【感想・ネタバレ】箱男(新潮文庫)のレビュー

あらすじ

ダンボール箱を頭からすっぽりとかぶり、都市を彷徨する箱男は、覗き窓から何を見つめるのだろう。一切の帰属を捨て去り、存在証明を放棄することで彼が求め、そして得たものは? 贋箱男との錯綜した関係、看護婦との絶望的な愛。輝かしいイメージの連鎖と目まぐるしく転換する場面(シーン)。読者を幻惑する幾つものトリックを仕掛けながら記述されてゆく、実験的精神溢れる書下ろし長編。(解説・平岡篤頼)

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感情タグBEST3

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序盤で物語に引き込まれるが、この展開と結末を予想できる読者はいないだろう

登場人物は自分と看護婦と医者の3人、終盤に女教師が出てきて構成が大転回する

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2025年11月18日

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ネタバレ

 主人公って、常に目撃される側なわけですよね。そして常にその「視線」によって何者かであることを強制されている。その重圧に耐えて生きているんだと思うんです。
 この小説は読んでいて、見る見られるとはどういうことかを常に考えさせられました。箱男たちはなんとなく自らが主人公になることを拒んでいるような気がしました。主人公としての重圧、自分の人生を生きる重圧、それって私たちも日頃から少なからず感じているもので、箱男はそこから逃れて、「見る側」であることを選んでいるような気がします。
 「見る側」って読者である我々もそうですよね。私達は本という箱に入ることで、見られることから逃れている時、ある種の安堵感を得ています。でも、作者も同じ「見る側」なのかなと思いました。作者も結局は、自分で編み出した物語を見続けているイチ目撃者に過ぎなくて、時に登場人物たちは作者が動かしているのか、はたまた人物自ら動いているのか、分からなくなるんじゃないでしょうか。そう考えると、見る側にもそういった別の苦悩があって、見る見られるの関係は常に循環し続けているのかなと思います。
 自分を認識しているのは「私」でしょうか?それとも「あなた」でしょうか?自分とはそういう相互的な作用によって生み出されたものなのかもしれないですね。

 イチ箱男の長い感想でした。

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2025年11月08日

Posted by ブクログ

匿名性、断章構成、贋、写真など
安部公房らしさが盛り込まれた作品だと思う。
何度読んでも不思議な気持ちになる。
覗いているのか覗かれているのか。
本物なのか贋物なのか。
現実なのか非現実なのか。
ノートを書いているのは誰なのか。

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2025年10月17日

Posted by ブクログ

ずっと面白いが、正直言って全体としては意味不明。
以下はなんとか整合をつけようとしたもの。覗くという行為は世界の中の対象に価値づけをすることであり、そうして初めて世間は成立する。つまり、覗かれることなしには世間、ましてや時空間が成立しない。一方、そのような視線で覗かれることは嫌悪を惹起するものでもある。覗かれることなく覗くだけの箱男はその意味で人間とは隔絶した存在である。そのため、彼らにとって対象は等価値あるいは一様に無価値なものであり、角が取れたものに映る。彼らの価値は箱の中の手近なものにかぎられている。しかし、覗かれるためであるとも思われる裸をもつ「女」に対しては、箱男は覗かれることに嫌悪を抱かない。そのような「女」に触れているために、箱男の「僕」は箱から抜け出そうとするが、結局それは叶わず、世界全体を箱の内側にしようとする箱男。だが彼は迷宮に迷い込んてしまう。これは世間から一度隔絶されてしまった箱男がもう一度その接点を取り戻そうとするが、それが失敗に終わる物語として読むことができるだろう。

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2025年08月28日

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7年ほど前に読んで再読。まったく覚えてなかった。
プロットのしっかりしたストーリーではなく、後半にかけてどんどん崩れていく。前衛的。
感想が難しいけど、とても面白かった。箱男と同じ年に出版されたのが、重力の虹であることに驚いた。

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2025年05月09日

Posted by ブクログ

読み終わるのに時間が掛かったけどすっっごかった。

虚実が入り乱れるし、かなり観念的なんだけど、ぐいぐい引き込まれながら読んだ。

何にも縛られない、本当の意味での自由を求めると外に開くのではなく、内に篭もり孤独を選ぶしか無いというやるせなさ。

箱男は浮浪者と違い、社会から離脱した(自ら社会を捨てた)存在であり、社会動物ではない。
つまり人間では無いのに、社会を見つめ続けたいという欲求だけは捨てられないアンバランスさが苦しかった。
学校にも行きたくないし、遊びに行く気にもならないし、誰にも指図されたくないし、誰とも話したくないけど学校で何が起きたかは知りたいし流行も知りたいからTwitterやインスタやテレビをぼーっと見るみたいな日は生産性も無くて、自分で自由にそういう1日を作り上げたはずなのにただただ苦しい感覚があって、それって箱男的生活だなぁと思う。
だからこそ見られることなく覗きたいという狡さが歪んで箱男になっていく彼らは他人事じゃないと強く感じて怖かった。
この本を読んでる間にメンタルがかなり落ちたときがあって、そのときは本当に箱男になりたいと思った。

時間をかけて読んだのと、ぼんやりとしかこの本のすごさを理解できなかったのが悔しい。
解説を読んでからもう一度読み返したくなった。

安部公房が東大理III出身だからか、箱男として生活したとき、視力がどのように変化するのか、発汗作用がどのように変化するのか等々の詳細が生々しかったのが、かなり観念的な内容が含まれているこの本にリアリティを与えていたように感じる。

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2025年04月30日

Posted by ブクログ

東京の映画館でポスター 安部公房だよと教わる 年末年始 3冊貸してくれた中で1番読みにくいと聞いてあとまわし 読んでみると進む進む 今まで借りた本の中で今何ページ読めたかなーって気にすることが1番なかった本だった 1週間ちょっとのきゅーばんだけで読み終ったのでは? 映画も観てみたかったという気持ちと映画を観る前に読めてよかったという気持ち 既にNetflix配信されていることを帰宅後知りKAZUMAに思いを馳せる 砂の女以来安部公房 まだ2冊目だけど相変わらずの面白さにびっくりするゆいちゃまであった

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2025年02月06日

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映画がベルリン国際映画祭へ招かれたと耳にし、十数年振りの再読。段ボール箱を被って町中を徘徊する時点で奇異。そして贋箱男や看護婦との目まぐるしい遣り取り。いや、遣り取りはシンプルだが構成が躍動的でラストは置き去りにされる。読者置き去り小説であり、命題に至っては難題としか言い様のないテーマ。40年近く前に出版された当時はもう少し現代より監視の目も緩く生きやすかった筈だが、箱男にならざるを得ない程の窮屈さ。箱男になったからこその解放感や孤立感。理解するには至らぬが断片だけでも初読より触れたかな。

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2024年11月04日

Posted by ブクログ

ネタバレ

いつか安部公房を読み解ける日がくるのだろうか……と思いながら読み続けます。

いくつくもの散文や回りくどい場面展開や、一見何の意味もない差し込みが多重に重なって……
だけど、結局、自分は一歩も動いていない、箱の中の落書きに過ぎない(?)だとか、どういう頭の構造したら書き抜けるんでしょうか。
主人公と一緒に思考の迷路に陥りそうです!

覗きみることの露悪性は、映画や他小説でも見受けられるテーマですが、抽象が過ぎるぜ!

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2025年05月05日

Posted by ブクログ

ダンボール箱に入って隙間から外の世界を覗き見る箱男が、複数人の視点から描かれている。途中から誰が箱男なのか、誰視点で書かれているのかが難解でわからなくなってくる。
見られることなく、覗き見たい…という欲求や、
普通の人間が箱男になってしまった経緯や、
浮浪者というか落伍者から見た世間や
みんな箱男のことは見て見ぬふりをすることや
豊富な語彙量で表現される言葉の数々が印象的だった。人は安心したくてニュースを見ずにはいられない、とか世界は沸きっぱなしの薬缶みたいなものだ、とか魚になる夢を見るが、手足がないと、触りたくて走りたくて堪らなくなるとか…が記憶に残った。
途中差し込みの白黒写真や短い記述?もなんだか不気味で終始薄汚れたような雰囲気の小説だった。

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2025年02月20日

Posted by ブクログ

ネタバレ

情報を整理しながら読んでいったはずだけれど、理解するのが難しい小説だった。登場人物はごく少ないのにも関わらず、なぜこんなにも入り組んで話の展開が読めないのだ。怒涛の展開に頭が追いつかない。
読み始めてしばらくすると、映像化は無理じゃないかという思いでいっぱいになった。言葉によるこの絶妙な可笑しみをどう映像で表現するのかと。
でも読み進めてちょうど半分を超えたあたりで、それどころじゃないと気付かされた。かなり実験的な試みを感じる小説で、こんな複雑な構造をしているとは想像もしていなかった!
途中、意味がわかりかけたのに終盤で再びけむに巻かれてしまって、途方に暮れている。
箱男にとっては居心地のいい箱の世界かもしれないが、読者の私は何らかの答えが欲しくなってしまう。

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2025年01月22日

Posted by ブクログ

なんだ…この作品は…
ずっと、ずーーーっとよく分からないまま、そのまま読み続ける。しかし分からないからと言っても、決して途中で本を投げ捨てる訳でも無く、いつか分かる時が来るのか…ただただ字を読む。常に「私は誰?…ここは何処…?」状態。また別の感覚で表現するならば、万華鏡のような物から本の世界観を見てるような…または、手垢が付いたガラス越しにハッキリと何を見てるか分からない状態で物語を読んでるかの様でした。自分にとっては理解が難しく、頭の中をシャッフルされてるような感覚になりましたが「面白い」本であったなと。また読み返したい気持ちもありつつ、またあの迷宮に入る覚悟が持てるか…。映画化されてるので、いつか観られる時があれば是非観たいなと。

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2025年01月10日

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かなりアクロバティックな構造の小説。
特に後半は完全には理解できていないけども、小説という枠組み自体が箱人間の箱の内側に書かれた記録であり、またその中身の人間自体が入れ替え可能であるとすると、それは究極的には近代が自明のものとしてきた自我を深く疑うことに繋がってきそうだ。本物の自分とは?と、考え出すとアイデンティティが崩壊しそうな気味の悪さを感じてしまう。

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2024年12月26日

Posted by ブクログ

安部公房、晩年に近い作品。
いや、はや、あっぱれ。面白かった。

箱をかぶった箱男。まんまっちゃまんまだが、
これが意味するのは「匿名性」
つまり現代における「SNS」のようなものだ。
これをまだネットがない時代に書いているのだから、、さすがと言わざるを得ない。今新刊です!と登場しても話題になるのでは。

匿名の仮面を被った人間が取る行動。
あちらからは見えないが、こちらからは見える、という状況で人間が起こす行動。

そして覗き穴から覗く、という描写も、スマホの出現と人類全クリエイター、カメラマンの現代においては、とっても上手くできた箱である。

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2024年12月21日

Posted by ブクログ

ネタバレ

ダンボールを被ってまちにでる?
箱男が家の前に住み着く?
隣の家のトイレを覗き見?
箱の下ははだか?

突飛なようだけど、安楽死やら路上生活者の記事やらなにやら社会問題がちりばめられていて。

死んだ僕のしたいを打合せ通り醤油工場のうらにすてる?

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2024年12月10日

Posted by ブクログ

ただいま映画『箱男〜The Box Man〜』が上映中である。公開日以降、最初の日曜日に観に行った。僕の個人的な事情なのだけれど、今年は、かつてないほど映画を観ている。俳優さんの演技というものについて理解を深めたいと思ったからだ。というのも僕の好きだった俳優さんは、演技について“天才”とすら称されることもあるほどに、演技について評判が良かった。にも関わらず、僕は素直に彼女の演技の評価を受け入れることができなかなった。実際、TVドラマや映画などで彼女の演技を観ても、彼女と、他の役者さんの演技の違いについて明確な“天才”たる理由や根拠を見出すには、いまだ至っていないのだ。僕は彼女の演技は好きなのだけれども、それは彼女の存在自体が好きだから、演技についても手放しで褒めているのだと、僕自身について、そう思われるのは不本意でしかない。彼女の演技は、演技としての確実な裏付けをもって堂々と評価したい。それには僕の、演技に対する理解を深める必要がある。僕は、僕自身の言葉で彼女の演技を賞賛したい。

さて。なにやら大幅に脱線しております。申し訳ございません。せっかくなので脱線ついでに、もう少しだけ映画版『箱男』について。
難解といわれる安部公房の物語だからこそ、俳優さんの、生き生きとした演技のぶつかり合いが発揮されていて、心ゆくまで堪能できた。この映画については、考察などは不要だろう。なにせ安部公房『箱男』の映画化なのだから。今年観た映画では、これまでで一番よかった。

『箱男』
箱の中の男の物語には違いはないのだけれど“箱男”が“箱男”として世界を覗き見る行為に終始するのかと思いきや、“箱男”は意外にも、あっさり“箱”を脱いで現実と向き合う“男”の物語だった。やっぱそうだよな、いかにも安部公房の物語らしいと思った。
“箱”に入る行為は一見、現実逃避のようだけれども“箱男”の真の“箱男”たる所以は、圧倒的な彼の主観のリアリティにあったと思う。一方、現実逃避として“箱男”に執着した“贋箱男”もまた、そこに彼なりのリアルを見出したのだろう。きっと“箱男”ってそういうものでしょ?

映画館にて。『箱男』の観客は、いつもの映画よりオジさんが圧倒的に多かった。きっと皆さん、安部公房の読者なのだろうな、と思った。

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2025年03月27日

Posted by ブクログ

ネタバレ

難解。語りや視点が色々と変化してしまい混乱してしまった。箱男と贋箱男の区別もちょっと難しくなってしまって。解説まで読んで少しわかったかな(笑)しかし一読だけでは理解できない(笑)ちょっと『ドグラ・マグラ』を読んでいるような(笑)あそこまでおかしくは無いですが(笑)とりあえず時間をおいて再読しないと(笑)そして他にも安部公房が積読になっているから読んでいこう(笑)

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2025年11月24日

Posted by ブクログ

阿部工房は箱に住んだことあるんじゃないかというくらい箱の描写が細かい
一回じゃ理解できなかったけどなぜか面白い
もっかい読む

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2025年11月16日

Posted by ブクログ

箱の中に入れば、全てのものとの関係がランダムになり、全てのものと一様な距離感をもつ。あらゆるものから等しい距離をとれるような空間だからこそ、角を持ちこちらと直接接点を持つような物は存在せず、無条件に寛大で輪郭がやわらかい世界が視界に広がる。
見られるよりは見る側、覗く側でいたいというのは解釈する側で安心したいという欲求なのか
ふつうの人はダンボールなどないから自分が過度に観察されるリスクを鑑みて多少節目がちに生きる
それにより全てに目を凝らしたい欲が圧されることもあるが、特定の何かにふれられる、自分の位置を他人という定点を通して確かめられるという特典もある
他者を覗いていて不快感を感じないのであれば、自分が覗かれれることに対する嫌悪や恐怖もなくなり、箱無しでも世界が柔らかいと錯覚し、箱から出てきたくなることもあるか
箱側から観察するということは、自分への目線を避けたいのもそうだし、全てを覗いて記述する側でいたいのか、圧倒的外側にいたい?
箱の中に覗いたものを落書きとして記述して、その記述内容、観察したものに触れようとしても(いざ見られようとしても)、それは自分が直接箱の外で経験したことではなく、あくまで覗いた内容で、触れるためには、その箱の外に出るのではなく、中の落書きに見つめられ、つまり自分の解釈の中の登場人物にみられる、箱の中にどんどんこもっていくイメージなのか?誰かを箱の中から見た時点で、その認識は完全に自分というフィルターを通していて自己の創作物のようなもの、つまり自分の見た何かと交わるということは自分の創作物、思想にどんどん飲み込まれていくということ?
そういうのが煩わしいから他者との境界をなくすために裸で近い距離を保ちたくなる?
一読しただけじゃどれが誰目線で誰のこと書いてんのか把握しきれなかったなあ、文学的なの苦手

7-箱男
(Aは距離感を自分で調節し、いつでも匿名に戻れる安心感で箱男に。箱男になる理由の例示)
24 「安全装置(証拠写真付き独白ノート?)をとりあえず」
箱男=カメラマン◯の語りがノートに綴られる
写真付き(1週間前に医師△に空気銃で襲われた
40-◯の語り継続
空気銃での攻撃理由推測
△は前から箱男の存在が気になっていてなりたかったから思わずうっただけ?
→看護師⬜︎に声かけられた&傷増悪で病院訪問
→麻酔かけられ、その間何かがあった、箱を欲しいとも言われる、何か魂胆があり空気銃攻撃に至った?⬜︎に対して好意が生まれるが、◯は箱内にいるため、できることはシャッター越し(箱越し)に現像する(語る)だけ?
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◯の語り
貝殻草で誘発される魚の夢の話
魚になると、意識=周りを見る視点はあるけど、認識したものに触れる術がないから欠乏感がある
「どんな好奇心だって、けっきょく最後は、手で触って確かめてみるのでなければ本当の満足なんてありえない」⬜︎のような興味対象に箱越しで見てもフラストレーションがたまるだけなのか 
「うまれつき声帯だってあるはずがない魚の身でこんなふうに言葉を使って悩んでいる、むず痒いような二重感覚」というのは、そもそも外界との接触という概念が最初からないのであれば、触れたいという感情もなく、認識すらもその意味がない時点で存在するのか微妙なので、そもそも記述行為すら存在しないはず
なのに記述をしている時点で贋作なのでは?ということか?まあ贋作の自覚があるのならいつでもやめられるからまだこのままでもいいかと漫然と箱男を継続する、そのうちに偽物ながらも(贋と自覚のある)箱男をやめられなくなっていく
58..........
◯の語り
五万と引き換えに⬜︎に箱の処理を頼まれた
一旦箱男になったら、箱を脱ぎ捨てるのはもとの世界に戻るのとは違う意味合いを持つ
65 鏡の中から
◯の語り
普段は箱越しに全てのものが均質で同格の意味合いを帯びていて全てが背景になじんでいるが、その効果が病院に向かいながら減じている
◯はここでも鏡を通して、箱男になりつつある△と、その触れたい対象である⬜︎を観察する側
だけど、(ふと思った。何処かで、これとそっくりな光景を見たことがある)とあることで、観察される側としての◯が想起される
箱の中にいる限り、何かを認識したと思っても、箱というフィルターを通して記述した加工済みのものを認識しているにすぎない
83
字体違うし、◯が観察した内容の記述ではなく、△と⬜︎の実際の会話?(65-から◯が見た場面で行われた会話、◯が病院で手当てされた時の◯と⬜︎のやりとりについて、⬜︎がやらされたことの再現をしている→つまり普段覗く側の◯が△に覗かれて、それを鏡で投影する形で覗いて、自分の姿を◯はみている)覗かれて記述されると、覗かれた側は実際記述された通りのことが起こっているような気もしてくる
92-
また◯の語り
身を清めるのに適した海水浴場での語り
Bについては、箱の安心感から離れられずに安住してしまったまま、死の存在すら周囲に認められないほど完全に匿名化されてしまった例
8時に病院訪れる予定で服乾かしつつ寝ようとしてる
102からのラジオの話から始まる病院訪問のやりとりは空想。
客観的な語りのようでいて、◯が生み出したものだから◯の思考(◯が箱男として箱男(自分)をどう記述するか)の産物でしかない、つまり偽箱男が空想の中で話している内容は全て◯の根底にある思考(箱内でのみの現実、落書き)、◯が◯という箱を通して◯自身を観察し、◯は記述側でもあり視姦される側でも自家発電状態?
空想の中で箱男を脱しようとしている◯は、直接の触れ合いに怯え戸惑っているが、半径二メートル半という自他境界を超えれば視線同士もまじわらなくなり、観察という手段以外で真に触れられるはず
ただ観察し、自身の視点で記述するという形で剥製にした方が133p、扱いやすくて箱の中に安住しがち?
全てを記述する主体としてもっともらしい(欠落の少ないストーリー)を連ねるが、その登場人物に自分も含まれ、その自分を観察しているのも自分であり、自分に対して何かを言いたくなっても、その言う主体も自分であり、どれが絶対的主体としての自分が存在しない、自己が消失していく感覚?
149供述書
△(自称医師=上官の名を借りた医師見習い=C)の語り。⬜︎戸山葉子
変死体について
152
Cを記述しているのはわかるが、これはC自身の語りなのか?Cの語りだとすると、俯瞰して記述されているCは箱男だが、それもまた見られる側であり贋で、見ている主体もCでそんなCもまたこう考えていると記述できる時点で、そう記述しているということはそういう考えがあるんだなとさらに外から俯瞰する主体がありそうで、永遠に完全なる絶対的外側(箱の中だとすると、絶対的な内側か)には至れない
160
これはさすがに△の供述書続きか
軍医は△とは異なる新たな人物でいいのか?
この供述書を読んでもこれは事実ですらないかもしれないし、読むという行為をした時点で解釈が含まれ想像でしかなく
そもそも物語の読解なんて、真実がなく自分を媒介として存在を知るものだから、いくらこうかもと真実がある風でも、それは自分の片隅に無意識に存在していた落書きを拾い上げるようなものでしかないかもしれなくて

ここら辺でギブアップ頭ごちゃごちゃ
気が向いたらまたつづきよむ

時々思う、この人はこういう意図だったのかも、こうだったのかも、これが真実かもみたいなのは全部自分の知覚に上がった時点で真実に見えるものも偽に見えるものも自己生成されたものだから、いくら本物を探そうとしても自己意識の投影でしかないよなと。ヴェールが剥がされて落書きが目に入っただけなのに新たな発見をしたと勘違いするような。それと似たような感覚なのか。結局最初から中途半端に箱の中に生まれてしまい、箱の外に出ようにもただ落書きを永遠と生成して出た気になっているだけのような人生。

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2025年10月14日

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 さあ、いよいよ初めての安部公房。ということで、この作者としては比較的わかりやすそうなこれから読むことにしたんだけど、もう写真とその説明のところでわけわかんねえ。これは作者の罠なのか、それとも深読みするべきなのか。俺の頭だとついていけないのかなあ。
 途中で唐突なエピソードが挿入されたりするのは序の口で、この物語を語っている「箱男」がいったい誰なのか、カメラマンなのか、元軍医だった男なのか、その身代わりをしていた男なのか、最後までわからない。いちおう全ては狂人の落書きだったと受け取れるような終わり方にはなってるけど、そんな単純なものじゃない。たぶん。最初から実験小説だっていってるし、安部公房も論理でこの物語を構築したわけではないようだから、明快な謎解きや、カタルシスを期待する方が間違いかもしれないけど。
 この物語が現在進行形であることを示すために文字を書いてる途中で話が切れたり、サイコさんのように思える記述があったり、今まで話していた偽箱男がいきなりこのノートを書いているのが誰なのかと指摘したり、ショパンという単語から全然別の話が連想されたように展開されていったり、興味深い手法がいろいろと出てくる。
 まあ、全体としてはわけわからん、というか正解みたいなものはないんだろうけど、箱男が看護婦にやさしくしてもらうために、彼女の眼をくり抜いてやろうかという一瞬の怖さと、女教師がDに内側からは鍵がなくても開くはずのドアの鍵を渡すところで、なんとも妄想が刺激されたのが、印象に残ってる。

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2025年10月03日

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ネタバレ

結局のところ、どこまで妄想なのか謎。箱にこもって被害妄想に駆られた分裂気味の男性が、わけのわからない日記を書き散らしているだけのようにも見えるし、途中から箱男が死に向かう理由についてミステリーのように「辻褄合わせ」のストーリーが展開されてよく練られた小説のようにも読める。
箱男のコンセプトは興味深いが、見られないところから一方的に女性を眺めたいという男性ならではの欲望が「箱」と結びついているせいで、性欲的・変質者的な描写が多いのは共感しづらい。とはいえ「見られる」ストレスは自身も大変共感するので(コロナ禍のマスクがその後も外せなくなった)、箱に潜む生活に関してはそれなりに興味がわいた。箱女ならどんな小説になるんだろう。
映画は解釈違いだったけれど、永瀬正敏と浅野忠信はかっこいい。

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2025年09月28日

Posted by ブクログ

ネタバレ

再読。
覗き趣味の話。
文庫で出ている安部公房作品をある程度読んでから再読したので、初めて読んだ時のような拒絶反応はなく楽しめた。
わけがわからないのは変わりないので筋を追うよりテーマを楽しむ作品と思おう。

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2025年08月21日

Posted by ブクログ

安部公房(1924~1993年)は、東京生まれ、満州育ち、東大医学部卒の小説家。作品は海外でも評価が高く、世界30数ヶ国で翻訳され、晩年はノーベル文学賞の有力候補と目された。
本作品は、『壁‐S・カルマ氏の犯罪』(芥川賞受賞)、『砂の女』(読売文学賞、フランス最優秀外国文学賞受賞)と並ぶ代表作の一つと言われ、1973年に出版、1982年に文庫化された。
内容は、ダンボール箱を頭から腰まですっぽり被り、小さな除き窓から外界を伺いながら、街を徘徊する「箱男」を主体としたフィクションだが、箱男が書いたとされる文章のほかに、他の人物が書いたらしい文章、新聞記事、独立したエピソード、白黒の写真等が多数挿入された複雑な構成となっている。
私は、読み始めたとき、都市部の地下道などでダンボール箱に入って寝ているホームレスを思い浮かべ、彼らのテーマにした作品だろうと想像したのだが、それは全くの見当違いで、読み進めると、上記の通り様々な書き手・形態の文章が次々と現れ、(極論すれば)脈絡なく話は進んで行った。そして、終盤では、それらの断章がどのような形で統合・回収されるのだろうと思いながらページを繰ったのだが、結局ほぼバラバラのまま終わるのである。
部分的に見れば、「本物」と「偽物」、「見る者(覗く者)」と「見られる者(覗かれる者)」、「書く者」と「書かれる者」のような比較的わかり易い二元論的なモチーフは見られるものの、一つの作品として全体を理解することはできない(敢えて「難しい」とは書かない)作品なのではないだろうか。
一読した後で、ネットで作品評価や解説を読んでみたところ、専門家の間でも、「成功作か失敗作かの評価が定まっていない」、「実験的な手法」などと評されているようである。
私は普段ノンフィクションを中心に読書をしており、本作品は安部公房の代表作の一つということで読んではみたのだが、好みの分かれる作品という気がする。
(2025年3月了)

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2025年03月26日

Posted by ブクログ

映画には出て来ない話もありました。
何人かの箱男が登場。
見る人と見られる人、書く人と書かれる人、本物と偽者、という構造が新しかったのかなあと思いました。

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2025年03月02日

Posted by ブクログ

とても不思議な読後感。
引きこもりが社会現象となっている現代にも通じる箱。というより、閉鎖された部屋。それでも完全な孤独になりたい訳でもなく、小さな覗き穴から時々社会の行方を覗きたくなる……。終始、人間の深層心理を外側から覗き込んでいるような感覚だった。
そもそもこの本に興味を持った時点で、我々は箱男の箱の中身を覗きに行っているようなものなのだ……。

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2025年02月27日

Posted by ブクログ

この本は読んで「考えるよりも感じろ」というべきでしょうか。
主体が変わったのかどうかもわからないまま、箱男の記録というノートが進みます。
何も考えずに、この世に沢山いる(らしい)「箱男」たちのエッセイなんだなぁと思えば、楽しく読めます。
一貫して言えるのは、
「見る」ことと「見られること」の対比と、社会から断絶することを選んだ人の開放感と未練のジレンマ。
そんな感じでしょうか。

よく分かんないけど、取り敢えず、今、自分もダンボール箱を工作しています。

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2025年01月25日

Posted by ブクログ

ネタバレ

解説込みでなんとなくわかるかなぁ…ってくらいで
一読しただけで理解できる人達は凄いなぁ

これは夢か妄想なのか、今はどっちだと追うので一杯一杯でした。

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2024年12月20日

Posted by ブクログ

どこまでが現実で
どこからが空想?
読みやすいんだけど
虚を突かれる
なんだか長い間夢の中を
さまよっているような感じ

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2024年12月09日

Posted by ブクログ

安部公房の小説を読むのは学生時代以来〇十年振り。安部公房も今年(2024年)で生誕100年になるのか。

 最後まで読んでも、混乱と言うか、不思議な気持ちで一杯。
 ダンボールの空箱を頭からすっぽりかぶって、箱男の側からは覗き窓を通して外が見えるが、外の人間からは箱をかぶった者がどんな人間なのか分からない存在。見るー見られる、覗くー覗かれるの関係、現代社会における匿名性の存在といった内容面においてもいろいろ考えさせられる作品だが、本書を特長付けるのは何と言っても複層した語りの問題であろう。
 主な登場人物は、元カメラマンの「箱男」。彼の前に現れる看護婦と医者の「贋箱男」。医者は実は贋医者で、自分が世話をしていた軍医殿に代わって医療行為を行っていたという。
 本作では、まず箱男が書いているノートから始まる。そして箱男と贋箱男との会話があるのだが、それを読んでいると、本当にこのノートの内容を書いているのは誰なのか、良く分からなくなってくる。また別の話として、変死した軍医殿に関する贋箱男の供述書があり、軍医殿の語りが続く。さらに《ここに再び そして最後の挿入文》とのタイトルのもと「そろそろ真相を明かすべきときがきたようだ。箱を脱いで、ぼくの素顔を見せ、このノートの真の筆者が誰であったのか、真の目的は何であったのかを、君だけは正確に知らせておきたいと思う。」(184頁)とあるのだが、そこを読んでも正直分からない。

 おそらく作者は綿密に計算してこれらの語りを構成し、読み手に対する書き手=作者として現れてきているのだろうが、一読したくらいでは歯が立たなかった。
 しかし、メインストーリーは釈然としないながらとても面白く、それに加えて印象深い挿話が挿まれていて、いろいろなイメージを喚起することができた。

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2024年11月24日

Posted by ブクログ

独特の世界観。途中、なんだか安部公房に置いてきぼりにされてる感が。まだあなたの思考についてゆけん。何年か経ったらまた読みたい作品です。

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2025年01月19日

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