河合隼雄のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
鎌倉時代の高僧・明恵(みょうえ)が若い頃から何十年も書き続けた、いわゆる夢日記である『夢記(ゆめのき)』は、散逸してしまったものも多いながらも、大半が現代に残されているそうです。その夢についてユング派心理学者・河合隼雄が読み解くのが本書なのでした。フロイト以前に、こんなに夢の素材が残されているのは稀有な事例だとか。
明恵上人といえば華厳宗の人ですが、浄土宗を起こして日本仏教界に革命を起こした法然を厳しく批判した僧侶として知られていると思います。ですが、だからといって、頭の固い守旧派というタイプでもないのです。たとえば江戸時代の終わりまで基本的なルールとなっていた北条泰時作成の「貞永式目」の基盤となっている考え方は、当時、泰時が明恵から大きな影響を受けたがため、明恵の精神が息づいたものとなっていると、山本七平は指摘しているそうです。日本仏教の歴史としては、法然の方がビッグネームで、明恵は名前が少しばかりでるくらいだそうですが、歴史の実際面においては、裏で大きな影響を与えた人なのかもしれません。
また、一人の人物としても、夢への向き合い方が軽薄ではなく、夢の持つ深長さを見損ねなかった人でもあったようです。著者が言うところをかいつまむと、夢というものはその時点での、その人物の精神レベルや人格的到達のレベルを反映していたりもしますし、深層意識が現われてきたり、もっと深い意識レベルに沈潜していることで見た夢には、共時性(シンクロニシティ)が発生したりします。そのような深い夢を見ながら、そういった夢を大切に扱い、日常にフィードバックするようなかたちで人間的に成長していったのが明恵であると言えそうです。ある種の、夢との理想的な向き合い方や付き合い方を成し遂げた人だと言えるのだと思います。
さて、明恵の見た夢自体とその解釈もおもしろいのですが、斜め読みでの引用と感想という形にしようと思います。ちょっと脱線気味に読んだほうが、僕にはおもしろかったので。
__________
コスモロジーは、その中にできる限りすべてのものを包含しようとする。イデオロギーは、むしろ切り捨てることに力を持っている。イデオロギーによって判断された悪や邪を排除することによって、そこに完全な世界をつくろうとする。この際、イデオロギーの担い手としての自分自身は、あくまで正しい存在となってくる。
しかし、自分という存在を深く知ろうとする限り、そこには生と死、善に対する悪、のような受け入れがたい半面が存在していることを認めざるを得ない。そのような自分自身も入れこんで世界をどう見るのか、世界の中に自分自身を、多くの矛盾と共にどう位置づけるのか、これがコスモロジーの形成である。
コスモロジーは論理的整合性をもってつくりあげることができない。コスモロジーはイメージによってのみ形成される。その人の生きている全生活が、コスモロジーとの関連において、あるイメージを提供するものでなくてはならない。(p101-102)
__________
→明恵は、その当時、バンバン!とイデオロギーを打ちだしていったたくさんの僧侶とは違い、母性的な包含のスタイルつまりコスモロジーのほうの僧侶だったと捉えることができるようです。著者は、現代においては、こういったコスモロジーの思想のほうが生じつつあると見ています。よって、明恵を見ていくことは、現代を創っていく上でのヒントになると言えるのでしょう。
__________
手水桶の水に一匹の虫が落ちて死にかかっているので、これを助けるようにと言う。良詮が驚いて手水桶を見にゆくと、果たして蜂が一匹溺れて死にそうになっていた、などというエピソードが述べられている。他にもこのような逸話が多く記載されており、(中略)深い無意識層にまで下降すると、このようなことがよく生じると、現在の深層心理学では考えられており、明恵の修行の深さが窺い知れるのである。(p152)
__________
→ただ、こういった共時性や偶然の一致などに対して、一般の人は首を突っ込まないほうがよいようなことも述べられています。激しい混乱を身に招いてしまうみたいになってしまいます。まあ、そりゃそうですよね。別の本(『たまたま』 レナード・ムロディナウ著)にあった知見ですが、「意味が存在するときにその意味を知ることが重要であるように、意味がないときにそこから意味を引き出さないようにすることも同じくらい重要である。」とありましたが、これはこういった共時性になどに対する精神衛生上大切な心構えであるでしょう。不用意につっこんではいけない。もともと通常の意識の弱い人や、極端に身体疲労している人などは、こういった体験で気がヘンになってしまうことも珍しくない、と書かれています。明恵はもしも現代にいたとしてもそうとう合理性の秀でた人で、ましてやその合理性は鎌倉時代当時ではありえないくらいのレベルにあったと考えられる人です。だからこそ、不可思議ともいえる共時的体験などをしても、健全でいられたのかもしれません。
__________
われわれは何か新しいものを得たとき、それによる喜びと、その背後において失われたものに対する悲しみとの、両者を共にしっかりと体験することによって、バランスを保つことができる。(p243)
__________
→選択をするということは、何かを得ながら何かを失うことだと著者が述べている部分です。このことについて、最近では「トレードオフ」と呼ばれていますよね。
引用はここまでです。あとは特に残しておきたいなと思ったトピックを。
少なくとも数世紀の間、警察も監獄も精神病院も必要とせず平和に暮らしたというマレー半島のセノイ族の話がありました。彼らは見た夢を分析する習慣があって、「では次に同じ夢を見たらこうしよう」と意識を介入させ、夢を「体験」していき、「体験」を蓄積していく。これが精神の健康を保つ、というのが著者・河合隼雄の弁です。ちょっと調べたら、別の著者による『夢を操る: マレー・セノイ族に会いに行く』という本が出てきました。こういった一民族の習慣が医療のヒントや知見となったりしないのでしょうか。まあ、どちらの本も30年以上前のものですけれども。
もうひとつ。
明恵が弟子に言っている、次のことが刺さりました。一人で修行すると、静かだし何ひとつ邪魔立てされず便利なように思われるが、実際は知らず知らず時間にゆとりがあることにごまかされて、なまけ怠ってしまう危険性がある、というのがそれです。僕も一人になれたらどれだけ読書や原稿が捗るかと思っていましたけれど、いま一人になってみると(仮の一人暮らし期間中です)明恵の言うことがよくわかるのです。でも、心身の調子はもう間違いなく上がってきたんですけどね。
といったところでした。河合隼雄さんの著書は膨大に残されているので、読んでも読んでもまだまだといった感じですし、その心理学の深さや難しさはどうしてもこういった読書だけでは消化して身につけることは難儀です。それでも、読みものとしておもしろいですし、ちょっとばかりの心得は僕でもつけることができるのが嬉しいところです。 -
Posted by ブクログ
ー概要ー
四天王寺カウンセリング講座での河合隼雄の講演記録を2冊にまとめたものの1つ。「カウンセリングと時間」「カウンセリングと人間理解」「カウンセリングと倫理」「カウンセリングと家族」「カウンセリングと友情」の5章から成立。
カウンセリングを学ぶ講座であるが、自分の生き方について深く考え、何かを考えなおすきっかけを探そうという人にもお勧めできる。
ー河合隼雄さんー
日本人としてユング派分析家の資格を取得。
ー感想ー
カウンセラーの役割とは、心の表層から深いところまでおりる作業をしていくクライアントの横にいるよと示すこと、また絶対にきれない関係であること。
これは簡単なようでものすごく難しい。たぶんふとした拍子にクライアントに対して何か感情移入してより過ぎたり離れ過ぎたりしそうだし、それが伝わってしまいそうだと思った。
カウンセリングに時間を設けるのはきれないよう、長く一緒にいるために共倒れにならないようにするため。私の元カウンセラーもクライアントとは一生の付き合いだと思ってやってると言ってたのを思い出した。
その作業(非日常)を週に1回、1時間行い繰り返すことで日常と非日常を結びつけていく。あまりにも大きな非日常体験は日常に落とし込むにはかなり時間と労力がかかることだからカウンセリングはちょうどいい。
カウンセリングと関係ないけど、考えたこと。
動物保全においての私にとってのカウンセリング的存在は公園管理のNPO、イレギュラーは小笠原のウミガメ保全や長野のクマ研修。
公園管理で学んだことはゆっくりと吸収されていく感覚があって、研修たちはいまだに圧巻ってかんじで落ちてない感覚がある。たまにそんな研修を挟むのも悪くないけど、続けるか悩むところだったけど、やっぱりNPOは続けていこうとこの話を読んで思ったのであった。
カウンセリングの技術として勉強になったのは、自分の倫理を()にいれる、ということ。
クライアントの話に自分の倫理観がひっかかったとしても、それは()にいれておいて、さてとするのはとても良い考えだと思った。倫理観を無視して話を聞こうとしても人間、表情や声色、態度に微妙に揺れが出て変化に気づかれると思っているので、この方法なら堂々と立てそうだと思った。
私がこれから人生において考えていきたいと思った2つの考え。
1つはカウンセラーとは研究者、勝負者、芸術家であるということ。意味は理解してるけど、カウンセラーじゃないから本質はわからない。
2つめは激しいを超えて深い感情をもつということ。 -
Posted by ブクログ
ネコ好きな人たちに「河合隼雄」を知ってもらう手がかり的な本である。なので、心理学な内容は薄く、本の紹介が多い。(30冊ぐらいはある)
タイトルの「猫だましい」は「猫騙し」だと私は思っていたが「猫魂」である。ネコの変幻自在な行動を見習え!ということなのだろう。
私は自分の体験からネコが好きではない。それは、親戚の家に遊びに言ったときのことだった。どこかの飼いネコが、まだ動いているネズミを口にくわえて、ムシャムシャと食べているのを見てしまったのだ。
室内だけで飼っている家猫は、そんなことはしないとは思うが、そういう本能を隠しているのは間違いないだろう。(今どきネズミはいないと思っている人が多いが、親戚の家は都会の住宅地なのだ、夜な夜な空き家からネズミたちが出てくるのを、ネコも承知でネズミの通り道で待ち構えているのも目撃!)
そんな醜い猫の生態を記述した文章は、この本にはない。この本ではネコの個性的な性格からのウンチクを導きだしている。
その河合さんのウンチクも、持論の身体性の重要性に毎回行き着く。
ネコ好きでなければ、学ぶべき点があまりないので、購入してまで読む必要はないと思う。 -
Posted by ブクログ
河合隼雄、立花隆、谷川俊太郎の3人による読む、聴くことに関するアンソロジー、講演、鼎談をまとめた本。
それぞれが短い文量で、かつ、3人分なので、かなりコンパクトな文章になっていて、読みやすいが、若干物足りない気もする。
ただ、河合隼雄さんと、立花隆さんの寄稿文のあと、谷川俊太郎さんの詩が入ってくるのが新鮮で、詩集を読む時よりも鮮烈に頭に響いた。
インターネットについては、2005年当時の会話なので、この時から格段に、速さが追求され進化してきた、現代のネット文化が及ぼす影響について、お3人に語らってもらえないことがとても残念だが、河合さんのように何度も繰り返し聴き、立花さんのようにたくさんの本を時間をかけて読み、谷川さんのように言葉にならない言葉に敏感に、ゆっくりゆっくり生きていきたいと思った。