中島敦のレビュー一覧
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ネタバレ≪引用≫
地に落ちた矢が軽塵(けいじん)をも揚(あ)げなかったのは、両人の技がいずれも神(しん)に入っていたからであろう。
(なんじ)がもしこれ以上この道の蘊奥(うんのう)を極めたいと望むならば、ゆいて西の方(かた)大行(たいこう)の嶮(けん)に攀(よ)じ、霍山(かくざん)の頂を極めよ。そこには甘蠅(かんよう)老師とて古今(ここん)を曠(むな)しゅうする斯道(しどう)の大家がおられるはず。老師の技に比べれば、我々の射のごときはほとんど児戯(じぎ)に類する。の師と頼むべきは、今は甘蠅師の外にあるまいと。
「既に、我と彼との別、是と非との分を知らぬ。眼は耳のごとく、耳は鼻のごとく、鼻は口のごとく思われる。」というのが、老名人晩年の述懐(じゅっかい)である。
≪レビュー≫
中島敦を読んだのは初めてである。
漢文学者の父を持つ敦は、15歳にして3人の母親を持ったという。33歳で亡くなっている。
「名人伝」は、趙の邯鄲の都に住む天下第一の弓の名人になろうと志を立てた紀昌という男の物語である。
紀昌はまず、百歩を隔てて柳葉を射るに百発百中するという達人の飛衛に弟子入りする。飛衛の教えのままに弓の名手になった紀昌は、「天下第一の名人となるためには、どうあっても飛衛を除かねばならぬ」と飛衛に矢を向ける。この戦いは互角だったが、飛衛は身の危険を感じ、紀昌に新たな目標を与えた。それが甘蠅(かんよう)老師だった。
飛衛が「己の業が児戯に類する」というほどの甘蠅老師は、紀昌に「不射の射」を教える。
9年の歳月が流れ、山から降りた紀昌は、「以前の負けず嫌いな精悍な面魂はどこかに影をひそめ、なんの表情も無い、木偶のごとく愚者のごとき容貌に変って」いた。そして不思議なことに弓も矢も再び手にすることはなかったという。
やがて老いた紀昌は、「既に、我と彼との別、是と非との分を知らぬ。眼は耳のごとく、耳は鼻のごとく、鼻は口のごとく思われる」と述懐する。
不思議なエピソードが唯一残っている。知人の許に招かれた紀昌が、弓と矢を見て「 それは何と呼ぶ品物で、また何に用いるのか」と聞いたというのだ。射の名人たる紀昌は、既に弓を忘れてしまっていたのである。
物語の概要は上記の通りである。
とても不思議な話だ。
業の深奥を極めたはずの射の名人が、最後には弓の名前も使い方も忘れてしまっていたというのである。
名人というよりは神の域に達してしまった者にしか見えない世界がある、とも取れる話である。
興味深いのは、「神に入る」や「蘊奥を究め」などの表現が、囲碁名人の允許状や将棋名人の推戴状に通じているところだろう。
もしくはこの作品から取ったのかもしれない。
囲碁や将棋の物語を書くには、この話は使えるかもしれない。 -
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ネタバレ高校の国語の授業で「山月記」を学んだので、短編小説を挑戦してみたいと思った。
中国の古典に想を得ているので、1ページあたりの情報量で難しい漢字のオンパレードでちょっと読み飛ばす部分もあった。山月記は授業で読解したので読めたが、それ以外は個人で調べた。
『李陵』は、栄華を求める若者の葛藤や、家族間の確執をリアルに描いた作品である。人間の弱さや孤独を感じさせる物語であり、欲望や現実との葛藤が心に深く訴えかけるものだった。
『山月記』は、人間の欲望と現実、人と幽霊、現世とあの世の境界を巧みに描いた作品である。美しい景色と恐怖が交錯する中で、主人公の心理の葛藤が鮮やかに表現されている。
老師匠と若弟子の友情を描いた作品。弟子は老師匠の教えに感銘を受け、彼に尽くすが、やがて老師匠は病に倒れる。弟子は看病を続けるが、ついに老師匠はその世を去る。弟子は、彼の教えと人との繋がりを胸に新たな生き方を模索する。
『弟子』は、師弟の絆や人間の生と死について描いた感動的な作品である。弟子の純粋な心と老師匠の優しさが語りかけるようであり、読む者に感動を与える。
『名人伝』は、才能と嫉妬、師弟の葛藤を描いた秀作である。名人の苦悩や弟子の成長がリアルに描かれており、人間関係における複雑な感情が巧みに描かれている。
中島敦作『李陵・山月記・弟子・名人伝』は、人間の複雑な姿や感情を繊細に描いた作品集であり、深い感動と考えさせられるテーマが多く含まれている。 -
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戦前の作家、中島敦の代表作3作を、親しみやすい現代語訳で収録した一冊。
表題作の『山月記』は、李徴のように人間なら誰しも心の中に内なる虎を宿しているのだと、深く考えさせられる作品だった。自尊心や羞恥心という名の虎とどう折り合いをつけ、ままならない人生とどう直面すればいいのか。葛藤で激しく揺れ動く李徴の心情が、痛いほど響いた。
『名人伝』はガラリと雰囲気が変わる。弓の名人を目指す紀昌の修行は、常軌を逸したシリアスさでありながら、どこか過剰でコミカル。そのギャップにクスッとさせられつつも、一つの道を極めた先にある教訓めいたオチには、ハッとさせられた。
最後に収録されている『李陵』では、国家の理不尽に翻弄される将軍の運命が描かれる。祖国への忠義と裏切り、生への執着、そして武人としての誇り。極限状態の中で生きる李陵の葛藤の日々に、胸が抉られる思いだった。
いずれも漢学に精通した著者ならではの作品であり、人間の内なる心情に深くフォーカスした作品集だった。 -
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〈乙女の本棚シリーズ〉
中島敦+ねこ助
李徴は、かつての自らの行いに焦燥に駆られた時にはすでに遅く、発狂して飛び出した。
後に袁傪が、使いに出たところ猛虎に襲われかけるのだが、人間の呟き声に我が友ではないかと叫ぶ。
叢から出てこないわけを尋ねると今は、異類の身となり、そのあさましい姿を見せるわけにはいかないと。
なぜ虎の姿となったのか…
いや、初めから今の形のものだったと思えば、幸せなのか…
だが、人間だった記憶がなくなることを恐ろしく、哀しく、切なく思っているのかもしれない。
虎になったことで、己れの卑怯さや刻苦を厭う怠惰さに気がついた。
滂沱の涙を流して全てを悔いたとしても、もはやどうにも元には戻れない。
悲しくも深い話。