安部公房のレビュー一覧

  • R62号の発明・鉛の卵(新潮文庫)

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    超現実主義派と称されるにふさわしい作品
    ひとつひとつの短編を読むごとにすっきりするようなものではないが、作者の言いたいことを考えさせるものが多かった。
    R62号、鉛の卵あたりは個人的にスタンリーキューブリックに映画化してもらいたいと思った。

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    2019年01月03日
  • 燃えつきた地図(新潮文庫)

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    安部公房(1924-1993)の長編小説、1967年。

    安部公房の小説の主題として、しばしば「自己喪失」ということが云われる。では逆に、「自己」が「自己」を「獲得」しているのはどのような情況か。それは、「世界」の内で何者かとして在ることができるとき。則ち、「世界」が"存在の秩序(ontic logos)"として一つの安定した価値体系を成し、その内部において「自己」が意味を付与され在るべき場所に位置づけられているとき。しかし、近代以降、「自己」の存在根拠を基礎づけようとするのは当の「自己」自身となる。このような【超越論的】機制から次のことが帰結する。

    □ 自己喪失は不可避である。

    なぜなら、超越論的主観性は「自己」の存在根拠をその都度毎に対象化し否定し続けることで無限に遡及していこうとするのであり、ついに最終的な基礎づけへの到達は無限遠の彼方に遅延されることになるから。「けっきょく、この見馴れた感覚も、じつは真の記憶ではなく、いかにもそれらしくよそおわれた、偽の既知感にすぎなかったとすると……いまぼくが帰宅の途中だという、この判断だって、おなじく既知感を合理化するための、口実にしかすぎなかったことになり……そうなれば、自分自身さえ、もはや自分とは呼べない、疑わしいものになってしまうのだ」。

    自己は喪失するものとして在るしかない。こうした自己存在の無根拠性・虚無性に対する自覚が、欺瞞的な自己規定に安逸している日常性への頽落からの実存的覚醒の契機となる。それは、あらゆる概念的規定を虚偽として峻拒しようとするロマン主義的な自由への意志として現れる。「緊張感で、ぼくはほとんど点のようになる……暦に出ていないある日、地図にのっていない何処かで、ふと目を覚ましたような感じ……この充足を、どうしても脱走と呼びたいのなら、勝手に呼ぶがいい……海賊が、海賊になって、未知の大海めざして帆をあげるとき、あるいは盗賊が、盗賊になって、無人の砂漠や、森林や、都会の底へ、身をひそめるとき、彼等もおそらく、どこかで一度は、この点になった自分をくぐり抜けたに相違ないのだ……誰でもないぼくに、同情なんて、まっぴらさ……」。

    自由とは、自己を断片化しようとするあらゆる欺瞞的な意味の絶対的拒絶という不可能性においてのみ、無限遠における成就ならざる成就としてのみ、可能となる。「「彼」……どんな祭りへの期待にも、完全に背を向けてしまった、この人生の整理棚から、あえて脱出をこころみた「彼」……もしかしたら、決して実現されることのない、永遠の祝祭日に向って、旅立つつもりだったのではあるまいか」

    このような自己喪失の事態に対して、超越的な何かを仮構して喪失した自己を回復することは不可能である。なぜなら、あらゆる存在が超越論的主観性への表象として在る以外には在り得ないのであるから。一切の外部が無い。いかなる形而上学的逃避も予めその可能性は閉ざされている。この意味においてもまた、自己喪失は不可避である。取り戻すべき自己を探し求めるなどということは、全く無意味であるから。「だから君は、道を見失っても、迷うことはできないのだ」。道を見失っている、という情況から逃れることは永遠に不可能である。それ以外の情況は在り得ないのであるから。

    そして、失踪者を追う者がついに当の失踪者それ自体に反転することは不可避である。失踪者を追うという超越論的主観性の【超越論的】機制そのものが、失踪者を何者かたらしめようとする不可能性に不可避的に撞着する以外にないという点において、失踪者それ自体の在り方に他ならないのであるから。追う者の姿は失踪者の姿そのものである。こうして、失踪者は増殖していく以外にない。

    「探し出されたところで、なんの解決にもなりはしないのだ。今ぼくに必要なのは、自分で選んだ世界。自分の意志で選んだ、自分の世界でなければならないのだ」

    しかしその「世界」とは、決して肯定的に規定し得ないものではないか。掴み取っては投げ捨てるという無限の否定運動の裡においてしか在り得ないものではないか。

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    2018年12月24日
  • 燃えつきた地図(新潮文庫)

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    正確かもわからない地図、報告書、嘘かもしれない嘘、そういうものたちにしか立脚することのできない存在の不安が描かれる。ロブ=グリエの『消しゴム』をやたらと思い出させる、裏返しのモチーフが何度も出てくる。ただまあ個人的に文体があまり馴染まなかった。

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    2018年04月29日
  • 友達・棒になった男(新潮文庫)

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    「安部公房だから」とちょっと気合いを入れて読み始めたのだけど、地の文がないためか案外さらさらと読めた。

    『友達』は実際に起こっても不思議がないような変な説得力があった。
    『棒になった男』のボクシングシーンは赤子に読み聞かせた。
    『榎本武揚』は俺にもうちょっとレディネスがあれば楽しめたのかも。

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    2017年11月12日
  • 燃えつきた地図(新潮文庫)

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    夫が失踪した、という女性からの依頼を受けた調査員が巻き込まれる不可思議すぎる出来事のあれこれ。
    弟も謎なら夫も謎だし、決着つくかと思いきや、ラストますます迷子になるという……やはり安部公房であった。

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    2017年11月04日
  • 水中都市・デンドロカカリヤ(新潮文庫)

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    安部公房の短編集で、やはり不思議な世界観が詰め込まれた作品です。砂の女や箱男を気に入った人が読むと、この世界感がついていけない人が多いと思う。最近、小説は安部公房ばかりを読んでいて、その世界感と文体に想像の仕方になんだか変な癖ができてしまった。濃いメタファーの味付け料理で、なんだか舌が飽きてしまったような気がする。安部公房の作品はとても好きなのだけれど、どれも作品の根底にあるものが似ている気がしてならない。これは村上春樹にも感じる感覚。色んな深海に潜っても、見える世界は同じというか。

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    2017年01月17日
  • 密会(新潮文庫)

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    妻が救急車に誘拐されたり、二本のペニスを持つ馬人間から盗聴の書き下ろしを頼まれたり、溶骨症の少女との出会いなど、安倍公房ワールド全開な作品であった。物語の中心に「性」が置かれているのは理解できたが、あまりにぶっ飛んだ内容で、深い意味は十分には理解できなかった。

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    2016年12月12日
  • 友達・棒になった男(新潮文庫)

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    初めての戯曲だっけど、そんなに違和感はなかった。

    「友達」は闖入者が原作とすぐわかったので、
    闖入者を読んだ時のほうがインパクトが強かった。

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    2016年08月19日
  • 水中都市・デンドロカカリヤ(新潮文庫)

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    私は長編が好みなのだが、この短編集はそれはそれで面白かった。ドナルド・キーンさんの解説に同意。カフカと比較されることが多いし、結末は大抵不幸なのだが、なぜかカフカ作品に漂う救われなさは低め。

    それと、作者本人しか分からないことをほじくったり、カフカの影響のあるなしの論議にとらわれず、楽しめばいいに烈しく同意。読書会なるものにも参加し、夏目漱石の「こころ」については解説本なるものを読んでしまったが、その経験を経て、あまり重要ではないと思った。

    夢十夜もゆりがなにを意味するかを考えるより、私はその幻想的な光景を頭に描き出す方が好きだ。

    でも、この短編集は人間誰でもが持つ性情を大げさに描き出すとどの性質も怖いなぁという感想。

    「手」伝書鳩とその飼い主の輪廻転生の関係を描いた作品。なんだか、心に残った。

    「飢えた皮膚」は、ただ怖い。

    「闖入者」は民主主義の多数決に対する警鐘なのかな?ある日、家族が家や生活、お金を乗っ取り、反抗すると多数決による正義を主張されてしまう。少し怖い。

    「鉄砲屋」もどこか実際にありそうな範囲なのが安部作品の怖いところだ。死の商人についての話。

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    2016年07月11日
  • 友達・棒になった男(新潮文庫)

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    『友達』が特にいい。家族の個性あふれる挙動・言動がおもしろい。「男」とその「婚約者」とのあいだの間もさすがだ。

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    2015年12月31日
  • 密会(新潮文庫)

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    いわゆるスリップストリームぽい小説で、話の流れとしてはおいおいどこ行くんだよと感じますが、随所の比喩はさすがの安部公房でファンなら楽しめる一冊だと思います。ファンじゃないならもっと先に読む本があるかな。

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    2015年08月22日
  • 飢餓同盟(新潮文庫)

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    話の筋は置いておくにしても、なかなかに理解が難しい作品だった。結末も救いがない。
    本筋とは外れるが、私は著者の日本語の使い方が非常に好きである。個人的には三島由紀夫よりも素晴らしいと思っている。

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    2015年07月26日
  • 無関係な死・時の崖(新潮文庫)

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    しんみりしたり、ゾッとしたり、少しミステリーだったり、いろいろ楽しめる短編です。
    やっぱり阿部公房は面白い!

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    2015年01月19日
  • 方舟さくら丸(新潮文庫)

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    超久しぶりに読んだ安部公房。核戦争が起きるかもしれないと廃坑を船に見立てて立てこもる太った主人公と、それにまつわる人たちの微妙にへんちくりんなやり取りが延々と。核戦争、って辺りが時代を感じてやや古臭かったけど、へんちくりんなやり取りはいかにも。

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    2014年10月01日
  • 水中都市・デンドロカカリヤ(新潮文庫)

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    脳内宇宙です。
    いつも誰かに見張られているような視点があり、逃げたり、対峙したり、無視したり、囚われたり。
    脳内世界へようこそ。

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    2014年07月19日
  • 無関係な死・時の崖(新潮文庫)

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    再読。
    初めて読んだのは10年くらい前で表題作の「無関係な死」以外は印象が薄かったのだけど、今回は他の作品もじわじわ楽しめた。
    特に面白かったのは複雑な構造のビルが登場する「賭」、盲目の恋に警鐘を鳴らす(鳴らしてないか)「人魚伝」、ボクサーの孤独な戦いを描いた「時の崖」、そしてもちろん表題作の「無関係な死」。

    安部公房さんの小説に私はいいように振り回されてしまう。
    モグラ叩きやらワニワニパニックやらのようにあっちかと思ったらこっち、その次の瞬間にはまた別のところにいる。
    その混乱が不思議と癖になる。
    短編は混乱の度合い(?)がちょうど良い気がする。
    これが長編になるとまた大変で、以前は読み切れなかった。
    またチャレンジしてみよう。

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    2014年07月17日
  • 水中都市・デンドロカカリヤ(新潮文庫)

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    父親を名乗る男が奇怪な魚に生まれ変わり街が水中世界に変わっていく。青年が見慣れぬ植物になっていく。等々、阿部公房の傑作短編集。もちろん優れた文学なわけだが、まーぶっちゃけカフカのような世界観がマジキチw

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    2014年06月22日
  • 密会(新潮文庫)

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    なんともいえない破滅感のなかで脈略なきストーリーが進んでいく。失踪した妻を追うなかで出会う馬をはじめとした人々が主人公を崩壊させていく。
    エロスとユーモア散りばめられるが一寸先がわからない読み味により、何度も意識がとんでしまいそうになる。
    結末が気になり最後まで読ませてくれるが、本来は非常識が常識となる雰囲気を楽しむのがこの本の味わい方と考える。

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    2014年01月18日
  • 方舟さくら丸(新潮文庫)

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    もし自分がもぐらだったら、乗組員なんて求めずに
    それこそユープケッチャのように閉鎖的に生きていくのになぁー
    なんて思ってしまった。
    そして、それはもぐらより排他的な考えなんだと気づいてへこんだ。

    ラストはもぐらにとってハッピーエンドだったのか。バッドエンドだったのか。
    まっすぐ立っているつもりが、いつのまにか地面がぐるっとひっくり返って
    逆立ちさせられてるような気分。
    女への尻叩きで表現される駆け引きの変態性がたまらない。

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    2013年09月23日
  • 密会(新潮文庫)

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    安倍公房による、1977年の長編小説。

    社会には催淫表象が遍在している。文化的・欺瞞的意匠を施していても、一皮剥けばそこには性的欲望の蠢きがその生々しい貌を出す。現代社会を駆動させているものは、およそすべて「性」に根源をもっているのであるかのように。

    "それにしても、べらぼうな音の氾濫だった。追従、怒り、不満、嘲笑、ほのめかし、ねたみ、ののしり・・・・・・そしてそれらのすべてにちょっぴりずつ滲み込んでいる猥褻さ。"

    人間は、その剥き出しの性的欲望、セックスの無間地獄に落ち込んでいくしかないのか。ところでいま「地獄」と表現したが、そもそもそれは本当に「地獄」だろうか。「セックスは現代人に残された最後のオアシスだ」とは20世紀アメリカの作家ヘンリー・ミラーの言である。性の「地獄」に溺れていられるうちは、まだ幸福なのではないか。堕ちていく「地獄」が未だ仮構されている限りに於いて。性愛の幻想に目眩まされている振りをしていられる限りに於いて。その時には、未だ帰る場所が在る(ことになっている)のだ。

    人間とは、常にそこから(そこがどこであれ、そこから)引き剥がされる以外にない存在ではないか。とするならば、性そのものにさえ倦怠を覚えてしまえる存在ではないか。記号化・パターン化された性的意匠の順列・組合せは、所詮は有限なのだ。いつか、性による精神の暗い躍動すら存在しなくなり、ただただ形式を反復するだけの、自己完結的な自動人形のようになる日が来ないと云い切れるか。機械的な運動とそれに対する生理的反応以上ではなくなってしまう日が来ないと云い切れるか。今日の快楽が昨日の刺激の残夢となる日が来ないと云い切れるか。ヘンリー・ミラーに従うならば、性への倦怠こそ、日常性という受難の始まりではないか。そして倦怠は終わらない。

    地獄も、追われれば、ユートピアだ。

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    2013年09月24日