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日本文化の特徴とは何か.幾度も反復されてきたこの問いに,著者は時間と空間の両面から切り込む.文学・絵画・建築など豊富な作品例,それらを貫く時間と空間の感覚,さらに宗教観や行動規範の分析から,「今=ここ」に生きる日本文化の特徴が鮮明に浮かび上がる.日本文化の本質,その可能性と限界を鋭く問う渾身の書き下ろし.
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Posted by ブクログ
時間と空間のとらえかたについて、日本の文化(絵画、和歌、俳句、演劇)からその特徴を捉えようとする本です。まず時間について、世界には(1)はじめと終わりのある時間(ユダヤ教)、(2)円周上を無限に循環する時間、(3)無限の直線上を一定の方向に移動する時間、(4)始めなくおわりのある時間、(5)始めがあ...続きを読むりおわりのない時間、の5類型がある。そして古事記から始まる様々な例をひもとき、例外はあるものの、日本は(2)(3)の無限の時間の概念が主流だと主張しています。そこでは時間の分節化が難しく「いま」の連続で時間が流れゆくとのこと。 ついで空間についてですが、こちらは(1)開かれた空間、(2)閉じられた空間、という類型の中で、日本は想定通り(2)だという主張がなされます。これだけですと真新しさはないのですが、私が最も興味深かったのは、日本の空間の3つの特徴として、「オク(奥)」の概念、水平面の強調、そして建て増し思想が挙げられていたことでしょう。これは実感にあいますし、現実の建築物だけでなく企業の組織にも同様の特徴があると思いました。特に3つ目の建て増し思想については、よく隠喩で「熱海の旅館」という表現がされることがありますが、熱海の旅館に行ったことがある人ならわかるように、無節操に建て増しされた迷路のような構造になっています。著者はここから、日本の空間思想を、部分から全体へ、つまり部分重視、細部重視主義であり、全体ではなく「ここ」を何よりも重視していると指摘します。 そして2つがあわさると「いま=ここ」志向が、日本文化に見られる時間と空間の特徴だと結論づけるわけです。確かに禅宗のお寺で座禅に参加すると「いま=ここ」に集中せよ、そこにこそ真実があると諭すわけですが、これだけ座禅がブームになっていることを裏返すと、現代人は、「いま=ここ」ではなく、過去や未来、そして「ここ」以外の事象に囚われすぎているということが言えるのかもしれません。いろいろと考えさせてくれる良書でした。
第2部以降を読んで 2部は空間の話。古来よりムラ社会である日本において、内部の人とは対等だが、外部の人に対しては上に見て従うか、あるいは見下すかの二択であったことが例示される。例えば、ムラにおいて官吏は従う対象で、旅芸人は見下す対等だったように。あるいはかつては属国として従っていた中国を、アヘン戦争...続きを読む後は急に見下したように。 前に仕事で話した大企業のお偉方が、外国人のコミュニケーションと日本人のそれを比較して言っていた、「結局日本人は対等な話はできないんですよ。目上が目下に論説をぶつ。目下はうんうん頷いて聞く。それしかできない。」という話と重なる。 外交の場面でも、日本は包括的な問題解決においてイニシアチブを取ることはなく、本当に国益に関係するトピックの時だけ「わが国」の主張を通そうとする。この姿勢はあらゆる問題において関係国と調整を図り、いくつかの選択肢を提示したうえで妥協点を探すEUなどとは大きく異なるとのこと。これもかなり身に覚えがある。 これらは全て、コミュニティの内部に向かう強烈な意識に端を発するとのことだが、果たして今の日本人もそうだろうか。もはや自分の生まれた地域にこだわりのない人、さらには日本という国にすらこだわりのない人も多いことだろう。会社の形態もかつてはムラに例えられたが、今はもうそうではないことは明白だ。そういう人々が国際社会でどう振る舞い、どういう日本人像を作っていくことができるのか。少なくとも形式的にはムラの消失した現代日本において、私たちはもっと別の精神性を獲得できるはずである。いつまでも「外国人から見た日本文化のすごいところ」なんでテレビ番組を作ってご満悦に浸っている場合ではない。その段階から抜け出せる社会的土壌はもうあるのではないか? 加藤周一は(これまでの日本文化のどうしようもなく悲しい性を丹念に炙り出してくれたものの)残念ながらその先を提示してはくれない。 ーーーー 第1部 (時間について)を読んで 「明日は明日の風が吹く」し、「宵越しの銭は持たない」日本文化は、過去や未来に対して明確なビジョンを持っておらず、あるのは今だけであると説く。おそらく和辻哲郎に言わせれば、台風などの突発的災害が多い日本の風土が育んだ独特の「諦観」ということになろう。読んでいて自分も、「今が良ければ良い」と思うし、「失敗しても何とかなる」と思うし、最終的には「人生はなるようになる」と思えてしまう典型的日本人の一人だと気づいた。 著者曰く、その価値観は、文明開化や敗戦後にころっと態度を変える国民性にも表れており、例えばナチスの罪を徹底的に懺悔し断罪したドイツとは異なる。(確かに右派でない人でさえ、いつまでも過去の恨みを忘れない隣国に対して、どこかで「第二次大戦は軍部の責任が大きいし、賠償金だって払ってるのに、いつまで過去に拘ってるんだろう」という感想を全く持たないとは言えないだろう) 特にこの「今さえ良ければ良い」傾向が顕著だったのが平和な江戸時代で、芸術は急激に世俗化し、室町時代のような宗教や哲学に触れたものは見られなくなるようだ。 ここまで読んで、平成のポップスを思い出した。よく「最近の歌は深みがない」というが、何のことはない、平和だったのだ。 「(たまに困っても)基本は平和」というのが、過去や未来を真剣に考えない要因として大きいのだろう思う。今が苦しければ未来への思いが強くなるだろうし、未来が危ういと思えば過去を勉強するだろう。島国で外敵も無くのほほんと暮らし、台風で困ってもまあなんとかなり、オイルショックで困ってもまあなんとかなり、リーマンショックで困ってもまあなんとかなってきたのが日本である。皮肉にもかつて日本が未来に対して何か大きな構想を持った唯一の例がおそらく大東亜共栄圏で、それは列強の侵略という危機に晒されていた時代だ。 そう思ったとき、これからの時代はどうだろう。世界情勢は日に日に危うくなっている。大国は何をしでかすか分からない指導者を抱えている。隣国との溝はここに来て急激に深まっている。国内でも嘘と本当が入り混じっている。台風や地震は、もはやちょっと困る程度の規模ではなくなっている。試しに、これからのポップスの変化には注目していようと思う。軽薄な歌よりも、哲学的な、重いものが流行りだしたら時代が変わったサインだろう。 きっと、ここからは日本人にとって不得意な時代になるかもしれない。「なるようになるさ」ではなく、未来に対して意思を持たないといけない。そのためには過去を自分で体系立てないといけない。そして戦前戦中のように、一部の意見に迎合してもいけない。これらは未だかつて日本の民衆が一度もやったことのないことである。もちろん、不得意だから、やったことがないからといって、それをやらなくてもいい理由にはならないのは明白だ。でも、自分にそれができるだろうか。
【日本の庭】 庭園の美についての評論です。 庭園を単なる「景色の美しさ」としてではなく、 「人が自然に対してどういう態度を取っているか」の精神性の現れとしてお話しています。 クライマックスでは、 ◉龍安寺の石庭 ◉修学院離宮 ◉桂離宮 の対比が興味深かったです。 ① 龍安寺の石庭は、 自然...続きを読むの「徹底的な拒否」の抽象。 緑の草木や池の水を一切使わず、15個の石と白砂 だけで構成された引き算の空間。 自然をそのまま受け入れるのではなく 自然を徹底的に拒否し、 人間の知性で抽象化した芸術であると。 極限まで無駄を削ぎ落とした、 静寂と高い緊張感のある庭だと。 ② 修学院離宮は、 自然への完全な降伏と抱擁。 広大な比叡山の山裾や、周囲の自然の山並みを 背景として取り込んだ(借景)ダイナミックな庭。 龍安寺とは真逆で、人間が自然に逆らうのをやめ 圧倒的な大自然の広がりのなかに身を委ね、 一体化する心地よさ 自然への降伏の空間であると。 境界線がなく、世界のすべてを庭にしてしまう 美だと。 ③桂離宮は、 人間と自然の「完璧な調和」、最高到達点で あると。 一見すると、ただの美しい自然に見えます。 でも、そこにある池の形、橋の架け方、石の配置 飛び石の歩幅にいたるまで、すべてが 人がこれ以上ないほど緻密に計算して配置した 人工のものです。 「人工」でありながら「自然」に見せる。 人間が自然を支配する(西洋の庭園の思想) のでもなく、自然に屈服するのでもない、 人間と自然が最も対等で、最も幸福に調和した姿 が、桂離宮にはあると 言っています。 龍安寺の様に自然を拒否するでもなく、また、 修学院離宮の様に、ただ圧倒されるでもなく、 人が自然を完全にコントロールしつつも、 人間と自然が最も対等で、最も幸福に調和し た姿が、桂離宮にはあると。 著者は、 桂離宮こそが、日本人が到達した、 もっとも高度なトータルデザイン(総合芸術) として大絶賛しています。 なぜ古い庭が、これほどまでに新しくモダンに 見えるのか? 感傷的な言葉を使わずに、ロジカルに 鮮やかに解き明かしていく文体が 私には合っていました。とても共感出来ました。 やはり私は 小林秀雄さんではなくて、 加藤周一さんのほうが、なんとなくわかります。 小林さんのは、私にはよく理解出来ませんです。 小林さんは、 美に対して沈黙する直感の人。美は言葉で野暮に 説明するものではなく、その真を見つめて感じる もの!貴様にはそれがわかるのか?感じることが 出来るのか? 俺はわかるぞ! って、言われてる様な気がしますが、 私にはわかりません。 そんな素質が無いからです。 本書には、 小林秀雄さんの文字は出てきませんが、 加藤周一さんを読むとき、思い出すのは小林さん です。 で、 小林さんが出てくると、思い出すのは、 三島由紀夫の「金閣寺」です。 と云うことで、 今度は「金閣寺」を、再読してみようかしら? ちなみに、 金閣寺のラストのくだりで、主人公を最後まで 三島さんが生かしたことに賛成派です。私は。 永遠の賛否点ですが、私は あれで良かったのだと、今でも思っています。 否! むしろああでなければ、「金閣寺」は、 凡庸な作品になっていたと思います。 ここでも、小林さんとは、異なりマスが。
「今=ここ」という考えは境地のものという印象だが、この本では真逆の視点が得られる。つまり、日本の典型的な考え方であり、必然的に至る考えであるという道筋。 部分と全体という視点も面白い。建て増し・部分の自己完結性が日本の特徴。
日本文化の特質を時間と空間の二軸から「今 = ここ」の強調と捉えて論じています。「今 = ここ」は、部分が全体に先行するものの見方、すなわち眼前の、私が今居る場所への集中することであり、それは大勢順応主義と共同集団主義へと向かう傾向が強くなることを導き出しています。日本人の宗教観・文学・建築・絵画な...続きを読むど様々な分野を例証として説明している箇所は納得できるところが多いです。最終章で「今 = ここ」からの脱出について書いていますが、文字通り「今 = ここ」という時空間からの脱出について述べるのに留まっていたのが残念でした。日本文化の特質としての「今 = ここ」から、心理的に脱却するためにはどういうことが考えられるかについても筆者の考えを論じてほしかったです。
日本文化を「雑種」と定義づけたことで有名な加藤周一。この本では、日本文化における時間と空間に関して考察がなされていた。西洋との比較・具体的な文献(例えば、古今和歌集の引用)などが多く、説得力があった。 時間論の入門書として手に取るのも良いだろう。 直線上の時間という考え方(キリスト教的)と、円周上...続きを読むを循環する時間(仏教的・輪廻転生)という考え方など勉強になる。 また、日本の伝統としての空間に関する考察も興味深い。宗教的建築物や世俗的建築物に置いて、日本で縦の線を強調する建築ができたのは、第二次世界大戦以降だそうだ。それ以前は、水平の面に沿い地を這うような様式が一般的であった。また、舞台などでも地に沿う考え方があり、例えば日本舞踊は両足が同時に床を離れることはないという。 こんな所にも、知らず知らずのうちに日本人らしさというものが隠れているのだと思うと、興味深い。
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