あらすじ
「現代日本人の平均に近い一人の人間がどういう条件の下にでき上ったか、例を自分にとって語ろう」と著者はいう。しかし、ここには羊の歳に生れ、戦争とファシズムの荒れ狂う風土の中で、自立した精神を持ち、時世に埋没することなく生き続けた、決して平均でない力強い一個性の形成を見出すことができる。
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戦前の幼少から少年、戦中の青年、戦後の壮年期を通して虚実入り交じった、戦後知識人の代表格である著者自身の自伝的回想録。
東京渋谷近辺の街の風景を10代の目を通して繊細に描かれる戦前。
闇のように人々が押し黙るなかで、医局に勤め研究を続けながら日本の古典文学を貪るように読み漁った戦中。→
広島での原爆症の調査を経て、フランス留学から欧州を彷徨する中で自身が京都で出会った日本の美と西洋の文化芸術との邂逅によって慧眼を身につけ、その後文学批評に於いて卓抜な視点で時代を牽引するきっかけとなった戦後。
その後の著作を読む上でも重要な作品。
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ノブレス・オブリージュ?
裕福な環境に生まれ、幼少時より誰に請われるでもなく自ら知を求め、深めていく姿に真の豊かさを見る思いがした。
第二次世界大戦以前。
大正8年生まれの筆者の母が持つキーツの詩集。
帝大卒の医師である父。
そんなインテリ層の家庭環境にあった筆者ですら近づきつつある戦の影に対し鷹揚であったことに殊更戦争の恐ろしさを感じた。
立原道造と出会いは一体どんなだったのだろうかと、ちょっと胸がときめいたりもした。
興味深い部分があまりにも多いので、何時でも読めるよう電子図書も購入することにした。
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1919年に生まれの評論家、作家、医学博士。前から気になり読んだ。加藤は生まれながらにしてヒューマニズムを身につけていた。
この本は生まれて8月15日のポツダム宣言受諾の日までの自伝です。戦前、軍国主義を嫌悪し太平洋戦争を覚めた眼でみていた。12月8日の開戦の日、新橋演舞場で文楽を観てたと言う。医者の家庭に生まれ、日比谷の一中、一高、東京帝大医学部を出たエリートだけど文学に親しみ多くの本を読んで高校大学で沢山の後に有名になった文学青年と交流している。フランス文学に傾倒した話、祖父が明治の始め軍人になり、後に実業家でひとやまあてたが事業が不振になり身を落としていくが、父が東京帝大出のやはり医者であったが帝大の学者から渋谷で開業したが日本のエリート、セレブを患者にしたがあまりはやらなかったと書いている。戦後9条の会などで平和を訴えてきた文化人の戦前戦中の日本の状況を織りまぜて、一つの青春記です。
これから8月15日以降の戦後から日米安保までの続編を読もうと思います。
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昭和の偉大な知識人ということで、読んでみた。幼少期から徹底して客観視ができていた筆者の目を通して、戦争に向けて進んでいく日本をシニカルに捉えている。いわゆる、真面目なインテリだったのだと思う。今でいうところのオタク、やガリ勉、の部類なのだろう。文章も歯切れよくわかりやすい一方で、エッセイらしく多分に筆者の考察が入る。極めて科学的、文学的な要素の融合した文章だと感じた。続編も読んでみたい。
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はじめはのどかな回想のように思ったが、徐々に戦争へと突き進む日本の姿が旧制中学校の学生だった著者の目を通して描かれる。今の日本の姿と似ていないか。既視感があるエッセイに背筋に冷たいものがはしる。同じ轍を踏まぬようとの著者の語りかけが聞こえるようだ。
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昭和の偉大な頭脳が自らの人生を振り返り、その中から時代を考察する内容。今まで読んだ本の中で、一番美しい日本語のエッセイだと思います。何度も読み返したい一冊。
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[ 内容 ]
「現代日本人の平均に近い一人の人間がどういう条件の下にでき上ったか、例を自分にとって語ろう」と著者はいう。
しかし、ここには羊の歳に生れ、戦争とファシズムの荒れ狂う風土の中で、自立した精神を持ち、時世に埋没することなく生き続けた、決して平均でない力強い一個性の形成を見出すことができる。
[ 目次 ]
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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東京帝大卒、というよりはナンバースクール卒、という括りでのモデルケースを担って来た人物の自伝と言っていいのではないか。
自分が読んだ限りでは、本書を覆う空気は同じ一高卒の中村稔「私の昭和史」に似ているし、同じ東京帝大卒でもナンバースクール卒ではない渡邊恒雄や堤清二の回顧録とは大分異なる。
ただ、横光利一を吊し上げた激烈さは本書内でも異彩を放つ。相手した横光も己の言動に疑う所がなかったのか、後ろめたさを感じつつもその場に出ざるを得なかったのか。
高久書店にて購入。
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羊の歌 加藤周一
1945年を今の自分と同い年で迎えた加藤周一の回想録。東大医学部卒の医学博士ながら、文学を中心に評論の世界でも有名な加藤周一が生まれてから終戦までを回想した自伝である。一高→東京帝大の日本における超エリートかつ実家も渋谷の開業医という加藤の並々ならぬ人生の前半の記述である。今回私が本書を手に取ったのは、10代後半から20代にかけて戦争を経験し、自分と同じ学年である26歳で終戦を迎えた若者が、当時の日本の雰囲気をどう感じていたのかということを少しでも追体験できればと思ったからである。本書にもあるが、徹底して精神論を嫌う加藤は戦争に対して極めて否定的かつ悲観的であるという姿勢が貫かれている。当時の加藤のような知識人階級の人間にしてみれば、威勢がよく権力欲にまみれた軍部が日本をいつの間にか乗っ取ってしまい、知らない間に勝ち目のない戦争に向かっていったという感覚であったと書かれている。戦後史において、敗戦の責任の所在やなぜ軍部の膨張を止めることができなかったかなど、丸山眞男を筆頭に歴史考証がなされている。その中では、当時の軍部でさえもずるずるべったりと戦争に引きずりこまれていくような感覚であったとされているが、無論加藤をはじめとする一般の人にとっては、軍部の暴走に巻き込まれ、勝ち目のない戦争に召集されたという感覚が強かったのであろう。だからこそ、日本では敗戦記念日ではなく、終戦記念日と呼んでいるのかということも合点がいく。これは、日本人の中で、大多数が希望せずに巻き込まれた戦争というものが終わったという感覚が正しいからなのであろう。無論、終戦と呼ぶことで敗戦に対して無反省でよいわけではないが、回想録の中では、そのような印象を受けた。裏を返せば、誰もが巻き込まれて少しずつ加担していった先に、戦争というカタストロフがあるのであれば、非常に恐ろしいことであるとも言える。
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作者の幼少期〜医学部卒業後すぐくらいまでを描いている。どこまでが事実でそうでないものがどれくらいあるのかは(まだ調べていないので)わからないが・・
開戦の日、他に誰もいない文楽の劇場に一人赴く筆者や、開戦後も仏文研究室で教授、友人たちと文学について論じ合う箇所は、一見すると無責任な高等遊民たちのようにも思えるが、筆者やその仲間たちは、何かと比較した結果あえて他のものを無視しあるいは軽視し、芸術至上主義的に振舞っていたのではない。戦時中であれ平時であれ、彼らは好きなものに忠実に、ただ淡々と没頭しているように感じた。こうした態度こそが、作者の文学ないし芸術への純粋な愛を示しているのではないか。
しかし、文学に没頭できるというのは、そうでなくとも優秀な東京大学の教授、学生と対等に議論し、文学を楽しめるということは、並みの人間にはできない。なんでもないように書いているが、相当の実力を伴わないと仲間に入れてもらうことはできない。それは、私自身が体験したことだから。私自身の劣等感と今でも強く結びついていることだから、わかる。ただ、当時の大学生はそもそも今と違い、作家横光利一に議論をふっかけたり、今日でも著名な教授たちに自分たちの意見を伝えることも難なくできたのかもしれない。少なくとも自分には、そんなことはできなかった。
幼少期の記述も、いかにも良家の子息という感じの所感で、田舎育ちの私には、決して作者がいうように「平均的な」人間を描いているとは言えないのではないかと感じた。一方で、自分自身が「世間知らず」であることに作者は最初から自覚的であり、あくまで冷静に、できるだけ中立的な視点で筆を進めようとしていることはわかったし、戦死した旧友を思う気持ちや、自分に全く関係のないはずのベトナム戦争の話を知りたがる(知っていたい)という態度も、冷徹そうに思える作者の、人としての真摯さ、人間らしさの伝わる箇所ではないかと思った。
福永武彦、渡辺一夫先生、小林秀雄など、人物との交流が同時代人として具体的なエピソードで語られているのがたいへん興味深かった。
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終戦までの半生をつづった加藤周一さんの回顧録。
"旅行者は土地の人々と別の風景を見るのではなく、
同じ風景に別の意味を見出すのであり、またその故
にしばしば土地の人々を苛立たせるのである。"
加藤さんはこう書いているが、まさにここでいう旅行者
のような視点を常に持っていたのが、ほかでもない
加藤さん本人だったんだろう。
だからこそ、大本営発表に沿ったことしか書かない
当時の新聞からでも、その微妙な書き方の変化を
嗅ぎ取って、終戦を予測することもできた。
今の世界的な不況(と言われている状況)や、舵を
失った日本の政治は、こういう視点で見るとどう
見えるのか。
ぜひ聞いてみたかった、と思わせる説得力が著者の
言葉から感じられる。
昨年の岩波新書創刊70周年記念フェアでこの本を
購入し、その少し後に加藤さんの訃報を聞いた。
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戦前から終戦までの時代の雰囲気がよく伝わってくる。
特に、日常の何気ない風景や、街の佇まい、自然の美しさなどに心を動かされるところが印象的である。
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この書物は、帝国主義、世界大戦など困難な時代を背景に、旧制高校や帝国大学などで学びながら、教師、友人や家族とのつながりのなかで、また医師という自らの職業の実践を通して、時代に流されることなく「人の生命こそもっとも重いもの」との考えを育み、反戦を訴えてきた筆者の大叙事詩である。
筆者は、能や歌舞伎など、日本の伝統芸能にも若いころから親しんでいるが、とくに灯火管制の敷かれた1941年12月8日の新橋演舞場で、まったく観客がいない中で自身が観客として体験した文楽の場面など興味深いエピソードがたくさんあった。
ショパンの音楽とのかかわりも興味深い。ロマン主義の中でもショパンの音楽は独特な位置を占めていて、深い内省が美しい音楽の至るところに秘められている。蓄音機や演奏会の体験を通じ、ショパンの音楽は筆者を惹きつけてやまなかった。
一つひとつのエピソードが、困難さを背景にしながらも、ロマン主義的なストーリーを形作っており、読んでいるだけで例えばラフマニノフのピアノ協奏曲第二番を聴いているような気さえする書物だった。
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裕福な家に生まれた幼年期から、太平洋戦争終了の青年期までの回想録。
すんなり面白く読めたけど、
思い返して心に残ったのは、ほんの少しだけ触れられているお芝居を見たという記述。
とても鮮烈な印象を受けました。
それ以外は、うーん。
読んでいて、楽しかったのだけれど。
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さすが、読み応えありです。第二次大戦前後の日本の様子、この方だから書ける視点があり、面白かったです。ただちょっと漢字等の表記が古く、読みにくいかな。
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『日本文学史序説』を執筆したり、大百科事典の編集長を務めたりした知の巨人の回想録。
多くの知識人の自叙伝などを読んで思うことは、幼い頃から本に囲まれて育ち、
世界との距離という意識が根付いていることである。僕は小さい頃はあまり
本を読まなかったから、自分に決定的に損なわれているそのような感覚に
絶望しながらこの本を読んだが、一つだけ嬉しかったのは加藤が僕と同じ夢
を見ていたことである。
それは幼い頃に病床に伏す度に何度も見た夢の話であり、巨大な車輪に押しつぶされる
というものであった。僕も小さな頃から現在に至るまで(最も幼い頃のように
熱狂的に熱病に心酔することもないのだが)同じような夢を見ていた。
その夢の中で、僕は自分の吐いたゲロに押しつぶされそうになる。自分の吐いたゲロが
雪山を転がり落ちる雪玉のように段々と大きくなりながら、僕を追いかけ押しつぶすのだ。
僕はその夢が怖かったが、熱でうなされると何だかその夢が見たくなるものだった。
そのことに自分が自分であることの確認を求めていたのかもしれない。
まあ、今となっては覚えていないけれど。
様々な人と様々なことを話すけれど、このようなことはなかなか話すことは出来ない。
そんなことを知の巨人と語らえたのは、本のなせる凄い業であり、
これからも読書をしたいという気持ちになるのである。
Posted by ブクログ
遠くはないけど近くもない、厳しい時代を生きた人々に思いを馳せた。
「私にとっての焼け跡は、東京の嘘とごまかし、時代錯誤と誇大妄想が焼き払われたあとでもあった」
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評論家の加藤周一が、みずからの半生を振り返った自伝。上巻では、著者の少年時代から、敗戦を迎えた医学生時代までが語られています。
「あとがき」で著者は、「私の一身のいくらか現代日本人の平均にちかいことに思い到った」と、韜晦していますが、本書に描かれた著者の姿は、西欧の文明の香りを身にまとった祖父や、合理主義を報じる医師の父のもとで生まれ、文学や科学に対する早熟な関心を見せるなど、およそ「現代日本人の平均」とは言い難いものです。
若い早熟な知性が、知の世界への上昇を夢見るとともに、足下の人間関係や軍国主義の日本に対する思いを屈折させていく様子が見事に描かれており、優れた自伝文学になっているのではないかと思います。