吉川英治のレビュー一覧
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多少の停滞はあれ、とんとん拍子で蜀を制覇していく劉備である。文武ともに優れた部下も揃ってきた。
以下に興味深かった点を引用したい。
・「帰らなければ、彼が信義を失うので、予の仁愛の主義に傷はつかない」
→劉備の益州攻めの際、生け捕った敵方の冷苞を解放した際に、魏延から「あいつ、きっと帰ってきませんぞ」と危ぶまれた時に返した言葉である。なるほど、これは現代にも通用しそうだ。尽くした相手に裏切られた際に、このような考え方が出来れば恩知らずを感じることもない。今まで曹操の言葉を幾つか引用してきたが、劉備の言葉は珍しい。あまり格好の良い言葉を吐くキャラには設定されていないためであろう。それだけに新鮮。
・「漢王は、その前時代の秦が苛政、暴政を布いて民を苦しめた後なので、いわゆる三章の寛仁な法をもって、まず民心を馴染ませたのだ。前蜀の劉ショウは暗弱でほとんど威もなく、法もなく、道もなく、かえって良民の間には国家に厳しい法律と威厳がないことが、淋しくもあり、悩みでもあったところだ。民が峻厳を求める時、為政者が甘言をなすほど愚かなる政治はない。」
→長いセリフだが、劉備が蜀を平定後、新しい憲法、民法、刑法を起草した孔明に対して、法正が「漢の高祖のように法は三章に約し、寛大になすってはいかがですか」と忠告した際に返した言葉である。前例に拘らず、シチュエーションごとに方法論を変化させていく孔明の巧みさは見習うべきである。
・才人才に亡ぶの喩えに漏れず、楊修の死は、楊修の才がなした禍いであったことに間違いない。彼の才能は惜しむべきものであったが、もう少しそれを内に包んで、どこか一面は抜けている風があってもよかったのではあるまいか。
→「鶏肋」事件により曹操に打ち首とされた楊修に対する吉川英治氏の感想である。つまり、才はあっても隠すか、才がないように振舞うくらいの配慮を持てば良かったのに、という同情である。 -
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本巻では赤壁の戦いを描く。孔明と周瑜との絶妙な駆け引きは読んでいて実に楽しませてくれる。まぁ、常に孔明の方が一枚上手で、周瑜は毎回孔明に一杯食わされるのだが。
以下に、印象的だったシーンを引用したい。不思議にも、敗北側の魏軍の言葉ばかりである。
・「兵糧武具を満載した船ならば、必ず船足が深く沈んでいなければならないのに、いま目の前に来る船は全て水深軽く、さして重量を積んでいるとは見えません。これは偽りの証拠ではありませんか。」
→赤壁の戦いにおいて、曹操の参謀:程昱が呉軍:黄蓋の船団の偽装を真っ先に見破ったシーンである。程昱のような状況を冷静に判断出来る能力は貴重である。が、時既に遅し、火攻めに大敗する曹操軍であった。もう少し早く黄蓋の偽の投降を見破っていれば歴史は変わっていただろう。
・「山に会うては道を拓き、水に遭うては橋を架す。それも戦の一つである。戦い難いなどと泣き面をする士卒があるかっ!」
→赤壁の戦いで大敗を喫して逃亡中、泣き事を訴える部下に対する曹操の下知である。負けてなお、曹操らしい合理主義的な面が垣間見えるシーンである。
・「勝ったのは昨日のことで、今日はまだ勝っていない。明日のこともまだ勝っていない。言わんや全面的な勝敗はまだまだ先が知れん。およそ将たるものは一勝一敗にいちいち喜憂したりするものではない。」
→魏軍の張遼が孫権との合肥城の戦いに勝利した後の言葉。張遼のこの姿勢により、孫権の謀略を見抜き、敵将:太史慈を討ち取ることが出来た。 -
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私の嫌いな袁紹がようやく滅んだ。本作品スタートからヒールは黄巾賊、宦官、董卓、呂布、袁術と移り変わってきたが、袁紹は前半最後のヒールといっていい。これ以後、天の時を得た曹操、地の利を得た孫権、人の和を得た劉備の三すくみの戦いへと移っていく。
以下に興味深かったエピソードを紹介したい。
・「幸いに、勝つことを得、身も無事に還ってきたが、これはまったく奇蹟か天祐というほかはない。獲るところは少なく、危険は実に甚だしかった。この後、予に短所があれば舌に衣を着せず、よろず諫めてもらいたい」
→曹操が、袁紹の子である袁キ&袁尚との戦い後、部下に対して発した言葉。権力を持つようになると自身に耳触りの良い言葉しか受け入れられなくなることが多く、それが次第に権力構造を蝕んでいくのだが、曹操は董卓や袁紹などと同じ轍を踏むことはしない。そして、僥倖により得た勝利に奢ることをしない。この姿勢は現代のビジネスにおいても重要なことである。
・「勝敗は兵家の常だ。よろしい!」
→これも曹操。徐庶を迎え始めた劉備との一戦に敗れた将の報告を聞いた際の返答である。この返答のみで、敗戦の責任は問わず、咎めもしない。このようなリーダーシップを持つ者がトップであれば、配下の者は失敗を恐れずチャレンジ出来るのだ。
・「憂いは憂いにとどめていては何もなりません。実策を講じなければ」
→憂いてばかりいる優柔不断な劉備に対して、孔明が放った言葉。シンプルながら実務的な言葉である。悩みや心配、ストレスを感じているだけではなく、それに対する策を具体的に出して行動せねば状況は改善しない。私が近年、仕事で常に意識している点である。 -
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曹操の魅力が増してきた。私は、劉備、孫権と比べて曹操が好きである。彼こそまさに英雄であり、義を重んじ過ぎて優柔不断な劉備などとは魅力が違う(劉備ファンの人、ごめんなさい)。単なる潔癖な英雄ではなく、清濁併せ呑む合理主義的リーダーである点は正に痛快、それでいて視野が広く民衆思いである。本巻の、特に前半では曹操の魅力が余すところなく描かれていた。
以下に興味深かったエピソードを紹介したい。
・「わたくし如き者から、何を借りたいと仰せられますか」
「王垢、お前の首だ。すまないが貸してくれい。もし汝が死なぬとせば、三十万の兵が動乱を起こす。三十万の兵と一つの首だ。その代わりそちの妻子は心にかけるな。曹操が生涯保証してやる」
→兵糧のピンチを切り抜けた、有名なエピソードである。殺された王垢にしてみればいい面の皮であるが…。
・「せっかくお前たちの汗と丹精によって、このように麦の熟した頃、兵馬を出すのもまたやむを得ない国策によるのである。だが案じるな。ここを通るわが諸大将の部隊に限っては、断じて田畑を踏み荒らすことのないように軍令を発してある。また、村々において寸財の物でも掠め取る兵があれば、すぐ訴え出ろ。我々麾下の大将は、たちどころに犯した兵を切り捨ててしまうであろう。」
→暴君に見える曹操だが、こんな民衆思いな面がある。
「もう少しだ、この山を越えると、梅の林がある。速く参って梅林の木陰に憩い、思うさま梅の実をとれ。梅の実をたたき落として喰え。」
→有名な「梅酸渇を医す」のエピソードである。行く先に梅林などないのに、兵に無意識のうちに、梅の酸っぱい味を想像させ、口中に唾をわかせて渇きを忘れさせてしまうというもの。これが曹操でなければ単なるインチキであるのだが。
・馬上、ゆられながら、彼はいつか詩など按じていた。逆境の中にも、なお人生を楽しもうとする不屈な気力はある。
→ピンチの状況で余裕を見せられる点が魅力的である。
・「この連環の中にじっとしていたら、結局、自分は丞相という名だけを持って窒息してしまう運命に立至るであろう。自分の位置は風雲によって生まれたのであるから、天下の全土を完全に威伏させてしまうまでは、寸時も生々躍動の前進を怠ってはならない。打開を休めてはならない。旧態の何物をもゆるがせに見残しておいてはならない。 」
→熱い言葉。曹操にこうした色付けをした吉川英治氏は見事としか言いようがない。作品によって登場人物のキャラクターが変わるというのが三国志の面白さである。 -
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兄と弟、叔父と甥、父と子。
朝廷、平氏、源氏それぞれの血縁が袂を分かち都を焼いた保元の乱の勃発。
当事者の余りに稚拙な計画の破綻により、現政権側が勝利した後に急速に頭角を表した信西入道による論功行賞と苛烈極まる敗者への断罪。
その歪みはさらなる乱を呼び起こす。
保元の乱から平治の乱前夜までを描く第三巻です。(ちなみにこれは電子版の第三巻までの話)
電子版第四巻は、
公卿の権力闘争に担ぎだされた源氏の棟梁義朝の敗北。
平氏による敗者への追討の手は緩まず。
しかし、後に平氏自らを死地に追い込む若雛は伊豆の地へと解き放たれる。
清盛の慈悲とも、高慢とも言われる頼朝、牛若の救済。
清盛の真意はどこにあったのだろうか? -
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ネタバレ関羽・・・・・・遂に死せり。
弔い合戦が始まる。
7巻は、とにかくみんなが死んでしまう。
ひとつの時代が終わりを告げる。
(そして私の集中力も・・・)
ただひとり残された孔明の孤独はいかほどか。
まるでそれを紛らわすかのように、南蛮へと侵攻し、矢継ぎ早に北へと向かい、留まることを知らない。
*印象に残ったこと*
・張飛のむごい死に様は、仏教の因果応報を彷彿とさせた。
・関羽は、確かに思慮深く、人望も厚い。が、神とまで崇められるようになった所以が、一読しただけではわからなかった。
(本の感想ではないけれど、それを考えていて改めて実感したのは、自分の中で”神”像があまりにも清廉潔白だったこと。そうじゃないよな、と改めて形として捉えてみてわかった。八百万でもなんでも、時に非情で残酷であることを、どうして忘れていたんだろう。)
三国志の戦いでは(とくに孔明は)よく自然の力を利用している。
映画”Red Cliff”では、曹操は風向きに負けた。
自然の力は国の将来を、多くの人命を大きく左右する。
時にはげしすぎるほどに、風は轟き、豪雨は地面を打つ。
それを、昔の人は、身体の一部として、知っていたのだ。