池内紀のレビュー一覧
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フランツ・カフカやエリアス・カネッティやギュンター・グラスやヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの真髄を教えてもらった、敬愛する独逸文学者の池内紀が、まさか温泉以外にもこういう傾向の随筆を書かれるとは夢にも思ってみませんでした。
そう、それは・・・・・
♪ 地球の上に朝がくる その裏側は夜だろう・・・と歌う、川田晴久(戦前は義雄)とミルク・ブラザースのことを書いた『地球の上に朝がくる 川田晴久読本』以来の驚きかもしれません。
父などはよく、今は「つぼ八」だとか「笑笑」だとか、一杯飲むのも団体でしか行けやしない、と嘆いて、そのすぐ後に、ああ「時間ですよ」の中の篠ひろ子が女将さんでいるような落ち着いた小料理屋があったら毎晩でも通うのになァ、ですって。
随筆の名手でもある池内紀の居酒屋についての名文は、実体験のエピソードによって名作へと導かれたようです。
「はじめに」にこうあります。
◆居酒屋に人一倍親しむようになったのは、「二合半のおじさん」のせいである。三十代初めに出くわして、三十年近くつき合った。そしていろんなことを教わった。
◆「へー、どうぞ」
おやじが口をきいて扇子を差し出した。開くと品書きになっていて、湯豆腐三百五〇文、おでん三〇〇文、シラスおろし一七〇文などと並んでいる。店の作りと同じように値段も江戸にもどしてあった。
酒は山形の初孫。「二合半」は「こなから」と読む。辞書にあるとおり一升の半分のそのまた半分の二合五勺、酒量にからめてほどよく飲むべしの教訓がこめてある。だからといって二合半で打ち切りというのではない。主人が手ずから役者のように形よくついでくれる。初孫からサントリーに移ってもいい。おやじによると、ウィスキーは角がよろしい。グラスにそそぐ手つきが、年季の入ったバーテンさんのようにあざやかだった。
こちらが黙っていると、相手も黙っている。おかみさんはとりわけ無口なようで、おやじが話している間も、小さくうなずくだけ。そのうち木戸がきしんで顔がのぞいた。
「あいすみません、本日は早じまいといたしますので・・・」
やっと二人目の客だというのに、すげなくおことわり。すでによそで酒が入っている人は立ち入らせない。
へんくつだが、心をひらいた者には、こよなくやさしい。三十年もつき合うと、どんな人生を送ってきた人だか、しだいにわかってくるだろうに、いつまでも謎だった。
若いころ北海道にいたらしいこと、おかみさんが姉さん女房であること、歴史小説が好きだということ、それはわかった。
・・・これを読んでいると、自分も同じ店の近くの席に座っていて、一杯飲んでいる気になるのが不思議です。
この感想へのコメント
1.yuu (2011/09/19)
カフカや知らない独文学の名がレビューに見えたので、これはソッチ方面の難しい本かと思ってました。
昔、出張や一人旅でその街の小さな居酒屋を探して入りました。不思議と鼻が効き、亭主一人や夫婦で切盛りするお店で、美味しいお魚とお酒にありついたのです。
今は、普段の行動範囲で美味しいお酒の飲める、こじんまりとしたお店を持ちたいなと思うのですが、中々難しいものです。
2.薔薇★魑魅魍魎 (2011/09/19)
うちの家族は、宴会以外は家で飲みますが、父は、こんな美人がいる店は他にないからと惚気ていますが、原作の『マイ・バック・ページ』が映画化されて評判の映画/文芸評論家の川本三郎は、ブラッと旅に出たときは必ず昼間から蕎麦屋で一杯やるのが楽しみだといいいますから、まあ人それぞれですが、ひとりで飲みに行く醍醐味は、なんといっても未知との遭遇で思わぬ文学談義が展開されたりすることもあったりしますね。 -
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著者が文学者ということで、どんな場所にもどんな歴史にも文学が根を張っているという事実を噛み締めながら読みました。歴史も文学も人間が作るものなのだから繋がっていて当たり前か。ドイツには城や建造物が眩暈がするほど昔から残っていて、それらをこれからも残していくのが当然という雰囲気、新しく町を造るとき(或いは戦争で破壊された町の再建)のしっかりと先を見越した町づくりなどに、日本には無い良さがあります。逆に、きっと変化する事や理解できない事を過剰に避ける傾向もあります。観光地然としすぎていない、わりと小さな町から町へ、著者が旅をしながら綴った短い章を追っていくとそれらがだんだん見えてきます。どの町のことも熱狂的に絶賛したりはしないのにどの町も行ってみたくなりました。そして出てくる文学作品を自分が全部読んでいたならもっと楽しかったかもしれない。
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ヨーゼフ・ロ-ト(1894-1939)、オーストリア=ハンガリー帝国出身のユダヤ人ジャーナリスト&小説家。本書は彼の作品のなかから中短篇5篇をチョイスし、年代順に並べてある。
1933年ヒットラーが首相になったのを機に、ロートはフランスに亡命した。本書では、この亡命以降の3篇、とくに最後の「聖なる酔っぱらいの伝説」がいい。
「聖なる酔っぱらいの伝説」では、主人公の男は、亡命先のパリで毎日飲んだくれながら、何度か奇跡に会い、最後はある意味幸福な死に方をする。著者ロートも、この男と似たような死に方をした。まるで小説を書いて自分を暗示にかけたかのように。
巻末には池内紀の「解説」。一緒にロートを読んだ教え子へのラブレターのような箇所がある。 -
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表題作を含む紀行文10篇+詩2篇。
名紀行文とは聞いていたけど、こんなに文章が上手いのか〜! と心の中でひっくり返った。めっちゃ読みやすいし面白い。
主に上州(群馬)を訪ねた文が多いが、東西南北いろいろなところに行っていることが分かる。旅先の風景、出会い、大小の事件などをユーモラスに描きながらも、郷愁や寂しさが滲むのは、歌集を読んだ時に近いものを感じた。
そして詩を含め全ての作品で酒が出てくる。流石すぎる。
数年前に友人たちと草津へ旅行をした際に吾妻渓谷に立ち寄り、そこで“うづまける白渦見ゆれ落ち合へる落葉の山の荒岩の蔭に”という歌碑を見た。その後岩波文庫の歌集を読んでもその歌が見当たらず不思議に感じていたが、本書に収録されている「吾妻の渓より六里が原へ」の中で発見。旧知の人を見かけたようで、ちょっと嬉しくなった。 -
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ネタバレ『山と渓谷』という雑誌に連載された、山にまつわる本のブックガイド。
目次が二段組みだったので恐る恐る読み始めたのだが、本文は一段だったので安心した。
連載コラムらしく、一冊につき3ページ。
ただし、登山小説だけではなく、広い意味での山にまつわる本だけですらなく、動物記、民俗学、江戸時代の暮らし、植物観察、料理、植草甚一など、興味の赴くままの選書。
表紙や挿絵も著者の手によるもの。
面白そうな本が何冊も紹介されていて、楽しく読んでいたのだけれど、残り50ページくらいのところで衝撃的な出来事が起こってしまい、そこからは読み進むのにてこずった。
集中力が切れてしまったのだ。
本と著者には失礼なことだ。
申し訳ない。
武田百合子の『富士日記』が入っていなかったな、と読み終わってぼんやり思った。 -
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ネタバレミヒャエルエンデ短編集。
・本を読むことに夢中になる大人、子供、動物たち。
・魔法の学校での様子。
本当の望む力がある子供たちだけが使える魔法。
自分の本当の望み。
ムークとマーリの兄妹が魔法で出した奇妙な動物のこと。
・両親の言うことを聞きたくないレンヒェンが、魔女に頼んで両親がレンヒェンに逆らうたびに小さくなる魔法によって、二人の大切さを知ったこと。
・威張ってばかりの乱暴なサイに逃げ惑う動物たち。
小さな鳥の知恵のある言葉によって、サイ自身がドウゾウとなってずっとずっとじっとしていた結果。
・気にしない気にしないと言いながら次々を大変なことをやらかすでかい子供。
・島で離れて暮らす兄弟は、兄とは会えるが別れた途端に誰もが彼を忘れてしまい、弟とは会ったことがいつも後にならないとわからない不思議な存在の二人だった。
・スープ鉢とスプーンが揃うことで美味しいスープが溢れてくる魔法の道具をめぐり、二つの国の揉めごとと両国の王子と姫によってハッピーエンドになるまで。
・何のために生きているかを出会う生き物に聞いて回った古びたテディベアとわかったこと。
・ヘルマンが学校をサボって想像と現実の冒険に出たこと。
・居場所のない影たちを引き取り、いつしか影のお芝居をするようになったオフェリアさんの一生。
モモの方が読みやすかったかなあ。
佐々木田鶴子さんの翻訳が一番読みやすかった。
魔法の学校はなんだか奥深い。 -
Posted by ブクログ
本を読んでとても安心した。というのも、どのようにして、富が築かれていったか、納得できる歴史経過と理由が書かれていたからだ。
偏見のない描かれ方は、貴重だ。日本ではそれほどユダヤ人に対しての先入観は激しくないと思うけれど、それでも、お金持ちのイメージや、高利貸しのイメージはなんとなくある。
しかし、はじまりは高利貸しというよりは、各国の間で入り乱れる貨幣間の金や銀の含有量を量った両替商が実態のようだ。そういう時代だったのである。
また、血縁結婚を重ねていたので富が流出しなかったのも大きいだろう。
確実に生き残るための最小限の戦略だったかもしれない。
まわりが勝手に潰れていったことも多かったのではないか。
富の使い方も鮮やかで多くの美術、学術、スポーツ、慈善、などに拠出していて庶民の空想するお金持ち像のなかの最たるものだろう。
だが、それが簡単なことでないことは、本を読むとよくわかる。誰がやっても簡単でなく、条件は特別なものではなかったろう。むしろ、不利な立場だったのではなかろうか。
本をよんでいて、やりすぎないこと、というような、教訓が頭に浮かんだ。