河合隼雄のレビュー一覧
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フロイト派とユング派、日本を代表する両派の第一人者である小此木氏と河合氏の対談が収録されていて、とてもおもしろかった。教科書や専門書だけでは分からない、フロイトとユングの細かい人物像や、最後の方は日本文化論にも及んで、読み応えがあった。日本文化論のところでは、今の日本が抱える問題点が、両氏が対談した昭和53年のころから何も変わってないと思えたり、またこのころすでに予見されてたりして、そういう点も興味深かった。
ただ、対談、すなわち口語であるので、とても分かりやすい部分と、いまいち伝わりきれてない部分とがあり、その点が少し残念。これからもフロイトとユングのことは勉強していくことになると思うが、折に触れて読み返していきたいと思う。 -
Posted by ブクログ
1979年初版発行の本です。
もう35年も前ですが、今読んでも面白いです。
ざっくりとしてわかりやすく、
河合さんがご自身のしている心理療法のベースとなる
ユングの考えや経験、ご自身の所見などを語っていきます。
谷川さんはあくまでわき役として、質問を投げかけていきます。
これは!と思ったところを引用すると、
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谷川:普通の人間は、その自己治癒能力ですか、それを不断に働かせているわけですね。
河合:普通は、それが適当にうまく働いているわけです。
だから深く悩むこともなく深く治ることもなく、みんな生きているわけでしょう。
いわば普通の人間は自分で自分なりの治療行為をしているわけですね。
つまりすってんてんになるまでパチンコをするとか、
途方もない大金を競馬で使ったりするとか、
それなりにみんな治るための儀式をやっているんですね。
日記を書くのも、友だちと話をするのもそうでしょう。
それをもっと凝集し、非常にコントロールされた形でやるのがわれわれの仕事ですね。
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というところがありました。
僕はここ何年かパチンコや競馬で大勝利したりすっからかんになったりを
何度も経験してきていますが、自己治癒のためと言われると、
腑に落ちるところがあります。
「えーっ?」と思う方もいるでしょうけれど、これはそうだと思いますよ。
また、昨日はAKBグループの総選挙がありましたが、そこで8位だったかな、
こじはること小嶋陽菜さんがしゃべったのがすごく面白かったんですけども、
この本を読みながらだったので、彼女から感じられる母性というものの強さに注意がいってしまって、
「母性」のいいお手本、つまり「母性ってなんだろう」と問う人に対して
この人が母性をよくあらわしているからよく見てみたらと言えるのは、彼女だと思いましたね。
あんなに、おんなおんなしたおんなのお手本のストライクみたいな人って実はなかなかいない。
母性って、いろいろ他人とかと繋がっていくもので「まぁ、なんでもいいじゃないの」
というものだというのですが、その逆のなんでも断ち切っていく心理っていうのも女性には
アニムスという名前で男性的なものとしてユング心理学では言われていました。
アニムスが強いのがよくわかるのがぱるること島崎遥香さんです。
でも、ぱるは横山由依ちゃんと仲良しだったり、孤立しているわけではないから、
病的とは全然違います。ちょっとアニムスが強いっていう。
思春期だとかにそういうのが出てきたりするっていいますから、
若い子だしそういうのがあるのかもしれないですね。
閑話休題。
インターネットでもそのシンボルの意味が辞書みたいに調べられる夢判断のサイトがありますが、
河合さんの心理療法での二枚看板みたいなのが、この夢判断と箱庭療法でした。
しかし夢判断については、たとえば黒猫がでてきたっていうのがあったとして、
夢診断サイトだと、それはこういう意味だっていうように、一対一で対応していたりしますけれど、
河合さんに言わせると、そんなのは違うっていうことになり、その人の現在の状況や夢の状況などによって、
重層的かつ多様に判断しないといけないらしいです。
それはそうだよなぁ、とかねてからWEBの夢診断のシンボル判断に違和感を持っていた者としては、
納得の行った発言でした。
そして「抑圧」の話も興味深かったですね。
子どもが悲しいとか痛いとかいっても、親とか先生だとかは
「痛くないでしょ!」「悲しくないの!」とかってなだめようとしますが、
それがその場限りの対処ではいいように思えても、そういうのが「抑圧」として
心の中、無意識のほうに溜まっていって病んでいってしまう。
言語化すると意識上にのぼってそれは癒しの効果がありますが、
知らず知らずに無意識に、澱のようにたまっていくと、
それは非常に破壊力をもったものになってしまうということです。
また話はAKBになりますけども、このあいだのノコギリでメンバーを襲った犯人は、
きっと、そういう無意識のほうに溜まったものが破壊力を持って、
自分を破壊するか他人を破壊するかのところで、他者を選んでしまったのかもしれない。
襲われた方はたまったものじゃないです。
(襲われたメンバーとスタッフの方は一日も早く元気になりますように)
巻末には谷川さんの詩や散文を河合さんが心理学者的解釈をする
というのが収録されています。
谷川さんの詩はよくしらなかったですが、数篇読んでみてすごく好かったです。
「はしれはしれおちんちん」というのが出てくる「男の子のマーチ」は
楽しくて楽しくて大笑いしそうでした。
散文も含めて読んでいくと、なんだか村上春樹さんに通じるものを感じたりもして、
さては春樹さんは谷川さんからも影響を受けているのかなと思ったりもしました。
この本に書かれていることをまぁ、日本人みんなが7割くらい理解して、ふまえていると、
きっと社会はもう少し生きやすくなると思いました。良書です。 -
Posted by ブクログ
この世にある無数の本の中から、私たちの『こころ』を開いてくれそうな本を
臨床心理学者の故・河合隼雄氏がオススメとして紹介し、登場人物たちの
心の動きを解説してくれる一冊。
非常に読みやすいです。
当時行われた講演の語り口を出来るだけ残して文章化されているので、
河合先生の人柄が文章からにじみ出てくるよう。
まえがきでご子息にあたる河合俊雄氏が言っておられるように、
語り部として非常に優れた方だったのだということを改めて感じさせられる。
もっともっと多くの言葉・物語りを残してくださったら良かったのにと思う。
心理を本当に学ぶための本ではないので、そういった学問的な要素を
強く求める方は専門書を読まれる方がストレートで良いかと思います。
これはあくまでも、こころと本を結ぶための一冊。
自分のこころを開いていく作業の入り口に立った時に読む本です。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ同僚の先生からお借りして。
エマ・ユングの本を読んでみようと思いました。
わたしは、めったに人を好きになりません。
「この人しかいない!」みたいに思うことも未だかつてない。これからもないと思う。
何気ない道を、一人で歩いていて、気づいたら、同じ方向に歩く人がいて、いつの間にか人が二人、三人、って増えていて、気が付いたら、そのうちの一人と手をつないでいた。
私が人を好きになる感覚は、こんな感じに近い。
手、繋いでみたけどさ、とりあえずもう少し、このまま歩いて行こうか。(それはいつか離す可能性があることをお互いよく分かってる)
やっぱりちょっと、距離があった方がいいかもね。離れてみようか。
みたいなね。緩いつながりの中で、ただ向かう方向だけはお互いちゃんとわかっている。
言えるのは、そのことと、
私が手を伸ばしたら、繋ぎ返せるだけの距離にいる人、
ってことだと思われる。
人は、心と体のほかに、魂と呼ばれる存在のものがあるらしい、とこの本には書いてありました。
魂のつながりって、とても大事なんだそうです。
そのことは、わたしも「そうだろうなぁ」って思いながら読みました。
でもきっと、今現在「この世」に生きているのであれば、
わたしは「心と体」がきちんと向かい合う距離感というものも大事だよって、
この本言ってると思いました。 -
Posted by ブクログ
よく名前を聞く精神心理学者先生の本。最晩年のものとのことで、残念至極。内容は難しいものだったが、紹介される本には絵本や少年少女文学などもあり、驚く。そして自分の思考、嗜好がかなり偏っていることも判明。大人になっても普通にこれら世代の本を読んだって全然構わないのだ。確か柳田氏もそのようなことを言ってたような記憶も出てきた。まだ、何かしら抵抗感があるのか?
とか思いつつ、紹介された数10冊の本は、少しずつ集めては読んでみたい。時間がかかりそうな書が多そうだが、楽しみにしたい。自分の内面に飛び込む、というのはかなり勇気がいることではあるが・・・・ -
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・例えば、高島易断を見て、飛行機が落ちると思ったときに、そんなばかなことを考えるなとか、あるいは易なんていうのは当たるんだとか、当たらないんだとか、そんな議論じゃなくて、それを見て不安に感じた自分にとっての意味、その意味は何かということですね。先ほども言いましたように、自分は祖国というものに対して、あまりにも高いイメージを持ちすぎていなかったか。そして、そこへ今から自分が帰っていくということ、そこを訪ねていくということの意味をどう考えようかという問題になりますので、その人がどう生きていったらいいかということの意味がはっきりわかる。これが、私は大事なことだと思うんです。
例えば、私が学校に行かない子供に会っていても、学校へなかなか行かない。そして、何とかかんとかするうちに、とうとう行くようになった。ただ、行かなかった子が行ったというだけではなくて、その背後にある母なるものの意味を感じる場合、私がその人に会っているということに、私自身にとってもはっきり意味があるわけです。
つまり、学校へ行っていないというつまらない人を、私のような健康な人が何とか引き上げて、学校へ連れていってあげるというような意味じゃなくて、中学生としてあなたも日本の母なるものと格闘しているんですか、私もしているんです。格闘のレベルなり、格闘の質なりは違うけれども。そう考えると、私はその人にお会いしていることの意味が非常にはっきりする。
この意味がわかるということは、人間にとってすごく大事なことじゃないでしょうか。意味がわかるかわからないかで、ほんとうに違う。わけの分からない仕事を長続きさせることは非常に難しいです。意味が分かっているからやるわけですね。そのときに全体を見て、この意味だとわかる。
そして、そのときに、こういう考え方は因果的な考え方を補うのです。
・私のところへこられた学校へ行かない子どものお父さんが次のように言われたことがあります。「先生、科学がこれだけ進んで、ボタン一つ押せば人間が月まで行って帰ってくるこの世の中に、うちの子どもを学校へ行かすボタンはありませんか」と。
私は、「ボタンはないけど簡単ですよ、さっそく行かせられます」と言うたら、「どうするんですか」と言われる。「ぐるぐるっとすのこ巻きにして放り込んだらええんです」と言うたのです。つまり子どもをモノ扱いすれば行くのです。ところが、子どもが自由意志をもち、自分の意志で、自分の人生のなかで意味あることとして学校へ行くということは、そう簡単ではない。
・言葉というのは口から生み出しますね。子どもを生むというのは下から生み出すわけです。だから人間が肉体から生み出すものには、子どもとして下に生み出していくものと、言葉として上から生み出していくものがある。そのことを考えると、言葉というものはすごい魔力を持っているし、すごい力を持っている。
・私はまるで私の魂に対して憧れるように、あるいは私が私の魂となんとか接触したいと思うような、ものすごい心のエネルギーが動いて、その人を好きになる。
・見ていると、小学校五年か六年ぐらいの子どもというのはすごいと思いませんか、記憶力にしても何にしても、たとえばあるときにサッカーの選手なんかが好きになったりしたら、どこに所属しているだけでなくて、生まれはどこだとか、どんな靴を履いているとか、全部覚えているでしょう。ああいう時期には、ぱあっと読むとか全部覚えられるぐらいすごいんです。ある意味で、人間は十一歳、十二歳ぐらいで完成するところがあるんじゃないかと思っているぐらいです。
そして、ある程度できたというところで、もういっぺんつくり直して、大人という変なものにならなくてはならない。これは毛虫が蝶になるのと一緒じゃないでしょうか。
・これは私の会いましたある女の子の場合ですが、不特定多数の男の子と性的な関係のあった高校生であるその子が非常にうまいことを言いました。先生が怒って「不純異性交遊だ」と言ったのに対してその子は「先生、何で私が不純ですか。好きな男の人ができるから、その人とセックスの関係があるんです。これは純粋だと思う。先生のように、好きでもないのに奥さんと関係があるのは、これは不純じゃないですか」と。
先生がなるほどと思ってしまったので(笑)、どう説明していいかわからないからというので私のところに来たことがあります。
・性のほんとうの体験をすると、自分の存在を揺すぶられますから、体のことに限定して、あれは生理的なことで、楽しかったらよろしいというわけですね。それもまた性のある反面だけを見ているということです(聖職者のように性を排除する、または夫婦間だけに限定するということの反対の反面)。
そして不思議なことに、仮にそういう生き方をしようと思っても、それはできません。そういうことをしているうちに、その人の魂はだんだん腐っていきます。なぜかというと、一人の人間と一人の人間がそこまで融合する体験をするということは、体のレベルだけですますことはほとんど不可能なんです。
・男の人の夢の分析をしていると、確かにアニマ像がはっきり出てきて、この女性像こそその人の魂を表していると考えていけるのだけれども、女の人の場合にはいろんな男が出てくるし、これがアニムス像だという明確なものが見えない、とユングは書いている。自分のアニムスということについて非常に明確に話ができる女性はほとんどいない、あるいはいなかった、と書いているんです。
…どこまでみんな賛成されるかわかりませんが、ついでに言っておきますと、ユングはこんなことも言っています。男性にとって心の中のアニマイメージはどうも一人だという気がする。これぞ永遠の女性といいますか、自分の心の中で、この人が私の永遠の女性だというような一人の異性。ところが女の方が自分の心の中の男性像を考えると一人にならない。これもこれもと沢山ある、あるいはひとつの集団の場合もある。
その次が面白いんですが、そういうふうに心の中はそうなるので、それを補償するような形で外的現実においては、男性はたくさんの女性を好きになり、そして女性は一人の男を好きになる、というのです。
・間違わないように聞いてほしいのですが、そういう変なことをやっている人ほど魂のことがわかっている、と私は言っているのではないのです。そういう人は魂に揺り動かされているのであって、ある意味でいうと、被害者と言えるかもしれない。しかし揺り動かされている場合には、どうしてもわれわれの常識を超えたことが起きる。そのときにわれわれがそういう人にお会いして、この変な人とか、この嫌な人とかいうのではなくて、私は何ができるのか、そういう人に会っている私の魂はどうなっているのか、考えたいと思うのです。