中島らものレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレシリーズ第2作となる本作では、舞台を日本からアフリカ・ケニアへと移し、呪術師取材の旅が描かれます。前半はほとんど観光紀行のような趣で、食事、治安、宗教観、経済格差など、日本とはまったく異なる価値観や生活様式が、コミカルな登場人物たちを通して丁寧に語られていきます。その情報量は圧倒的で、読みながら自然と「異文化を理解していく楽しさ」に引き込まれていきました。
後半から物語は本格的に動き出し、呪術師への取材が核心に迫っていきます。特に印象的なのは、呪術が人々の生活に深く根付いている点です。
日本的な感覚では呪術は禍々しいものに映りますが、ケニアでは攻撃だけでなく、魔除けや治療、さらには犯罪への抑止・処罰といった役割も担っています。抽象的でありながら、医療と警察の両面を内包した社会システムとして機能しており、直接的な報復ではなく、呪術師を介した調停によって流血を避ける構造が成立している。この社会の在り方は非常に興味深かったです。
もしかしたら平安時代もこんな感じだったのかもしれませんね。
そんな呪術社会の歪みを最大限に利用するのが、本作の悪役・バキリです。
面白かったエピソードとして、バキリに対して挑戦してきた青年の飼牛が無残に死ぬと呪いを掛け、その通りとなりました。実際は呪殺ではなく、嵐の夜にヘリで牛を吊り上げて殺すという身も蓋も無いオチでしたが、しかし、採算度外視で突飛な凶行であるがゆえに、誰もその可能性に思い至らず、「得体の知れない力による奇跡」が肯定されてしまう。
文明の利器と信仰によって育まれた“魂の力”を同時に操り、理屈では太刀打ちできない恐怖を生み出すバキリの存在は、純粋に恐ろしく、そして非常に面白い悪役でした。
バキリから見れば、人間は湖へ追い立てられる豚の群れであり、落ちるその瞬間まで自分の運命に気づかない存在なのでしょう。一方で、他者から見た彼は、湖に沈んだ悪霊の群れのような存在——人を死へ引きずり込む悪意の総体として映る。
タイトルである「ガダラの豚」は聖書由来の言葉ですが、本作では、水面は「この世とあの世の境」という形で例えられています。その為、「"死"と生者」、すなわち「バキリとそれ以外の人間たち」の関係を示しているように感じられました。
奇跡とエンターテインメントを、圧倒的な知識量で融合させた本作は、舞台をケニアに移すことで、宗教と人生が密接に結びついた新たな宗教観を描き切っています。ケニアという土地に呼応するかのように活力を増していく清川や道満、そしてアルコール中毒に苦しむ大宇部といった人物描写も見応えがあり、シリーズとしての厚みを確実に増しています。
第1作を楽しめた読者なら、スケールもテーマも大きく広がった本作を、間違いなく堪能できる一冊だと思います。 -
Posted by ブクログ
氏の著書を読むのは2度目だが、彼の私小説・エッセイからは、世間の敷くレールや不文律から外れてしまったものを包摂する暖かさを感じる。
ポジティブというわけでもなく、かといって諦観に支配されたのでもなく。
黙っていようが酔っていようが寝ていようがセックスをしていようが、明日は来る。
自分の意思とは無関係に進む時間の中で、まあなんとか、顔を上や前に向けるわけではなくともやっていくことができる、そんな……
心に弱さを抱える人のお守りだと思う
超コミュニケーション社会に生きる現代の若者の中には、中島らもが刺さる人もまあ多いとまでは言わずとも、少なくないように思う。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ中島らもハマってます笑
「その日の天使」
…暗い気持ちになって、冗談にでも、"今、自殺したら"などと考えているときに、とんでもない知人から電話がかかってくる、あるいは、ふと開いた画集か何かの一葉の絵によって救われるようなことが。それは、その日の天使なのである。
恋づかれ
結婚してからいくつも恋をした。…「不倫」という実にいやな言葉があるが、指をさされて「不倫!!」といわれればたしかに不倫以外の何物でもないのだから、一言もない。
一言もないけれど、一言だけ言わせてもらえれば、そういうことを言う人は、結婚というシステムや、モラルという、種族にとっての安全バルブの味方であって、決して斬れば血の出る人間の味方ではないような気がする。
一言もないけれど、もう一言だけ言わせてもらえれば、恋におちてしまうのは僕の責任ではないのだ。
そいつはいつも、まったく何の予兆もなくいきなりやってくる。
チャイムでも鳴らしてくれれば逃げる手もあるのだが、散歩に行こうとドアをあけると、いきなりそこにヌッと立っているのだ。アッと思ったときはもう遅い。
自分勝手だと思う一方で、わかる気持ちもあるからどうしようもない。
稲垣足穂は、かつて恋愛と結婚のことについて、
「結婚するということは、恋愛という『詩』から日常という『散文』へと下っていくことです」と述べている。…
極端に言えば、恋愛というのは一瞬のものでしかないのかもしれない。
唇と唇が初めて触れあう至高の一瞬、そこですべてが完結してしまい、それ以外は日常という散文への地獄下りなのだ。
ただし、その一瞬は永遠を孕んでいる。
その一瞬は、通常の時間軸に対して垂直に屹立していて、その無限の拡がりの中に、この世とは別の宇宙がまた一つ存在しているのだ。
「昨日テキサスで始まった恋が、四千年前のクレタ島で終わる」
というのはトマス・ウルフの言葉だけれど、今夜、街のどこかで向かい合っている唇と唇の間の何センチかの中に、永遠の時間と、無限の距離と、そして無数の激痛をともなう夜々がうずくまっているだろう。
…
闇の中で、「想い」だけが僕の姿を照らしてくれているような気がする。それ以外のときは僕は一個の闇であり、一個の不在でしかない。
その辺、恋は灯台にも似ているようだ。
恋するΩ病
「好きだったら、どうしてわたしを大事にしないの?わたしと、わたしの生活と、わたしのしたいことを踏みつぶしてまわるの?どうして好かれるようにしないの?」
…
僕らはただの水の袋に過ぎない。美しい水と濁った水の。小さな針がひとつあれば僕らは混ざりあうことができる。僕はとても小さな針をひとつ持っている。
Q&Aセッションの
お互いの無知で傷つけあって、それでもお互いを許しあって、いやし合いながら苛酷な時の流れにいっしょにたちむかっていくのが愛というもので、無傷なツルンとした愛などは「愛」の名に値しないと思います。
は痺れました。
あとがき
…だからこそたまさかに耳にする一種神話的な恋愛談に我々は心をひかれるのだ。それは自分の中のどこか遠いところにある天上性への淡いデジャビューのようなものかもしれない。
夜々に鳴く犬の遠いほえ声に似ている。
あれは、
「時よ止まれ」
と鳴いているのだ。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ勧められて読んでみました。
不思議ととても引き込まれました。
詐欺のところはハラハラし通しで、テレビなんかに出たらバレるよ〜と思っていたら案の定バレてドキドキ。
絶対に死ぬと思っていたのに、自分の作った縁に救われるところがすごいなと思いました。
睡眠薬とアルコールで、すごい文章を打つところが、本当文で読むと洪水のようで、追うのが大変でした。が、解説の方がドラッグを使うミュージシャンのことにも触れていて、そういうことって現実によくある話なんだろうなぁと思いました。(もちろんドラッグや薬物乱用はよくありませんし許されることではないと思いますが。)
勧めてくれた人がこの本にいくつか付箋をつけていて、そのうちの一つに「人は自分の心に名前がないことに耐えられないのだ。」とありました。
孤独という言葉があるから孤独に感じたり、幸福という言葉があるから不幸になったりするといったようなことが書かれていましたが、確かに、と腑に落ちました。
病気や発疹でも何か診断名がつくと安心するというか、なにか名前があるものに自分を当てはめて安心したいということは他のことでも当てはまるのではないかなぁと思いました。 -
Posted by ブクログ
あらゆるドラッグをキメても、死に至らなかったのは中島らもがタフだからなのか?または人間は意外と丈夫だからなのか?いや偶然か?
下北沢の一室から世界の果てにアステカ文明と、ドラッグの世界は幅広く奥深く興味深い。ヤるヤらないは個人の自由だが、風邪薬、アルコール、砂糖。現代ならスマホだったりと中毒を引き起こすモノは、その辺に散らばってるわけで、ドラッグに全て悪の元凶があるのでは?という一方通行な意見は、本書を読み終えた頃に変化する。
ブランコの重力でハイになり、お母さんの『帰るわよ〜』の一声でナチュラルになる現象。共感しかない。中島らも、相変わらず面白い。