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文学とは何か――この抽象的な問いに、私たちはどのような解を見つけうるのか。後年、戦後民主主義を代表する知識人となる若き加藤周一が、その鋭敏なる西欧的視野を駆使した日本文化論。解説・池澤夏樹。
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Posted by ブクログ
20世紀最大の評論家、加藤周一氏の名前が受験国語で頻繁に登場したのは、少し前の時代のこと。『雑種文化』で、文学史の教科書にも名前が載る氏が31歳での執筆のこの書は、1971年に出版された。センター試験では、1991年度の追試験の評論の問題として、この本の最終章である「文学の概念についての仮説」から引...続きを読む用され、出題されている。先日、書店で眺めていた書棚にこの本の背表紙を偶然見つけ、入試問題として授業で何度も扱った一節を含む同書の全体に、あらためてふれてみた。そして、少なからず驚かされた。 それは、氏の文章が、広汎な知識の引用と、鋭い論理展開に特徴づけられながら、実際には、ひどく読み易く平明だということだった。すぐれた評論は、人を寄せ付けないほど難解ではなく、むしろ読み手の脳を心地よく刺激する発見に満ちている。氏の文章がそうであるからこそ、氏は最優先に読むべき評論家とみなされてきたのだろう。 「特殊と普遍」を論じた以下の一節だけでも、そのことを理解してもらえるはずだ。「ジャン・ジャック・ルソオは、彼自身の人生を告白したので、人生一般を論じたのではありません。しかし、彼の『告白』が、人間の感情に関する普遍的な真理を呈出しているという点で、一束の心理学的事実におとるとは考えられないでしょう。統計だけが普遍的な知識を獲得する唯一の方法ではない。特殊なものを、その特殊性に即して追求しながら、普遍的なものにまで高めること ―― それこそ文学の方法であり、文学に固有の方法です」。(K) 「紫雲国語塾通信〈紫のゆかり〉」2015年3月号より。
何も心弾む真夏に好んでこんなタイトルの本を読まなくてもいいようなもんですが、まあ、行きがかり上読むことになったわけです。 洋の東西を問わず古代から中世、そして現代までの文学書を渉猟して、まあ、加藤先生はホントあきれるくらい博識です。 その理路も時に複雑に入り組んで難解で、そもそも文学の素養のない私は...続きを読むついていくのがやっとでした(なら、なんで読むねん)。 しかし、でも、私は次の行に最も心を惹かれました。 「文学とは、一ぱいのマドレーヌの味にふくまれる無限の意味について語るものです。しかし、またわれわれの生涯を決定する重大な瞬間について、もっとも深い意味でのいかに生くべきかという問題について語るものです。その問題は、われわれの人格の問題であって、科学的知識の問題でも、習慣に支配された日常的経験の問題でもありません。しかし、われわれの人生を支えるものです」 文学なんて実生活にまるで役に立たない無用の長物、なんて身も蓋もないことを言う方がいます。 そんなことはありません。 文学は、たしかに私たちの人生を支えるものです。 この言葉に出合い、勇気づけられる思いがしました。 「特殊なものを、その特殊性に即して追求しながら、普遍的なものにまで高めること―それこそ文学の方法であり、文学に固有の方法です」 「人物の内的独白を通じて社会的歴史的問題を描くのが、小説に固有の方法ではないでしょうか」 など、文学を志す人にはずしりと響く言葉が随所にあります。 そうかと思えば、日本と西洋の「庭」の話が出てきて、両者の違いを次のように説明します。 「西洋では、反自然的であることを目標として、自然にはみられない幾何学的構造(たとえば左右対称や円)を、自然にはけっしてない材料(たとえば磨かれた大理石や花壇)によってつくりますが、ここ(日本=引用者註)では、自然に従うことを目的として、自然の不規則な構造(たとえば簡単な方程式にあらわすことのできない池の形)を、人工の跡をとどめない材料(たとえば苔や、岩、あるいは極端な場合に、自然のままの山)によってつくっています」 なるほど、納得しますよね。 それ以外にも、文化と文明の話であるとか、散文と詩の話とか文学史とは何であるかとか、大変に勉強になりました。 本書の旧版「文学とは何か」(角川新書)が成ったのは、1950年です。 なんと、加藤先生がまだ、さ、ささ、31歳の時です。 これを知って40歳の私は戦慄しました。 池澤夏樹さんの文庫化(2014年7月25日初版発行)に当たっての「解説」も読みどころ満載です。 最後の部分は読み飛ばすわけにはいきません。 「この本が刊行された時、日本はまだ敗戦の空気の中にあった。それを終戦と言い換えて済ませるわけにはいかないと加藤は考えた。それが『日本近代文学の不幸』という部分に表れている。そして、戦争が敗北に終わってから六十九年後の今、この本が書かれてから六十四年後の今、加藤がこの本に盛ったと同じ批判を日本の社会に向けねばならない。『孤立しないためには、個人主義が個人的にではなく、社会的に徹底させられる必要がありましょう』というのはそういう意味である」
文字通りの内容。文学とは何かについて割と丁寧に書いている。そんなの大きな本ではないが読み通すには時間がかかった。丁寧で明快であるがゆえに読み通し難いという感じ。ひとつひとつがちょうどいい長さなのでふと読み返したりするのにちょうどいい感じ。
日本を知りたい。そのための切り口として文学を選択して昨年末から日本文学者の作品を読み進めてきた。作品数が約15冊に差し掛かったころ、趣向を変え、文学とは何かという切り口で評論を読むことに。 文学とは、筆者の思想や哲学を、登場人物をして文章で表現する芸術であり、ある一風景や光景を切り取り、それを筆者...続きを読むの思想や哲学まで昇華させる文章による芸術でもある。後者は本書を読んで学べた。両者は、落とし込むのと引き出すという点で正反対のアプローチだが、文章による芸術という点では変わらない。彫刻家、書道家、茶道家、芸術家は思想や哲学を何によって表現するかは違えど、表現するための存在という点では変わらない。恥ずかしながら文学者が一芸術家だとは今更ながら気付いた。
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