河合隼雄のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレ河合隼雄先生の「老い」に関するエッセイ。河合先生の本は、読みやすい、分かりやすい、示唆に富んでいる。いつものことながら「自分は本をあまり読まない」と言われながら、非常に幅広く深い読書をされており、先生の文章の中から、また多くの人を知る機会となる。
今回も、聖路加病院の日野原重明氏の「老いてはじめる」という言葉、仏教学者の中村元氏の「自分で考えないと駄目」という言葉、フランス文学の桑原武氏の「文学もすごいのを読むと、脇の下に汗が流れるんでっせ」というようなインパクトある言葉とその背景にある「老い」に敢然と立ち向かう精神みたいなものを紹介してくださった。
鶴見俊輔著「家の中の広場」は含蓄深いエッセイ集と紹介されているので、読んで見たい気持ちになった。
本書で一番興味深かったのは、「絆」という文字についての話。「きずな」とも読むし、「ほだし」とも読まれるが、後者の意味が意外だった。仏門に帰依したいときに、親子の情などの「ほだし」が邪魔になるという意味に用いるのだそうだ。
「きずな」は深めるものであるのに対し、「ほだし」のほうは断ち切るものというイメージだ。
心理療法家である著者は、人の自立の時に、この「ほだし」を断ち切るということが必要だという。著者の考える自立の場面は、子どもから大人になるときの自立と、老いたのちに一人旅立つそのときも自立の時としている。
いわゆる「反抗期」というのは自立に必要なフェーズなのだろう。それと同様に、老いた親は、子に依存するのではなく、やはり「ほだし」を断ち切って、自立せよということなのだろうと思う。 -
Posted by ブクログ
人が物語ることの意味について考えている。
河合隼雄がこのテーマについて幾つかの本を出してくださっていることが、本当にありがたい。
坂部恵『かたり』も引用されている。
自分と「もの」との繋がりは、語られることによって、出て来るのだろうか。
世の中が個人に責任を帰すようになって、そうした繋がりが見えなくなってしまっている。
でも、そもそも日本は繋がりを感じる文化を多く持っている。例えば「我が」ではなく「我々」であったり「みんな」という意識が強い。
言葉の端々で、私たちは、なんて代表的に言ってしまうのも、きっとそんな意識から来ているのだろう。
小学二年生の女の子が、神さまに手紙を書くという話があって。
一緒に住んでいるおばあちゃんは、やがて死んで神さまになるんだということや、自分自身もやがて死んで神さまになるという内容を綴っている。
小学生で、自分はいつか死んで、違う存在になると認識していることは確かにすごい。
そこには、生きている世界やおばあちゃんとの繋がりもあれば、死ぬことや死んだあとの世界との繋がりも感じられる。
こうしたお話は、恐らく年が経てば変わるファンタジーだと言ってしまえばそれまでかもしれない。
でも、自分の中の世界を、その都度変化させながら認識していく。
こういうのが、ナラティブ・アプローチなのかなぁとも思うのだった。
反対に、自分に物語を持っていない状態。
弱い繋がりしか描けない状態のときに、誰かから強い物語を与えられると、どうなるのか。
いわゆるオウム真理教事件の時のように、それを救いにしてしまうことになるのかもしれない。
ただ。確かに誰かから認められるではなく、自給自足していくこと、それを精神的にクリアしていくことのハードルは高いように思う。
だからこそ、私はあらためて人の語りという原型を見直していきたいと思っているのかもしれない。
紆余曲折したレビューになってしまった。ごめん。