あらすじ
液体空気の爆発で受けた顔一面の蛭のようなケロイド瘢痕によって自分の顔を喪失してしまった男……失われた妻の愛をとりもどすために“他人の顔”をプラスチック製の仮面に仕立てて、妻を誘惑する男の自己回復のあがき……。特異な着想の中に執拗なまでに精緻な科学的記載をも交えて、“顔”というものに関わって生きている人間という存在の不安定さ、あいまいさを描く長編。(解説・大江健三郎)
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Posted by ブクログ
4/6 他人の顔 阿部公房
強い女性の手のひらで転がされる男という構図が大好きなので本作も大好物。男性のあらゆる努力を水泡に帰す最後の手紙は鳥肌もの。素晴らしい。最後の事件は自暴自棄の結果なのか。
Posted by ブクログ
顔に大きな火傷を負った男の手記
最初は「お前」というニ人称の相手に語りかけ、途中でその相手が社会の象徴となった妻だと判明する
最初の方は妻に顔が理由で性的接触を拒まれたことや、研究所の職員達に気を使われるいたたまれなさや、衆目の怯えた視線から逃れるために仮面を作るも
仮面をつけてからは仮面の人格と素顔の人格とに分裂を起こして、「外交的で非調和型」の顔型と「内向的で非調和型」の皮膚組織で作った仮面との内的な争いが発生していた
仮面は最初に、出張と称して仮面を試すべく身を隠していたS荘の管理人の娘と出会った
娘は「秘密ごっこ」と言いながら、誰かから盗んだヨーヨーを元の持ち主に返す代わりに主人公に新しいヨーヨーを買ってきてもらう約束を取り付けた
そのお使いのついでに仮面はおもちゃ売り場で非合法の威力が高いモデルガンを購入する
そして妻にモデルガンを突きつける妄想を、素顔の反対にも関わらず拡大し続ける
素顔は妻の元に向かうことを決めるまでに、酒屋に寄り
・「顔が社会との窓」という同僚の言葉に同調する(素顔への憧れ)
・個人主義を突き詰めた現代社会は皆素顔を持ちながら社会の窓は無い、それ故にむしろ素顔こそが仮面である(仮面の拡大的肯定による素顔の否定)
・部族の顔面タトゥー、大胆な女性の厚化粧、平安時代の終生顔を隠し続けた女の想起(仮面への肯定)
・仮面の匿名性は解放をもたらすアドバンテージ、手段なき目的をすべき(仮面への大きな肯定と素顔の蔑視)
と、当初の「素顔を作り社会の窓を回復するための仮面」から「素顔を隠し匿名性を楽しむための仮面」へと変貌した
そしてとうとう妻に仮面の姿のまま会い、誘惑し、逢い引きを重ねる
自分の顔が醜いと言うだけで拒絶してきた妻への怒りと、光の側にいる(当たり前のように平静として白日に照らされている)妻への嫉妬と、それでも静かに妻としての務めと気遣いをしてくれることへの愛情、そしてそんな妻を誘惑し肉感的に愛する仮面への嫉妬
そんな愛憎を抱えながら何十回と会い、そのうちに耐えられなくなりこの手記でネタバラシをする事に
主人公は家で手記を読んだ妻の帰宅を心待ちにするが、5時間経っても、7時間経っても妻は一向に帰ってこず、ついに主人公は耐えきれずに手記を置いて妻を呼び寄せたS荘へと向かう
すると部屋には誰もいない、ノートも動いていない、仮面も破壊されていない
それでも妻の香りはする、よく見てみると置き書きの裏に妻のメッセージが書かれていた
その内容は、妻がヨーヨーの少女が知っていたように、仮面と素顔がどちらも主人公だと知っていたこと
知った上で、気まずくなっている自分への気遣いとして「不器用ながらもダンスに誘われた気分で」甘受していたという告白だ
その上で主人公の手記を読んだ妻は、自分が主人公を拒絶している訳でもないし、浮気をした訳でもないのに、主人公が騒ぎ立てていることを責め立てる
手記は最初の3枚のノートから変わり、最後の独白へ
その中では物語中に主人公が暗闇に逃げ込むために入った映画館で見た、顔の半分が原爆で焼け爛れた少女の話が書かれていた
その少女は戦争が終わったことを受け入れず軍事訓練を続ける兵士の集う精神病院でボランティアをしたり、家業を営んだり平穏に暮らしていたが、ある日「"一生"のお願い」として兄に旅行に連れてってもらう
その旅行先で少女は兄とキスをし、綺麗な月を見て、ゆっくりと海へと消えていった
主人公はこの話をみにくいアヒルの子のように、アヒルが最後は白鳥として衆目に迎合することによって同情を勝ち得た物語として解釈し、自分はそうはしないと宣言する
そして、家の中から聞こえる女の足音と、手に握ったモデルガンを示唆し「手記とは何も起こらないから書かれるものだ」という言葉を残して物語は終わる
安部公房は象徴的なSF作家だと思っていたので、ここまで神経症患者の手記としての文学を楽しめるとは思わなかった
コンプレックスが肥大化して自意識過剰の被害妄想を拗らせた男が最後に呆れながら惰性の愛情与えてくれていた人にも愛想を尽かされてしまい、それでもなお過剰な思考は留まらない
この構造がたまらなく好きだ、罪と罰のラスコーリニコフとその友達に通ずるものを感じた
また、第4間氷期の最後に出てきた水棲生物が主流となった社会で魚人が陸地の甘美な危険性を求めて死ぬまで泳ぎ、最後に荒野に打ち上がり、無いはずの涙を流した(初代魚人が失敗で涙腺が残り、涙が悲しみを作るという理論に基づいて他の生物よりも感情が豊かになった名残の示唆)予言としての未来を確定的に知らないがゆえの希望と夢想の物語と、主人公の予言としての未来を確定されたがゆえの絶望と虚無の物語を対比していたように
他人の顔の最後の少女の物語もまた、クライマックス、近親者の素顔への許し、観衆の価値観への最終的な迎合の少女の物語と、アンチクライマックス、近親者の素顔への忌避、観衆の価値観(衆目)への最終的な反抗の主人公の物語として対比される、希望のフィクションと絶望のノンフィクション(本の本筋)という構造が見て取れた
ただし手記で、全てが個人的で、私的で、内的であるが為に実際に起こりえたことは矮小だったので、SF味や物語の爽快や驚きは少なかったので星5とまでは行かなかった
Posted by ブクログ
生きていれば基本毎日見る顔
当たり前のようで当たり前でない
顔を失った主人公の執念深さにある種の恐れを感じた
仮面が生産されるという妄想の中で俳優たちが顔の版権を主張するという描写は今の世の中で生成AIによって職を奪われることを危惧している俳優や声優たちの抗議と重なった
皮膚の色は関係ない、人を見た目で決めてはいけない、ルッキズムがどうたらこうたら、多様性であるなどと謳われているような現代にも関わらず、美容整形が当たり前で男が化粧するのも受け入れられる状況を鑑みると、昔以上に顔の重要性は高まっているように感じた
主人公はおまえに顔以外も含めて自分を理解して受け入れてほしいと勘違いをしてしまっていた
おまえは主人公が思っている以上に寄り添い受け止めていたにも関わらず…
顔を失い新たな顔(仮面)を手に入れることに必死になりすぎて、顔以上に大事なものを失ってしまったのだ
Posted by ブクログ
ありのままの自分を愛してほしいと思う気持ちと、ありのままの自分を愛せるわけがないという疑念。そしてありのままの自分など見られたくないという思い。人は「顔」を通して他者と繋がる。
正直読みにくくて真ん中辺りは大変だった。しかし、大江健三郎の言うようにこの構成だからこそ成功した作品になっているように思える。
『砂の女』同様、終わらせ方が上手いなあと思う。
Posted by ブクログ
いやー私には難しかった。
事故で顔に大怪我を負った男性の心の動きが緻密に描かれていたけど、すぐには理解出来ない部分も沢山あった。
でも顔については考えさせられたな。
顔があるから自分なのか?もし顔がなかったら人間同士の交流はどうなるのか?
Posted by ブクログ
仮面をかぶって、一番純粋にやりたかったことが、妻を痴漢することだったり。
一生懸命変装したにも関わらず、近所の女の子にすぐに仮面だと見抜かれて動揺したり。
コメディだった。
Posted by ブクログ
妻の手紙が秀逸。古女房は、もはや母親であり、母親は出来の悪い息子のやってることは、何でもお見通しなのだ。
全体としては、主人公の延々と続く泣き言、嫉妬、妄想にうんざりしながら何故か読み続けてしまう。読み続けるうちに、不意に気づく。彼のように思考の渦に巻き込まれて、混沌として、訳の分からないことをしてしまう。そんな人、存外ありふれているのではないだろうか。
Posted by ブクログ
顔って何だろう、と言うことを考えて考えて考え抜くとこうなる、という話に思う
読んでると自分が同じ仮面を被ってる気になってくる。
感情的になったり、後からそのことを反省したり、言ってることは突飛だったり極端だったりするけども、心の動きがとても人間的でリアルなので余計に気持ちが悪い笑