池内紀のレビュー一覧
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カミュに言わせれば、カフカの作品は極めてファンタジーであると言うが、決して単なるお伽噺に過ぎないというそういう侮蔑ではないと思う。カフカの想像は、人間の想像の限界を超えられないというところで超えてしまっている。
決して近未来や未知のテクノロジーだったりそういう類の想像ではない。いつも等身大の生活の中でふっと生じるものがカフカの想像である。彼の与える空間はいつだって閉塞的で、圧迫されているかのように感じられる。読んでいてとても息苦しい。離れられない、逃れられない、そういうしめつけがどこかまとぁりついてくる。彼が用いるのは「喩え」おそらく閉塞的な機構(システム)というのは喩えだったのだろう。万里の -
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同じ訳者の「カフカ短編集」が面白かったので、こちらも読んでみる。
「寓話集」といっても、カフカがこれは寓話でこれは短編と仕分けた訳ではない。タイトルは、「カフカは現代の大人のための楽しい寓話である」という訳者の解釈から来たものだろう。
「短編集」を読んだときは、「そうはいっても、やっぱり暗いよなー」という感じがしたが、こちらは、なるほど寓話と言う感じだな。動物が主人公のものが多いし。
「皇帝の使者」「ジャッカルとアラビア人」「巣穴」「断食芸人」「歌姫ヨゼフィーネ、あるいは二十日鼠族」あたりが、特に面白かった。
きっとどれも昔読んだ事があるはずだけど、印象はかなり違う感じ。自分が -
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放浪のユダヤ人作家ロート。5篇の短篇の主人公たちも放浪する。故国を遠く離れて。ナポレオンはヨーロッパをかき混ぜ、第一次大戦はヨーロッパの枠組みをぶっ壊してしまった。民族自決という名の下にバラバラになったオーストリア帝国。行き過ぎた民族主義はユダヤ人に対する憎悪を引き起こす。ヒトラーを予見させる『蜘蛛の巣』と亡き帝国の挽歌である『皇帝の胸像』は鏡像のようだ。せつない愛の物語2篇もいい。表題作は作者そのものらしい。淡々とした筆致で書かれた物語たちは甘さのあとにくるほろ苦さのようなものを含んでいた。
『聖なる酔っ払いの伝説』でもアプサンの代用酒でペルノーを飲んでるけどヨーロッパではアプサンがそん -
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どうしてわれわれは故里をあとにしたのか
これは、万里の長城建設に携わる技術者の独白である、短篇「万里の長城」の一部分です。
父と息子の関係を描き、結末がショッキングな「判決」、特にミステリアスな「田舎医者」、ある流刑地に、ヨーロッパから裁判制度の調査旅行に来た有名な学者が、残酷な死刑装置の説明を受けるところから始まる「流刑地にて」など、ものすごくわかりにくい話から、筋は結構わかりやすいものまで、翻訳した池内紀さんが選んだ短篇集。
「死」のイメージが強い話や、難解な話も多いが、わりと明るい読後感を残す「火夫」、「中年のひとり者ブルームフェルト」などもある。
「火夫」は、女中に誘惑され子供がで -
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著者の池内紀さんがあちこちに書散らしたものを蒐集し一冊にまとめたものらしい。
カフカが恋人に宛てた手紙、散歩してまわったプラハの町並み、複雑な言語感覚、小役人として属した官僚機構、19世紀から20世紀にかけてのヨーロッパ、ユダヤ人、宮沢賢治との共通点…。
「この十年あまりにいろんな場で発表したものから十編を選んだ」だけあって、テーマは多岐にわたり、そのとりとめのなさがいい。
作品を通して想像するカフカは「暗い」「気難しい」というイメージだが、ここに現れるカフカはまた少し違う。
いろんな「ちいさなカフカ」に出会えた気がする。
カフカを読んだことのある人にも、これから読もうかという人にもお勧めの一 -
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池内先生、うまいなぁ。
居酒屋本たくさん出ているけれど、あまり感心しない。
「元祖」と言われている(言われてない?)グラフィックデザイナーの方とか、物書きとしては素人の某重工メーカーにお勤めの方とか、恐ろしく文章が下手くそで、読んでいて胸がイタミまくりの方とか、いろいろと「居酒屋本」が出ているが、やはり違うなぁ、と。
「中央公論」連載の頃から、読んでいました。
なるほど、新書になりましたか。
読んでいて、楽しい。
具体の店は出てこないけれども、文章を読んでいて、行った気になってしまうのは、あるいは、猛烈に行きたくなるのは、作者の筆の技のなせる技なのでしょう。
あまりガツガ -
Posted by ブクログ
フランツ・カフカやエリアス・カネッティやギュンター・グラスやヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの真髄を教えてもらった、敬愛する独逸文学者の池内紀が、まさか温泉以外にもこういう傾向の随筆を書かれるとは夢にも思ってみませんでした。
そう、それは・・・・・
♪ 地球の上に朝がくる その裏側は夜だろう・・・と歌う、川田晴久(戦前は義雄)とミルク・ブラザースのことを書いた『地球の上に朝がくる 川田晴久読本』以来の驚きかもしれません。
父などはよく、今は「つぼ八」だとか「笑笑」だとか、一杯飲むのも団体でしか行けやしない、と嘆いて、そのすぐ後に、ああ「時間ですよ」の中の篠ひろ子が女将さんでいるような -
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著者が文学者ということで、どんな場所にもどんな歴史にも文学が根を張っているという事実を噛み締めながら読みました。歴史も文学も人間が作るものなのだから繋がっていて当たり前か。ドイツには城や建造物が眩暈がするほど昔から残っていて、それらをこれからも残していくのが当然という雰囲気、新しく町を造るとき(或いは戦争で破壊された町の再建)のしっかりと先を見越した町づくりなどに、日本には無い良さがあります。逆に、きっと変化する事や理解できない事を過剰に避ける傾向もあります。観光地然としすぎていない、わりと小さな町から町へ、著者が旅をしながら綴った短い章を追っていくとそれらがだんだん見えてきます。どの町のこと