安部公房のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
ネタバレ●感想
承認欲求に殺された男、モグラ。
終始「砂の女」を連想した。「昆虫」は独自の世界を持つものであり、昆虫屋の後半のリーダーシップを思い起こさせる。また、「(便器の)穴にはまり抜け出せない」のはまさに砂の穴地獄と重なった。そして「女」に対する下品さ。「砂の女」より大衆的でコミカルな印象。
「核の破滅に瀕した世界」は、モグラにとって、父である猪突から身を守るためだったのだろうが(無意識に)、選ばれしものが生き延びるための「方舟」と称して、自分を「船長」と認めてくれるものたちを探していた。
最後は便器に足を取られ、便器から脱出するために爆破をおこし、せめて一緒に出ようとしたサクラと女もついてこず、「舟」を残して一人外へ出ることになる。
「昆虫屋」は後半、方舟の実質的な船長のような役割を果たす。最後に別れた「サクラ」と女が舟に残ることで、モグラが捨てたはずの「外は危険で、ここだけが安全だ」という物語は、彼以外の者たちの間で生き続ける。そこにモグラはいない。
●本概要
破滅に瀕した世界からの脱出を――。旧約聖書に描かれたノアの奇跡。現代の「方舟(はこぶね)」は、果して出航できるのか。
地下採石場跡の巨大な洞窟に、核シェルターの設備を造り上げた元カメラマン「モグラ」。[生きのびるための切符]を手に入れた三人の男女とモグラとの奇妙な共同生活が始まった。だが、洞窟に侵入者が現れた時、モグラの計画は崩れ始める。その上、便器に片足を吸い込まれ、身動きがとれなくなってしまったモグラは――。
核時代の方舟に乗ることができる者は、誰なのか。現代文学の金字塔。
【目次】
1 《豚》もしくは《もぐら》がぼくの綽名(あだな)である
2 いずれもユープケッチャを図案化して、グループの旗にしてもいい
3 サクラに[生きのびるための切符]を持ち逃げされた
4 ぼくの生物学上の父親は[猪突(いのとつ)]と呼ばれ……
5 便器にしゃがんで、旅をする
6 廃車のドア
7 罠(わな)と便器
8 失意の水っぽさは、履きなれた靴(くつ)のようによくなじむ
9 再び便器について
10 サクラ失踪(しっそう)、尻叩(しりたた)きの儀式
11 坑道口は一見したところ、壁の角にそそり立つ鋭い裂け目にみえる
12 脛(すね)に傷のない者はいない
13 [ほうき隊]のことは新聞の地方版にも掲載された
14 ボウガンを腕にサクラが先に立った
15 オリンピック阻止同盟のメンバーは、胸に豚バッジをつけている
16 ――こちら、モグラ、どうぞ
17 サバイバル・ゲーム
18 そして便器に墜落した
19 空気生物
20 死体は青いビニール・シートに包まれて
21 『豚の死体無料贈呈 腸詰め製造業者殿』
22 影の副官
23 「空が見たい……ある平和な日に、人知れず」
24 脱出
25 透けた街
解説: J・W・カーペンター(同志社女子大学助教授)
扉カット:渡辺冨士雄
本文カット:著者
【本文より】
すぐにブリッジ(第一船倉にテラス状に張り出した部分なので、勝手にブリッジと呼びならわしているが、正しくはぼくの私室、もしくは船長室と言うべきだろう)に上る階段が待ち構えている。解除ボタンを押さずに一歩踏み出したとたん、ロケット花火の直撃だ。仕事机の引出しに手を触れた瞬間、殺虫剤のスプレーからガスが吹き出す。これ見よがしにしおりをはさんである日記帳も、好奇心のよせすぎは禁物である。接近と同時に赤外線警報装置が作動し、頭からガラスの粉をあびてしまう。……(本書100ページ) -
Posted by ブクログ
安部公房初読み。
ダンボール箱に覗き穴を空けて、箱の中に生活必需品やノートや筆記用具を吊るしそれをすっぽり被って町中で生活する箱男。
人は誰しも誰かの生活を「覗きたい」欲求を持っているが、「覗きたい」欲求が興じすぎ、覗き穴を探した挙句、自ら「覗き穴」の付いた「箱」という覆面を被り、市民権を捨てて生活するようになってしまった箱男。
箱の覗き穴から覗く世界にこんなに柔らかく、安心感があろうとは!
(抜粋)
すべての光景から、棘が抜け落ち、すべすべと丸っこく見える。すつかりなじんで、無害な物になりきっていたはずの、壁のしみ…乱雑に積み上げた古雑誌…アンテナの先の曲がった小型テレビ…その上の吸い殻があふれかけているコンビーフの空罐…こうしたすべてが、思いもよらず棘だらけで、自分に無意識の緊張を強いていたことにあらためて気付かされたのだ。
それに、雨の日の川原の寂れた風景や駅裏のゴミが溢れた路地なども箱の覗き穴から見ると今まで気付かなかったポエジーに溢れている。
私も一つダンボールに穴を空けて被ってみようか?いけないいけない!脱げなくなって私も「箱女」になりかねない。どうも薬物のように一度やってしまったら抜け出せなくなる地獄のようだ。
箱男は市民権を捨てる代わりに堂々と「覗き屋」になってしまった男。だから所謂「乞食」や「浮浪者」にとってもわざわざ自分から「覗き屋」に成り下がった「箱男」は「見下げた奴」であり、「敵」なのだ。
本当は誰にも「箱男になりたい」欲望は眠ってるらしく、例えばAという男は自分の家の前に居座った箱男を空気銃で打ったが、気がつけば自分も箱男の真似をしてそのまま「箱男」になってしまったのだ。全国にかなりの「箱男」がいるらしいのだが、誰しもどこか自分のことのようなので見て見ぬふりをしているらしい。
慣れてしまえば心地よい「箱男」生活。堂々と人の生活を覗き見出来る箱男。だから本物の箱男は後から真似した「贋箱男」の存在が許せない。箱男が箱の中でノートに書いている手記は本物の箱男の物なのか贋物の箱男の物なのか、それとも箱男の中にもう一人の箱男がいるのか分からなくなってくる。小説自体が入れ子細工になっているような。
箱男はある看護婦を愛するのだが、それは絶望的である。何故なら箱男は「見る」自由はあるが「見られる」ことには耐えられないからである。
「見る」ことが自由だったはずの箱男だが、その視界は外へ向けた狭い視界と自分の内面に向けられ、「もう一人の自分」や過去や夢や妄想に向けられ、意識が混濁して読んでいるこっちまで窒息しそうになってくる。やがて堪えられなくなって自殺しようとしている箱男に対して「君が死のうとしているのを助けてあげる」と筆者は言っているのだが、それが箱男自身なのかもう一人の箱男なのかも分からない。一人称なのか三人称なのか分からなくなる書き方も芸術的だなあと思う。芸術的といえば芸術的だが、ゴミ箱に捨てられた週刊誌のように目を背けたくなるような内容も堂々と描かれていると思った。
普遍的かもしれないが、この時代しか書けなかった小説だったかなと思う。刊行されたのは昭和48年、安部公房は1921年生まれで、戦前から戦中、その後の荒廃と復興を見てきた人である。
「月賦制度が普及し、借金の担保に出来るほど確実な職業や名前を持っているものが一般的になってしまった世の中で、月賦制度の便利さに逆らってまで覆面したがるのは箱男かゲリラぐらい」と書かれていて、「月賦制度の普及」という時代に驚くが、そうなる前の闇市や駅裏の荒廃した雰囲気など「消えゆく」ものだった…今では殆ど見られない…を箱から見た視界の端に留めて書き残しておきたかったのかもしれないと思う。
私のなかの無理矢理のこじつけだけれど、今世紀になってから刊行された村田沙耶香さんの「コンビニ人間」はコンビニという箱のようなマニュアルの中に自分を嵌め込んでしまえばかえって楽に生きられる人間が描かれていたが、どこか「箱」繋がりがあるような気がする。
今はそれよりも急速に時代が進んで、AIの作った知識の箱に人間が閉じ込められそうになっているような気がする。今のうちに自分で箱男になってAIと闘う?
-
Posted by ブクログ
ネタバレ顔に大きな火傷を負った男の手記
最初は「お前」というニ人称の相手に語りかけ、途中でその相手が社会の象徴となった妻だと判明する
最初の方は妻に顔が理由で性的接触を拒まれたことや、研究所の職員達に気を使われるいたたまれなさや、衆目の怯えた視線から逃れるために仮面を作るも
仮面をつけてからは仮面の人格と素顔の人格とに分裂を起こして、「外交的で非調和型」の顔型と「内向的で非調和型」の皮膚組織で作った仮面との内的な争いが発生していた
仮面は最初に、出張と称して仮面を試すべく身を隠していたS荘の管理人の娘と出会った
娘は「秘密ごっこ」と言いながら、誰かから盗んだヨーヨーを元の持ち主に返す代わりに主人公に新しいヨーヨーを買ってきてもらう約束を取り付けた
そのお使いのついでに仮面はおもちゃ売り場で非合法の威力が高いモデルガンを購入する
そして妻にモデルガンを突きつける妄想を、素顔の反対にも関わらず拡大し続ける
素顔は妻の元に向かうことを決めるまでに、酒屋に寄り
・「顔が社会との窓」という同僚の言葉に同調する(素顔への憧れ)
・個人主義を突き詰めた現代社会は皆素顔を持ちながら社会の窓は無い、それ故にむしろ素顔こそが仮面である(仮面の拡大的肯定による素顔の否定)
・部族の顔面タトゥー、大胆な女性の厚化粧、平安時代の終生顔を隠し続けた女の想起(仮面への肯定)
・仮面の匿名性は解放をもたらすアドバンテージ、手段なき目的をすべき(仮面への大きな肯定と素顔の蔑視)
と、当初の「素顔を作り社会の窓を回復するための仮面」から「素顔を隠し匿名性を楽しむための仮面」へと変貌した
そしてとうとう妻に仮面の姿のまま会い、誘惑し、逢い引きを重ねる
自分の顔が醜いと言うだけで拒絶してきた妻への怒りと、光の側にいる(当たり前のように平静として白日に照らされている)妻への嫉妬と、それでも静かに妻としての務めと気遣いをしてくれることへの愛情、そしてそんな妻を誘惑し肉感的に愛する仮面への嫉妬
そんな愛憎を抱えながら何十回と会い、そのうちに耐えられなくなりこの手記でネタバラシをする事に
主人公は家で手記を読んだ妻の帰宅を心待ちにするが、5時間経っても、7時間経っても妻は一向に帰ってこず、ついに主人公は耐えきれずに手記を置いて妻を呼び寄せたS荘へと向かう
すると部屋には誰もいない、ノートも動いていない、仮面も破壊されていない
それでも妻の香りはする、よく見てみると置き書きの裏に妻のメッセージが書かれていた
その内容は、妻がヨーヨーの少女が知っていたように、仮面と素顔がどちらも主人公だと知っていたこと
知った上で、気まずくなっている自分への気遣いとして「不器用ながらもダンスに誘われた気分で」甘受していたという告白だ
その上で主人公の手記を読んだ妻は、自分が主人公を拒絶している訳でもないし、浮気をした訳でもないのに、主人公が騒ぎ立てていることを責め立てる
手記は最初の3枚のノートから変わり、最後の独白へ
その中では物語中に主人公が暗闇に逃げ込むために入った映画館で見た、顔の半分が原爆で焼け爛れた少女の話が書かれていた
その少女は戦争が終わったことを受け入れず軍事訓練を続ける兵士の集う精神病院でボランティアをしたり、家業を営んだり平穏に暮らしていたが、ある日「"一生"のお願い」として兄に旅行に連れてってもらう
その旅行先で少女は兄とキスをし、綺麗な月を見て、ゆっくりと海へと消えていった
主人公はこの話をみにくいアヒルの子のように、アヒルが最後は白鳥として衆目に迎合することによって同情を勝ち得た物語として解釈し、自分はそうはしないと宣言する
そして、家の中から聞こえる女の足音と、手に握ったモデルガンを示唆し「手記とは何も起こらないから書かれるものだ」という言葉を残して物語は終わる
安部公房は象徴的なSF作家だと思っていたので、ここまで神経症患者の手記としての文学を楽しめるとは思わなかった
コンプレックスが肥大化して自意識過剰の被害妄想を拗らせた男が最後に呆れながら惰性の愛情与えてくれていた人にも愛想を尽かされてしまい、それでもなお過剰な思考は留まらない
この構造がたまらなく好きだ、罪と罰のラスコーリニコフとその友達に通ずるものを感じた
また、第4間氷期の最後に出てきた水棲生物が主流となった社会で魚人が陸地の甘美な危険性を求めて死ぬまで泳ぎ、最後に荒野に打ち上がり、無いはずの涙を流した(初代魚人が失敗で涙腺が残り、涙が悲しみを作るという理論に基づいて他の生物よりも感情が豊かになった名残の示唆)予言としての未来を確定的に知らないがゆえの希望と夢想の物語と、主人公の予言としての未来を確定されたがゆえの絶望と虚無の物語を対比していたように
他人の顔の最後の少女の物語もまた、クライマックス、近親者の素顔への許し、観衆の価値観への最終的な迎合の少女の物語と、アンチクライマックス、近親者の素顔への忌避、観衆の価値観(衆目)への最終的な反抗の主人公の物語として対比される、希望のフィクションと絶望のノンフィクション(本の本筋)という構造が見て取れた
ただし手記で、全てが個人的で、私的で、内的であるが為に実際に起こりえたことは矮小だったので、SF味や物語の爽快や驚きは少なかったので星5とまでは行かなかった -
Posted by ブクログ
穴の中の生活しか知らず、自由を諦めきった態度でありながらもひたむきに生きる女がいじらしくて、心が痛くなる。
都会のしがらみから逃げたくて砂丘にやって来た男。
自分が理想化していた僻地にこんな地獄があるとはつゆ知らず…。
恵まれた生活に慣れた男は、女が奴隷生活に甘んじているのを見て「これは異常だ」と非難する。
しかしその彼が属していた社会も、誰もがあてのない労働を繰り返すだけの、不毛な砂の社会なのである。
社会という規範の中で生きる限り、人間は砂に回帰する事を避けられないのだろうか。
序盤に昆虫採集はエディプス・コンプレックスの顕れという風に書かれていたが、案外的を得ているかも?
男が女に対して感じる苛立ちは、どこか息子が自己犠牲心の強い母親を語気を強めて諭そうとするような、必死な愛情表現に似ていると言えなくもない。
女がいくら男にぞんざいに扱われても終いには笑って世話をするところも。
文章がとてつもなく美しい前衛的な小説だった。 -
Posted by ブクログ
口の中がジャリジャリしてくる。
砂丘へ昆虫採集に出かけた男が、砂穴の底にある一軒家に閉じ込められる。
その家での暮らしはあまりにも異様。
食事中も傘をささなければ砂が降ってくる。
しかもその砂はサラサラではなく、しめっぽくて肌にべたつく。海辺で体に張りつく、あの嫌な砂の感触。
さらに毎日砂搔きをしなければ、家は砂に埋もれてしまう。
「これじゃまるで、砂搔きするためにだけ生きているようなものじゃないか!」
いやだ。絶対にこんな生活は嫌だ。
書き出しから一気に引き込まれた。
砂の不快感があまりにもリアルで、読んでいるだけで口の中までジャリっとしてくる。
なぜ女はこの家に住んでいるのか。
なぜ男は閉じ込められたのか。
なぜ村人たちは助けてくれないのか。
様々な謎が渦巻く。
物語として読むだけでも十分面白い。
「砂」が何を象徴しているのか考え始めると、読み終えたあとも頭の中でぐるぐる考え続けてしまう。
読み手によって受け取り方が大きく変わりそうな、多面的な魅力を持つ作品だった。
『箱男』ではいまいち入り込めなかった安部公房の世界に、今回はスッと入れた。