あらすじ
実存主義、ユダヤ教、精神分析、――。カフカは様々な視点から論じられてきた。だが、意味を求めて解釈を急ぐ前に作品そのものに目を戻してみよう。難解とされるカフカの文学は何よりもまず、たぐい稀な想像力が生んだ読んで楽しい「現代のお伽噺」なのだ。語りの面白さを十二分に引きだした訳文でおくる短篇集。二十篇を収録。
...続きを読む感情タグBEST3
Posted by ブクログ
フランツ・カフカの魅力たっぷりの短篇を20篇収録した短篇集。途中で一気に雰囲気が変わる「判決」や文化の違いを見せつけられる「流刑地にて」。クスリと笑える「雑種」や「父の気がかり」など。
味付けの濃いフルコースみたいな一冊。最高。
カフカの短編がこんなにも面白いとは!!買って良かったー!!と思える一冊。
意味がわからない掌編もあるけど、それでも読ませる勢いが素晴らしい。少し長めの短編はどれも途中で話の流れが変わり、え?ん?と思っているうちに読み終わる。深い意味が私にはわからないけど、浅い部分を読むだけでも→
面白い。二つのボールと二人の部下の対比とか、おそらく何かの暗喩なのかもしれないことしかわからんけどなんか気づいたらブルームフェルトの1日が終わってたわ、みたいな(「中年のひとり者ブルームフェルト」より)
不思議な話が好きな人は好きそう。私は好き。岩波文庫のカフカ、集めるぞー!!
Posted by ブクログ
オイなんだよ!カフカめっちゃエンタメじゃん!
2年前、私がはじめて触れたカフカの代表作『変身』が思いのほかおもしろかったことと、保坂和志さんのエッセイにあった「カフカなんて難しくない」という文言が頭に残っていたのでこの岩波文庫版『カフカ短編集』を手に取りました。
またつい最近、批評家・蓮實重彦さんの言葉「批評するまえにまずは書かれていることを読め」を思い出したことも、カフカ作品に触れるにあたって天啓のようなものでした。「ハナから行間を読もうとする視点を確保しないで、書かれていることのみに集中し、展開に身をあずけてみよう」この気持ちがあったおかげでとても楽しい読書になりました。
「カフカ作品はさぞ重々しく硬い作品なのだろう」と思っていた私の先入観を崩してくれた『変身』でしたが、今回の短編集で完璧にその先入観は払拭され、「カフカはシンプルにおもしろい」という認識に変わりました。重厚さなんて感じません(ちょっとは感じたほうがいいかも?笑)。むしろ脱力感さえ味わえる作品もあります。解釈しようとしたり、なんだか辻褄を合わせようとすると頭がこんがらがってしまい、読み進めるのが困難だったかもしれません。書いてあることだけを素直に受け取ってみると、単に「不思議な話」に思えてきます。後味がいいのか悪いのかすらあやふやな、この捉えどころのないふわふわした読書感覚はけして悪いものではありません。現実から遠く引き離された空間へポーンと放り出され、そのまま浮かんでいるような気分で、これはフィクションの効能の一つだと私は思っています。池内紀さんの翻訳も、この味わいを得るための大事な要素ですよね。飾り立てのない素朴な文体に、皮肉っぽくてユーモラスなおかしみをのせています。
収録されているもので特に好きなものをいくつか挙げると、まずは「雑種」というたった4ページほどの作品です。猫と羊のミックスという不思議な動物と「私」のふれあいを書いたもので、精一杯ニヒルぶっている「私」から注がれる、ネコヒツジへの隠しきれない愛情が微笑ましい。
「流刑地にて」も面白かった。拷問を司る将校が、頂点に達した自らの狂気に食われるかのように殉ずる、その様のなんともスリリングなこと。それとは対照的な兵士と囚人のコミカルさ、この対比がなんとも味わいがあります。
「中年のひとり者ブルームフェルト」。独身のブルームフェルトがある日帰宅すると、交互に上下に飛び跳ねる二つのボールが突然あらわれ、ブルームフェルトの背後をついてまわる、という話。途中からボールに生き物のような情動を感じます。
考察めいた視点や、隠れたメッセージを読みとろうとする姿勢は必要ありません。用意された舞台、味わいあるキャラクター、放たれたセリフ、それだけで十分楽しめます。というかそもそも博識でない私ができることはそれだけです。古今さまざまなカフカ考察がされてきたと思いますが、有識者の数だけある考察を蓄えこめるだけの度量があるってことが、カフカの作品が優れていることの証かもしれませんね。
私個人は、ほとんどカルト映画とか不条理コントと同じような感覚で楽しみました。「なんそれ!」とかツッコミながら読むのが丁度いいです。そういう意味では、お笑い芸人のZAZYのネタってカフカかも?
Posted by ブクログ
『カフカ短編集』はひとつひとつの作品がとてもコンパクトなので気軽に読むことができるのも嬉しいです。『審判』や『城』は長い上に難解な部分も多いので、正直読むのが大変です。ですがこの短編集はそのカフカの魅力をそのままに気軽に読むことができるのでとてもおすすめです。
Posted by ブクログ
だいすき。カフカはちゃんと読めていないので、これをきっかけに読んでみたいなあ、と思った。かの有名な「オドラデク」から、「こま」「人魚の沈黙」「町の紋章」など、短いのがいろいろ入っていて取りかかりやすい。私が強烈に覚えているのは「掟の門」と「雑種」。「掟の門」の終わり方、ものすごく格好いい。カフカはもちろんのこと、訳者も素晴らしいのだろうと心から思う。
Posted by ブクログ
【判決】
ゲオルグの最大の罪は、真に相手を思いやることができず、常に周囲を見下しているにもかかわらず、自身がそのような側面をもつことを、自分に対してすら偽り、誠実なふりをしていること。
ゲオルグのような偽善的な性質を無意識にもつ人は、わりと自分の周囲にも多くいる。決してそれは好ましいものではないが、とても人間らしくて、程度の差はあれど、誰もが持ち得る感覚であると思うから、「死」という判決はあまりにも重いなと感じた。
Posted by ブクログ
フランツ・カフカ
チェコを代表する小説家、彼の作品はどこかユーモラスで、孤独感を感じさせる。
発表してきた作品は少ないが、どの作品もとても
素晴らしい世界観を持った作品だと思う。
彼の代表作品「変身」は読んだことがあるのですが、「変身」を読むのは難しくて、ページ数が
少ないわりには、世界観が複雑で、少し難しい
イメージがあったのですが、今作は、短編集なので、違う目線で、それぞれのお話を楽しめたので、とても良かったです。
Posted by ブクログ
池内紀さんによるカフカの翻訳。
大学時代に池内教授の授業を受けたことがあるが、穏やかな語り口が印象に残っている。
授業でも取り上げた「流刑地にて」など所収。
話の急展開、ぐらりと地平が歪む感覚、不思議な読後感。
訳者による解説も興味深かった。
短編ばかりなので、原文で読めたら面白かろうと思う。
ドイツ語は赤点スレスレだったので無理ですが。
Posted by ブクログ
カフカの短編はほぼ読んだことがなかったのですが、ドイツ文学者の池内先生の編訳になるこの一冊で、カフカの作品世界は深く、広いのだと実感しました。
Posted by ブクログ
特に印象に残った章を二つ。
・判決
ゲオルグは父と話したことで、他者の視点による事実を知る。自分の見ていた現実がただの世界の一面に過ぎない事実を突きつけられる。
階段を転げ落ちるようなスピードで急速に崩壊してゆくゲオルグの現実。
・流刑地にて
ある流刑地にて犯罪者の処刑を行ってきた将校は、自分の信念によって自らの命を絶つ。
自分の死によってその信念を立証するために。
しかし、その死すら最後に彼を裏切った。
絶望名人カフカによる悲しい、ユーモアのこもった作品集。
Posted by ブクログ
2009年4月1日~2日。
これだよこれ! と思わず大声で叫びたくなるのは、数日前に読んだ「カフカ寓話集」の面白味の無さに呼応してのこと。
この「カフカ短篇集」を読むと「カフカ寓話集」は残りものを集めたんじゃないの? って疑問すら湧いてくる(強ち外れているとも思えないが)。
各作品の面白さから解説に対する力の入れ方まで、なにから何までが雲泥の差としか思えないのだ。
「カフカ寓話集」の冒頭に収録されていた「皇帝の使者」にしても、こうして「カフカ短篇集」の最後を飾る「万里の長城」に収まったこそ、その意図が明確になるのでは、と思ってしまう。
やはりカフカは面白い。
Posted by ブクログ
カミュに言わせれば、カフカの作品は極めてファンタジーであると言うが、決して単なるお伽噺に過ぎないというそういう侮蔑ではないと思う。カフカの想像は、人間の想像の限界を超えられないというところで超えてしまっている。
決して近未来や未知のテクノロジーだったりそういう類の想像ではない。いつも等身大の生活の中でふっと生じるものがカフカの想像である。彼の与える空間はいつだって閉塞的で、圧迫されているかのように感じられる。読んでいてとても息苦しい。離れられない、逃れられない、そういうしめつけがどこかまとぁりついてくる。彼が用いるのは「喩え」おそらく閉塞的な機構(システム)というのは喩えだったのだろう。万里の長城を読んでいて、この閉塞感というものは、カフカが求め、そして辿りつけなかった彼岸のことだったのではないかと思う。それを喩えて、ひとつの完結した閉塞システムを彼は書き上げたのではないか。
彼は職業作家では決してなく、書き上げた作品でさえ、焼却を願う人物だったことから、彼の思索や感覚というもののすべてを感じ取ることは大分難しい。しかし、書きかけのノートや断片、メモを見通すと、彼の想像が決して日常をかけ離れた荒唐無稽のものとは決して思えない。むしろ、日常の地に足着いた生活から生じていると思われる。彼のもたらすシステムは彼にとってのある種の楽園だったのではないか。辿りつけないからこそ、求めてやまない、息苦しいものだ。そうした機構をひとは太古の時代からもってしまっている。それゆえに、日常の中で見出したり、出会ってしまったりするのだ。これを不条理と呼ばずになんと呼ぶのか。カミュがカフカに惜しみない賛辞を与えたのは、ふたりとも同じように乾いていたからだ。それを喩えの中で勝ったのがカフカで、賭けに勝って喩えで負けたのがカミュなのだ。いずれにせよ、ふたりとも確かな理想をもって生活していたのだ。
ミロのビーナスのように、書きかけ以外の何ものでもない作品が多いが、作品化することなど考えておらず、ふと思いついたことを書きとめてやがて見返してまた考える、そういうことをしていたような気がする。デュラスのようにじっくりとことばを掘り起こしていくのではなく、モチーフをいくつか並べてみてdetailを増やしていく、そんな感じ。もっと先を読んでみたいが、今書きかけのものも、他のモチーフが並んだらきっとまた、少しずつ書き換えられるだろう、そんな気がする。
Posted by ブクログ
仕事は忙しいし、官僚的なわけのわからいないプロセスのなかで、なにをやっているのか分からなくなる。
という状況のなかで、これってカフカ的だなと思い。仕事の合間に、短編をパラパラと読む。
すると、これがすごい。カフカって、幻想的というイメージだったのだが、これは、全くリアル以外の何ものでもない。もちろん、わけのわからないシュールな展開が多いのだが、そういう不条理さまで含めて、これこそが現実である。
と、とりあえず、断言してみる。
カフカは、サラリーマンをやったり、親が老いたりしなければ、分からない作家であったのだ。
Posted by ブクログ
カフカは難解だ。しかし、それでも読者惹きつける何かが間違いなくある。その点でカフカ世界を、五感と想像力をもって感じられたから良かった。
「掟の門」
「判決」
「流刑地にて」
「夜に」
「橋」
「町の紋章」
「プロメテウス」
「喩えについて」
解釈を急がず、カフカ世界に入っていく。
そして、そのまま物語の世界に独りで取り残されたかのような感覚を与えてくれる。
こんなにも不可思議で、乱暴な短編集は初めてだった。
Posted by ブクログ
どうしてわれわれは故里をあとにしたのか
これは、万里の長城建設に携わる技術者の独白である、短篇「万里の長城」の一部分です。
父と息子の関係を描き、結末がショッキングな「判決」、特にミステリアスな「田舎医者」、ある流刑地に、ヨーロッパから裁判制度の調査旅行に来た有名な学者が、残酷な死刑装置の説明を受けるところから始まる「流刑地にて」など、ものすごくわかりにくい話から、筋は結構わかりやすいものまで、翻訳した池内紀さんが選んだ短篇集。
「死」のイメージが強い話や、難解な話も多いが、わりと明るい読後感を残す「火夫」、「中年のひとり者ブルームフェルト」などもある。
「火夫」は、女中に誘惑され子供ができてしまい、ドイツ人の16歳の少年が、両親により家を追い出されアメリカへやってくる話。船がアメリカについたとき知り合った一人の火夫が、少年の運命を大きく変えていく。未完に終わった長編「アメリカ」の第一章であり、独立した短篇になっている。
「中年のひとり者ブルームフェルト」は、ある日、白いセルロイドの二つのボールと暮らすことになるサラリーマンのお話。
「バケツの騎士」は、石炭がなくなった「おれ」が、空のバケツにまたがって、宙を飛び、石炭を買いにいくのだが。。これなど、内容は決して明るいわけではないけれど、不思議にメルヘンである。
池内紀さんは、解説に、カフカの作品は、「とびきり楽しい『おはなし』」であり、「大人のためのメルヘン」であると書いている。また、宮沢賢治「やまなし」や内田百?と同じ種類のお話であるとも書いている。よくわからない部分も多かったけど、大好きな宮沢賢治や内田百?と同じように読んでもいいのだと思うと、うれしくなった。
でもやっぱり、
真理をおびて始まるものは、しょせんは不可解なものとして終わらなくてはならないのだ。
「プロメテウス」より
Posted by ブクログ
2024/05/04再読
以前に読んだことをまったく覚えていなかった。
内容は盛りだくさん。たくさんのすごく短い短編といくつかの長めの短編。すべての作品が独特で、理解が困難なものもあり、一つ読み終わるごとに考え込んでしまうのでなかなか進まない。しかしその分ゆっくりと楽しめる。
風変わりなディテールも楽しい。羊と猫が混ざったような動物、流刑地の拷問機械、オドラテク、勝手に跳ねる2つのボールなど。
Posted by ブクログ
フランツ・カフカ。
『変身』しか触れたことがなかったが、実存主義や精神分析など、関心のある分野から研究された不条理文学の巨匠だと知り、手に取った。
『掟の門』『判決』『流刑地にて』『橋』は特に興味を惹かれた。
とりわけ、たった両面1枚で完結する短編『橋』から漂う鮮烈な不安、恐怖、そして不条理により、カフカの息吹に晒された。グレゴール・ザムザの心境にも近いからか?
私は橋だった。
橋が寝返りを打つ!
運命に抗えない不条理からは、逃れたいが逃げ出せない。逆らえない。それでも無感覚にはなれず、かと言って本当はなりたいわけではなく、強いて言うなら絶望を選ぶ。絶望は病であって薬ではない。刹那の連続に運命を刻みつける。理性の動きで変容できない。不合理になれない不条理…
カフカは難解だが、人間なのだなと。
Posted by ブクログ
20世紀プラハの作家フランツ・カフカ(1883-1924)の短篇集、マックス・ブロート版からの翻訳。
□
不可解な物語の意味を読み解こうとして後に残ったのは、意味というものの無意味さの感覚だった。則ち、自分たちの日常が普段依拠しているところの意味なるものが、実はたいした内容物ではなくて、無意味と同じくらい空っぽなものでしかないのではないか、という感覚。意味というのは、無数にある無意味の諸ヴァリエーション(それは言語とその規則の順列組合せだろう)のなかの偶然のひとつ、それ自体のうちには何ら特権的な根拠をもたない偶然のひとつ、でしかないという感覚。意味と無意味の区別自体が無意味なものとなってしまうような、たださまざまな雑多だけがあるというような感覚。
解釈というものが作品の諸要素ならびにそれらの諸関係を世界の既知の諸要素ならびにそれらの諸関係に投影することだとすると、解釈だけでは作品は作品以前に予め与えられている世界の従属物であるということになってしまう。しかし、作品は世界に新たな要素とその関係を付け加えることができるかもしれない、あるいはそうした新たな投影を読み手のなかに芽生えさせることができるかもしれない。作品を読むという行為は、単なる静的な解釈である以前に、ただ言葉の機械的な運用だけに頼っていては沈黙するしかないような、新たな方向に分け入っていくところの体験ではないか。
カフカ作品の意味のわからなさは、日常的な意味以前の、そもそも以前以後というように位相化することができないところの、ある先験的な僕らの前提条件の形式とその規則を、語るのではなく、示そうとしているようにも思われてくる(「橋」「父の気がかり」など)。
□
「あやつは、はたして、死ぬことができるのだろうか? 死ぬものはみな、生きているあいだに目的をもち、だからこそあくせくして、いのちをすりへらす。オドラデクはそうではない。いつの日か私の孫子の代に、糸くずをひきずりながら階段をころげたりしているのではなかろうか? 誰の害になるわけでもなさそうだが、しかし、自分が死んだあともあいつが生きていると思うと、胸をしめつけられるここちがする」(p105「父の気がかり」)。
カフカはこの作品において死後に残される自分の作品をオドラデクに重ねている、という解釈があると知り、なるほどと思った。カフカは自らの死が近づいたとき友人の作家マックス・ブロートに草稿を含めた一切の作品を焼却するように依頼したが、ブロートがその遺言に従わなかった。そのおかげで世界はカフカの作品を知ることになる。カフカは友人が自分の遺言どおりにはしないことを予め知っていたのではないか、とボルヘスは書いているという。これも、なるほどと思わせる。
□
「掟の門」「流刑地にて」「父の気がかり」「雑種」「橋」「夜に」「町の紋章」が特によかった。
なお、田中純『建築のエロティシズム』によると、カフカは1911年にプラハで開かれた建築家アドルフ・ロースの講演「装飾と犯罪」を聴いており、1914年に書かれた「流刑地にて」にはロースの講演の影響が読み取れるという。
人生の孤独
筆者の話には、他者の自分に対する無理解が、現れているように思う。それは不平ではなく、あきらめでもない。それを知った上で、あがく人々への応援ともとれる。
Posted by ブクログ
カフカを読む時は心身の調子が悪ければ悪いほど楽しめる。余分な装飾がこそげ落とされた文体は疲れた頭にも容易に染み込み、その世界観は理解できなくとも生の不条理が刻み込まれたこの身体が反応する。時に一、二頁で終わるその作品達はどこか不穏な空気を纏っているものばかりなのに、それでも不思議と安心感を感じられるのだ。カフカの描く物語は現実的でないものばかりだが、現実の暗がりに潜む痛みをを鮮やかに切り取ってくれている。それは今にも砕けそうなガラスのコップを支え合う感覚にどこか似ていて、とても美しく思えるのだ。
Posted by ブクログ
フランツ・カフカ著。20篇収録の短編集。
これまでカフカの小説は「変身」しか読んだことがなかったのだが、予想通りシュールな話ばかりだった。簡潔で不可解な設定、哲学や暗喩を感じさせる文章、様々な解釈を生む謎を残した結末。これが、いわゆる「カフカ的」ということだろう。
だがそういうこと以上に、私はカフカに深いシンパシーを覚えた。それはカフカの小説が、単に「カフカ的」であることのみならず、あくまで庶民・労働者目線で書いているからだ。そして物語の背後に確かに感じる、強い諦観。笑えるようで笑えない話が多いのは、それを創作のエネルギー源としていたからだろう。
こういった特徴はカフカの生活が影響しているのだろうが、そういう意味では私は、彼の本が売れまくって彼が会社を辞める、なんてことにならなくてよかったと思わざるを得ない。
Posted by ブクログ
ときどき小説を読んでいると、ああそうだったなと、それまで意識もしていない自我のようなものに気づく時がある。そういう感覚は覚えがあるが言葉にできていなかったなと。
しかし、それはもしかすると“そういう感覚”は今まで経験すらしていなかったのかもしれない。
作品を読んで、自我の中にある、“そういう感覚”が呼び醒まされただけなのかもしれない。
それは、自分が認識するこの世界を押し広げているということだ。だから私は本を読む。
どんな短い作品でも、カフカの作品はああそうだったかと膝を打つような感覚は覚えない。
その作品を体で理解したということは、一度もない。でも、一度読み出すと止まらなくなる。
私の中に、私の知らない誰かが目を覚まそうとしているのかもしれない。
Posted by ブクログ
「流刑地にて」目当てで買いました。
短編になるとカフカの世界観が鋭さを増している。
例えがすんなり受け入れられるものは、読みやすく、あっと思わせる表現が多様にありました。
正直、何言ってんだこれ分からんぞという、難解なものもあり、首を傾げながら読んだものもありました。
Posted by ブクログ
カフカ寓話集の冒頭に収録されていた皇帝の使者にしても、こうしてカフカ短篇集の最後を飾る万里の長城に収まったこそ、その意図が明確になるのでは、と思ってしまう。やはりカフカは面白い。
Posted by ブクログ
全部読んだのかそうでないのか忘れてしまたんだけど(ひでえ)、同じ岩波の寓話集よりは比較的長い作品が多かったような気がします。
あとまだ読んでてわかるような作品とか……やっぱり読んでもよくわからん作品が多いとか……あああ。
Posted by ブクログ
よくわからなかった。寓意を求めるあまり読書の面白みが半減。「掟の門」「橋」は面白く読めたが、全体を通してあまり深く考えずに自分の感性に従って読んだほうがよかったかも。再読するときは作品そのものを見てみよう。
Posted by ブクログ
通読するのにかなりの時間を費やした。
「掟の門」「判決」「橋」このあたりは面白かったし、今の時代でも教訓を感じられる。でも、基本的には難しく、当時の時代背景を理解しなければ小説の内容を理解するのも困難。
Posted by ブクログ
掟の門
判決
田舎医者
雑種
流刑地にて
父の気がかり
狩人グラフス
火夫
夢
バケツの騎士
夜に
中年のひとり者ブルームフェルト
こま
橋
町の紋章
禿鷹
人魚の沈黙
プロメテウス
喩えについて
万里の長城