あらすじ
会社を首にされ、生きたまま自分の「死体」を売ってロボットにされてしまった機械技師が、人間を酷使する機械を発明して人間に復讐する「R62号の発明」、冬眠器の故障で80万年後に目を覚ました男の行動を通して現代を諷刺した先駆的SF作品「鉛の卵」、ほか「変形の記録」「人肉食用反対陳情団と三人の紳士たち」など、昭和30年前後の、思想的、方法的冒険にみちた作品12編を収録する。(解説・渡辺広士)
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失業した男は死のうと思った
そこに若者がやってきて
死体を売ってくれという
売られた死体は(生きてはいるが)
ロボットとなり、機械を作る
なんだかわからないが
復讐のような機械を‥
盲腸を羊のものにした男
食べ物は藁
ある実験が行われた
食料不足のための準備として
噛んで噛んで噛んで
藁を飲み込んでいく
人肉を食用とした人類
そのために飼育される人々
反対運動が始まる
冬眠箱に入って100年後に
目覚めるはずだった男
80万年もの月日が経って
カプセルが開いた
そこでみたものは‥‥
などなど
なんだか背筋がぞわぞわするような
なんだかあるかもしれないと
思うものやら
安部公房らしい物語が続く
SFの世界であったり
戦争の悲惨さや
貧しさの末に
自殺した女性の幽霊物語などもあり
最後まで一気に読んだ
どれもなにかを訴えているようで
なんだかせつなくもなった
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久々の安部公房面白い。こんなにSF感あふれる作品を出してたのかと驚きます。また全編に死が充満しています。自分の子供の頃は死は日常だった。ばあちゃんは死んでしまうし、じいちゃんは死んでしまうし、叔父さんは死んでしまう。恐ろしいけど、人間はいつか死んでしまう儚い存在だということ思い知らされていたんだと思います。親戚付き合いも少なくなり、同居家族も少ない現代の子供は死に接する機会も少ないのかな?
冒頭の作品からして若くして失業してしまった主人公が失意のあまり自殺を図る。が、どうせ死ぬんだったら役に立ってみないかと怪しい誘いにまんまと乗ってしまう。君そんなだから会社馘にになるんだよ〜。機械はその工業的能力において人間を超えるのみならず、思考し、選択し、記憶する。では、人間の存在理由はなにか?という問いかけに対し、”機械のよきしもべとなることである”と言い切っているシーンがあります。おいおいこれまさに今の話か!と驚くとともに、うすうす勘づいてきていたけど、やっぱりそうなのかなと背筋が寒くなる。もう死んだも同然の年齢になって、機械のしもべとしてしか役に立たないなら生きている死体だが、それすらできなかったら死んだ死体だ。どっちにしろ暗い未来しかないぞ汗
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大学4年生だったかな。まぁ、十何年も前のこと。ちょっとお手伝いしてたバイトのマスターが、好きな本なのだと、いくつか本を下さって、そこに安部公房の砂の女があった。それまでは、高校の教科書で赤い繭が載ってて、奇妙で怖い感じの話を書く人くらいの印象だったのだけど、
そこからどハマりして、いくつか呼んだ記憶がある。
でもこの初期の短編は、読んだことがなかった。
久しぶりなのもあるし、初期なのもあると思うけど、初めはちょっと入り込みにくかった。
後ろの方の、耳の値段や、鏡と呼子、鉄の卵辺りで、あぁこれこれ、そうだ、この感じ、となった。
少し長いお話の方が、私には合ってたのかも。特に鉄の卵が良かった。突飛な状況と、見方が変わることによって全然世界が違く見えてくる感じ。
今から70年とか前の話で、時代を感じるものもあれば、全然色褪せないものもある。鉄の卵のシチュエーションとか、進撃の巨人?とかDr.stones?とか思っちゃったりして。
また、読み返してみようと、思った。
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小学校の高学年くらいに「棒になった男」や「他人の顔」が紹介されていたのを読んで興味を惹かれて手に取った一冊。
ファンタジーやSFか、カフカのような不条理モノか、乾いていながら、新宿ゴールデン街的な雑さと人間の粘度ある文体からにじみ出る別世界、でもそれは非常に身近で、そんな世界の話に引き込まれた。
ご本人も亡くなり、あまり話題にのぼるという事も無い気がする作家だが、新潮文庫に変わらずあるのが嬉しく、また懐かしく、最近読んだスタージョンあたりに刺激されて久々に手に取ってみた。
又吉くんオススメの帯がついていたが、これをきっかけに読者が増える事を期待する。
また、ラジオドラマ「R65の発明」はYouTubeにあげられているが、非常に良く出来た脚本、演出、俳優さんで、良い意味で?ゾッとする。
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アヴァンギャルド。
もはや死語であったはずの前衛がこの2020年に再読して生き生きとしてしまう。
「天は人の上に人を作らず」
ある種の人たちは自らの事を選ばれた人間だと思ってはいないだろうか。
実際には誰もが誰かを選んでいるだろうし、同時に誰も誰かを選んでなどいない。
無知のヴェールという概念がある。生まれる以前に人間は平等だが生まれた直後に不平等となる。
生まれた国、地域、親を選ぶことはできず、ヴェールを被された状態である。
だからこそ、明るみに出た瞬間に、恵まれた存在は公共性を保持するために努めなければならない。
無知のヴェールについて、日本人はあまりにも知らなすぎ、考えが浅はかすぎるのではないか。
この短編集を通してそんなことを考えてしまう。
貧困、搾取、復讐。
こんな時代は去ったと言えるのだろうか。
「死んだ娘が歌った・・・」
からは自由意志のもとに搾取され続ける貧困農民が描かれる。
P.138『「働きながら貯金ができ、働きながら勉強できてありがとうございます」と大きな声で言い、それに続いて、みんなも同じことを声をそろえて言いました。」』
グロテスクで悪趣味だ。
しかし、これと同じことを技能実習生なる制度のもとで行なっている。
ある学校教育でもこのレトリックが美徳であると教育している。
我々日本人の本質的なグロテスクさはいっこうに変わることなく生き続けてしまっているのではないか。
自己責任論が好きな新自由主義とは、昭和ではないのか、すなわち、近代への退行でしかないのではないか。
「人肉食用反対陳情団と三人の紳士たち」
立場(階級)の差異が人の共感性を阻害してしまう。さらには高度に組織化されていればいるほど痛みや苦しみを感じ得ないようにされている。
これは単なる幻想に過ぎないのだろうか。
プレモダンな世界。
猜疑心、同調圧力、搾取、無関心。
これらは決して過ぎ去ったものではなく、この現在も継続・保続されているように思えてならない。
安部公房というアヴァンギャルドがリンボ界へ忘れ去られる時を迎えることはできるのだろうか。
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相変わらずの突飛な発想力で、生から死、死からその先へとくるくる変わる短編集です。
テーマはヒューマニズム。
機械にされた人、藁を食べる人、死んだ人間が生者を観察したり、公房独特の180度の発想の転換で楽しませて…というのもありますが、これからの教訓になる一冊です。
鉛の卵で、予期しているのが怖いくらいに当たっているのが凄味があり、またじっくり読み直したいとも思いました。
Posted by ブクログ
「死んだ娘が歌った・・・・・」について
一文あらすじ
家が貧乏なために出稼ぎで上京した少女が、「自由意志」によって殺される話。
メモ
職場の上司から「自由にしてよい」と命じられ、出稼ぎ先を首になった少女は、欲しくもない自由を手に絶望して自殺する。
近代以降の人間は、自由を万人が持つべき絶対不可侵の権利のごとく認識してきた。しかし、自由とは権利なのだろうか。自由とは、意図的な力が加わらない状態のことではなかったのだろうか。
自由を権利として定義づけ、あたかも義務かのように個人に課すこと、これは暴力にほかならない。これこそ、かつて自由を求めて闘った人々の共通の敵であったはずだ。金と力ある者が自由を牛耳る世界において、その逆の者がそれを謳歌できるはずもなく・・・少女は死んだ。
これは現代においても起こりえる、あるいは今まさに起きている悲劇の縮図であり、非常に諷刺の効いた作品であると思う。
「鏡と呼子」について
一文あらすじ
四六時中望遠鏡で村民を監視し、鏡と呼子をつかってあやしい動きをとる住民を告発する老姉弟の家に下宿した教師の話。
メモ
部外者である主人公が、ある奇妙な村に入り、その村の異常さを内面化して出られなくなってしまう物語。『砂の女』の筋とたいへんよく似ている。違いがあるとすれば、もちろん流れが同じなだけで細部はまったく異なるわけだが、諷刺している位相が異なるように思う。これももちろん明確なことではないが、あえて特徴を切り出すのであれば、『砂の女』が抽象的な問題を諷刺しているのに対し、『鏡と呼子』はより現実的な問題を諷刺しているのではないだろうかと思う。
『砂の女』の場合、読んだときにわたしがふと想ったのは、砂の村の住民の生活様式と雪国の住民のそれとが酷似しているということだった。「雪かきをしなければ住めない場所になぜ住むのか」と問うことは、(極端にいえば)「食べなければ生きられないのになぜ生きるのか」と問うようなもので、人間は毎日せっせと異常を積みあげているのかもしれない、なんてことを思った。
『鏡と呼子』の場合、現代の監視社会の発展に対する諷刺がはっきりと読みとれる。たとえば、望遠鏡はありとあらゆる場所に設置された監視カメラ、鏡と呼子は世界中にはりめぐらされた情報伝達システムの寓意と考えることができるし、そのなかで「問題がないことが問題」と語る村民たちは、監視社会のなかで得体の知れない不安を感じる現代人の寓意と考えることもできる。
この作品のなかでもっとも印象的だったのは、主人公の教師のスピーチと村にある道のコントラストだった。教師は次のようにいう。
「世の中には、いいこと、悪いことの、二つがあるように言われています。しかし、なにがいいことで、なにが悪いことか、はじめからはっきりとした区別があるわけではありません。(みんな、あわてるだろうな)道は
はじめから道だったのではなく、人が沢山そこを通るようになってから、はじめて道になるのです。だからどの道も、かならずうねうねと曲がっているのです。それは道をきめることのむつかしさを物語っています。(名
文句だが、どこかで読んだ気もするな)だから、諸君も歩きたいと思った方なら、道がなくても歩いていく勇気をもって下さい。やがて、そこが、本当の道になるのかもしれないのですから・・・・・」
本人のいうように、たしかにありきたりな感じもしなくはないが、悪くもないスピーチだ。しかし、この常識的な発言を嘲笑するかのように、村にはただひたすらにまっすぐな道が通っている。抗うことのできない、なにか大きな力が働く世界。安倍公房はこの作品で、監視社会に潜む問題点だけをあぶり出すだけでなく、社会的圧力と闘う人ひとりの無力さと、個人を支配せんと近づく無言の構造体の異常さをあらわにしたと思う。
引用
Kは大きな音をたてて、自分の喉を飲込んだ。巨大な三角形が、大きな口を開けてすぐ後ろにせまってきているように思われた。―304頁より
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安部公房との出会いは、高校2年生の時に使用していた現代文の教科書の中だった。
本書にも収録されている「棒」という素っ気ないタイトルが冠せられた10ページ程度の作品で、非条理、無説明、急展開な内容に惹きつけられた。
数年後に「砂の女」を読み、少し違う雰囲気だけど良いなと思い、「棒」を連想させるタイトルの「壁」の世界観は自分にははまらず、「箱男」にもそこまではまらなかった。
しかし、短編集である本書は、良い意味で作者の混沌さが薄れており、良質なSFものとして楽しめる。
それらはサイエンスフィクションでもあり、藤子不二雄に絵を付けてほしい 少し不思議な物語でもある。
時代背景や設定も現代、近未来、遠い未来、ディストピア化した社会など豊富で飽きさせない。
個人的に面白いと思ったのは、犯罪行為を生業とする会社の社員心得だ。
「犯罪者は、犯罪を生産するばかりでなく、また刑法を、刑法の教授を、さらにこの教授が自己の講義を商品として売るために必要な講義要綱を生産する」という挑発的な序文から始まり、犯罪という行為から生まれたものや、美徳についての文章に唸らされる。
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20代半ばで芥川賞を受賞した安部公房が、30歳前後に書いた12の短編を収録した作品集。
どれもシュールで実験的で、ユーモアやウイット、アイロニーに笑わせられる場面もちらほらあります。毒が盛られたような内容の話であっても、おかしみを感じさせるシーンをちゃんと作られているため、シリアスになりすぎずに、フィクションの中身と適度な距離を保ちつつ、楽しめるのでした。また、そこのところをちょっと角度をかえて考えてみると、たまに水面に浮かんでくるあぶくのように、ここぞのところで効果的に滑稽さが仕組まれているからこそ、これは小説つまり虚構なのだ、と読む者は踏まえることができるんだなあ、とひとつ気づくことになりました。知的な距離感を構築するような文体と構造なのかもしれません。
巻末の解説を読むと、人間中心主義から180度翻った位置取りを作家は取るスタンスだというようなことが書いてあります。戦後すぐのころのアヴァンギャルドの思想がそういうものだったようです。だから、「棒」ではデパートの屋上から落ちた男が棒になったり、死のうとしていた男がその死と引きかえにロボットにさせられる契約を結ぶ「R62号の発明」など、人間と無生物が架橋されて物語られている。つまりは、人間も無生物も、そして「犬」という人間の言葉がわかり人間に勝るような犬がでてくる話もあるように、動物も、三者が対等(等価値)なものとして小説のパーツを為しています。そして、それらが、現代の読者である僕にとっても、相当おもしろいのです。
また、校長とケンカして前職場を去った男性教師が田舎の学校に呼ばれるところから始まる「鏡と呼子」は、その後の長編『砂の女』につながる作品だと思いました。パッケージと視点が違うだけでメカニズムは同じです。田舎の人たちが持つつよい猜疑心を見抜いていて、そこに確信があります。
本作の最後を飾る「鉛の卵」も秀逸です。1987年に冬眠装置にはいった男が、機械の故障によって目覚めたのは80万年後の世界。そこのところのとても大きな飛躍を、作家の豊かな想像力と、それを地に足をつけさせる論理力で、夢中になって読ませるものにしています。
すべての作品が、荒唐無稽でありながらも読むものの心をとらえます。そんなのありえない、と鼻で笑えそうなのに、「でも、待てまて、なにかがそこに、確かに存在している」感じがはっきりとあります。だからこそ、優れた短編小説なのでしょう。文体もきりっと締まっていて、すばらしい見本のようでした。
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安部公房の短編集は読むのにすごくエネルギーがいる。長編小説であれば最初から最後までトップスピードというわけにはいかないので「遊び」がある。遊びとは、安部公房の世界から我々の住む、あるいは理解し得る世界へ戻って来れる瞬間のことである。しかし短編小説では向こうの世界に入ったっきり、物語が終わるまで帰ってくることができない。読者が通訳だとして、通訳の話す時間を与えるために適宜話すのを止めてくれるスピーカーが長編小説、自分の言いたいことを最初から最後まで一気に自分の言語で話してしまうスピーカーが短編小説といったところである。後者の場合、通訳である読者である我々はとにかくスピーカーが話すことを全神経を集中して頭にしみ込ませていかなければならない。しかも日本語に直している時間はないので記号として脳内に蓄積していくのだ。そして最後の最後に通訳を開始するときには記号であるところの文脈の欠落から断片的にしか思い出せない、日本語に直した後ストーリーが再構成できない、、、と呆然としてしまうのだ。額に汗だけかきながら。
ピカソや岡本太郎の芸術作品は前衛的と言われる。国語辞典を引くと前衛的とは「時代に先駆けているさま」とある。しかし、「芸術」に対する社会通念を持ち合わせていない自分にとって、前衛的とは「わけが分からない」と同義だ。何が「わけが分からない」のか、ピカソや岡本太郎の絵を例に改めて考えてみると、生み出されたものから自分にとって有意な情報としてのメッセージを得ることができない、あるいはなぜそうでなければならなかったのかという背景なり作者の心情なりが理解できないということになると思う。しかし、前衛的なものがわけが分からないからといってまったくつまらないかというとそうでもない。前衛的な作品には前衛的ならしめる一歩進んだ何かがある。同じモチーフを使って絵画にしたとき、一般の作品であればおおよそ「芸術」と認識される範囲の中で作者の心情なりメッセージが付け加えられるところを、前衛的作品には「芸術」と認識される範囲を逸脱するという点においての「くずし」が入ってくる。この「くずし」の先にある作者の心情やメッセージが読み取れなくても、「モチーフをこんな風にくずすのか」という一点においても十分に感銘を受けることができる。同じく前衛的と評される安部公房の作品を楽しむ1つのヒントのようなものを本書で掴んだような気がする。
安部公房の小説で言えばモチーフとは小説の場の設定であり、最初の設定を出発点としてそこから世界がどんどん歪んで来る。あるいは歪んだ世界が最初から存在していて、その中にいる登場人物たちが歪んだ思考、発言、行動をする。この歪みが「くずし」の領域に達してしまっている。この場の設定と歪みの関係にバランスとセンスを感じたのが「鉛の卵」と「人肉食用反対陳情団と三人の紳士たち」だ。
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途中入り込みにくい篇もあったが、最後の鉛の卵にて、やはりこれ、という結末。「スカッとしない展開」という意味でスカッとする転換劇。気づくと安部公房の論理のすり鉢状の砂に飲み込まれている。
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人間と人間以外のモノとの境界があいまいになるようなSFものが多い短編集。人間がロボットにされる「R62号の発明」、人間のような犬が出てくる「犬」、人間がただの棒になる「棒」、人間が塊になる「変形の記録」など。
安部公房にしては読みやすいし分かりやすい。
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寓話的、SF的な発想に溢れた短編集。ドロドロとしたグロテスクな世界を奇妙なほど淡々と現実感を持って物語が押し寄せてくる。主人公の内面に入りすぎず、あくまで物語を現実の価値観の対比物、思想の耐久性を試す実験場としている感じがした。
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中学生の頃砂の女を読んでから触れてこなかった安部公房。
もう一度読みたくて手に取った。
変形の記憶と鉛の卵が好き。
物とか動物を人間と同列に語るのは好きだな。
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小学生の頃、教科書に載ってた顔を見て「えらく渋いオッサンだな…」という印象が強かったので顔と名前だけは覚えている安部公房。職場の友達に勧められたので読んでみたんですが、なるほど面白い。
慣れないうちは文章が読みづらかったし、好みかと聞かれると違いますってなっちゃうんだけど、内容の深さに否が応でも魅了されてしまう感じ。個人的には鉛の卵と鍵が好き。もう何冊か読んでみよう。
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「世にも奇妙な物語」と言えば分かりやすいと思います。短編ですからね。読みやすいですが、あっさりとしていて、私はどちらかというと、同氏の長編のほうが好きなようです。
<掲載作品の一覧>
R62号の発明
パニック
犬
変形の記憶
死んだ娘が歌った
盲腸
棒
人肉食用反対陳情団と三人の紳士たち
鍵耳の値段
鏡と呼子
鉛の卵
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40年以上前の作品とは信じられないような先見性に富んだ短編集である。特に表題作の「R62号の発明」は昨今盛り上がりを見せる第三次ロボット・AIブームの将来を極めてシュールに予見しているようだ。効率性を追求した結果、ロボットの一部として人間を組み込むという発想はなんともシニカルである。
本書は、各作品のみならず解説もなかなかの鋭さを持っている。無機質と有機質を等価に相互交換しながら描く安部公房の手法をとき解いており、なるほどなと思わされる。
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「鉛の卵」が一番良かったかな。カフカ的迷宮と不条理を備えた短編集。当時はかなり前衛的作品だったのだろうなと思う。最後にドンと突き放される不気味さは安部公房の魅力の一つであると思う。安部公房作品時間をかけて少しずつ読破していきたい。2012/679
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安部公房の珍しい短篇集というか、ショートショートなのだけど、解説を読むとそうでもないとのこと。たくさん短編を書いていたらしい。
表題作2作は、最後のオチがえげつない/薄気味悪いのを除いて、星新一が書きそうなショートショートSF。「R・田中一郎」もこれが元ネタだったりして。その他はちょっとした事件の話だとかなんだけど、なんとなく全てに「死」というテーマがあるように感じた。
作によって傾向が違うところがあるものの、短編ともあって読みやすい。引っかかるとすると、安部公房独特の形容詞(名刺で形容するのだ)遣いであり、そこを乗り越えるとスッと入ってくる。ただ、「砂の女」「人間そっくり」「燃えつきた地図」「方舟さくら丸」のように、1冊丸々を畳み掛けるように読む醍醐味は味わえないので、読みやすいからといって初心者向けではないように感じる。
とりあえず、作と作の間のギャップが大きくて、読んでいる時間以上に時間がかかったように感じた。わかりやすくて面白いのは間違いないですよ。
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どの作品も発想が怖い。
「変形の記録」「死んだ娘が歌った…」などは死後の視点で描かれているが、死んでも変わらない、死後の世界も今と同じ事が繰り返されるような気がして暗澹たる気持ちになりそうになる。救いが無い。
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[R62号の発明]
会社を首になって自殺を考えていた機械技師の男が、生きながら自分の死体を売ってロボットにされてしまう。元の会社にロボットとして働くようになった彼は、人間を酷使して殺してしまう機械を造る。このあらすじからすると、不況時代に対する風刺と見ることや、資本家に対する左翼思想側からの作品と見ることも当然可能だろうと思うけど、個人的にはそういうことよりもヘラで脳味噌をひっくり返しているところとか、脳味噌が君なのか、それとも君がこの一部なのか、といった手術シーンの方が印象に残っている。
ただ、予想していたほどすごい話でもなかったな。教科書に載ってても全然不思議じゃない。SFならこれぐらいの話はいくらでもありそうだし。あんまり深読みしたくなるような感じでもなかったし。
[パニック]
職業紹介所で出会った男に紹介されたパニック商事の入社テストを受けるため、Kに会った。しかしその翌日、目の前には血塗れのKの死体が。殺人の容疑から逃れるための逃亡生活中、盗みを繰り返していた男を待っていた結末とは・・・。今回はミステリー的なプロットだけど、相変わらず不況の色が濃い。オチもいまいち。なんか純文学と大衆娯楽小説の違いがわからなくなってきた。
[犬]
マリリン・モンロー的な白痴美人が出てくるけど、色っぽいんだこれが。問題の犬との関係がよくわからんけど。最初他人が彼女に抱きつくのに腹を立てていた”ぼく”もいきなり彼女に抱きついて結婚してくれとか言ってるし。いちばんやばいのはこの”ぼく”かも。
この犬がしゃべったっていうのもどういうことなのか。犬の絵を描いていたはずがそこに書かれていた題名は『妻の顔』。「シャイニング」みたいなサイコものってことなのかな。
[変形の記憶]
今度は戦場。死んで魂となった男が見たものは。確かに士官が兵隊をどう見ているかとか、日本兵による中国の村の虐殺シーンなんかも出てくるんだけど、単純な反戦小説とはちょっと視点がずれてる。最後の死んだ少将の魂が浮浪者の体を乗っ取ってしまうところとか何を象徴してるんだろうなあ。よくわからん。
[死んだ娘が歌った・・・・・・]
自殺した娘が魂となって過去を振り返るという話。結局、安部公房は手法としてはSF的・ミステリー的なものを用いるけど、描きたいものはこの時期の戦争や不況に左右される人間の姿だってことだな。まあ、だからこそ純文学なんだろうけど。これも結構悲惨な話。死んだ自分の顔をなでてるところとか、悲しいよな。気の効いたオチを期待するのが無理な話か。
[盲腸]
食糧不足解消のため羊の盲腸を移植された男の話。いきなり「人獣細工」を連想しちゃったけど、あれはどういう話なんだろう。なんかいきなり原理とか言ってるけど、これはあのやばいやつのことか。このあたりの事情に疎いんだよなあ、俺。
こういう方法論でもっと爆走すると筒井康隆になるような気がするな。筒井康隆のルーツを見たような気がする。そうか、そうすると筒井康隆をSFだっていう意味で、安部公房もSFなのかもしれない。
単純に藁を食べるのって辛そうだ。
[棒]
ビルから落ちたらいきなり棒になったっていうのがすでによくわからんけど、そこに居合わせる学生と教師が何者なのかわからん。「死者を罰するのがぼくらの存在理由」とか「人間の数にくらべて、われわれの数はきわめて少ない」とか言ってるけど。魔法陣を書いてなんか悪魔みたいなのを召還しているとも取れる描写もあるし、ホントのところはどうなんだろう。
それにしても短編はもっとすっきりして、論理的なはずじゃなかったのか。長編よりも何が言いたいのかよくわからん。
[人肉食用反対陳情団と三人の紳士たち]
安部公房の書いた人肉喰いの話だというんで期待したんだけどなあ。人肉を食べるということに背徳的な意味がなくて、当たり前のこととして描かれているというのはいいんだけど、その後の展開があっさりしてていまいち。男が陳述にきた本当の理由が、娘がトサツ場に連れて行かれたからだというのも普通。
食べる側の男たちが体のどこかに障害を抱えているのは、先進国と発展途上国との関係の隠喩なのかもという感じもちょっとするけど。単純に貴族社会を批判しているというのでもないんだろうし、わからん。深読みできなくはないんだけど、弱いんだよなあ。意味を求めること自体が間違いなのか?アヴァンギャルドってそういうことなの?
[鍵]
人間嘘発見器の波子が出てくるところが安部公房らしいというべきか。それ以外はどうってことのない話。超能力(でもないのかな?)を使って犯罪をするためのカモフラージュとして、万能鍵の鉤十字をでっち上げた、ってそんな単純な話でもないんだろうけど。このどこまでが現実かわからなくなるような、なんとも言えない不明瞭な雰囲気は嫌いじゃないんだけど、あやふやな分だけ弱いよなあ、やっぱ。
[耳の値段]
六法全書を使って金儲けを企んだ結果が、耳を切り落とそうとすることだってのがなんとも貧乏くさい。全体の構造はループになってるのかな。中途半端だけど。
安部公房という人は、手法としてはいろんなヴァリエーションを持ってるというか開発した人だと思うけど、テーマという意味では、あるのかないのかよくわからないか、あってもありきたりなものばかりだという気がする。そういう意味ではアイディアの人というのは当たってるのかもしれないけど。でもそれだけでこれほど高く評価されるとは思えないから、何かあるんだろうと思うんだけどなあ。なんなんだろう。
[鏡と呼び子]
なんか最後までよくわからん話だったな。裏山に登って望遠鏡で村の中を覗いていただけだもんな。それが「思想問題としてとらえたときには、家出監視人と情報屋の関係が逆転する」とか言われてわけわからなくなる。それでもこれだけわけのわからん話が続くと、ここには論理がないのか、それとも俺には理解不能な論理が存在しているのかって考えちゃうから、この不思議というか奇妙な感覚が安部公房の特色とするなら、それはそれで今後も読み続ける理由にはなるんだけどね。
結果的には婆さん死んじゃうから、論理的でない謀略小説と言えなくもないかな。いきなり親戚がいっぱいやってくる理由がわからんし、取り合ってる対象がタンスや綿羊だってのがしょぼいけど。
[鉛の卵]
普通のまっとうなSF。クラレント式恒久冬眠箱とか、人工炭素の生産とかSFっぽいガジェットもちゃんとある。ただ、80万年という時間はちょっと長い。サイバーパンク的な見方をすれば、それだけの時間がたった後、人間が今と同じだとは思えないけど。そういう意味だと植物人間しか生き延びていないという方がありそうではある。オチはありがちだけど、これまで読んできた経験からすると、こういう破綻のない展開の方が安部SFとしては珍しいんだろうな。
個人的にいちばん気になったのは、主人公がペカという植物人の娘に食欲を感じるところ。かわいい、けど食べたいっていうのは倒錯してるけど、興味深いテーマかも。そういえば、森岡浩之の「スパイス」は読まないと。
Posted by ブクログ
大好きな作家・安部公房の短編集。大学生の時に少し読んだが最後まで読めてなかったので久しぶりに再読。これこれ、この世界観、さすが安部公房。不条理文学の粋が詰まってる。不気味な感じもいい、やっぱ安部公房なんだよな。
Posted by ブクログ
【全体の感想】
短編が12個収録されており、どれも怪奇小説めいた雰囲気で正直よくわからない作品もあった。読んでいてレイ・ブラッドベリの短編に似ているなぁと私は感じた。印象に残っている作品はタイトルにある「R62号の発明」「鉛の卵」の2つと「犬」の計3つ。
【印象に残った場面】
「R62号の発明」
”死ぬつもりになって歩いてみると、町はあんがいひっそり、ガラス細工のように見えた。”P8 阿部公房の作品における魅力の一つは独特の比喩表現だと私は思っている。本屋でこの本を手に取って冒頭を読んだ時、上記の比喩表現に痺れて買うことを決意した。”菫色の夜明の最初の小鳥のような、軽やかな吐息が飛立って、どうやら一仕事すんだらしい。”P27 こちらも素晴らしい。終盤、機械に使役される人間の描写は残酷だが、視点を変えれば普段人間が物を消耗品扱いしていることと何ら変わりは無いはずだ。そういう皮肉めいたものがメインテーマ、、、ってことで良いのかな?わからん。
「鉛の卵」
”古代人はぎくりとして、自分が本当になまけものであったことを、心からよろこんだものである。”P329 「仕事を楽しむ」なんてことがしきりに言われていたりするが、現代においては仕事が”心から”楽しいわけがない。と私は思う。したくないけどやらなければならないことをできるだけストレスフリーに実行するために楽しもうとするのであって、楽しいわけでは無い。楽しいことは睡眠時間を削ってでも、休日にでもしたくなるはずだ。今の様に週5日プラス休日出勤プラス残業という働き方が変わり、週に1日だけ仕事をすれば良いようになれば、状況も変わるだろう。作中の緑化人間は全く労働をする必要がなくなった世界に生きており、怠惰で賭博にしか喜びを感じられない貧しい精神をもっている。結局生きる上では労働などの多少の障害は必要不可欠であり、それこそが人生に生きる張りあいを与えてくれるのであろう。
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R62号の発明
安部公房の作品に全て共通するが、まるで未来を見ているかのような、あるいは人類が常に共通して持つ特性のようなものを感じる。
まるで昭和28年とはおもえないな
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R62号の最後の衝撃。脳の回路、生産性、重役。頭取は何に感動していたのか?
戦後の労働や生活環境といった時代を感じる。そしてその奥に隠された寓話や教訓。設定も落ちもユニークで、読み進めてしまう。
「パニック」パニック商事。Kの痕跡。三日間の放浪。
「犬」人間くさい犬。「妻の顔」妻と犬のいれかわり?
「変形の記録」一番教訓や話の落とし所がつかみにくかった話。戦争のすなぼこり?
「死んだ娘が歌った……」掃除の授業、お弁当詰めの授業、心のイワシ、朝まで遊ぶ娘。工女の哀れさ。
「盲腸」羊の盲腸。
「人肉食用反対陳情団と三人の紳士たち」
「鍵」盲目の娘と疑い深い親父。
「鏡と呼子」田舎小学校ながくて良く分からなかった
「鉛の卵」800万年後の人類。
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中山さんからのオススメ。公房作品三作目。短編集。大抵の主人公は何故かすぐ死に至る位置にいるようだ。何処かカフカっぽさを感じさせる作品の多さよ。一番好きなのは、解説で唯一触れられていない「パニック」かな。ミステリィっぽさを感じさせ、世間を皮肉っている点が好み。あと「人肉食用反対〜」も白井智之氏の『人間の顔〜』みたいで好きだ。