国際的にノーベル賞に最も近い作家と呼ばれた「安部公房」の初期の代表作です。
『壁』は、作家デビューした安部公房の最初の短編集のタイトルで、収録作が芥川賞を受賞しました。
安部公房は、大岡昇平や三島由紀夫と同じく、第二次戦後派と呼ばれます。
第二次戦後派は戦後に登場し、戦前の小説技工を昇華、あるいは
...続きを読む新たな技法を取り入れて優れた小説を生み出してきた作家たちで、その言葉の意味でいうと安部公房は、個人的には最も第二次戦後派らしい作家のように思っています。
安部公房は作家デビューの数年後に短編小説『壁 - S・カルマ氏の犯罪』を掲載します。
この作品はある不条理の中に突き落とされた男が、やがて果てしなく成長する壁になるという話で、川端康成の興味をそそり、芥川賞受賞を果たします。
その後、『バベルの塔の狸』と4つの短い話からなる『赤い繭』の3編を併せて、短編集として刊行されました。
本書でもその3作が併せて『壁』というタイトルで収録されています。
3作はそれぞれ独立した別の作品ですが、安部公房は一貫した意図で書いたものであると述べています。
また、3作に共通して、一見して意味の通らないような、現実離れした幻想的な展開をします。
ワンダーランドに迷い込んでしまったような状況の中、理屈がつかない理屈でストーリーが進み、作中の人物のみが納得する形で収束します。
安部公房は本作を書く上で"ルイス・キャロルの影響が強い"と語っています。
まさに不思議の国に迷い込んだような気持ちにさせてくれる展開で、多くの方がその内容を解釈しています。
"壁"3部作のそれぞれの感想は以下のとおりです。
・壁 - S・カルマ氏の犯罪 ...
芥川受賞作で、3作中最も長い、メインとなる作品です。
自分の名前が消えてしまった男がおり、彼は自分の事務所の名札から「S・カルマ」という名前を見つけますがしっくりこない。
彼の席には「S・カルマ」と書かれた名刺が座っていて、名刺に逃げられた男は虚無感からぽっかり胸に穴があいたような気持ちになります。
動物園に来た男は、ラクダを見ていたところ、空いた胸にラクダを窃盗しようとした罪で裁判にかけられてしまう。
「S・カルマ」氏のタイピストであったY子とその場を離れた男は、翌日Y子と動物園で逢う約束をしたが、そこにいたのはY子と名刺だった。
自分と名前が乖離して、名前の方が自分であるかのように振る舞っているところがおそらく肝で、名前という記号こそが世間で正常に暮らす場合、メインとなる側であるかのような印象を受けます。
作中に登場する、"裁判から逃れるためには世界の果てへ行く必要があり、そのためには世界を定義する必要がある、その世界の定義こそが壁である"といった理論も哲学的です。
複雑でくるくると移り変わる、端的にいえば奇妙な小説でした。
・バベルの塔の狸 ...
奇妙な動物に影をくわて逃げられてしまい、目だけを残して透明人間になってしまった男の話です。
その動物は"とらぬ狸"であり、バベルの塔には様々な哲学者の"とらぬ狸が"集まっています。
安部公房らしい暗喩的な、計算高いような、実は何も計算していないような内容で、童話のようなオチがちゃんとあるのが特徴です。
"とらぬ狸"は芥川龍之介の河童のようにおちゃめな感じがあります。
"壁"に比較するとストーリーの骨子がある程度ある、展開が比較的わかりやすい作品ですが、つまりどういうことなのかは読んで見つける必要があります。
・赤い繭 ...
本作は更に「赤い繭」「洪水」「魔法のチョーク」「事業」の4つの作品からなります。
それぞれ、赤い繭に変身した男の話、人間が液体になる話、描いたものが具現化するチョークの話、人肉加工事業の話となっています。
すべてわかりやすく読みやすいのですが、奇怪な雰囲気があり、印象強く感じました。