安部公房のレビュー一覧
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放置された地下採石場跡の広大な洞窟に、モグラこと〈ぼく〉は核シェルター設備を作り住み込んだ。近づく核投下の日までにこの方舟に乗れる資格のある人を見つけて乗船切符を渡そうとするが、ひょんなことで3人の男女とシェルター内での共同生活が始まる。しかし洞窟に侵入者が現れ、仇敵とも言える父親からの連絡、さらには便器に片足を吸い込まれて身動きが取れなくなり〈ぼく〉の計画は崩れ始める。核による人類滅亡、シェルターにより生き延びる人たち、生き残った人たちによる新しい社会と平和、そうした一連の想像はすべて幻想であり現実逃避でしかない。逃避した先の世界もまた現実と変わらない。
冒頭で〈ぼく〉は自分の糞を食べて同じ場所をぐるぐる回って生きるユープケチャという昆虫をデパートの屋上で買う。先に購入していったカップルに釣られて買ったのだがその男女がサクラだったことが後でわかる。このサクラの男女と昆虫屋と一緒に共同生活を始めるのだ。虚構に虚構を重ねて第三者をその気にさせるサクラ。さくら丸の名前はそこから来ているのだろう。世の中はすべて幻であり虚構である。どの世界にも真実はあり、パラレルワールドのようにそれらはすべて一人ひとりの頭の中に作られる。つまり、人の頭の中は誰の力を借りなくても、ユープケチャのように自分が排泄したものを食べて同じ場所をぐるぐると生き続けている。昭和59年の作品である。核の時代、核があまりに遠い存在すぎて人はデストピアとユートピアの両方を想像していたが、それどころか時には核そのものが本当は存在しないのではないか、心配すること自体が無駄ではないかという気さえしていた。核があるから安全という人たちの世界と核がなければ安心と言う人たちの世界のどちらが真実なのか。そんな不安の時代に人は何を信じていたのか。あの頃、自分だけは無傷で生き延びるのではないかという根拠のない世界観の中で、誰もがユープケチャのように自分だけの理屈を勝手に吐き出しそれを咀嚼して自己満足していた気がする。いや、人生とはそんなものなのかもしれない -
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手掛りを辿れども辿れども、真実に近付きも遠のきもしない感じが、失踪人の周囲を同心円上にぐるぐる回っているだけのようで徒労感と無力感が延々と繰り返される。それでも次は何かがわかるかも知れない!という期待を込めてページを捲る手が止まらない。
通常の推理小説ならラスト一気に真実の一点へ駆け込むが、そうは問屋が卸さないのが安部公房。不確実で掴みどころのない手掛りを次々に無くし、結果として唯一確実な存在だった自分自身すら見失う。地図は燃えつきた。お見事。
草臥れたような「場末」の表現が抜群に上手くて笑える。大抵の場合古本から煙草の匂いがするとハズレ籤を引いた気になるが、安部公房だと逆に煙草の匂いがアジになる。マッチがタダで手に入った時代の空気の匂いのようで悪くない。 -
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箱男を数年前に読んだ以来の安部公房。
この人の文章によって思い描く景色は、古いビデオテープに録画した古い映画のような、ざらざらした触感の音声と映像で再生される。
そうして再生された景色も、埃と砂でざらざらしている。
また、この与太話の説得力は何だろうか。
「ショウチュウを飲みすぎると魚になる」とか、酔っ払いの戯言のようなのに、なんとなく「そういうもんかな」と思わせる。
起承転結が夢のようにチグハグで、読み終わってすぐは「なんだこれは」と思うのに、なんとなく腑に落ち…いや落ちないわ。全然落ちない。その腑に落ちなさと不条理が良い。
あまり深く考えない方が楽しく読めるのかもしれない。
ざらざらした貧しい雰囲気と与太話を楽しむには。 -
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小学校の高学年くらいに「棒になった男」や「他人の顔」が紹介されていたのを読んで興味を惹かれて手に取った一冊。
ファンタジーやSFか、カフカのような不条理モノか、乾いていながら、新宿ゴールデン街的な雑さと人間の粘度ある文体からにじみ出る別世界、でもそれは非常に身近で、そんな世界の話に引き込まれた。
ご本人も亡くなり、あまり話題にのぼるという事も無い気がする作家だが、新潮文庫に変わらずあるのが嬉しく、また懐かしく、最近読んだスタージョンあたりに刺激されて久々に手に取ってみた。
又吉くんオススメの帯がついていたが、これをきっかけに読者が増える事を期待する。
また、ラジオドラマ「R65の発明」はYouTubeにあげられているが、非常に良く出来た脚本、演出、俳優さんで、良い意味で?ゾッとする。
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ハードボイルド小説だ。或いはノワール小説的でもある。
ハードボイルドやノワールという物語の成立には都市という舞台は必要不可欠だ。
田園風景の中で、誰もが誰もの家族たりうる社会でハードボイルドもないだろう。
この物語も等しく、都市が舞台であって、さらに、拡大してゆく最中の都市とも言える。
この舞台装置はまったくノワール的と言ったら研究者には笑われてしまうだろうか。
都市において人や事物、そしてそれらに与えられた役割は完全に匿名的で交換可能な価値を持つ。
だからこそ、都市の機能は平等公平で自由である。
しかし、その内実は孤独で冷酷で不平等でもある。
P.293『「ほら、あんなに沢山の人間が、たえまなく何処かに向かって、歩いて行くでしょう・・・みんな、それぞれ、何かしら目的を持っているんだ・・・ものすごい数の目的ですよね・・・くよくよつまらないことを考えていたら、取り残されてしまうぞ。みんながああして、休みもせずに歩き続けているのに、もしも自分に目的がなくなって、他人が歩くのを見ているだけの立場に置かれたりしたら、どうするつもりなんだ・・そう思っただけで、足元がすくんでしまう。なんだか、詫びしい、悲しい気持ちになって・・・どんなつまらない目的のためでもいい、とにかく歩いていられるのは幸福なんだってことを、しみじみと感じちゃうんだな・・・」』
周囲に取り残されてしまうのではないかという恐怖、疎外感と、それを感じさせないための様々な装置、それは自販機だけの飲み屋、バー、屋台やカフェーだ。
しかし、脆弱な人間にこの都市は疎外感、嫉妬を感じさせ、自己愛を傷つける。
Pp313-314『「・・まるで自分が見捨てられてしまったような・・すこし違うな・・ひがみというか・・人生の、とても素晴らしいことが、僕にだけ内緒で、僕だけが、のけものにされて・・」』
疎外感、孤独感は、なにもある個人が脆弱であるからだけでは無く、都市という機能が人をそう感じさせるようだ。
P.353 『「自分が、本当に自分で思っているような具合に、存在しているのかどうか・・それを証明してくれるのは、他人なんだが、その他人が、誰一人ふりむいてくれないというので・・」』
この物語の核心は不明瞭だが、人が都市のなかで「蒸発」する現象として、解離性遁走もあげられる。
記憶が入れ替わり、全く新しい人生をはじめてしまう。
解離性障害の一病態だ。
およそ匿名的で交換可能な都市社会、近代社会においては、失踪し、新しい人生をはじめてしまうということも実はそれほど困難ではなかったのかもしれない。
そして、都市の日常における孤独からの逃避、いや、個人が個人であるための防衛として、遁走は有効な防衛機制だったのかもしれない。
しかし、現代ではどうか。
スマートフォン、SNS、マイナンバー、銀行口座・・
給与も銀行振り込み、納税記録、年金など高度な紐付けがなされている。
そこへきて住民基本台帳(もはや死語だろうが税金の無駄だった)が導入され、マイナンバー制度(最悪なネーミングセンスであり税金の無駄になりつつある)も導入された。
全人格「的」労働ではなく、労働を含めたステータス・バロメータが含まれた「人格」が意図しないうちに形成されていく。
Covid-19のさなかにあって、銀行口座も紐付けられようとしている。
この2020年にあって失踪はかなり困難であって、さらにいえば公私の境界は曖昧だ。
それどころか常に他者のオピニオンが自己に入り込み、もはや対人境界まで曖昧になっているのではないか。
自分の意見は誰かの意見でしかないのではないか。
このアヴァンギャルドな小説を読み、モダン・ポストモダン社会との相違に思いが交錯する。 -
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アヴァンギャルド。
もはや死語であったはずの前衛がこの2020年に再読して生き生きとしてしまう。
「天は人の上に人を作らず」
ある種の人たちは自らの事を選ばれた人間だと思ってはいないだろうか。
実際には誰もが誰かを選んでいるだろうし、同時に誰も誰かを選んでなどいない。
無知のヴェールという概念がある。生まれる以前に人間は平等だが生まれた直後に不平等となる。
生まれた国、地域、親を選ぶことはできず、ヴェールを被された状態である。
だからこそ、明るみに出た瞬間に、恵まれた存在は公共性を保持するために努めなければならない。
無知のヴェールについて、日本人はあまりにも知らなすぎ、考えが浅はかすぎるのではないか。
この短編集を通してそんなことを考えてしまう。
貧困、搾取、復讐。
こんな時代は去ったと言えるのだろうか。
「死んだ娘が歌った・・・」
からは自由意志のもとに搾取され続ける貧困農民が描かれる。
P.138『「働きながら貯金ができ、働きながら勉強できてありがとうございます」と大きな声で言い、それに続いて、みんなも同じことを声をそろえて言いました。」』
グロテスクで悪趣味だ。
しかし、これと同じことを技能実習生なる制度のもとで行なっている。
ある学校教育でもこのレトリックが美徳であると教育している。
我々日本人の本質的なグロテスクさはいっこうに変わることなく生き続けてしまっているのではないか。
自己責任論が好きな新自由主義とは、昭和ではないのか、すなわち、近代への退行でしかないのではないか。
「人肉食用反対陳情団と三人の紳士たち」
立場(階級)の差異が人の共感性を阻害してしまう。さらには高度に組織化されていればいるほど痛みや苦しみを感じ得ないようにされている。
これは単なる幻想に過ぎないのだろうか。
プレモダンな世界。
猜疑心、同調圧力、搾取、無関心。
これらは決して過ぎ去ったものではなく、この現在も継続・保続されているように思えてならない。
安部公房というアヴァンギャルドがリンボ界へ忘れ去られる時を迎えることはできるのだろうか。 -
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順調に思えた故郷への逃避行は、はじめの一日を頂点に地獄へと急降下していく。
銃撃、衝突、凍傷、飢え、裏切り、ありとあらゆる死の淵に立たされながらも、日本に帰れるという希望が何度もちらつく。が、その希望の光は見えたと思った次の瞬間には消え、暗闇を彷徨い歩いていると再び光り、またすぐに消える。消えるたびに絶望が殴る蹴るの暴行を加えてくる。幻の光であると、どこかで知っていながら、それでもすがりつくものがないよりましだと、裏に絶望が隠された希望という扉の取手を回す。
久三の感情、情景描写、ひとつひとつの表現が、鈍い鐘の音のような重さをもって心臓に響いてくる。
すべてが事実にしか思えないほど残酷なまでに現実的でかつ壮大な冒険活劇でもあった。 -
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第二次世界大戦敗戦の噂を聞いて、診断書を満州から偽造し、逃げて?きたという公房の、半分くらいの体験記だそうです。
敗戦と共に襲われる屈辱、苦悶、苦痛…そして無政府状態に対する怒りと疑問が、この作品には生きることを諦めないというテーマで描かれています。
元々、公房のなかにある
考えることを諦めなければ、必ず閃きがある
というモットーのなか、主人公はひたすら考え抜いて窮地を渡っていくのですが、このモットーは個人的にも好きで、文学に嵌るきっかけにもなりました。
高の指を切断するシーンは、流石、医学部卒なだけあり生々しいですが、生きることを優先させると…と、ひたすら生に貪欲な内容でした。
人間は、いざとなったら案外、生きることに貪欲になるのだということを教わりました。 -
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安部公房のSFじみた短編小説群。純文学然とした冒頭作品で油断したが、2本目からは本領発揮の幻想なのかミステリなのかという話が続く。
帰宅し、アパートのドアを開けたら、見ず知らずの男の死体が転がっている。さてどうするか。警察に届けたら、自分が犯人にされてしまう。アパートの他の住人に押し付けるには、死体を運ばなくてはならぬ…(無関係な死)。
いやいや、油断した。2本目「誘惑者」で気づくべきだったのだ。安部公房じゃないか。死体が有っても犯人など出てこないし、3階から階段を降りたら4階に着くのだ。比喩をこねくり回したり、理屈をまぜっかえしたりなど不要。これぞ安部公房という短編である。
「使者」は名作「人間そっくり」の初期プロットなのであろうし、「賭」は「密会」をコメディにしたような作品である。中でも「人魚伝」は完全なるSFであり、メカニズムまで作り込まれている点は、そんじょそこらの中途半端なSF作品より出来が良い。
読んでいて、つげ義春や諸星大二郎、高橋葉介などの作品を思い浮かべる人もいるかも知れない。逆に、そういう作品が好きな人は必読の1冊である。 -
Posted by ブクログ
追っているはずが追われてた、人を嵌めようとしていたはずが自分で自分を追い込んでた、飼っているはずが飼われていた……というような状況の話が多い短編集だった。
相変わらず絶望的というか無慈悲な終わり方をする話ばかりだけどなんだか好き。
ただ、『なわ』だけはどうしてもだめだった。
犬好きの私はあの展開はちょっと読めなかったという個人的な問題なのであって、小説自体としては良いんだと思う…けど。
『誘惑者』は比較的わかりやすい話で好き。
『夢の兵士』の哀愁も。
『無関係な死』は私もあぁなったら焦ると思うし深刻な問題なんだけど、主人公の行動はなんだかギャグにもできそうな感じにみえてきて面白かった。