加藤周一のレビュー一覧
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この書物は、帝国主義、世界大戦など困難な時代を背景に、旧制高校や帝国大学などで学びながら、教師、友人や家族とのつながりのなかで、また医師という自らの職業の実践を通して、時代に流されることなく「人の生命こそもっとも重いもの」との考えを育み、反戦を訴えてきた筆者の大叙事詩である。
筆者は、能や歌舞伎など、日本の伝統芸能にも若いころから親しんでいるが、とくに灯火管制の敷かれた1941年12月8日の新橋演舞場で、まったく観客がいない中で自身が観客として体験した文楽の場面など興味深いエピソードがたくさんあった。
ショパンの音楽とのかかわりも興味深い。ロマン主義の中でもショパンの音楽は独特な位置を占め -
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下巻も500ページ以上で読み応えがあった。読み終えるまで日にちがかかったが、著者も書き終えるまで7年余りをかけているので、じっくり時間をかけて読まないと著者に失礼だろう。下巻は江戸時代の町人社会から生まれた文人から始まる。富永仲基、安藤昌益への考察から始まり、江戸時代から明治時代への流れを経る。戦後の記述は少ない。著者が同時代人であり、客観性が保てないのと、先が見えないからである。著書に一貫して流れているのは、長い歴史の中で基本は変わらず、主に周囲との関係、昔は中国、今は欧米との関係で、積み重なってきた部分はあるが、それを取り込むわが国の雑種文化を文学史として述べられているものと理解した。
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下巻では、太平洋戦争の終結から、三年にわたるフランスへの留学を経て、日本に帰国するまでが語られています。
京都にひとりの女性をのこしてヨーロッパに留学した著者は、フランスで華々しく活躍する芸術家や詩人たちとの交流を通じて、あたらしく精神の洗礼を受けます。やがて帰国を決意したとき、著者はもはや、京都の女性と生活をともにすることはできないと悟っていました。
やや私小説的な展開があり、また著者のヨーロッパ体験についての叙述も読みごたえがあって、たのしめました。福沢諭吉の『福翁自伝』にはおよばないかもしれませんが、我が国の自伝文学の傑作のひとつに数え入れられるのではないでしょうか。 -
- カート
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試し読み
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何も心弾む真夏に好んでこんなタイトルの本を読まなくてもいいようなもんですが、まあ、行きがかり上読むことになったわけです。
洋の東西を問わず古代から中世、そして現代までの文学書を渉猟して、まあ、加藤先生はホントあきれるくらい博識です。
その理路も時に複雑に入り組んで難解で、そもそも文学の素養のない私はついていくのがやっとでした(なら、なんで読むねん)。
しかし、でも、私は次の行に最も心を惹かれました。
「文学とは、一ぱいのマドレーヌの味にふくまれる無限の意味について語るものです。しかし、またわれわれの生涯を決定する重大な瞬間について、もっとも深い意味でのいかに生くべきかという問題について語るもの -
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下巻は江戸の町人文学(開国直前の)、蘭学や朱子学から戦後の小説や批評(大江健三郎まで)。
歴史の流れの中で人々の心がどのような本(大衆小説:吉川英治、中里介山、大仏次郎、菊池寛、司馬遼太郎など)に寄り添っていたか、文学の中では何が起こっていたかなどが記されている。
浩瀚な作品なので概要をまとめたり感想を書いたりするのがなかなかしんどいんですが、マルクス主義がある種日本文学の文体の重要な一部を作った(中野重治)というあたりの箇所と太宰治の「人間失格」は実は共産党員失格という意味であるという読み方はとても興味深い。三島に関してはまぁ今まで私が描いていた三島像と変わらなかった。
横光はめたくそに -
- カート
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試し読み
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ネタバレ日本文化の特質を時間と空間の二軸から「今 = ここ」の強調と捉えて論じています。「今 = ここ」は、部分が全体に先行するものの見方、すなわち眼前の、私が今居る場所への集中することであり、それは大勢順応主義と共同集団主義へと向かう傾向が強くなることを導き出しています。日本人の宗教観・文学・建築・絵画など様々な分野を例証として説明している箇所は納得できるところが多いです。最終章で「今 = ここ」からの脱出について書いていますが、文字通り「今 = ここ」という時空間からの脱出について述べるのに留まっていたのが残念でした。日本文化の特質としての「今 = ここ」から、心理的に脱却するためにはどういうこと
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『日本文学史序説』を執筆したり、大百科事典の編集長を務めたりした知の巨人の回想録。
多くの知識人の自叙伝などを読んで思うことは、幼い頃から本に囲まれて育ち、
世界との距離という意識が根付いていることである。僕は小さい頃はあまり
本を読まなかったから、自分に決定的に損なわれているそのような感覚に
絶望しながらこの本を読んだが、一つだけ嬉しかったのは加藤が僕と同じ夢
を見ていたことである。
それは幼い頃に病床に伏す度に何度も見た夢の話であり、巨大な車輪に押しつぶされる
というものであった。僕も小さな頃から現在に至るまで(最も幼い頃のように
熱狂的に熱病に心酔することもないのだが)同じような夢を -