安部公房のレビュー一覧
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代表作『砂の女』を書いていた時期に並行して書かれたいくつかの短篇作品を収録したものです。『砂の女』を思わせる、黴臭いくらいの和のテイストを感じる作品もありますし、初期の作品から続くテイストであろう想像力がぶっとんでいるおもしろい作品もあります。『なわ』なんていう残酷なものもあり、読み手をひとつところに停滞させず、そればかりか揺さぶってくる短篇集になっていると思いました。
とくに「人魚伝」という作品に夢中になれました。沈没船の探索中にであった緑色した人魚に恋する話ですが、一筋縄では終わらない。この作品もそうなのですけれども、既視感を覚えることなく、「いままさに知らない物語のなかにいる!」ということのわくわく感がとてもよいです。自分の知らないものや、自分にとって新しいものに触れている喜びがあります。そして、ぶっとんでいながらも、読むのに耐えうる弾性を備えている作品群でした。
どうやら安部公房の作品は、僕の性分にあうものが多そうです。じめじめしたような和のテイストの強いものはあまり好きではなく、できればドライなもののほうが楽しめるのほうなのですが、でも安部公房の作品に触れているうちに、苦手なぶぶんにも慣れてくるような感じがありました。もっと慣れてくると、たぶんなにか発見があるのではないだろうか。
まだまだ彼の作品を読みたくなりました。 -
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「他人の顔を付けること」は「他人になる」と同じこと?
1968年(昭和39年)発行、半世紀以上前の作品。
液体空気の事故で顔を失った研究所勤めの男が、
「他人の顔」を作り上げてその顔で妻を誘惑し、
妻の愛を取り戻そうとする。
主人公の「ぼく」は、仮面を作るに至ったいきさつ、
混沌とした迷い、仮面をつけた自分がなにをすべきか
という決断までノートに手記を書き続け、手記の
中で妻の「おまえ」に語り掛ける。最後に、その
手記を妻に読ませる。「ぼく」の浅薄さと悲哀が
鮮やかに浮かび上がってくる結末に、あっと
思わされた。
昭和中期の泥臭い雰囲気がたまらなく良かったです。
モノクロか初期のカラーテレビの色を感じさせます。
結末には関係ない箇所ですが、デパートの描写で
「どこの売り場でもかならず陳列台一つがヨーヨー
のためにあてられており、そのまわりに子供たちが
ダニのようにへばりついている。」(P145)
悪意も嫌悪もなく、デパートにいる子供をダニに
例えるなんて令和にはありえないのかもしれない。
文章で昭和中期にタイムトリップできる。
しかし、さんざんノート3冊逡巡した結果が
「やっぱり性欲」となったのはちょっと
ヽ(・ω・)/ズコー でしたよ…、うん。 -
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安部公房 「 方舟さくら丸 」核シェルターを舞台とした近未来小説。
仕掛け(著者が提示したアイテム)が多いので、いろいろな捉え方ができる
著者にとって 人間の在るべき姿は、定着せず 移動し変化することであり、生きのびることより、最後まで 生の希望を持ち続けることであるというメッセージを感じた
近未来への警鐘的なテーマ
*自分の糞を餌として 移動せず 生きる虫(ユープケッチャ)と 便器にしゃがんだまま 旅を妄想する主人公を同一視している
*核兵器や便器を リセットボタンのように描いているが、リセットされても悲観的な人間像しか出していない
*生きのびるための切符配りやオリンピックの国家の出しゃばり具合にファシズムやナショナリズムを感じる
著者は 最後に 人間や街を「生き生きと死んでいる」と表現し、現実感のなさを 悲観したように思う
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難しい。。
メッセージがあるとは思うがはっきり分からない。
映画「マルホランドドライブ」を初めて見たとき以来の謎を感じている。
全体を通して大量消費に基づく、資本主義への皮肉を描いているのか?
第一景 鞄
女と客が資本者で鞄は労働者のメタファーなのか?
鞄の中身が虫だとしても殺虫剤で軽く殺そうとしている描写。虫は労働者の心、人格のメタファーで資本者にとっては取るに足りない、なんの哀れみもなく殺せる、むしろ嫌なモノ。ということを描いている?
第二景 時の崖
ボクサーはサラリーマンのメタファー、
階級は社内の出世のメタファーと考えた。
とすると、ボクサーがランクを上げる際に何人ものボクサーを潰したこと、これからも潰していかないといけない事を考えている描写。
また、チャンピオンになったとしても落ちる時の崖がいちばん急な崖との描写。
これらからは出世競争への皮肉を感じた。
第3景 棒になった男
見た目は違っても98.4%の人は資本者によって使われるしかないモノに過ぎないというメッセージと感じた。
※「」内は直近で読んだ「暇と退屈の倫理学」を参考にした。
以下は印象に残ったフレーズ
「俺は1度だって満足だったことなんぞありゃしないぞ。しかしいったい棒以外の何になればいいって言うんだ。この世で確実に拾ってもらえるものといや結局、棒だけじゃないか!」
「もし体のどこかが痒くなりでもしたらどうしよう棒が自分で自分の背中を掻くなんてゲートができっこないからねでも案ずる事は無いのですあなたは一人ぼっちでは無いのですみたまえ君を取り巻くこの棒の森もっと違った棒になりたくても|以外の何かになりたいなどとは1度も思ったことのないこの罪なき人々裁かれることもなければ罰せられる気遣いもない棒仲間」 -
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ネタバレ高校生以来の安部公房。 内容よりもまず、文体と構成、言葉選びがかっこよすぎる。「物語」としての強度は言わずもがな、その独自の「形式」の圧倒的なセンス。ラインを引きながら読んでいたのだけれど、引く箇所があり過ぎた。 特に後半にかけてのスピード感と陶酔感、そして虚無感が素晴らしい。全編に散りばめられたブラック通り越した底が見えない、あの便器のように暗い黒いユーモア。
閉ざされた巨大空間、方舟、=王国。自らの「排他性」を他者の介入により自覚していく主人公=モグラ。外の世界では「棄民」とされ、またそれを自覚して強度を増す「ほうき隊」と呼ばれる老人男性集団の躁状態。
「統治」する快感と「統治」される快感。何も考えなくていい、という、平和。
現実から目を逸らして、死なないように生きる事は悪?
「信じていられれば、そのほうが幸せなのかもしれない。」
最後まで、「女」としか記述がないまま閉じていく女。 「女性性」の扱いもかなりグロテスクで悲惨に思った。
「女は女で、それ以上区別する必要なんかないと思ってるんだ。」
名前のない女の言葉。ほうき隊には婆さんはいない。戦争が好きなのは男ばかり。女子中学生を雌餓鬼と呼ぶほうき隊の副官。
めちゃくちゃに面白くて、最後、先述したが虚無感が半端なく。心して読むべし。 -
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ネタバレ『夢の兵士』
詩的。
『使者』
安部公房らしさは、少しはあるが、発想とかの点で、あまり面白くない。
『賭』
安部公房らしい発想と内容で面白かった。
『なわ』
戦後文学ぽく、面白かった。
小島秀夫が、ゲーム『デスストランディング』で引用していた言葉が、最後に出て来たが、この短編『なわ』で使われていた"なわ"の使い方は残酷だった。
『無関係な死』
誰もが考えそうな、家に帰ってみると見ず知らずの他人が死んでいたという設定で、安部公房らしい話が続く。
『人魚伝』
人魚への純愛を描く。
結末は、何とも面白かった。
〈感想〉
いかにも戦後文学というのを味わえた。 -
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読書会で紹介された本です。
こちらの表紙は「デンドロカカリヤ」っぽいですが、読んだ本の表紙は「水中都市」っぽいので古いバージョンなのかな。
面白かったです。
「デンドロカカリヤ」「手」「詩人の生涯」「水中都市」が好きでした。
人が植物や魚になったり、世界が凍りついたり水中に沈んだりする、不思議な世界が楽しかったです。水中都市で空中を泳いでみたいです。魚は怖いけど。
「闖入者」はとてもブラックで怖かったです。結末が辛い。
安部公房は寓意があるのかどうかよく分からないですが、このよく分からない感じを楽しむので良いのかなと思います。
解説がドナルド・キーンさんでした。読者に私なりの「解釈」を押し付けるのは遠慮したい、という姿勢、わたしも気を付けていこうと思いました。合掌。 -
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本書は『砂の女』で知られる安部公房の芥川賞受賞作。
ある日、名前を失ってしまったことで、
社会の外に放り出されることになった主人公。
その世界は奇妙さを増していき、
ある意味で支離滅裂な夢のようなイビツなものとなっていく表題作の『壁』と、
他、二章からなる作品です。
非現実的なタイプの小説です。
現実性からかなり高くジャンプしています。
そこには、現実性の強い重力から逃れながらも、
現実性から逃れたがゆえの、
孤独による、よるべなさのようなものがあります。
しかし、その世界観といい、文体といい、
何故かとても心地よくもあるのです。
その幻想世界にある、現実社会を照らすするどい寓意。
それはメインに表だって飾られたものではなく、
うっすらと感じる程度に内包されているというか、
抽出的に読解してみることで感じられるものだったりします。
また、村上春樹の『世界の終りとハードボイルドワンダーランド』の
「世界の終わり」の部分はこの『壁』から大きな着想を得ている感じがしました。
もう、アンサーソングみたいに書いたんでしょう?ってくらいです。
「世界の終わり」で街を取り囲む「壁」というモチーフといい、
主人公とはがされた「影」の存在といい、この『壁』と共通しますね。
科学が、先達たちの業績の上に積み上げていく形で
少しずつ発展しているものであるのと同じように、
作家も、先達たちの切り拓いた先をさらに切り拓くように、
バトンを受け取って仕事をするのが、こういうところからわかりますよね。
数年前に『砂の女』を読んだ時には、
まだピンとくるものが弱かったように思うのですが、
今回、安倍公房の本作品を読んで、
皮膚感覚といったような自分と近い感覚での読書体験をすることができ、
おもしろかったので、また、彼の作品をそのうち読んでみようと思います。