無料マンガ・ラノベなど、豊富なラインナップで201万冊以上配信中!
※アプリの閲覧環境は最新バージョンのものです。
Posted by ブクログ
再読。箱男の手記。
絶対ありえない設定なのに、なぜかとてももっともらしく感じさせるところが、この作者の凄さだと思う。
途中から、あれ?人物が混ざり合ってきていない?と感じるようになり、箱男の役割が入れ替わっている。
その感覚がとても面白い。
箱男になる原因は複数あるように思われる。
見たくないものは視覚に入っていても認識しないという人間の特性を利用し、箱男になることで誰にも認識されなくなる。その結果、世間が見たくない側面を覗き見ることができる存在になる。
刺々しい現実が、ダンボール越しに見ることで少し丸みを帯びる。
守られているという安心感なのだろうか。
見られる側ではなく、見る側に回ることが重要なのだと思った。
見ることには愛があり、見られることには憎悪がある。
ただ、一度箱男になると、そこから抜け出すには努力が必要になる。
すぐに世の中へ戻れるわけではなく、何かしらのきっかけが要る。
本人もそれを求めている。
気づいていながらも強がってしまうその心境に、なぜか共感してしまう不思議な作品だった。
Posted by ブクログ
ずっと面白いが、正直言って全体としては意味不明。
以下はなんとか整合をつけようとしたもの。覗くという行為は世界の中の対象に価値づけをすることであり、そうして初めて世間は成立する。つまり、覗かれることなしには世間、ましてや時空間が成立しない。一方、そのような視線で覗かれることは嫌悪を惹起するものでもある。覗かれることなく覗くだけの箱男はその意味で人間とは隔絶した存在である。そのため、彼らにとって対象は等価値あるいは一様に無価値なものであり、角が取れたものに映る。彼らの価値は箱の中の手近なものにかぎられている。しかし、覗かれるためであるとも思われる裸をもつ「女」に対しては、箱男は覗かれることに嫌悪を抱かない。そのような「女」に触れているために、箱男の「僕」は箱から抜け出そうとするが、結局それは叶わず、世界全体を箱の内側にしようとする箱男。だが彼は迷宮に迷い込んてしまう。これは世間から一度隔絶されてしまった箱男がもう一度その接点を取り戻そうとするが、それが失敗に終わる物語として読むことができるだろう。
Posted by ブクログ
安部公房初読み。
ダンボール箱に覗き穴を空けて、箱の中に生活必需品やノートや筆記用具を吊るしそれをすっぽり被って町中で生活する箱男。
人は誰しも誰かの生活を「覗きたい」欲求を持っているが、「覗きたい」欲求が興じすぎ、覗き穴を探した挙句、自ら「覗き穴」の付いた「箱」という覆面を被り、市民権を捨てて生活するようになってしまった箱男。
箱の覗き穴から覗く世界にこんなに柔らかく、安心感があろうとは!
(抜粋)
すべての光景から、棘が抜け落ち、すべすべと丸っこく見える。すつかりなじんで、無害な物になりきっていたはずの、壁のしみ…乱雑に積み上げた古雑誌…アンテナの先の曲がった小型テレビ…その上の吸い殻があふれかけているコンビーフの空罐…こうしたすべてが、思いもよらず棘だらけで、自分に無意識の緊張を強いていたことにあらためて気付かされたのだ。
それに、雨の日の川原の寂れた風景や駅裏のゴミが溢れた路地なども箱の覗き穴から見ると今まで気付かなかったポエジーに溢れている。
私も一つダンボールに穴を空けて被ってみようか?いけないいけない!脱げなくなって私も「箱女」になりかねない。どうも薬物のように一度やってしまったら抜け出せなくなる地獄のようだ。
箱男は市民権を捨てる代わりに堂々と「覗き屋」になってしまった男。だから所謂「乞食」や「浮浪者」にとってもわざわざ自分から「覗き屋」に成り下がった「箱男」は「見下げた奴」であり、「敵」なのだ。
本当は誰にも「箱男になりたい」欲望は眠ってるらしく、例えばAという男は自分の家の前に居座った箱男を空気銃で打ったが、気がつけば自分も箱男の真似をしてそのまま「箱男」になってしまったのだ。全国にかなりの「箱男」がいるらしいのだが、誰しもどこか自分のことのようなので見て見ぬふりをしているらしい。
慣れてしまえば心地よい「箱男」生活。堂々と人の生活を覗き見出来る箱男。だから本物の箱男は後から真似した「贋箱男」の存在が許せない。箱男が箱の中でノートに書いている手記は本物の箱男の物なのか贋物の箱男の物なのか、それとも箱男の中にもう一人の箱男がいるのか分からなくなってくる。小説自体が入れ子細工になっているような。
箱男はある看護婦を愛するのだが、それは絶望的である。何故なら箱男は「見る」自由はあるが「見られる」ことには耐えられないからである。
「見る」ことが自由だったはずの箱男だが、その視界は外へ向けた狭い視界と自分の内面に向けられ、「もう一人の自分」や過去や夢や妄想に向けられ、意識が混濁して読んでいるこっちまで窒息しそうになってくる。やがて堪えられなくなって自殺しようとしている箱男に対して「君が死のうとしているのを助けてあげる」と筆者は言っているのだが、それが箱男自身なのかもう一人の箱男なのかも分からない。一人称なのか三人称なのか分からなくなる書き方も芸術的だなあと思う。芸術的といえば芸術的だが、ゴミ箱に捨てられた週刊誌のように目を背けたくなるような内容も堂々と描かれていると思った。
普遍的かもしれないが、この時代しか書けなかった小説だったかなと思う。刊行されたのは昭和48年、安部公房は1921年生まれで、戦前から戦中、その後の荒廃と復興を見てきた人である。
「月賦制度が普及し、借金の担保に出来るほど確実な職業や名前を持っているものが一般的になってしまった世の中で、月賦制度の便利さに逆らってまで覆面したがるのは箱男かゲリラぐらい」と書かれていて、「月賦制度の普及」という時代に驚くが、そうなる前の闇市や駅裏の荒廃した雰囲気など「消えゆく」ものだった…今では殆ど見られない…を箱から見た視界の端に留めて書き残しておきたかったのかもしれないと思う。
私のなかの無理矢理のこじつけだけれど、今世紀になってから刊行された村田沙耶香さんの「コンビニ人間」はコンビニという箱のようなマニュアルの中に自分を嵌め込んでしまえばかえって楽に生きられる人間が描かれていたが、どこか「箱」繋がりがあるような気がする。
今はそれよりも急速に時代が進んで、AIの作った知識の箱に人間が閉じ込められそうになっているような気がする。今のうちに自分で箱男になってAIと闘う?
Posted by ブクログ
砂女を読んでみて他の作品が気になり手に取ってみた1冊。
文体としては圧倒的に砂女よりわかりやすかった一方、構成がかなり複雑であり正直序盤は何が何だか分からない。
一方で中盤〜後半になるにつれて、少しずつ序盤との繋がりが見えてくるので、前半は我慢しながら読み進めることが必要。(が、それでも理解するのがやや難しい。)
題材としてはかなり興味深く、箱男という存在が目の前にいるのではないか、というくらい描写が上手く想像に難くない。
現代ではオンライン上で様々なコミュニティを
匿名で見ることができるが、もしかしたらそれは現代人の一人ひとりが「匿名という箱を被って観察をしている」、ということなのかもしれない。
Posted by ブクログ
正直読み終えた直後は、ほとんど意味が分からなかった。
誰が本当の箱男なのか。ノートを書いているのは誰なのか。何が事実で何が嘘なのか。読み進めるほどに全てが曖昧になり、途中からは登場人物の言葉すら信じられなくなってしまった。
しかし不思議なことに、読み終えて数日が経つと、この作品について考える時間が増えていった。理解できなかったはずなのに、気づけば作品のことを考えている。『箱男』は読んでいる最中よりも、読後にこそ真価を発揮する小説なのかもしれない。
この作品で私が最も揺さぶられたのは、「真実とは何か」という問いだった。
物語は、箱男を観察していた男が箱男となり、その記録をノートに綴る形で進んでいく。しかし途中で偽箱男が現れ、ノートの筆者すら曖昧になっていく。読者は当然、「本当の箱男は誰なのか」という真相を求める。しかし、その答えを追えば追うほど、そもそも何を根拠に真実だと判断していたのか分からなくなってしまう。
私はこの小説を通して、主観と客観の境界について考えさせられた。主観を証明するためには客観が必要だ。しかし客観もまた、誰かの主観的な観測の上に成り立っている。そう考えると、主観にも客観にも絶対的な確実性は存在しないように思えてくる。
そんな時、私の頭に浮かんだのが、哲学者ニーチェの
「事実は存在しない。存在するのは解釈だけである」
という言葉だった。
『箱男』には、おそらく唯一の正解は存在しない。本当の箱男が誰だったのかという問いもまた、決定的な答えへ辿り着くことはできないだろう。しかし、それは欠点ではない。むしろ読者それぞれの解釈によって異なる真実が立ち上がることこそ、この作品の魅力なのだと思う。
『箱男』は答えを与える小説ではない。読者の認識を揺さぶり、真実だと思っていたものの不確かさを突きつける小説だと、私は感じた。
※アプリの閲覧環境は最新バージョンのものです。
小説・文芸
小説・文芸
小説・文芸
小説・文芸
小説・文芸
小説・文芸