史記」的に表現。知的に咲(わら)うなり。(91.8)
・木下順二「巨匠」評。(91.9)
・ソ連解体について(91.12)
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日本文化における時間と空間
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第2部以降を読んで
2部は空間の話。古来よりムラ社会である日本において、内部の人とは対等だが、外部の人に対しては上に見て従うか、あるいは見下すかの二択であったことが例示される。例えば、ムラにおいて官吏は従う対象で、旅芸人は見下す対等だったように。あるいはかつては属国として従っていた中国を、アヘン戦争後は急に見下したように。
前に仕事で話した大企業のお偉方が、外国人のコミュニケーションと日本人のそれを比較して言っていた、「結局日本人は対等な話はできないんですよ。目上が目下に論説をぶつ。目下はうんうん頷いて聞く。それしかできない。」という話と重なる。
外交の場面でも、日本は包括的な問題解決においてイニシアチブを取ることはなく、本当に国益に関係するトピックの時だけ「わが国」の主張を通そうとする。この姿勢はあらゆる問題において関係国と調整を図り、いくつかの選択肢を提示したうえで妥協点を探すEUなどとは大きく異なるとのこと。これもかなり身に覚えがある。
これらは全て、コミュニティの内部に向かう強烈な意識に端を発するとのことだが、果たして今の日本人もそうだろうか。もはや自分の生まれた地域にこだわりのない人、さらには日本という国にすらこだわりのない人も多いことだろう。会社の形態もかつてはムラに例えられたが、今はもうそうではないことは明白だ。そういう人々が国際社会でどう振る舞い、どういう日本人像を作っていくことができるのか。少なくとも形式的にはムラの消失した現代日本において、私たちはもっと別の精神性を獲得できるはずである。いつまでも「外国人から見た日本文化のすごいところ」なんでテレビ番組を作ってご満悦に浸っている場合ではない。その段階から抜け出せる社会的土壌はもうあるのではないか?
加藤周一は(これまでの日本文化のどうしようもなく悲しい性を丹念に炙り出してくれたものの)残念ながらその先を提示してはくれない。
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第1部 (時間について)を読んで
「明日は明日の風が吹く」し、「宵越しの銭は持たない」日本文化は、過去や未来に対して明確なビジョンを持っておらず、あるのは今だけであると説く。おそらく和辻哲郎に言わせれば、台風などの突発的災害が多い日本の風土が育んだ独特の「諦観」ということになろう。読んでいて自分も、「今が良ければ良い」と思うし、「失敗しても何とかなる」と思うし、最終的には「人生はなるようになる」と思えてしまう典型的日本人の一人だと気づいた。
著者曰く、その価値観は、文明開化や敗戦後にころっと態度を変える国民性にも表れており、例えばナチスの罪を徹底的に懺悔し断罪したドイツとは異なる。(確かに右派でない人でさえ、いつまでも過去の恨みを忘れない隣国に対して、どこかで「第二次大戦は軍部の責任が大きいし、賠償金だって払ってるのに、いつまで過去に拘ってるんだろう」という感想を全く持たないとは言えないだろう)
特にこの「今さえ良ければ良い」傾向が顕著だったのが平和な江戸時代で、芸術は急激に世俗化し、室町時代のような宗教や哲学に触れたものは見られなくなるようだ。
ここまで読んで、平成のポップスを思い出した。よく「最近の歌は深みがない」というが、何のことはない、平和だったのだ。
「(たまに困っても)基本は平和」というのが、過去や未来を真剣に考えない要因として大きいのだろう思う。今が苦しければ未来への思いが強くなるだろうし、未来が危ういと思えば過去を勉強するだろう。島国で外敵も無くのほほんと暮らし、台風で困ってもまあなんとかなり、オイルショックで困ってもまあなんとかなり、リーマンショックで困ってもまあなんとかなってきたのが日本である。皮肉にもかつて日本が未来に対して何か大きな構想を持った唯一の例がおそらく大東亜共栄圏で、それは列強の侵略という危機に晒されていた時代だ。
そう思ったとき、これからの時代はどうだろう。世界情勢は日に日に危うくなっている。大国は何をしでかすか分からない指導者を抱えている。隣国との溝はここに来て急激に深まっている。国内でも嘘と本当が入り混じっている。台風や地震は、もはやちょっと困る程度の規模ではなくなっている。試しに、これからのポップスの変化には注目していようと思う。軽薄な歌よりも、哲学的な、重いものが流行りだしたら時代が変わったサインだろう。
きっと、ここからは日本人にとって不得意な時代になるかもしれない。「なるようになるさ」ではなく、未来に対して意思を持たないといけない。そのためには過去を自分で体系立てないといけない。そして戦前戦中のように、一部の意見に迎合してもいけない。これらは未だかつて日本の民衆が一度もやったことのないことである。もちろん、不得意だから、やったことがないからといって、それをやらなくてもいい理由にはならないのは明白だ。でも、自分にそれができるだろうか。