あらすじ
液体空気の爆発で受けた顔一面の蛭のようなケロイド瘢痕によって自分の顔を喪失してしまった男……失われた妻の愛をとりもどすために“他人の顔”をプラスチック製の仮面に仕立てて、妻を誘惑する男の自己回復のあがき……。特異な着想の中に執拗なまでに精緻な科学的記載をも交えて、“顔”というものに関わって生きている人間という存在の不安定さ、あいまいさを描く長編。(解説・大江健三郎)
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Posted by ブクログ
4/6 他人の顔 阿部公房
強い女性の手のひらで転がされる男という構図が大好きなので本作も大好物。男性のあらゆる努力を水泡に帰す最後の手紙は鳥肌もの。素晴らしい。最後の事件は自暴自棄の結果なのか。
Posted by ブクログ
読み始めと、途中と、読み終わってからとでは
印象が違って、すごく疲れた
そしてもう一度読みたくなった
顔が仕事上の事故でケロイド状になってしまった主人公
妻から拒否されていると悲観する
そこから始まった計画
完璧な仮面を作り、それを被ることによって
仮面に乗っ取られていく
それははたして他人なのか?
そして妻への計画は成功するのか?
主人公がみた映画の内容がまたなんともいえず
主人公と重なり、さらに切なさを重ねる
主人公も妻も、不器用で、人間らしく
いじらしい
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主人公の行動一つ一つが世界の不幸と照らし合わせて合理化しているのが怖い。けれどその言葉が一瞬一理あると見せてるのがさらに恐怖心を煽る。
原爆の件も自分は原爆経験者の彼女のように顔や心を傷つけられ白鳥のように飛び立った気になってる、他人の顔して演じたゆえに裏切られただけなのに飛躍してひたすらみんなの同情と喝采が欲しいゆえに複雑に空回りながらそうだと言わせようとしている。
しかし、どんな顔してもしたらダメなこともあるって気付かされた。
この本を読むに辺り、少し前の友人の言葉を思い出した。
「人間は物事を簡潔に導く」
けれどその中は深淵で顔もなくてでも複雑。簡単に導き出した逃げのようなもの、或いは意志みたいものを無下にした結果は深淵のなかでは複雑に永遠に絡まっていて殻になって空っぽになりながらのたうち回ってる。必死に言い訳した言葉を自分では投げかけ簡潔にしている。行動すらも簡潔にして無下にする。
それがこの本の顔と言えよう
Posted by ブクログ
現代(令和)におけるVtuberとかにも応用できる、予見してるなぁとか思った。
自分の行動の動機や選びとる選択、何に起因し何に向けてるのか、日々の自分を内省せざるをえなかった。
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失踪シリーズに挙げられるが、個人的に安部公房作品でも砂の女と並び傑作。
顔を失った男の自閉した内省・思考の流れが滑稽で面白い。読んでいくうち主人公と同化し沈み込んでいく引力がある。
作品世界が非常に狭く、読後は疲労も残り要体力。
Posted by ブクログ
顔を失くした男の自己回復と、
他者との交流の窓を回復する目的であったはずの仮面が、
いつしかただ別の素顔を得るだけになる。
執拗に繰り返される自問自答と顔に纏わる考察が、
必死になればなるほど迫害的で妄想的な意味合いを強め、
ひどく歪んだ自己愛的な主観へと埋没していく様が怖いが、
それは蛭の巣窟になったからなのか。
それとも妻が指摘することが真実なのか。
男とその妻という形式を借りた、
これまた安部公房が描き続ける普遍的な人間の実存をめぐる物語に仕上がっている。
Posted by ブクログ
良くも悪くも男性はこういう思考に陥りやすいのではなかろうか。しかし妻の気持ちもわからぬではない。一度刺さったハリネズミのトゲはそう簡単には抜けない。ならいっそもっと深く差し込んで見る必要があったのではないか?
Posted by ブクログ
顔は通路。
覆面は他人との関係を、素顔のとき以上に普遍的なものに高めてくれるのではあるまいか…
顔なんかで人は判断されない と思いつつも、おまえのことを考える時にいつも浮かぶのは顔。その表情。
匿名性と、その実存と、それもまた本人に過ぎないと言う事実。
夫婦には仮面が必要…?
主題はとてもおもしろく好きなものだったけど、読むのに時間かかったなぁぁ
Posted by ブクログ
人はみな他人の顔を求めるものだと思う。 SNSで友人を作るのが当たり前になっている現代は、出版された時代と比べてもかなり「自分とは別の顔」が普及した世の中になっている。
のみならず、コスプレやメタバース、ゲームのアバターなど「自分以外の自分」で自己表現ができる機会は多い。
化粧や整形の普及もあって、顔がもたらすアイコン的特性自体も強くなったかなとも思う。
本書の主人公は、他人の感情などまるで見ていない。妻・同僚の感情や思いやりに無頓着で、被害者意識で利己的な屁理屈と哲学をこねながら延々と同じ場所をぐるぐる回っている。結果として仮面と自己の同一性は歪み、現実との通気口となるはずの仮面は現実逃避の道具となってしまう。
現実の抑圧を発散するためにSNSで認証欲求を満たすのも大概にしておけと、60年前には既に警告されていたのかもしれない。
他者の存在なくして自己はあり得ない。他者の存在を無視した仮面もまた空疎なものに成り果ててしまう。
Posted by ブクログ
ヤマザキマリさんが阿部公房を紹介してたのでよんだ。
本当は砂の女を読む予定だったけどなかったので。
文学的な文章は慣れてないので読みづらかったけど、とりあえず読み切ってよかった。
人の本質は顔だけじゃないという本人だけれど、顔に対してのコンプレックスや偏見を一番感じとっているのが自分でもがいているのが読んでいて痛々しい。
もし自分だったら、、こんなくどくどと言い訳せず
整形技術も上がっている時代なので整形するだろう。
ただ、仮面を作っている過程が具体的でなおかつゾワゾワするような感覚になった。
また読んでもっと深く理解したいと思った
Posted by ブクログ
安部公房の、昭和39年に刊行された長編小説。
フランスでも高い評価を得た作品で、
日本では映画化もされているそう。
顔に蛭が蠢くような醜いケロイドを負ってしまい
"顔"を失った男が、
妻の愛を取り戻すために仮面を仕立てるという
ストーリー。
科学者である主人公が研究を重ねて
"他人の顔"である仮面を作り上げていく過程が
とても興味深く、面白い。
またその中で彼が自身に問い続ける
"顔"というものの意味、概念について
深く深く考えさせられる。
Posted by ブクログ
中学時代に読んで以来の再読。
顔にダメージを負うだけで自分が自分でなくなってしまうのには十分なのに、顔を差し替えても自分のままでしか居られない。
考えてみれば当たり前のことだけどかなり辛いことだとおもった。
Posted by ブクログ
研究所に勤務する僕は実験中の爆発事故で顔一面に大やけどを負い、ケロイド瘢痕を隠すため顔全体を包帯で覆う日々を過ごす。人間同士のつながりの窓である「顔」の復元を考え、特殊ゴムを使用した覆面を思いつく。見放されたと感じている妻にも別人として迫るがその結末は意外にそっけない。愛というものは互に仮面を剝がしっこすることか。そのために仮面は必要か?
Posted by ブクログ
「他人の顔を付けること」は「他人になる」と同じこと?
1968年(昭和39年)発行、半世紀以上前の作品。
液体空気の事故で顔を失った研究所勤めの男が、
「他人の顔」を作り上げてその顔で妻を誘惑し、
妻の愛を取り戻そうとする。
主人公の「ぼく」は、仮面を作るに至ったいきさつ、
混沌とした迷い、仮面をつけた自分がなにをすべきか
という決断までノートに手記を書き続け、手記の
中で妻の「おまえ」に語り掛ける。最後に、その
手記を妻に読ませる。「ぼく」の浅薄さと悲哀が
鮮やかに浮かび上がってくる結末に、あっと
思わされた。
昭和中期の泥臭い雰囲気がたまらなく良かったです。
モノクロか初期のカラーテレビの色を感じさせます。
結末には関係ない箇所ですが、デパートの描写で
「どこの売り場でもかならず陳列台一つがヨーヨー
のためにあてられており、そのまわりに子供たちが
ダニのようにへばりついている。」(P145)
悪意も嫌悪もなく、デパートにいる子供をダニに
例えるなんて令和にはありえないのかもしれない。
文章で昭和中期にタイムトリップできる。
しかし、さんざんノート3冊逡巡した結果が
「やっぱり性欲」となったのはちょっと
ヽ(・ω・)/ズコー でしたよ…、うん。
Posted by ブクログ
妻の立場だったなら、「顔だけが変わったからって、あなただって気付かない訳ないでしょう」と思う。骨格、肉付き、爪の形、仕草だって、「あなた」だって気付かせるに十分すぎるくらいだと思うから。けれど人って、失われたと思うものに程執着するし、「顔」って常に外界に向けて公開されてしまうものだから、主人公がここまで執着して苦悩してしまうのも無理がないし私もそうなると思う。妻も主人公の悲しみ苛立ちを受け止めようと、また一部道徳的な自己戒律から仮面をかぶって暮らしていたんだと思う。その全てが見えなくなるほどに苦しんだ主人公を非難はできないけれど、妻からすれば、私の気持ちをくもうともせず自分のことばかり憐れんで、侮蔑的な目で私のことを観て勝手に粗ぶって付き合いきれないし次は何しでかすかわからない怖い。。と思うのも当然…。苦悩が性格をゆがめて、覆面効果が暴力性を強化し、怪物みたいだと嫌った見た目にふさわしい心と行動を作り出してしまったのかなぁ。心理学的に考察された論文がありそうだから、そんなのも読んでみたい。
Posted by ブクログ
安部公房にはまりました。顔を通して人間を認識する主人公と、そうではない主人公の妻ということでしょうか。最後の妻の手紙を読むと、全てはただの被害妄想による独りよがりの空回りだったのかなとも思ってしまった。顔というアイデンティティの存在意義とは。。
Posted by ブクログ
顔を作る工程の医学的SF。手記という形式の文学的比喩表現の応酬による渦巻くドロドロとした心情の描写。「おまえ」の予想外の態度。どこに到達するかわからないストーリー。良い意味で読み疲れるタイプの小説だった。
Posted by ブクログ
仮面をかぶって、一番純粋にやりたかったことが、妻を痴漢することだったり。
一生懸命変装したにも関わらず、近所の女の子にすぐに仮面だと見抜かれて動揺したり。
コメディだった。
Posted by ブクログ
“孤独というやつは、逃れようとするから地獄なのであり、進んで求める者にはむしろ隠者の幸せであるらしい。”
“美とは、おそらく、破壊されることを拒んでいる、その抵抗感の強さのことだろう。再現することの困難さが、美の度合いの尺度なのである。”
安部公房さんの巧みな比喩表現に唸らされ…
難解な文章や展開を繰り広げながらも
たまに読者目線におりてきてくれる
緩急ある構成で点の物語から 次第に面の物語へと姿をかえていく…
初めて安部公房さんの作品を読んでみたが
手記という描き方も気に入ってしまった!!
事故で蛭のような火傷により
顔という社会の接点を失ってしまう主人公
仮面を通じて社会との接点を持とうとする
膨大な思考は
主人公を少しずつ狂気の世界へといざなっていく…
人は素顔という不完全な仮面をかぶり
社会と関わり合い表層的な部分でしか
お互いを判断していない
それに対して主人公は
完全な仮面をかぶった自分は
本質にたどり着いた特別な存在として位置づける…
心が離れてしまった妻に誘惑していくのだが
次第に自分が創りあげた仮面に対して
嫉妬を抱くこととなる
妻に誘惑することで観えてきた本質的な世界_
物語の8割は顔についての
考察にあてられているが…
ラストで一気に本質的な部分を
読者に畳かけてくる!!
すべて計算して描かれたのだと思うと…
安部公房さんの凄さを感じてしまい
鳥肌が止まらなかった!!
また解説が大江健三郎氏とは…!!
ラストまで目が離せない
エンターテイメント作品で
今は読み終えて 満足感でいっぱいです
Posted by ブクログ
最初の方と終盤は特に面白く読めたが、主人公の手記のていなので、ずっとくどくどとひとり語りを聞かされている感じで中盤は結構つらかった。
『箱男』よりはとっつきやすかった気もするけど、それでも面白さをちゃんと理解するのはまだ私には早かったのかもしれない。
Posted by ブクログ
顔という不確かなものを科学者らしく科学的に分析し、再現するとともに、顔の本質について思索を深めていく過程が多様な比喩表現で描かれ興味深く読める。
だからこそ、最後の妻の手紙によって、主人公のこれまでの行動が全て無に帰されるところは読んでいるこちらまで顔が熱くなってしまった。
人間関係一般に一貫した法則性を見出そうとする試み自体が無理のあるものなのに、主人公はそれに気づかない。
主人公は顔に価値を置くことを無意味と言いつつ、周囲の人間がそれを認めないからという理由で仮面を作る。しかし本当は主人公自身が自分の醜い顔を認められないのである。
Posted by ブクログ
顔を失った男のあがき。
精巧な仮面で手に入れた他人の顔。
心の平静を求めた外見への追及はむしろ、
男の孤独と剥き出しになった心をつまびらかにする。
安部公房の独特の比喩表現がたっぷりで、どこまでもひたすらに暗い作品。
Posted by ブクログ
妻の手紙が秀逸。古女房は、もはや母親であり、母親は出来の悪い息子のやってることは、何でもお見通しなのだ。
全体としては、主人公の延々と続く泣き言、嫉妬、妄想にうんざりしながら何故か読み続けてしまう。読み続けるうちに、不意に気づく。彼のように思考の渦に巻き込まれて、混沌として、訳の分からないことをしてしまう。そんな人、存外ありふれているのではないだろうか。
Posted by ブクログ
顔って何だろう、と言うことを考えて考えて考え抜くとこうなる、という話に思う
読んでると自分が同じ仮面を被ってる気になってくる。
感情的になったり、後からそのことを反省したり、言ってることは突飛だったり極端だったりするけども、心の動きがとても人間的でリアルなので余計に気持ちが悪い笑
Posted by ブクログ
構成と言葉の選びに馴染みがなくて、仮面作成中のとこらへんは読むのを何度も諦めかけたけど、後半仮面ができてからは展開が気になって、一気に読めた。
普段小説は、登場人物の言動に共感や尊敬しながら読書を進めるタイプだから、この本はそれが難しかった。
一度では解釈しきれなかったし、深夜読み飛ばしてしまった文もあると思うけど
Posted by ブクログ
顔という社会の接点を失い、仮面を通じて社会との接点を回復しようとするなかで、仮面の裏側いにる「ぼく」は誰でもない他者の視点で顔(不完全な仮面)を被った人間の本質を暴いていこうとする人間風刺。
結局人は素顔という不完全な仮面を被り社会と関わり合い、表層的な部分でしかお互いを判断できない。それに対し、完全な仮面を被った自分を本質にたどり着いた特別な存在と考えますが、本質を見抜かれていたのは自分。
とても、ブラックユーモアたっぷりの人間風刺で面白い作品です。考察の部分が多く、展開が少ないですが退屈せずに読ませるところはさすがです。
Posted by ブクログ
難しい。再読しないと。
仮面の陰に隠れてこそこそするのではなく、仮面ははっきり仮面だと分かるものでないと意味がない、という妻の手紙が見事。仮面を見破っていた妻は、仮面に隠れるような卑小な男は捨て、仮面を演技として使う男の前には共演者として現れる。
素顔が仮面か、仮面が素顔か。
Posted by ブクログ
マスクをしていないと、奇異な目を向けられる昨今において。
主人公はもはや妄想観念的な執着心でもって仮面を作り出そうとする。
しかし、この執着心やら孤独感とはどこに源泉があるのだろう。
顔、なのだろうか。
P.74『怪物の顔が、孤独を呼び、その孤独が、怪物の心えおつくり出す。』
こだわりの強さ、情緒交流の乏しさ。
そこに、恐るべきボディイメージの歪みと疎外感が加わる。
P.80『流行と呼ばれる、大量生産された今日の符牒だ。そいつはいったい、制服の否定なのか、それも、新しい制服の一種にすぎないのか』
これは昨今でもまったく同じ現象を容易に思い浮かべられる。量産型女子大生とか男子大生とか、就活スーツ、或いはカジュアルオフィス、クールビズ等々。
そこに根底に流れる疎外感と自尊心の欠如がさらに妄想分裂的心的態勢へ退行させる。
P.82『ぼくに必要なのは、蛭の障害を取り除き、他人との通路を回復することなのに、能面の方はむしろ生にむすびつくすべてを拒否しようとして、やっきになっているようでさえある』
このジレンマはマスクをすることで、他者と交流を試みて、しかしマスクという符牒がなければ交流できないという現在の我々のもどかしさとも重なるようだ。
次第に、人格が徐々に交代する。
しかし、これはマスクへ投影された自己像であって、そもそも欲求の投影をはじめから試みていた事もわかる。
それは妻への攻撃であり、この主人公の性的欲求と攻撃性が未分化な未熟な人格構造の投影でもある。
この物語が読みにくいのは当然でもある。
妄想性障害。
奇妙な数式と論理。訂正不能な認知がこの病理を想起させる。
もっと詳しく生育歴を調べたいものだが、二重の父性など元来から葛藤深い人格構造のようでもある。
そして、彼の知能は抽象的思考優位のようでいてその実具体的思考の域を出られていない事も妄想的思考たらしめている。
数学のような体裁であるが、しかし実際は算数の域を出ていない、というべきだろうか。
いずれにしても、読みにくく了解不可能な物語である。
解説(大江健三郎)のアンバランスさ、とはまさに。