中島敦のレビュー一覧
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購入済み
日本語の色調の美しさ
入試の問題に出ていた際に読んだ程度で全てを深く読んだことはありませんでした。今回読めない漢字、意味が分からない言葉を調べつつ読みました。
とても美しく切なく優しく、そして残酷な物語でした。日本語の美しさが冷たく胸に刺さりました。 -
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ネタバレ国語の教科書に取り上げられた「山月記」ばかりクローズアップされるようだが私は「弟子」が好きである。
コレの原典は一応「論語」ということになるのかな。
「出来の悪い子ほど可愛い」という俗な心情とは違う、哀しき師弟愛だ。
おそらく孔子と子路は「理論と実践」で正反対の道を取ってしまったのだろう。
子路から見て孔子は理論ばかりで実践が伴わず、孔子から見て子路はその逆。
しかし膂力で注目される子路がその分野でも孔子に勝てなかったというのは彼がそれでも孔子を師と仰ぎ尊敬する原動力となっているだろうし、孔子も若い頃は子路のような腕力至上主義だったのではないだろうか。
そしてそれに限界を感じ弟子を育成する道を選んだのではないか。そもそも理論と実践、どちらかを疎かにせず双方のバランスを保つというのが孔子の教えである。
二人は根っ子の部分では親子のようによく似ていたと思うのだ。
「論語」で顔淵が死んだ時孔子は激しく泣いたと言うが、実はそれも主君が死んだ時に形だけでも泣き叫ぶ哭礼に似ているような気がしてくる。
それよりも殺された子路が膾切りにされたと聞いて以降膾を食わなくなったというエピソードの方が静かに哀しみを訴えかけてくるのだ。 -
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高校の現代文の授業で出会ってからずっとずっと読み返してる。自傷行為的な意味で読み返して鬱になるが、自戒としても読める。
◉人生は何事をも為なさぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短い
◉我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為である。己の珠に非ざることを惧れるが故に、敢て刻苦して磨こうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々として瓦に伍することも出来なかった。
臆病な自尊心→ 己の珠に非ざることを惧れるが故に、敢て刻苦して磨こうともせず
(自分には才能がないと分かってしまうことを恐れて必死に努力する事もせずに)
尊大な羞恥心→ 己の珠なるべきを半ば信ずるが故に碌々として瓦に伍することも出来なかった
(自分には才能があると信じていた信じたかったから他の凡人達と仲間になることもできなかった) -
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山月記が読みたくて買った本ですが、別のアンソロジーに収録してあり、読んでしまったため暫くは読まずに積読でした。
山月記から読み始めましたが、中国史は読みづらいな…なんて感想で始まりました。
李陵は読み始めればどうしても続きが気になり、中断しても、読書を再開すれば直ぐに物語の世界に入っていきました。
中国はおろか、中央アジアには行った事がありません。
でもなぜか、自分その地で李陵や司馬遷、蘇武をみているようでした。
胸が熱くなり、苦しくなり、故郷や義とはなんだろうかと思いました。
自分を疑ってせめて生きていくのは、環境が優しくても辛いものだろう。
これからの人生、どう生きていくのだろう、と思いました。
また中島敦さんの本を読みたいと思いましたし、今なら中国史の物語にチャレンジできる気がしています。
素敵なきっかけになりました。
読後はやや重たいですが、素晴らしい読書体験でした。 -
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岩波文庫 緑145-1
山月記・李陵 他九篇
著:中島 敦
出版社:岩波書店
文庫で1冊、中島敦がほしいとおもって購入する
逸品、名人伝と、文字禍がよい。
孔子、春秋戦国や、西遊記など中国に取材したもの、パラオ南洋庁時代に収集しただろう奇譚、そして、ペルシア、エジプトを舞台とする短編など、東洋、オセアニアを背景としたものが中心である。
国文学を修めたが、英語も堪能であったとある
芥川龍之介の再来を称えられた鬼才は、1942年33歳で喘息により他界する。
中島が長命であったら、戦後の文壇の様相はこれまでのものとは全く別なものになっていただろう。
あゝ、惜しいかな。
目次
李陵
弟子
名人伝
山月記
文字禍
悟浄出世
悟浄歎異
環礁
寂しい島
夾竹桃の家の女
ナポレオン
真昼
マリヤン
風物抄
牛人
狼疾記
斗南先生
解説
註
初出一覧
ISBN:9784003114513
判型:文庫
ページ数:384ページ
定価:1010円(本体)
1994年07月18日 第1刷発行
2007年05月23日 第21刷発行 -
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181P
目次
山月記
名人伝
弟子
李陵
写経するなら、中島敦の文章写経したい。
人生経験をして自分が変わると名作文学の味わいが変わるから年取るの楽しい。
中島敦の『悟浄出世』に出てくる妖怪の言葉への懐疑心超わかる。でも、言葉を軽蔑するのは化け物という皮肉も込められてるのかな?中島敦の多層的アイロニー?
中島敦が比喩的にロンドンの中心のチャリング・クロスから半径3マイルにのみ文学は在り得るって言ってるけど、そうだよね。赤道に近づくに連れて文学が無くなっていく傾向あるし、ヨーロッパでもスペイン・ポルトガルとかは何故か文学が極端に少ない傾向ある。
中島敦めちゃくちゃ好きな作家だと確信した。今まで山月記しか読んだこと無くて、山月記も凄すぎてずっと印象に残ってたけど、他の作品もこんな良いんだな。全集読みたいレベル。
中島敦
ナカジマ・アツシ
著者プロフィール
(1909-1942)東京に生れる。東京帝国大学国文科卒。横浜高女で教壇に立つ。宿痾の喘息と闘いながら習作を重ね、1934年、「虎狩」が雑誌の新人特集号の佳作に入る。1941年、南洋庁国語教科書編集書記としてパラオに赴任中「山月記」を収めた『古譚』を刊行、次いで「光と風と夢」が芥川賞候補となった。1942年、南洋庁を辞し、創作に専念しようとしたが、急逝。「弟子」「李陵」等の代表作の多くは死後に発表され、その格調高い芸術性が遅まきながら脚光を浴びた。享年33。
漢学者を祖父にもち、漢学の教養と広い読書に支えられた知性と感性を身に付けた中島敦は、前人未到の高い芸術性をもった作品群を残して夭折した。ここには「李陵」「弟子」「名人伝」「山月記」「文字禍」「悟浄出世」「悟浄歎異」「牛人」「光と風と夢」の代表作9編をおさめた。
「分らぬ。全く何事も我々には判らぬ。理由も分らずに押付けられたものを大人しく受取って、理由も分らずに生きて行くのが、我々生きものの「さだめ」だ。」
—『李陵―中島敦名作集』中島敦著
「人生は何事をも為さぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短いなどと口先ばかりの警句を弄しながら、事実は、才能の不足を暴露するかも知れないとの卑怯な危惧と、刻苦を厭う怠惰とが己の凡てだったのだ。己よりも遥かに乏しい才能でありながら、それを専一に磨いたがために、堂々たる詩家となった者が幾らでもいるのだ。虎と成り果てた今、己は漸くそれに気が付いた。それを思うと、己は今も胸を灼かれるような悔を感じる。己には最早人間としての生活は出来ない。たとえ、今、己が頭の中で、どんな優れた詩を作ったにしたところで、どういう手段で発表できよう。」
—『李陵―中島敦名作集』中島敦著
「彼は、ひどい近眼である。余り眼を近づけて書物ばかり読んでいるので、彼の鷲形の鼻の先は、粘土板と擦れ合って固い胼胝が出来ている。文字の精は、また、彼の脊骨をも蝕み、彼は、臍に顎のくっつきそうな傴僂である。しかし、彼は、恐らく自分が傴僂であることを知らないであろう。」
—『李陵―中島敦名作集』中島敦著
「いつのころから、また、何が因でこんな病気になったか、悟浄はそのどちらをも知らぬ。ただ、気がついたらそのときはもう、このような厭わしいものが、周囲に重々しく立罩めておった。渠は何をするのもいやになり、見るもの聞くものがすべて渠の気を沈ませ、何事につけても自分が厭わしく、自分に信用がおけぬようになってしもうた。何日も何日も洞穴に籠って、食を摂らず、ギョロリと眼ばかり光らせて、渠は物思いに沈んだ。不意に立上がってその辺を歩き廻り、何かブツブツ独り言をいいまた突然すわる。その動作の一つ一つを自分では意識しておらぬのである。どんな点がはっきりすれば、自分の不安が去るのか。それさえ渠には解らなんだ。ただ、今まで当然として受取ってきたすべてが、不可解な疑わしいものに見えてきた。今まで纏まった一つのことと思われたものが、バラバラに分解された姿で受取られ、その一つの部分部分について考えているうちに、全体の意味が解らなくなってくるといったふうだった。」
—『李陵―中島敦名作集』中島敦著
「次に悟浄が行ったのは、沙虹隠士のところだった。これは、年を経た蝦の精で、すでに腰が弓のように曲がり、半ば河底の砂に埋もれて生きておった。悟浄はまた、三月の間、この老隠士に侍して、身の廻りの世話を焼きながら、その深奥な哲学に触れることができた。老いたる蝦の精は曲がった腰を悟浄にさすらせ、深刻な顔つきで次のように言うた。「世はなべて空しい。この世に何か一つでも善きことがあるか。もしありとせば、それは、この世の終わりがいずれは来るであろうことだけじゃ。別にむずかしい理窟を考えるまでもない。我々の身の廻りを見るがよい。絶えざる変転、不安、懊悩、恐怖、幻滅、闘争、倦怠。まさに昏々昧々紛々若々として帰するところを知らぬ。我々は現在という瞬間の上にだけ立って生きている。しかもその脚下の現在は、ただちに消えて過去となる。次の瞬間もまた次の瞬間もそのとおり。ちょうど崩れやすい砂の斜面に立つ旅人の足もとが一足ごとに崩れ去るようだ。我々はどこに安んじたらよいのだ。停まろうとすれば倒れぬわけにいかぬゆえ、やむを得ず走り下り続けているのが我々の生じゃ。幸福だと? そんなものは空想の概念だけで、けっして、ある現実的な状態をいうものではない。果敢ない希望が、名前を得ただけのものじゃ」」
—『李陵―中島敦名作集』中島敦著
「「心を深く潜ませて自然をごらんなさい。雲、空、風、雪、うす碧い氷、紅藻の揺れ、夜水中でこまかくきらめく珪藻類の光、鸚鵡貝の螺旋、紫水晶の結晶、柘榴石の紅、螢石の青。なんと美しくそれらが自然の秘密を語っているように見えることでしょう」彼の言うことは、まるで詩人の言葉のようだった。「それだのに、自然の暗号文字を解くのも今一歩というところで、突然、幸福な予感は消去り、私どもは、またしても、美しいけれども冷たい自然の横顔を見なければならないのです」と、また、別の弟子が続けた。「これも、まだ私どもの感覚の鍛錬が足りないからであり、心が深く潜んでいないからなのです。私どもはまだまだ努めなければなりません。やがては、師のいわれるように『観ることが愛することであり、愛することが創造ることである』ような瞬間をもつことができるでしょうから」」
—『李陵―中島敦名作集』中島敦著
「しかし、一概に考えることが悪いとは言えないのであって、考えない者の幸福は、船酔いを知らぬ豚のようなものだが、ただ考えることについて考えることだけは禁物であるということについて」」
—『李陵―中島敦名作集』中島敦著
「愛するとは、より高貴な理解のしかた。行なうとは、より明確な思索のしかたであると知れ。何事も意識の毒汁の中に浸さずにはいられぬ憐れな悟浄よ。我々の運命を決定する大きな変化は、みんな我々の意識を伴わずに行なわれるのだぞ。考えてもみよ。お前が生まれたとき、お前はそれを意識しておったか?」」
—『李陵―中島敦名作集』中島敦著
「た。「誰も彼も、えらそうに見えたって、実は何一つ解ってやしないんだな」と悟浄は独言を言いながら帰途についた。「『お互いに解ってる「ふり」をしようぜ。解ってやしないんだってことは、お互いに解り切ってるんだから』という約束のもとにみんな生きているらしいぞ。こういう約束がすでに在るのだとすれば、それをいまさら、解らない解らないと言って騒ぎ立てる俺は、なんという気の利かない困りものだろう。まったく」」
—『李陵―中島敦名作集』中島敦著
「俺は、悟空の文盲なことを知っている。かつて天上で弼馬温なる馬方の役に任ぜられながら、弼馬温の字も知らなければ、役目の内容も知らないでいたほど、無学なことをよく知っている。しかし、俺は、悟空の(力と調和された)智慧と判断の高さとを何ものにも優して高く買う。悟空は教養が高いとさえ思うこともある。少なくとも、動物・植物・天文に関するかぎり、彼の知識は相当なものだ。彼は、たいていの動物なら一見してその性質、強さの程度、その主要な武器の特徴などを見抜いてしまう。雑草についても、どれが薬草で、どれが毒草かを、実によく心得ている。そのくせ、その動物や植物の名称(世間一般に通用している名前)は、まるで知らないのだ。彼はまた、星によって方角や時刻や季節を知るのを得意としているが、角宿という名も心宿という名も知りはしない。二十八宿の名をことごとくそらんじていながら実物を見分けることのできぬ俺と比べて、なんという相異だろう! 目に一丁字のないこの猴の前にいるときほど、文字による教養の哀れさを感じさせられることはない。」
—『李陵―中島敦名作集』中島敦著
「あの弱い師父の中にある・この貴い強さには、まったく驚嘆のほかはない。内なる貴さが外の弱さに包まれているところに、師父の魅力があるのだと、俺は考える。もっとも、あの不埒な八戒の解釈によれば、俺たちの――少なくとも悟空の師父に対する敬愛の中には、多分に男色的要素が含まれているというのだが。」
—『李陵―中島敦名作集』中島敦著
「金剛石と炭とは同じ物質からでき上がっているのだそうだが、その金剛石と炭よりももっと違い方のはなはだしいこの二人の生き方が、ともにこうした現実の受取り方の上に立っているのはおもしろい。そして、この「必然と自由の等置」こそ、彼らが天才であることの徴でなくてなんであろうか?」
—『李陵―中島敦名作集』中島敦著
「星というやつは、以前から、永遠だの無限だのということを考えさせるので、どうも苦手だ。それでも、仰向いているものだから、いやでも星を見ないわけにいかない。」
—『李陵―中島敦名作集』中島敦著
「斯くて、若くして自分の寿命の短かいであろうことを覚悟させられた時、当然、一つの安易な将来の途が思浮かべられた。ディレッタントとして生きること。骨身を削る制作から退いて、何か楽な生業に就き、(彼の父は相当に富裕だったのだから)知能や教養は凡て鑑賞と享受とに用いること。何と美しく楽しい生き方であろう! 事実、彼は鑑賞家としても第二流には堕ちない自信があった。」
—『李陵―中島敦名作集』中島敦著
「私の今の人気(?)が何時迄続くものか、私は知らない。私は未だに大衆を信ずることが出来ない。彼等の批判は賢明なのか、愚かしいのか? 混沌の中からイリアッドやエネイドを選び残した彼等は、賢いといわねばなるまい。しかも、現実の彼等が義理にも賢明といえるだろうか? 正直な所、私は彼等を信用していないのだ。しかし、それなら私は一体誰の為に書く? 矢張、彼等の為に、彼等に読んで貰う為に書くのだ。その中の優れた少数者の為に、などというのは、明らかに嘘だ。少数の批評家にのみ褒められ、その代り大衆に顧みられなくなったとしたら、私は明らかに不幸であろう。私は彼等を軽蔑し、しかも全身的に彼等に凭りかかっている。我が儘息子と、無知で寛容な其の父親?」
—『李陵―中島敦名作集』中島敦著
「此の地の生活の齎した利益の一つは、ヨーロッパ文明を外部から捉われない眼で観ることを学んだ点だ。ゴスが言っているそうだ。「チャリング・クロスの周囲三哩以内の地にのみ、文学は在り得る。サモアは健康地かも知れないが、創作には適さない所らしい」と。或る種の文学に就いては、之は本当かも知れぬ。が、何という狭い捉われた文学観であろう!」
—『李陵―中島敦名作集』中島敦著
「真の芸術は(仮令、ルソーのそれの如きものではなくとも、何等かの形で)自己告白でなければならぬという議論を、雑誌で読んだ。色々な事を言う人があるものだ。自分の恋人ののろけ話と、自分の子供の自慢話と、(もう一つ、昨夜見た夢の話と)――当人には面白かろうが、他人にとって之くらい詰まらぬ莫迦げたものがあるだろうか?」
—『李陵―中島敦名作集』中島敦著
「全く何事も我々には判らぬ。理由も分らずに押付けられたものを大人しく受取って、理由も分らずに生きて行くのが、我々生きもののさだめだ。」
—『李陵・山月記(新潮文庫)』中島敦著
「楚が呉を伐った時、工尹商陽という者が呉の師を追うたが、同乗の王子棄疾に「王事なり。子、弓を手にして可なり。」といわれて始めて弓を執り、「子、之を射よ。」と勧められて漸く一人を射斃した。しかし直ぐに又弓を に収めて了った。再び促されて又弓を取出し、あと二人を斃したが、一人を射る毎に目を掩うた。さて三人を斃すと、「自分の今の身分ではこの位で充分反命するに足るだろう。」とて、車を返した。 この話を孔子が伝え聞き、「人を殺すの中、又礼あり。」と感心した。子路に言わせれば、しかし、こんなとんでもない話はない。殊に、「自分としては三人斃した位で充分だ。」などという言葉の中に、彼の大嫌いな・一身の行動を国家の休戚より上に置く考え方が余りにハッキリしているので、腹が立つのである。彼は怫然として孔子に喰って掛かる。「人臣の節、君の大事に当りては、唯力の及ぶ所を尽くし、死して而して後に已む。夫子何ぞ彼を善しとする?」孔子もさすがにこれには一言も無い。笑いながら答える。「然り。汝の言の如し。吾、ただ其の、人を殺すに忍びざるの心あるを取るのみ。」」
—『李陵・山月記(新潮文庫)』中島敦著
「当座の盲目的な獣の苦しみに代って、より意識的な・人間の苦しみが始まった。困ったことに、自殺できないことが明らかになるにつれ、自殺によっての外に苦悩と恥辱とから逃れる途の無いことが益々明らかになってきた。一個の丈夫たる太史令司馬遷は天漢三年の春に死んだ、そして、その後に、彼の書残した史をつづける者は、知覚も意識もない一つの書写機械に過ぎぬ、――自らそう思い込む以外に途は無かった。無理でも、彼はそう思おうとした。修史の仕事は必ず続けられねばならぬ。これは彼にとって絶対であった。修史の仕事のつづけられるためには、如何にたえがたくとも生きながらえねばならぬ。生きながらえるためには、どうしても、完全に身を亡きものと思い込む必要があったのである。 五月の後、司馬遷は再び筆を執った。歓びも昂奮も無い・ただ仕事の完成への意志だけに鞭打たれて、傷いた脚を引摺りながら目的地へ向う旅人のように、とぼとぼと稿を継いで行く。最早太史令の役は免ぜられていた。些か後悔した武帝が、暫く後に彼を中書令に取立てたが、官職の黜陟の如きは、彼にとってもう何の意味もない。以前の論客司馬遷は、一切口を開かずなった。笑うことも怒ることも無い。しかし、決して悄然たる姿ではなかった。寧ろ、何か悪霊にでも取り憑かれているようなすさまじさを、人々は緘黙せる彼の風貌の中に見て取った。夜眠る時間をも惜しんで彼は仕事をつづけた。一刻も早く仕事を完成し、その上で早く自殺の自由を得たいとあせっているもののように、家人等には思われた。」
—『李陵・山月記(新潮文庫)』中島敦著
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Posted by ブクログ
人間の本質とは何か、人としてどう生きるべきかを考えさせられました。中島敦の4作品がおさめられています。漢語が多く使われているため、とっつきにくく思われますが、4作品いずれも内容が濃く、印象に残る作品ばかりです。
「山月記」
詩人に成りそこなって虎になった男、李徴のお話。高校生のとき授業で出会った作品。恐怖を覚え、自分の日頃の行いを振り返らざるを得ない気持ちに駆られた記憶。今読んでもゾクっとする。
「名人伝」
射術を極める男、紀晶のお話。本物の人物とはいかなる人物か、一芸に秀でるとはどういうことか考えさせられる。書も同様で初めは技巧の上達にばかりにとらわれる。“よく拙を蔵す”という言葉があるが、精神面を疎かにしてはいけない。素心を求めて徹底して学ぶことが書学の第一義。共通点を感じた。
「弟子」
孔子とその弟子の関わり。主要人物は子路。子路の孔子へのリスペクトは最上級。彼の最期は、いたましい。
「李陵」
李陵、司馬遷、蘇武3人が対比されることで、1人ひとりの心理や生き方が鮮明になっている。李陵の“天は見ている”という言葉が突き刺さる。司馬遷は『史記』執筆中に李陵をかばったため、去勢される刑に処せられた。彼の辛さがひしひしと伝わる。 -
Posted by ブクログ
表題作「山月記」は言わずとしれた名作だが、「文字禍」「狼疾記」「環礁(ミクロネシヤ巡島記抄)」が特に好き。
「李陵」は読むのが大変で、まだあまり良さが分からない。
心の揺れ、自問自答、自意識、存在の不確かさ あたりがテーマになると思う。
とにかく文章が綺麗で、漢文的で硬いが意外と読みやすい。
思うに、ある種の人にとっては時代を超えた普遍性がある内容なので、波長が合えばするすると入ってくる。
狼疾記に書かれてる苦しみとか、本当にわかる、わかる、と思う。
中島敦は身体が弱いし当時の医療の質は推して知るところなので私なんかよりよほど苦しいんだけど。
狼疾記や環礁を読んでから山月記を振り返ると、より深く中身を掴めると思う。
妻子を日本に残しての南洋庁での官吏としての経験とか、女学校の講師をしながら小説家を志向して原稿を書き溜めていたこととか。
他の作品よりも一層実感のこもったものだったのかな?と伺えるので、やはり「山月記」は作者の代表作で、名作なんだなと思う。
もっと長く生きててくれればと思わずにはいられないが、病気であることと文学性が深く結びついてるのも難しい… -
Posted by ブクログ
ネタバレ## 感想
『李陵』は勇猛な将である李陵が敵軍に捕えられ、祖国へ帰りたいと思いながらもその祖国から辛い目に遭わされ、捕えられた敵軍の中にも好人物や良い風土があることを知り、葛藤する話。
途中、同じく漢にいた蘇武という人と会う。
この蘇武は同じような境遇ながらに祖国を愛し続けていて、しかも最後には運良く漢に帰れることになる。
そんな李陵を見て嫉妬や羨みのような感情を覚えて悲しむ李陵の心中は計り知れない。
私たちは常に何かに所属している。
家族、学校、会社、国。
自分が属するものが信じられなくなることは、どんな気持ちだろう。
こんな風に祖国に裏切られるなら、確かに諦めてしまうかもしれない。
私も、絶望して、諦めて、蘇武のようには生きられず、李陵のように祖国を恨み続ける。
今の自分が日本に生きて、会社で働き、家族とともに過ごしていられるのは、当たり前のことではないのだということを、こうした歴史を知ると常に思う。
『弟子』は、孔子の弟子である子路に焦点を当てた物語。
子路から見た孔子や周りの国々の姿を見るうちに、その報われなさに辛くなる。
> いかなる場合にも絶望せず、けっして現実を軽蔑せず、与えられた範囲で常に最善を尽くすという師の智慧の大きさもわかるし、常に後世の人に見られていることを意識しているような孔子の挙措の意味も今にして初めて頷けるのである。(p95)
>
孔子の弟子、子路が長い放浪の旅のなかで孔子に対して思うこと。
一言にまとめると簡単に見えるが、難しいことだ。
「与えられた範囲で最善を尽くす」ことが、今の世の一員である私たちがやることだ。
常に後世の人に見られていると思って、最善を尽くす。
自分もそうありたいと思う。
『名人伝』は、弓の修行をする紀昌という人の物語。
「まばたきをするな」「目を良くしろ」という師の指示に従って、長年かけて鍛錬を行う紀昌はめきめき上達する。
しかしある時、「もう師を超えてるよな?師さえいなければ俺が最強だよな?」というようなことを考え、師に向かって矢を放つ。
それは失敗するが、それまで素直に修行していた紀昌の印象がだいぶ悪くなった。
その後、紀昌はさらなる高みを目指して、山にいる仙人のような人に教えを乞う。
また長年の修行を経て、今度は弓を持たなくなった。
『名人伝』では多分、「名人になるほど物にこだわらない」というか、ただ技術云々を鍛えるのではなくて、世界そのものと繋がるのだ、というようなことを言いたいのかなあと思ったが、私は紀昌が長い年月をかけて素直に単調な修行を実施する場面が良いと思った。
才能は大切だが、それ以上に努力を積み上げることだ。
『山月記』は、虎になった李徴の語りがメインの話。
こんな文章が印象的だった。
> もちろん、かつての郷党の鬼才といわれた自分に、自尊心がなかったとは言わない。しかし、それは臆病な自尊心とでもいうべきものであった。己の詩によって名を成そうと思いながら、進んで師についたり、求めて詩友と交わって切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。かといって、また、己は俗物の間に伍することも潔しとしなかった。ともに、わが臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為である。己の珠に非ざることを怖れるがゆえに、あえて刻苦して磨こうともせず、また、己が珠なるべきを半ば信ずるがゆえに、碌々として瓦に伍することもできなかった。己はしだいに世と離れ、人と遠ざかり、憤悶と慙イとによってます
ます己の内なる臆病な自尊心を飼いふとらせる結果になった。(p124)
>
「臆病な自尊心と、尊大な羞恥心」とは凄まじい表現だと思う。
「この尊大な羞恥心が猛獣、虎だった」とその後に続く。
誰しも皆、傷つきたくはない。
『悟浄出世』は、西遊記で有名な妖怪である沙悟浄が主役の話。
沙悟浄が人生に悩み、様々な人に話を聞きに旅に出る。
旅の果て、こんなことを思う。
> 昔の自分は愚かではあっても、少なくとも今よりは、しっかりとした、それはほとんど肉体的な感じで、とにかく自分の重量を有っていたように思う。それが今は、まるで重量のない・吹けば飛ぶようなものになってしまった。先からいろんな模様を塗り付けられはしたが、中味のまるでないものに。(p151)
>
色々な偉い人の話に触れた末に、「なんだか薄っぺらいものになってしまった」と思う沙悟浄。しかしその後、沙悟浄はある考えに至る。
> とにかく、自分でもまだ知らないでいるに違いない自己を試み展開してみようという勇気が出てきた。躊躇する前に試みよう。結果の成否は考えずに、ただ、試みるために全力を挙げて試みよう。決定的な失敗に帰したっていいのだ。今までいつも、失敗への危側から努力を放棄していた彼が、骨折り損を厭わないところにまで昇華されてきたのである。(p156)
>
「考えるよりやってみよう」という考えに、考えに考えた末になったのは面白い。そしてこれは私自身も大切にしている考えだ。あれこれ考えると、良くないことが頭をよぎり、身動きできなくなる。誰も人生の正解なんてわからないのだから、やるだけやってみればいいのだ。家族を不幸にするようなこと以外は。
『悟浄歎異』は、先程の『悟浄出世』の沙悟浄の手記という体の物語。孫悟空の天才性や、三蔵法師の素晴らしさが沙悟浄目線で語られる。
こんな文章がある。
> 外面的な困難にぶつかったとき、師父は、それを切抜ける途を外に求めずして、内に求める。つまり自分の心をそれに耐えうるように構えるのである。いや、そのとき慌てて構えずとも、外的な事故によって内なるものが動揺を受けないように、平生から構えができてしまっている。いつどこで窮死してもなお幸福でありうる心を、師はすでに作り上げておられる。(p176)
>
三蔵法師は問題を切り抜ける道を外でなく内に求めると言う。
自分の心の有り様で世界の捉え方は違う。
同じ物事を見るのも、考え方次第だ。
### まとめ
それぞれの短編は中国の古典を題材にしていて、芥川龍之介のような寓話的な雰囲気がある。
史実のような話の中に、人間の嫌なところが滲み出るように描かれていて、「ああ、こんな気持ちになることあるよなあ」と思う。
特に私は「山月記」が好きだ。
自分が何者かであると信じながらも挫折し、自己理解に苦しみながらも諦められずに、「せめて少しだけでも」と自分の生きた証を残そうとする。
世界の歴史と比べて、人生は短い。
その中でもがき苦しみ、何かを残そうとしてきた人たちがいたから、今の世界はある。
名前も残らないような大勢の人の仕事の上に世界は成り立っている。
自分もその世界の歯車の一つとして、何か形として残して死んでいきたいものだと考えているし、そのように行動するよう心掛けている。
だから「山月記」の李徴の痛みは刺さる。
中島敦自身、こうした苦心があったのかもしれない。
作家は孤独だろうから。
でも、こうして中島敦自身が亡くなった後もたくさんの人に作品が読まれていることを思うと、李徴は少し報われたのか?と考えたりもする。
「山月記」の李徴のように、「弟子」の孔子のように、私も後世の人に何を残していけるような人間でありたい。 -
Posted by ブクログ
乙女の本棚シリーズから、ねこ助さんの「ビルディング 乙女の本棚作品集」です。収録されてるのは、新見南吉『赤とんぼ』、中島敦『山月記』、太宰治『魚服記』、堀辰雄『鼠』、夢野久作『ルルとミミ』のイラストの中から、ねこ助さん自身が選んだ作品です。このほかに描き下ろしとして、夢野久作『ビルディング』が新たに収録されています。
これまでの「乙女の本棚作品集」(しきみさん、ホノジロトヲジさん)と同様、『ビルディング』以外の作品については本編を読むことはできません。イラストを眺めながら、あぁ…そうそう、こんなストーリーだったなぁ…と、思い出す感じですので、本編を読まれてからこの作品週を手にしたほうがよいかと感じました。または、この作品集から入って気になるものを本編で読まれるとかもいいですね!
『ビルディング』は巻末から読めるようになっており、そのイラストはねこ助さんらしい繊細なタッチで可愛さと、あとこの作品ならではの怖さを感じることができます。夜中に目が覚めると…みたいな感じ!エンディングにぞわっとしました。
これで作品集は3作品入手しました!リアルの本棚に並べて飾ろうと思ってます(^-^) -
Posted by ブクログ
表紙や作者の紹介ページで使われるイラストがとても美しい。適度に服装、髪型は本人の雰囲気を残しつつ、完璧に美化されていてイラストレーターの腕の良さにたまげる。
文豪たちの最後の作品を集めた本で、まとめて読むとその文豪らしさがよく感じられて良い。
芥川の「歯車」 私も偏頭痛持ちだからこの現象(閃輝暗点)よくわかる!と共感するとともに、精神病になりやすい家系の人なんじゃないかと邪推してしまった。
太宰の「グッド・バイ」 女性関係の華やかな作者の理想の別れ方を描こうとして、結末までいかなかったのは収集つかなかったのかな、と思った。
梶井「のんきな患者」 若い頃から結核を患ってたから、今回の主人公も病気。よく作品を作り続けたと思うし、結核患者を描かせたらリアリティがピカイチだよね。
中島の「李陵」 平時に読むと、また中国の故事みたいな話を書いてるな。言葉遣いも難しいし、タネがあるんだろうなくらいしか思わないが。
今回少し仕事で辛い時に読んだので、祖国を離れ、善戦したのに家族を皆殺しにされた李陵の苦しみと比べれば、私の悩みなんて大したことないではないかと励まされた。
泉鏡花 「縷紅新草」 ちょうど泉鏡花題材の朗読劇を観た直後に読んだ。その作品も男性(泉鏡花)と若い女性の会話劇だったので全力で演者だった櫻井孝宏さんの声を思い出しながら読んだ。 -
Posted by ブクログ
「山月記」を高校生の頃に初めて読んだとき、格調高い文体や比喩の妙に心を奪われた。しかし再読した今、最も胸を打ったのは李徴の内面である。彼が味わった孤絶、人としての道を踏み外した悔恨、理想と現実の乖離から生じる自己否定、そのすべてが痛切に迫ってきた。特に「己の毛皮の濡れたのは、夜露のためばかりではない。」という一文に宿る、言葉にならない悲しみが深く響いた。夜露では覆いきれない涙や苦悩、誰にも理解されないまま時だけが過ぎていく空虚さが、その短い表現に凝縮されているように感じた。当時は気づけなかった“距離”―人間関係の中にある微細な断絶、孤独の輪郭、そして胸を灼く後悔。それらを今では読み取れるようになった。李徴の絶望は悲劇ではなく、人間が陥りうる普遍的な罠なのだと気づき、胸が締めつけられた。