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人はいかなる時に、人を捨てて畜生に成り下がるのか。中国の古典に想を得て、人間の心の深奥を描き出した「山月記」。母国に忠誠を誓う李陵、孤独な文人・司馬遷、不屈の行動人・蘇武、三者三様の苦難と運命を描く「李陵」など、三十三歳の若さでなくなるまで、わずか二編の中編と十数編の短編しか残さなかった著者の、短かった生を凝縮させたような緊張感がみなぎる名作四編を収める。
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Posted by ブクログ
181P 目次 山月記 名人伝 弟子 李陵 写経するなら、中島敦の文章写経したい。 人生経験をして自分が変わると名作文学の味わいが変わるから年取るの楽しい。 中島敦の『悟浄出世』に出てくる妖怪の言葉への懐疑心超わかる。でも、言葉を軽蔑するのは化け物という皮肉も込められてるのか...続きを読むな?中島敦の多層的アイロニー? 中島敦が比喩的にロンドンの中心のチャリング・クロスから半径3マイルにのみ文学は在り得るって言ってるけど、そうだよね。赤道に近づくに連れて文学が無くなっていく傾向あるし、ヨーロッパでもスペイン・ポルトガルとかは何故か文学が極端に少ない傾向ある。 中島敦めちゃくちゃ好きな作家だと確信した。今まで山月記しか読んだこと無くて、山月記も凄すぎてずっと印象に残ってたけど、他の作品もこんな良いんだな。全集読みたいレベル。 中島敦 ナカジマ・アツシ 著者プロフィール (1909-1942)東京に生れる。東京帝国大学国文科卒。横浜高女で教壇に立つ。宿痾の喘息と闘いながら習作を重ね、1934年、「虎狩」が雑誌の新人特集号の佳作に入る。1941年、南洋庁国語教科書編集書記としてパラオに赴任中「山月記」を収めた『古譚』を刊行、次いで「光と風と夢」が芥川賞候補となった。1942年、南洋庁を辞し、創作に専念しようとしたが、急逝。「弟子」「李陵」等の代表作の多くは死後に発表され、その格調高い芸術性が遅まきながら脚光を浴びた。享年33。 漢学者を祖父にもち、漢学の教養と広い読書に支えられた知性と感性を身に付けた中島敦は、前人未到の高い芸術性をもった作品群を残して夭折した。ここには「李陵」「弟子」「名人伝」「山月記」「文字禍」「悟浄出世」「悟浄歎異」「牛人」「光と風と夢」の代表作9編をおさめた。 「分らぬ。全く何事も我々には判らぬ。理由も分らずに押付けられたものを大人しく受取って、理由も分らずに生きて行くのが、我々生きものの「さだめ」だ。」 —『李陵―中島敦名作集』中島敦著 「人生は何事をも為さぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短いなどと口先ばかりの警句を弄しながら、事実は、才能の不足を暴露するかも知れないとの卑怯な危惧と、刻苦を厭う怠惰とが己の凡てだったのだ。己よりも遥かに乏しい才能でありながら、それを専一に磨いたがために、堂々たる詩家となった者が幾らでもいるのだ。虎と成り果てた今、己は漸くそれに気が付いた。それを思うと、己は今も胸を灼かれるような悔を感じる。己には最早人間としての生活は出来ない。たとえ、今、己が頭の中で、どんな優れた詩を作ったにしたところで、どういう手段で発表できよう。」 —『李陵―中島敦名作集』中島敦著 「彼は、ひどい近眼である。余り眼を近づけて書物ばかり読んでいるので、彼の鷲形の鼻の先は、粘土板と擦れ合って固い胼胝が出来ている。文字の精は、また、彼の脊骨をも蝕み、彼は、臍に顎のくっつきそうな傴僂である。しかし、彼は、恐らく自分が傴僂であることを知らないであろう。」 —『李陵―中島敦名作集』中島敦著 「いつのころから、また、何が因でこんな病気になったか、悟浄はそのどちらをも知らぬ。ただ、気がついたらそのときはもう、このような厭わしいものが、周囲に重々しく立罩めておった。渠は何をするのもいやになり、見るもの聞くものがすべて渠の気を沈ませ、何事につけても自分が厭わしく、自分に信用がおけぬようになってしもうた。何日も何日も洞穴に籠って、食を摂らず、ギョロリと眼ばかり光らせて、渠は物思いに沈んだ。不意に立上がってその辺を歩き廻り、何かブツブツ独り言をいいまた突然すわる。その動作の一つ一つを自分では意識しておらぬのである。どんな点がはっきりすれば、自分の不安が去るのか。それさえ渠には解らなんだ。ただ、今まで当然として受取ってきたすべてが、不可解な疑わしいものに見えてきた。今まで纏まった一つのことと思われたものが、バラバラに分解された姿で受取られ、その一つの部分部分について考えているうちに、全体の意味が解らなくなってくるといったふうだった。」 —『李陵―中島敦名作集』中島敦著 「次に悟浄が行ったのは、沙虹隠士のところだった。これは、年を経た蝦の精で、すでに腰が弓のように曲がり、半ば河底の砂に埋もれて生きておった。悟浄はまた、三月の間、この老隠士に侍して、身の廻りの世話を焼きながら、その深奥な哲学に触れることができた。老いたる蝦の精は曲がった腰を悟浄にさすらせ、深刻な顔つきで次のように言うた。「世はなべて空しい。この世に何か一つでも善きことがあるか。もしありとせば、それは、この世の終わりがいずれは来るであろうことだけじゃ。別にむずかしい理窟を考えるまでもない。我々の身の廻りを見るがよい。絶えざる変転、不安、懊悩、恐怖、幻滅、闘争、倦怠。まさに昏々昧々紛々若々として帰するところを知らぬ。我々は現在という瞬間の上にだけ立って生きている。しかもその脚下の現在は、ただちに消えて過去となる。次の瞬間もまた次の瞬間もそのとおり。ちょうど崩れやすい砂の斜面に立つ旅人の足もとが一足ごとに崩れ去るようだ。我々はどこに安んじたらよいのだ。停まろうとすれば倒れぬわけにいかぬゆえ、やむを得ず走り下り続けているのが我々の生じゃ。幸福だと? そんなものは空想の概念だけで、けっして、ある現実的な状態をいうものではない。果敢ない希望が、名前を得ただけのものじゃ」」 —『李陵―中島敦名作集』中島敦著 「「心を深く潜ませて自然をごらんなさい。雲、空、風、雪、うす碧い氷、紅藻の揺れ、夜水中でこまかくきらめく珪藻類の光、鸚鵡貝の螺旋、紫水晶の結晶、柘榴石の紅、螢石の青。なんと美しくそれらが自然の秘密を語っているように見えることでしょう」彼の言うことは、まるで詩人の言葉のようだった。「それだのに、自然の暗号文字を解くのも今一歩というところで、突然、幸福な予感は消去り、私どもは、またしても、美しいけれども冷たい自然の横顔を見なければならないのです」と、また、別の弟子が続けた。「これも、まだ私どもの感覚の鍛錬が足りないからであり、心が深く潜んでいないからなのです。私どもはまだまだ努めなければなりません。やがては、師のいわれるように『観ることが愛することであり、愛することが創造ることである』ような瞬間をもつことができるでしょうから」」 —『李陵―中島敦名作集』中島敦著 「しかし、一概に考えることが悪いとは言えないのであって、考えない者の幸福は、船酔いを知らぬ豚のようなものだが、ただ考えることについて考えることだけは禁物であるということについて」」 —『李陵―中島敦名作集』中島敦著 「愛するとは、より高貴な理解のしかた。行なうとは、より明確な思索のしかたであると知れ。何事も意識の毒汁の中に浸さずにはいられぬ憐れな悟浄よ。我々の運命を決定する大きな変化は、みんな我々の意識を伴わずに行なわれるのだぞ。考えてもみよ。お前が生まれたとき、お前はそれを意識しておったか?」」 —『李陵―中島敦名作集』中島敦著 「た。「誰も彼も、えらそうに見えたって、実は何一つ解ってやしないんだな」と悟浄は独言を言いながら帰途についた。「『お互いに解ってる「ふり」をしようぜ。解ってやしないんだってことは、お互いに解り切ってるんだから』という約束のもとにみんな生きているらしいぞ。こういう約束がすでに在るのだとすれば、それをいまさら、解らない解らないと言って騒ぎ立てる俺は、なんという気の利かない困りものだろう。まったく」」 —『李陵―中島敦名作集』中島敦著 「俺は、悟空の文盲なことを知っている。かつて天上で弼馬温なる馬方の役に任ぜられながら、弼馬温の字も知らなければ、役目の内容も知らないでいたほど、無学なことをよく知っている。しかし、俺は、悟空の(力と調和された)智慧と判断の高さとを何ものにも優して高く買う。悟空は教養が高いとさえ思うこともある。少なくとも、動物・植物・天文に関するかぎり、彼の知識は相当なものだ。彼は、たいていの動物なら一見してその性質、強さの程度、その主要な武器の特徴などを見抜いてしまう。雑草についても、どれが薬草で、どれが毒草かを、実によく心得ている。そのくせ、その動物や植物の名称(世間一般に通用している名前)は、まるで知らないのだ。彼はまた、星によって方角や時刻や季節を知るのを得意としているが、角宿という名も心宿という名も知りはしない。二十八宿の名をことごとくそらんじていながら実物を見分けることのできぬ俺と比べて、なんという相異だろう! 目に一丁字のないこの猴の前にいるときほど、文字による教養の哀れさを感じさせられることはない。」 —『李陵―中島敦名作集』中島敦著 「あの弱い師父の中にある・この貴い強さには、まったく驚嘆のほかはない。内なる貴さが外の弱さに包まれているところに、師父の魅力があるのだと、俺は考える。もっとも、あの不埒な八戒の解釈によれば、俺たちの――少なくとも悟空の師父に対する敬愛の中には、多分に男色的要素が含まれているというのだが。」 —『李陵―中島敦名作集』中島敦著 「金剛石と炭とは同じ物質からでき上がっているのだそうだが、その金剛石と炭よりももっと違い方のはなはだしいこの二人の生き方が、ともにこうした現実の受取り方の上に立っているのはおもしろい。そして、この「必然と自由の等置」こそ、彼らが天才であることの徴でなくてなんであろうか?」 —『李陵―中島敦名作集』中島敦著 「星というやつは、以前から、永遠だの無限だのということを考えさせるので、どうも苦手だ。それでも、仰向いているものだから、いやでも星を見ないわけにいかない。」 —『李陵―中島敦名作集』中島敦著 「斯くて、若くして自分の寿命の短かいであろうことを覚悟させられた時、当然、一つの安易な将来の途が思浮かべられた。ディレッタントとして生きること。骨身を削る制作から退いて、何か楽な生業に就き、(彼の父は相当に富裕だったのだから)知能や教養は凡て鑑賞と享受とに用いること。何と美しく楽しい生き方であろう! 事実、彼は鑑賞家としても第二流には堕ちない自信があった。」 —『李陵―中島敦名作集』中島敦著 「私の今の人気(?)が何時迄続くものか、私は知らない。私は未だに大衆を信ずることが出来ない。彼等の批判は賢明なのか、愚かしいのか? 混沌の中からイリアッドやエネイドを選び残した彼等は、賢いといわねばなるまい。しかも、現実の彼等が義理にも賢明といえるだろうか? 正直な所、私は彼等を信用していないのだ。しかし、それなら私は一体誰の為に書く? 矢張、彼等の為に、彼等に読んで貰う為に書くのだ。その中の優れた少数者の為に、などというのは、明らかに嘘だ。少数の批評家にのみ褒められ、その代り大衆に顧みられなくなったとしたら、私は明らかに不幸であろう。私は彼等を軽蔑し、しかも全身的に彼等に凭りかかっている。我が儘息子と、無知で寛容な其の父親?」 —『李陵―中島敦名作集』中島敦著 「此の地の生活の齎した利益の一つは、ヨーロッパ文明を外部から捉われない眼で観ることを学んだ点だ。ゴスが言っているそうだ。「チャリング・クロスの周囲三哩以内の地にのみ、文学は在り得る。サモアは健康地かも知れないが、創作には適さない所らしい」と。或る種の文学に就いては、之は本当かも知れぬ。が、何という狭い捉われた文学観であろう!」 —『李陵―中島敦名作集』中島敦著 「真の芸術は(仮令、ルソーのそれの如きものではなくとも、何等かの形で)自己告白でなければならぬという議論を、雑誌で読んだ。色々な事を言う人があるものだ。自分の恋人ののろけ話と、自分の子供の自慢話と、(もう一つ、昨夜見た夢の話と)――当人には面白かろうが、他人にとって之くらい詰まらぬ莫迦げたものがあるだろうか?」 —『李陵―中島敦名作集』中島敦著 「全く何事も我々には判らぬ。理由も分らずに押付けられたものを大人しく受取って、理由も分らずに生きて行くのが、我々生きもののさだめだ。」 —『李陵・山月記(新潮文庫)』中島敦著 「楚が呉を伐った時、工尹商陽という者が呉の師を追うたが、同乗の王子棄疾に「王事なり。子、弓を手にして可なり。」といわれて始めて弓を執り、「子、之を射よ。」と勧められて漸く一人を射斃した。しかし直ぐに又弓を に収めて了った。再び促されて又弓を取出し、あと二人を斃したが、一人を射る毎に目を掩うた。さて三人を斃すと、「自分の今の身分ではこの位で充分反命するに足るだろう。」とて、車を返した。 この話を孔子が伝え聞き、「人を殺すの中、又礼あり。」と感心した。子路に言わせれば、しかし、こんなとんでもない話はない。殊に、「自分としては三人斃した位で充分だ。」などという言葉の中に、彼の大嫌いな・一身の行動を国家の休戚より上に置く考え方が余りにハッキリしているので、腹が立つのである。彼は怫然として孔子に喰って掛かる。「人臣の節、君の大事に当りては、唯力の及ぶ所を尽くし、死して而して後に已む。夫子何ぞ彼を善しとする?」孔子もさすがにこれには一言も無い。笑いながら答える。「然り。汝の言の如し。吾、ただ其の、人を殺すに忍びざるの心あるを取るのみ。」」 —『李陵・山月記(新潮文庫)』中島敦著 「当座の盲目的な獣の苦しみに代って、より意識的な・人間の苦しみが始まった。困ったことに、自殺できないことが明らかになるにつれ、自殺によっての外に苦悩と恥辱とから逃れる途の無いことが益々明らかになってきた。一個の丈夫たる太史令司馬遷は天漢三年の春に死んだ、そして、その後に、彼の書残した史をつづける者は、知覚も意識もない一つの書写機械に過ぎぬ、――自らそう思い込む以外に途は無かった。無理でも、彼はそう思おうとした。修史の仕事は必ず続けられねばならぬ。これは彼にとって絶対であった。修史の仕事のつづけられるためには、如何にたえがたくとも生きながらえねばならぬ。生きながらえるためには、どうしても、完全に身を亡きものと思い込む必要があったのである。 五月の後、司馬遷は再び筆を執った。歓びも昂奮も無い・ただ仕事の完成への意志だけに鞭打たれて、傷いた脚を引摺りながら目的地へ向う旅人のように、とぼとぼと稿を継いで行く。最早太史令の役は免ぜられていた。些か後悔した武帝が、暫く後に彼を中書令に取立てたが、官職の黜陟の如きは、彼にとってもう何の意味もない。以前の論客司馬遷は、一切口を開かずなった。笑うことも怒ることも無い。しかし、決して悄然たる姿ではなかった。寧ろ、何か悪霊にでも取り憑かれているようなすさまじさを、人々は緘黙せる彼の風貌の中に見て取った。夜眠る時間をも惜しんで彼は仕事をつづけた。一刻も早く仕事を完成し、その上で早く自殺の自由を得たいとあせっているもののように、家人等には思われた。」 —『李陵・山月記(新潮文庫)』中島敦著
人間の本質とは何か、人としてどう生きるべきかを考えさせられました。中島敦の4作品がおさめられています。漢語が多く使われているため、とっつきにくく思われますが、4作品いずれも内容が濃く、印象に残る作品ばかりです。 「山月記」 詩人に成りそこなって虎になった男、李徴のお話。高校生のとき授業で出会った作...続きを読む品。恐怖を覚え、自分の日頃の行いを振り返らざるを得ない気持ちに駆られた記憶。今読んでもゾクっとする。 「名人伝」 射術を極める男、紀晶のお話。本物の人物とはいかなる人物か、一芸に秀でるとはどういうことか考えさせられる。書も同様で初めは技巧の上達にばかりにとらわれる。“よく拙を蔵す”という言葉があるが、精神面を疎かにしてはいけない。素心を求めて徹底して学ぶことが書学の第一義。共通点を感じた。 「弟子」 孔子とその弟子の関わり。主要人物は子路。子路の孔子へのリスペクトは最上級。彼の最期は、いたましい。 「李陵」 李陵、司馬遷、蘇武3人が対比されることで、1人ひとりの心理や生き方が鮮明になっている。李陵の“天は見ている”という言葉が突き刺さる。司馬遷は『史記』執筆中に李陵をかばったため、去勢される刑に処せられた。彼の辛さがひしひしと伝わる。
「山月記」を高校生の頃に初めて読んだとき、格調高い文体や比喩の妙に心を奪われた。しかし再読した今、最も胸を打ったのは李徴の内面である。彼が味わった孤絶、人としての道を踏み外した悔恨、理想と現実の乖離から生じる自己否定、そのすべてが痛切に迫ってきた。特に「己の毛皮の濡れたのは、夜露のためばかりではない...続きを読む。」という一文に宿る、言葉にならない悲しみが深く響いた。夜露では覆いきれない涙や苦悩、誰にも理解されないまま時だけが過ぎていく空虚さが、その短い表現に凝縮されているように感じた。当時は気づけなかった“距離”―人間関係の中にある微細な断絶、孤独の輪郭、そして胸を灼く後悔。それらを今では読み取れるようになった。李徴の絶望は悲劇ではなく、人間が陥りうる普遍的な罠なのだと気づき、胸が締めつけられた。
新潮文庫2024プレミアムカバー。レモンイエローに金の箔押し。30年前以上前の版より字が大きくて読みやすい。 漢文調の文章が格調高くて心地よい。 学生時代に読んだ時とはまた違う感じがする。
秀作と思います。 学問、芸術、スポーツ、芸能、政治、ビジネス。人が何かを志すときに時として精神の強さが肉体の強度を超越してしまうほどのことが起こりうる、そういった人間の精神性が端正な文章で表現されているように感じました。 星5つです。
やっぱりすごいすね 山月記が、「臆病な自尊心」を持った自分に刺さりまくるのはわかってたことなんだけど、 それ以外の作品も、難解な言葉遣いでありながら生々しさを失わず、内面の葛藤や懊悩がグッと心を揺さぶってくる読み直してよかった
臆病な自尊心と尊大な羞恥心、という記述があるけれど、膨らんだ自我が虎となって自身を蝕んでしまう李徴。やっぱり哀しい。
人の生き方や自己の選択が強調されている。良いこと、悪いことの教えも与えてくれる。この本を通じて、自分の成長や生き方について深く考えさせられました。
昔教科書で読んだ山月記を久しぶりに読みたいなと思ってた時にタイミングよくプレミアムカバーで購入。山月記はもちろんのこと李陵が素晴らしく良かった。三人の人物の生き様が描かれるが三人それぞれに「自分が思い描いていた人生からは意図せず外れた状況」の中での葛藤や生き方の違いが描かれる。三者三様に身につまされ...続きを読むる。太平洋戦争中に書かれた作品であることや、夭折してしまった著者の遺作であることも含めて色々と考えさせる力を持った作品。夭折の作家にはもれなく思うことだけど長生きして戦後の社会を生きていたらどんな作品を描いていたんだろうなと残念でなりません。
山月記 「臆病な自尊心」「尊大な羞恥心」 「しかし、袁傪は感嘆しながらも漠然と次のように感じていた。なるほど、作者の素質が第一流に属するものであることは疑いない。しかし、このままでは、第一流の作品となるのには、何処か(非常に微妙な点に於いて)欠けるところがあるのではないか、と。」 「己の珠に非...続きを読むざることを惧れるが故に、敢えて刻苦して磨こうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々として瓦に伍することも出来なかった。」 「人生は何事をも為さぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短いなどと口先ばかりの警句を弄しながら、事実は、才能の不足を暴露するかも知れないとの卑怯な危惧と、刻苦を厭う怠惰とが己の凡てだったのだ。」 「本当は、先ず、この事の方を先にお願いすべきだったのだ、己が人間だったなら。飢え凍えようとする妻子のことよりも、己の乏しい詩業の方を気にかけているような男だから、こんな獣に身を堕とすのだ。」 李陵 「それは殆ど、如何にいとわしくとも最後までその関係を絶つことの許されない人間同志のような宿命的な因縁に近かいものと、彼自身には感じられた。とにかくこの仕事のために自分は自らを殺すことができぬのだ(それも義務感からではなく、もっと肉体的な、この仕事との繋がりによってである)ということだけはハッキリしてきた。」「五月の後、司馬遷は再び筆を執った。歓びも昂奮も無い・ただ仕事の完成への意思だけにむちうたれて、傷ついた脚を引摺りながら目的地へ向かう旅人のように、とぼとぼと稿を継いで行く。」 「彼は粛然として懼れた。今でも己の過去を決して非なりとは思わないけれども、尚ここに蘇武という男があって、無理ではなかった筈の己の過去をも恥ずかしく思わせる事を堂々とやってのけ、しかも、その跡が今や天下に顕彰されることになったという事実は、何としても李陵にはこたえた。胸をかきむしられるさような女々しい己の気持ちが羨望ではないかと、李陵は極度に惧た。」
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