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会社を首にされ、生きたまま自分の「死体」を売ってロボットにされてしまった機械技師が、人間を酷使する機械を発明して人間に復讐する「R62号の発明」、冬眠器の故障で80万年後に目を覚ました男の行動を通して現代を諷刺した先駆的SF作品「鉛の卵」、ほか「変形の記録」「人肉食用反対陳情団と三人の紳士たち」など、昭和30年前後の、思想的、方法的冒険にみちた作品12編を収録する。(解説・渡辺広士)
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Posted by ブクログ
大学4年生だったかな。まぁ、十何年も前のこと。ちょっとお手伝いしてたバイトのマスターが、好きな本なのだと、いくつか本を下さって、そこに安部公房の砂の女があった。それまでは、高校の教科書で赤い繭が載ってて、奇妙で怖い感じの話を書く人くらいの印象だったのだけど、 そこからどハマりして、いくつか呼んだ記...続きを読む憶がある。 でもこの初期の短編は、読んだことがなかった。 久しぶりなのもあるし、初期なのもあると思うけど、初めはちょっと入り込みにくかった。 後ろの方の、耳の値段や、鏡と呼子、鉄の卵辺りで、あぁこれこれ、そうだ、この感じ、となった。 少し長いお話の方が、私には合ってたのかも。特に鉄の卵が良かった。突飛な状況と、見方が変わることによって全然世界が違く見えてくる感じ。 今から70年とか前の話で、時代を感じるものもあれば、全然色褪せないものもある。鉄の卵のシチュエーションとか、進撃の巨人?とかDr.stones?とか思っちゃったりして。 また、読み返してみようと、思った。
小学校の高学年くらいに「棒になった男」や「他人の顔」が紹介されていたのを読んで興味を惹かれて手に取った一冊。 ファンタジーやSFか、カフカのような不条理モノか、乾いていながら、新宿ゴールデン街的な雑さと人間の粘度ある文体からにじみ出る別世界、でもそれは非常に身近で、そんな世界の話に引き込まれた。 ...続きを読むご本人も亡くなり、あまり話題にのぼるという事も無い気がする作家だが、新潮文庫に変わらずあるのが嬉しく、また懐かしく、最近読んだスタージョンあたりに刺激されて久々に手に取ってみた。 又吉くんオススメの帯がついていたが、これをきっかけに読者が増える事を期待する。 また、ラジオドラマ「R65の発明」はYouTubeにあげられているが、非常に良く出来た脚本、演出、俳優さんで、良い意味で?ゾッとする。
アヴァンギャルド。 もはや死語であったはずの前衛がこの2020年に再読して生き生きとしてしまう。 「天は人の上に人を作らず」 ある種の人たちは自らの事を選ばれた人間だと思ってはいないだろうか。 実際には誰もが誰かを選んでいるだろうし、同時に誰も誰かを選んでなどいない。 無知のヴェールという...続きを読む概念がある。生まれる以前に人間は平等だが生まれた直後に不平等となる。 生まれた国、地域、親を選ぶことはできず、ヴェールを被された状態である。 だからこそ、明るみに出た瞬間に、恵まれた存在は公共性を保持するために努めなければならない。 無知のヴェールについて、日本人はあまりにも知らなすぎ、考えが浅はかすぎるのではないか。 この短編集を通してそんなことを考えてしまう。 貧困、搾取、復讐。 こんな時代は去ったと言えるのだろうか。 「死んだ娘が歌った・・・」 からは自由意志のもとに搾取され続ける貧困農民が描かれる。 P.138『「働きながら貯金ができ、働きながら勉強できてありがとうございます」と大きな声で言い、それに続いて、みんなも同じことを声をそろえて言いました。」』 グロテスクで悪趣味だ。 しかし、これと同じことを技能実習生なる制度のもとで行なっている。 ある学校教育でもこのレトリックが美徳であると教育している。 我々日本人の本質的なグロテスクさはいっこうに変わることなく生き続けてしまっているのではないか。 自己責任論が好きな新自由主義とは、昭和ではないのか、すなわち、近代への退行でしかないのではないか。 「人肉食用反対陳情団と三人の紳士たち」 立場(階級)の差異が人の共感性を阻害してしまう。さらには高度に組織化されていればいるほど痛みや苦しみを感じ得ないようにされている。 これは単なる幻想に過ぎないのだろうか。 プレモダンな世界。 猜疑心、同調圧力、搾取、無関心。 これらは決して過ぎ去ったものではなく、この現在も継続・保続されているように思えてならない。 安部公房というアヴァンギャルドがリンボ界へ忘れ去られる時を迎えることはできるのだろうか。
相変わらずの突飛な発想力で、生から死、死からその先へとくるくる変わる短編集です。 テーマはヒューマニズム。 機械にされた人、藁を食べる人、死んだ人間が生者を観察したり、公房独特の180度の発想の転換で楽しませて…というのもありますが、これからの教訓になる一冊です。 鉛の卵で、予期しているのが怖いくら...続きを読むいに当たっているのが凄味があり、またじっくり読み直したいとも思いました。
「死んだ娘が歌った・・・・・」について 一文あらすじ 家が貧乏なために出稼ぎで上京した少女が、「自由意志」によって殺される話。 メモ 職場の上司から「自由にしてよい」と命じられ、出稼ぎ先を首になった少女は、欲しくもない自由を手に絶望して自殺する。 近代以降の人間は、自由を万人が持つべ...続きを読むき絶対不可侵の権利のごとく認識してきた。しかし、自由とは権利なのだろうか。自由とは、意図的な力が加わらない状態のことではなかったのだろうか。 自由を権利として定義づけ、あたかも義務かのように個人に課すこと、これは暴力にほかならない。これこそ、かつて自由を求めて闘った人々の共通の敵であったはずだ。金と力ある者が自由を牛耳る世界において、その逆の者がそれを謳歌できるはずもなく・・・少女は死んだ。 これは現代においても起こりえる、あるいは今まさに起きている悲劇の縮図であり、非常に諷刺の効いた作品であると思う。 「鏡と呼子」について 一文あらすじ 四六時中望遠鏡で村民を監視し、鏡と呼子をつかってあやしい動きをとる住民を告発する老姉弟の家に下宿した教師の話。 メモ 部外者である主人公が、ある奇妙な村に入り、その村の異常さを内面化して出られなくなってしまう物語。『砂の女』の筋とたいへんよく似ている。違いがあるとすれば、もちろん流れが同じなだけで細部はまったく異なるわけだが、諷刺している位相が異なるように思う。これももちろん明確なことではないが、あえて特徴を切り出すのであれば、『砂の女』が抽象的な問題を諷刺しているのに対し、『鏡と呼子』はより現実的な問題を諷刺しているのではないだろうかと思う。 『砂の女』の場合、読んだときにわたしがふと想ったのは、砂の村の住民の生活様式と雪国の住民のそれとが酷似しているということだった。「雪かきをしなければ住めない場所になぜ住むのか」と問うことは、(極端にいえば)「食べなければ生きられないのになぜ生きるのか」と問うようなもので、人間は毎日せっせと異常を積みあげているのかもしれない、なんてことを思った。 『鏡と呼子』の場合、現代の監視社会の発展に対する諷刺がはっきりと読みとれる。たとえば、望遠鏡はありとあらゆる場所に設置された監視カメラ、鏡と呼子は世界中にはりめぐらされた情報伝達システムの寓意と考えることができるし、そのなかで「問題がないことが問題」と語る村民たちは、監視社会のなかで得体の知れない不安を感じる現代人の寓意と考えることもできる。 この作品のなかでもっとも印象的だったのは、主人公の教師のスピーチと村にある道のコントラストだった。教師は次のようにいう。 「世の中には、いいこと、悪いことの、二つがあるように言われています。しかし、なにがいいことで、なにが悪いことか、はじめからはっきりとした区別があるわけではありません。(みんな、あわてるだろうな)道は はじめから道だったのではなく、人が沢山そこを通るようになってから、はじめて道になるのです。だからどの道も、かならずうねうねと曲がっているのです。それは道をきめることのむつかしさを物語っています。(名 文句だが、どこかで読んだ気もするな)だから、諸君も歩きたいと思った方なら、道がなくても歩いていく勇気をもって下さい。やがて、そこが、本当の道になるのかもしれないのですから・・・・・」 本人のいうように、たしかにありきたりな感じもしなくはないが、悪くもないスピーチだ。しかし、この常識的な発言を嘲笑するかのように、村にはただひたすらにまっすぐな道が通っている。抗うことのできない、なにか大きな力が働く世界。安倍公房はこの作品で、監視社会に潜む問題点だけをあぶり出すだけでなく、社会的圧力と闘う人ひとりの無力さと、個人を支配せんと近づく無言の構造体の異常さをあらわにしたと思う。 引用 Kは大きな音をたてて、自分の喉を飲込んだ。巨大な三角形が、大きな口を開けてすぐ後ろにせまってきているように思われた。―304頁より
安部公房との出会いは、高校2年生の時に使用していた現代文の教科書の中だった。 本書にも収録されている「棒」という素っ気ないタイトルが冠せられた10ページ程度の作品で、非条理、無説明、急展開な内容に惹きつけられた。 数年後に「砂の女」を読み、少し違う雰囲気だけど良いなと思い、「棒」を連想させるタイトル...続きを読むの「壁」の世界観は自分にははまらず、「箱男」にもそこまではまらなかった。 しかし、短編集である本書は、良い意味で作者の混沌さが薄れており、良質なSFものとして楽しめる。 それらはサイエンスフィクションでもあり、藤子不二雄に絵を付けてほしい 少し不思議な物語でもある。 時代背景や設定も現代、近未来、遠い未来、ディストピア化した社会など豊富で飽きさせない。 個人的に面白いと思ったのは、犯罪行為を生業とする会社の社員心得だ。 「犯罪者は、犯罪を生産するばかりでなく、また刑法を、刑法の教授を、さらにこの教授が自己の講義を商品として売るために必要な講義要綱を生産する」という挑発的な序文から始まり、犯罪という行為から生まれたものや、美徳についての文章に唸らされる。
「鉛の卵」は面白かったがあまり安部公房の作品ぽくなくて、 海外のSF作品のように感じた。くせが無いというか。 「棒」は昔教科書で読んだ。これが一番好きかも。
表題作2編を含む全12編の短編集。 社会風刺に満ちた作風や秀逸な比喩を交えた特徴的な文体、シュールなアイデアなどとても楽しめた。 特にSF色の強い表題作の2短編がお気に入り。 「盲腸」での食事の描写が良くも悪くもとても気持ち悪く、一番印象的だった。
20代半ばで芥川賞を受賞した安部公房が、30歳前後に書いた12の短編を収録した作品集。 どれもシュールで実験的で、ユーモアやウイット、アイロニーに笑わせられる場面もちらほらあります。毒が盛られたような内容の話であっても、おかしみを感じさせるシーンをちゃんと作られているため、シリアスになりすぎずに、...続きを読むフィクションの中身と適度な距離を保ちつつ、楽しめるのでした。また、そこのところをちょっと角度をかえて考えてみると、たまに水面に浮かんでくるあぶくのように、ここぞのところで効果的に滑稽さが仕組まれているからこそ、これは小説つまり虚構なのだ、と読む者は踏まえることができるんだなあ、とひとつ気づくことになりました。知的な距離感を構築するような文体と構造なのかもしれません。 巻末の解説を読むと、人間中心主義から180度翻った位置取りを作家は取るスタンスだというようなことが書いてあります。戦後すぐのころのアヴァンギャルドの思想がそういうものだったようです。だから、「棒」ではデパートの屋上から落ちた男が棒になったり、死のうとしていた男がその死と引きかえにロボットにさせられる契約を結ぶ「R62号の発明」など、人間と無生物が架橋されて物語られている。つまりは、人間も無生物も、そして「犬」という人間の言葉がわかり人間に勝るような犬がでてくる話もあるように、動物も、三者が対等(等価値)なものとして小説のパーツを為しています。そして、それらが、現代の読者である僕にとっても、相当おもしろいのです。 また、校長とケンカして前職場を去った男性教師が田舎の学校に呼ばれるところから始まる「鏡と呼子」は、その後の長編『砂の女』につながる作品だと思いました。パッケージと視点が違うだけでメカニズムは同じです。田舎の人たちが持つつよい猜疑心を見抜いていて、そこに確信があります。 本作の最後を飾る「鉛の卵」も秀逸です。1987年に冬眠装置にはいった男が、機械の故障によって目覚めたのは80万年後の世界。そこのところのとても大きな飛躍を、作家の豊かな想像力と、それを地に足をつけさせる論理力で、夢中になって読ませるものにしています。 すべての作品が、荒唐無稽でありながらも読むものの心をとらえます。そんなのありえない、と鼻で笑えそうなのに、「でも、待てまて、なにかがそこに、確かに存在している」感じがはっきりとあります。だからこそ、優れた短編小説なのでしょう。文体もきりっと締まっていて、すばらしい見本のようでした。
安部公房の短編集は読むのにすごくエネルギーがいる。長編小説であれば最初から最後までトップスピードというわけにはいかないので「遊び」がある。遊びとは、安部公房の世界から我々の住む、あるいは理解し得る世界へ戻って来れる瞬間のことである。しかし短編小説では向こうの世界に入ったっきり、物語が終わるまで帰って...続きを読むくることができない。読者が通訳だとして、通訳の話す時間を与えるために適宜話すのを止めてくれるスピーカーが長編小説、自分の言いたいことを最初から最後まで一気に自分の言語で話してしまうスピーカーが短編小説といったところである。後者の場合、通訳である読者である我々はとにかくスピーカーが話すことを全神経を集中して頭にしみ込ませていかなければならない。しかも日本語に直している時間はないので記号として脳内に蓄積していくのだ。そして最後の最後に通訳を開始するときには記号であるところの文脈の欠落から断片的にしか思い出せない、日本語に直した後ストーリーが再構成できない、、、と呆然としてしまうのだ。額に汗だけかきながら。 ピカソや岡本太郎の芸術作品は前衛的と言われる。国語辞典を引くと前衛的とは「時代に先駆けているさま」とある。しかし、「芸術」に対する社会通念を持ち合わせていない自分にとって、前衛的とは「わけが分からない」と同義だ。何が「わけが分からない」のか、ピカソや岡本太郎の絵を例に改めて考えてみると、生み出されたものから自分にとって有意な情報としてのメッセージを得ることができない、あるいはなぜそうでなければならなかったのかという背景なり作者の心情なりが理解できないということになると思う。しかし、前衛的なものがわけが分からないからといってまったくつまらないかというとそうでもない。前衛的な作品には前衛的ならしめる一歩進んだ何かがある。同じモチーフを使って絵画にしたとき、一般の作品であればおおよそ「芸術」と認識される範囲の中で作者の心情なりメッセージが付け加えられるところを、前衛的作品には「芸術」と認識される範囲を逸脱するという点においての「くずし」が入ってくる。この「くずし」の先にある作者の心情やメッセージが読み取れなくても、「モチーフをこんな風にくずすのか」という一点においても十分に感銘を受けることができる。同じく前衛的と評される安部公房の作品を楽しむ1つのヒントのようなものを本書で掴んだような気がする。 安部公房の小説で言えばモチーフとは小説の場の設定であり、最初の設定を出発点としてそこから世界がどんどん歪んで来る。あるいは歪んだ世界が最初から存在していて、その中にいる登場人物たちが歪んだ思考、発言、行動をする。この歪みが「くずし」の領域に達してしまっている。この場の設定と歪みの関係にバランスとセンスを感じたのが「鉛の卵」と「人肉食用反対陳情団と三人の紳士たち」だ。
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